バルト海を制する者は北欧を制す!バルト海覇権争いの歴史はこんなに壮絶だった

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は北ヨーロッパ「バルト海覇権争いの歴史」をご紹介します。

中世が香るバルト海ってこんなところ

中世が香るバルト海ってこんなところ

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バルト海はヨーロッパの北に広がる、面積40万平方キロ、ストックホルム沖での最高水深は459mもある北の地中海です。
スウェーデン、フィンランド、ロシア、バルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)、ポーランド、ドイツに囲まれた海域で、さまざまな国の歴史を見つめてきた海ともいえます。
司馬遼太郎著の坂の上の雲に出てきた「バルチック艦隊」のバルチックはこのバルト海からきています。

古代文明から始まり、中世のバイキング時代、ハンザ同盟の通商を司る舞台となった北ヨーロッパにとって、重要な位置にあった海です。
特に海岸の町ラトヴィアは、バルト海をあらゆる面から楽しめます。
静かな海を眺めたり港町を散策したり、ビーチリゾートを満喫するのにも最適です。
バルト海の海底に眠っている沈没船をレックダイビングで見るのも、歴史ロマンを体感できて魅力的。
今回は、北ヨーロッパの歴史を見つめてきたバルト海の覇権争いの歴史に触れてみたいと思います。

世界最大の汽水域バルト海の地史

世界最大の汽水域バルト海の地史

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氷河期の最盛期といわれる2万年前のバルト海は、巨大な氷床に覆われていました。
この氷床は、ポーランド北部やリトアニア、ユトランド半島、北ドイツ平原などを覆っていたのです。
初めはアンキルス湖が現れ、海面が上昇し海がつながるとリットリナ海が生まれ、バルト海の原型が出来上がりました。
バルト海が現在のような地形になったのはB.C.1800年ごろです。

人類が住み始めたころのバルト海沿岸は、寒冷で不毛地帯でした。
原住民であるゲルマン人は南岸に出現しています。
彼らはスエビ族と呼ばれ、後にゲルマニア最強の民族として歴史に名を刻みました。
8世紀以降はスウェーデン人を中心としたバイキングがバルト海を掌握していたとの説があり、このバルト海は当時「ヴァリャーグ(バイキング)海」と称されています。

交易都市として機能するバルト海周辺都市

交易都市として機能するバルト海周辺都市

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ドイツとデンマークにまたがるユラン半島にシュレースビィヒという都市があり、そこには既に交易の要となる都市ハイタブがありました。
ここではバルト海からギリシアへの道と呼ばれる黒海や東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルへとつながる交易ルートが開かれていました。

ノルマン人はいくつかに分かれ始め、ノース人(ノルウェー人)やデーン人(デンマーク人)が北海方面に侵攻したのに対し、スヴェーア人(スウェーデン人)は東方のバルト海方面へと進出します。
これは直接イスラムの領域につながるもので、フランク王国経由のルートを使わずにバルト海ルートが主となり東方とつながっていたのです。

なぜロシアがバルト海覇権争いにこだわった?

なぜロシアがバルト海覇権争いにこだわった?

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現在のロシアの首都はモスクワですが、1914年ごろはバルト海に面したサンクトペテルブルクが首都でした。
この地域はかつてスウェーデン領でしたが、17世紀半ばの北方戦争でロシアが奪い新しい都市として組み込んでいます。

ロシア帝国にとって、バルト海へつながる出口は国名をかけた大事業のひとつでした。
モスクワの北方にはアルハンゲリスクという都市があり、ここからバレンツ海を通ればヨーロッパにはなんとかたどりつけますが、バルト海の航路を行けば近い距離を何倍もの時間をかけなければならなかったのです。
現在のように飛行機があればひとっ飛びですが…。
いかに大切な航路だったかを痛切に感じます。

始めにお話ししたバルチック艦隊は、このバルト海航路を守るための大艦隊でロシアの誇りでした。
でもこのロシアの誇りバルチック艦隊を明治時代の「日本海海戦」で、壊滅させたのは日本の連合艦隊です。
日本もやるじゃん!って感じですね。

ノルマン人の大活躍期

ノルマン人の大活躍期

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脱線してしまいましたが、9世紀ごろからノルマン人は積極的にバルト海覇権争いに加わってきます。
彼らはネヴァ川を遡行し、黒海へのルートにも参入していました。
実はこのノルマン人たちこそ、奪略を行って恐れられていたバイキングです。
10世紀の初めにはデーン人のロロがフランス王からノルマンジーの土地を与えられ、11世紀になるとイングランドを占領し、北海を中心に周辺地域を統一しました。

