本当は怖いパイレーツオブカリビアン…実物のカリブ海の海賊たちはこんな歴史を持っていた

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「カリブ海の海賊の歴史」をご紹介します。

海賊の歴史はとっても古かった

海賊の歴史はとっても古かった

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皆さんご存知の海賊とは「海の大泥棒」です。
スティーヴンソン著の「宝島」を始め、映画の「パイレーツオブカリビアン」やアニメの「ワンピース」などで、生きざまに憧れを持っている方も多いと思います。
でも実際の海賊には色々なタイプがあり、人が地上に住んだ瞬間から海賊が存在したという説もあるのです。
海賊の始まりは実は全く分かっていません。
だからこそ歴史ロマンに満ちているといえるのではないでしょうか?

古代史において海賊の始まりは「海の民」と呼ばれる謎の集団です。
エーゲ海を経由して地中海までの海を我が物顔で大規模な掠奪を繰り返した移民集団的存在でした。
本物の海賊はただの荒くれ物の集団という存在だけでなく、組織や国家、社会とつながりを持つ集団だったのです。
国を翻弄するほどの驚異的な存在だった海賊たちの中から今回は、カリブ海の海賊の歴史について触れてみたいと思います。

聞くも恐ろしい海賊たちの始まり

聞くも恐ろしい海賊たちの始まり

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カリビアンブルーの海色が美しいカリブ海は、メキシコ湾の南、大西洋に位置する水域です。
南は南アフリカ大陸やパナマ、西は北アメリカ大陸、北は大アンティル諸島、東は小アンティル諸島に囲まれた、総面積約275万4000平方キロメートルもある巨大な水域です。

1492年にコロンブスが発見した新大陸や周辺の島々の富をスペインが独占していたことに不満を持っていたイギリスやフランスが、私掠船(国家や貴族たちから「船舶略奪許可証」を得た公認の海賊)をカリブ海に派遣しました。
派遣された軍が最初のカリブ海の海賊です。
16世紀になってヨーロッパがカリブ海の島々を植民地化し始め、そこに住めなくなった人たちが海上で生活し船舶を襲うようになった集団も別の海賊として存在しています。

イギリスとスペインの対決

イギリスとスペインの対決

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1585年にイギリスとスペインは戦闘状態に入りました。
イギリスの私掠船の活動が本格的になったのはこの時です。
イギリスの海賊的存在でエリザベス女王に騎士の称号を与えられたドレークが29隻の船に2300人を乗せてイギリスのプリマス港を出航し、エスパニョラ島のサント・ドミンゴの町を襲い全壊させました。
これにより2万5000ドゥカードを掠奪。
更に南米カルタヘナを占領し、スペインの総督に賠償金を支払わせました。

この時のスペイン王室の損害は大きなものでした。
サント・ドミンゴとカルタヘナの二つはスペインにとってカリブ海での大切な要衝だったのです。
240門の砲が取り外され、多くの艦船が沈められました。
1588年8月には南スペインのカディス港に先行攻撃をかけスペインの無敵艦隊を、お得意の火船攻撃で撃破しました。
この時14万ポンドも獲得し、彼の取り分は1万7000ポンドと儲かる商売でした。
この当時武装して海に出た商人や私掠船員たちは「シー・ドッグ(海の犬)」と呼ばれました。

私掠船の新しい時代の始まり

私掠船の新しい時代の始まり

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17世紀はカリブ海の海賊が猛威を振るった時代です。
犯罪者や荒くれ者たちによる海賊集団も出来ました。
彼らは手段を選ばず金に執着するだけの存在でしたが、そんな怪しい輩にもヨーロッパの国々は「船舶略奪許可証」を発行していました。
1620年代ごろからカリブ海の海賊たちは今までのアメリカ大陸や周辺の島々だけでなく、イギリス、フランス、オランダなどの諸国が、植民地創設に関心を持ったのです。
輩たちの活躍だけでは満足できず、各国から正式な艦隊を派遣してスペインの領土侵略を企んだのです。

17世紀にはヨーロッパで起こるたび軍事的対立がアメリカ水域まで持ち越され、カリブ海に浮かぶ島々の争奪戦が行われました。
イギリス領ジャマイカの占領は1655年に8000人の大軍をカリブ海要衝である、サント・ドミンゴ港に送り永久占領しようとします。
これは、軍の艦隊ではなく、実は輩の私涼船たちの集まりに過ぎなかったのです。
この作戦はあえなく失敗に終わりましたが、サント・ドミンゴの西にあるジャマイカ島の占領に成功。
後にジャマイカ島はタバコや砂糖の生産地化に成功し、イギリス本国に多くの富をもたらしました。
その後、ジャマイカのポート・ロイヤル港は私涼船の一大根拠地となり、奴隷貿易の中心地として栄えました。

