ハプスブルク家の歴史はこんなに偉大だった…オスマン帝国の脅威からヨーロッパを救う

公開日:2020/1/30 更新日:2020/1/30

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はヨーロパ随一の名門「ハプスブルク家の歴史」をご紹介します。


ヨーロッパ随一の名門ハプスブルク家とは

ハプスブルク家は、13~20世紀初頭までの約650年間も神聖ローマ帝国とオーストリア王朝の皇帝として、ヨーロッパを牽引した名門です。全盛期にはハプスブルク家は権力と権威を奮い、結婚による領地拡大にも成功し繁栄しました。
オーストリアを中心にブルゴーニュ、ドイツ、ベルギー、イタリア、スペイン、ハンガリー、ボヘミア(チェコ)に至るまで偉大な勢力を保っていました。
15~16世紀の最盛期には、ヨーロッパの大部分と新大陸(南米)まで統治していたほどです。

特に重要とされる人物は、ハプスブルク家が繁栄するきっかけとなった「ルドルフ1世」とマリー・アントワネットの母「マリア・テレジア」です。マリア・テレジアは政略結婚で成り立っていた中で、愛する男性と結婚出来た幸せな女性で16人もの子供を残しています。
彼女の娘の中にもう一人歴史上有名な人物で悲劇のヒロインといわれるエリザベートは、ハプスブルク家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の妻となった人物です。

今回は、知ればヨーロッパの旅がより楽しくなるハプスブルク家の歴史について触れてみたいと思います。

もともとはスイスの貴族だったハプスブルク家

ハプスブルク家の発祥は、スイス北東部のライン川上流のアールガウ地方です。ここの小領主であり、ハービヒツブルク城(鷹の城)の城主から始まりました。
パプスブルクという名はこの城の名前が訛ったもののようです。
10世紀ごろにライン川上流のドイツに領地を拡大し、ヨーロッパを象徴する家へと発展していきます。

1273年にルドルフ1世がドイツ王に選出されました。1278年にはボヘミア(チェコ)をマルヒフェルトの戦いで破り、1282年にはオーストリア公国を息子に委ね、更に勢力を広げます。
しかし、スイスでの勢力は衰退しました。
オーストリアを中心地として繁栄し、一時期皇帝の暗殺などで衰退するものの、ルドルフ4世のころに復活し「オーストリア大公」と自称するようになります。

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