12世紀にも南イタリアとシシリー島を占領しシチリア王国を建国しています。
12世紀で特に注目したいのはデンマークとスウェーデン、ドイツ騎士団が団結し、バルト海域に「北方十字軍」を作り領土を拡大したことです。
その時スウェーデンはフィンランドを支配しました。
フィンランドでは、カトリックが広まっています。
大変な活躍ぶりですね。
まさに中世ヨーロッパを牽引したのは、バルト海周辺地域といえるでしょう。
また、ノルマン人の行動が封建制度を形成させたのではという説も論議されています。

スウェーデンの独立後覇者となるも低迷期

スウェーデンの独立後覇者となるも低迷期

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13世紀になり荒れた時代も一段落※彼らは、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーで自国の体制強化の時代に入ります。
14世紀にはデンマークが指導力を発揮し始め、3国間に同君連合を樹立。
デンマークは税収などで利益を得ましたが、2国から不満による反乱も起こり安定しませんでした。
1520年には「ストックホルムの血浴」事件で同君連合(カルマル同盟)が崩壊。
1532年にスウェーデンは独立し独自に発展していきます。

独立したスウェーデンは、バルト海で覇者としての地位を目指し積極的な外交を展開します。
エストニアを統合し、ポーランドを破り、ロシアとの戦争にも勝ちバルト海での地位を確固たるものとしたのです。
三十年戦争に参加し、1648年のウエストファリア条約でドイツ内の領土も獲得。
バルト海全域で覇権を確立し、バルト帝国を形成しました。

リトアニア騎士団とドイツ騎士団の争い

リトアニア騎士団とドイツ騎士団の争い

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一方バルト三国のひとつリトアニアはドイツ騎士団に勝利し、ベラルーシやウクライナ方面への領土拡大を果たし、この地域ではスラブ化が進みました。
リトアニア公国がポーランド王国を兼任することでヤゲウォ朝が起こります。
1410年グルンヴァルドの戦いも勃発しました。
しかし、リトアニアが勝利し、ドイツ騎士団は衰退してしまいます。

ドイツ騎士団には勝利したもののロシアやポーランドの圧迫にあいリトアニアは衰退しました。
ロシアに併合されるのを恐れたリトアニアはポーランドとの関係強化に尽力しますが、1569年にはポーランドへの属化することになります。
最終的にはポーランドがリトアニアまでの広大な領土を持つ国家となりました。
その後、ポーランド分割でリトアニアはロシア領となります。

バルト海の覇者ロシアに対抗するスウェーデン

バルト海の覇者ロシアに対抗するスウェーデン

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神聖ローマ帝国にスウェーデン戦争でポンメルンを奪われ、ピョートル大帝の下で力をつけたロシアとの大北方戦争によりロシアにエストニアやラトヴィアが割譲されました。
ナポレオン戦争でフィンランドがスウェーデンからロシアの領有となり、バルト海の覇者はロシアとなりました。
1712年にはバルチック艦隊を作り海域に睨みを利かせ恐れられる存在へと成長します。
フィンランドがロシアから最終的に独立するのは、1917年のロシア革命の混乱期です。

19世紀に入ってもスウェーデンの野心は消えず「大スカンディナビア主義」を掲げバルト海の覇者としての復活を目論みます。
クリミア戦争でフィンランドの奪回を図りますが敗北。
この後は戦争には参加せずに平和な時を過ごします。
2回の世界大戦で、北欧三国は中立の立場を取っています。

支配され続けたバルト三国の独立と現在のバルト海

支配され続けたバルト三国の独立と現在のバルト海

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バルト三国の独立は、第一次世界大戦後に一時だけ独立に成功します。
その後もバルト三国はロシアとドイツが占領し完全な独立は許されませんでした。
1939年の第二次世界大戦では、ソ連が占領し1941年の独ソ戦争では当初ドイツが占領しますが終わりごろにはソ連が再占領し、このまま戦後もソ連が領有します。
1991年のソ連で起きたクーデターにより独立を回復しました。
2004年にNATOやEUへの加入が認められやっと完全独立へとの歩みを始めています。

現在は、スカンディナビア半島とユトランド半島は海底トンネルと橋梁で結ばれ、鉄道や車で通行可能となっています。
当時、交易の要所とされ争った時代の人々はどのような気持ちで現代の発展ぶりを見ているのでしょう。

かつて壮絶な覇権争いが行われたバルト海を旅してみませんか?

バルト海は中世に壮絶なバトルが繰り広げられたなんて全く感じられない、エメラルド色に輝きマリンスポーツを楽しむ人で人気のリゾート地を持つ海域です。
しかし、海底には沈没船がたくさん沈んでおり、かつての激しい覇権争いの傷跡を今でも残しています。
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