スペインによるバッカニアの殺戮

スペインによるバッカニアの殺戮

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もう一つ忘れていけない私涼船の根拠地はトルトゥーガ島です。
この時、エスパニョラ島にはフランス、オランダ、イギリス人海賊が既にこの地に住んでいました。
彼らは野生化した牛の肉を燻製にして海賊たちに売りつけていました。
このブ―カンと呼ばれる肉を売り買いする人をバッカニアと呼び、1629年ごろからバッカニアたちは、トルトゥーガ島に移り住んでいます。

この移住を危険と感じたスペイン人たちはバッカニア根絶にのりだします。
1635年1月に討伐軍が派遣され、捕らえたバッカニアたちを一人残らず縛り首にしました。
しかし、討伐軍に捕まらなかったバッカニアたちはこの行為を決して許すことはありませんでした。

カリブ海に君臨するバッカニア

カリブ海に君臨するバッカニア

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トルトゥーガ島はバッカニアでいっぱいになりしました。
彼らはカリブ海を我が顔で掌握し、やりたい放題でした。
スペインの船を襲い港を焼き、1660年ごろからはジャマイカのポート・ロイヤルとトルトゥーガ島が彼らのたまり場になりました。
また、バハマ諸島のニュー・プロヴィデンス島も基地としています。

このころのポート・ロイヤルには砦が造られ約500軒の家が建ち、司令官や商人、バッカニアを泊める安宿や酒場などがありました。
この地は荒くれ男たちの歓楽街となったのです。
バッカニアたちはかつての恨みを持つスペイン人に対しては容赦しない恐ろしい存在でしたが、味方同士の仁義は固く弱いものを助ける集団でした。
また、スペインから掠奪した戦利品を気前よく使いこの地を豊かにしてくれる存在でした。
しかし、荒くれ者のやること、刃傷沙汰や賭博、酒、女遊びと治安についてはレッドカード状態でした。

フランソワ・ロロノアによるマラカイボの襲撃

フランソワ・ロロノアによるマラカイボの襲撃

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実在したカリブの海賊は個性的で面白い人物が多く、今でも語り継がれる有名人も多いのです。
中でも、黒ひげのティーチやアン・ボニー、フランソワ・ロロノア、ヘンリー・モーガンなどは、多くの人々や世紀の海軍からも恐れられる存在でした。
このころの彼らの船は20~50トンの船脚の速いフリーゲート船でした。
彼らは、スペインに対しては憎悪心で戦うので負けることはありませんでした。

ロロノアはスペイン人に対する残虐性で有名になった人物です。
ベネズエラのマラカイボ港にはスペインの行政官がおり、教会と4つの修道院と病院がありました。
更に380人のバッカニアが上陸し激戦の末、500人のスペイン兵の戦死者をだし150人の捕虜と500人の奴隷を拘束したのは彼の功績です。

不要となり、鼻つまみ者となるバッカニア

不要となり、鼻つまみ者となるバッカニア

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フランスは手を組んでいたので私掠船は禁止されました。
イギリスのバッカニアにとっては好都合でしたが、1713年にユトレヒト条約が結ばれたことでバッカニアの役割が終わりました。

私掠船による掠奪は16世紀から2世紀に渡る海外に領土を持たないイギリスがスペインと渡り合うための手段で、スペイン経済を疲弊させることが重要な役割でした。
彼らはイギリスにはジャマイカやプロヴィデンス島などカリブ海で植民地を獲得し予想以上の経済効果ももたらしています。
国力が衰退したスペインの領域を脅かすことが出来るようになった、17世紀末には私掠船という非常手段は邪魔な存在でした。

終焉を迎えるカリブ海の海賊たち

終焉を迎えるカリブ海の海賊たち

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今度はバハマ諸島のニュー・プロヴィデンス島を根城とし、スペイン、ポルトガル、フランス、オランダ船やジャマイカやニューイングランドなどの船を襲い、アメリカ合衆国の南東部のキャロライナ海岸を掠奪しました。

イギリス国王ジョージ1世たちは海賊を辞めるものには罪を問わないと、1717年にお触れを出しましたが、さほど効果はありませんでした。
私掠船船長として活躍し世界一周航海を成し遂げた有名な航海者ウッズ・ロジャーズ船長をニュー・プロヴィデンス島に送り込みました。
彼の航海における話がデフォーの「ロビンソン・クルーソー」のヒントのひとつだったともいわれています。

海賊たちのカリスマ的な存在のロジャーズは海賊たちにスペインとの平和的貿易に従事するよう勧告し、メキシコ湾で働かせました。
中には肌に合わず海賊に戻り絞首刑になったものや、カリブ海を出て太平洋で海賊を続ける者もいました。

国家や社会を震え上がらせたカリブ海の海賊たち航跡を追ってみませんか?

大海を真っ赤な血で染めたカリブ海の海賊たちの生きざまは、ある意味憧れの存在となり英雄化されています。
現在のカリブ海では、カリビアンブルーの美しい海としてカリブ海リゾート・クルーズなどのツアーが数多く開催されています。
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