トルコの世界遺産「アヤ・ソフィア」が美しすぎる!行き方や見どころは?

ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝の意志に基づき、その子コンスタンティウス帝によって、西暦360年に建立されたアヤ・ソフィア。スルタンアフメット・ジャミイとトプカプ宮殿の間に建つイスタンブールを象徴する建物アヤ・ソフィア(博物館)を紹介します。

アヤ・ソフィア周辺の景色

アヤ・ソフィア周辺の景色

image by iStockphoto

現在の建物はユスティニアヌス1世(在位527~65)によって建てられました。
それ以前にも聖堂がありましたが焼失したため再建されました。
ユスティニアヌス1世は、国中に使いを出し腕の良い職人を集め、各地の古代建築から石材や装飾品を運ばせ、建築主任には数学者であり自然学者であるアンテミオスが任命されましたが、彼は着工後まもなく世を去り、その助手で幾何学者のイシドロスが工事を指揮しました。

アヤ・ソフィアの住所・アクセスや営業時間など

名称 アヤ・ソフィア
名称(英語) Ayasofya
住所 Sultanahmet Mh., Ayasofya Meydanı, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ
営業時間・開場時間 夏期9:00-19:00,冬期9:00-17:00
利用料金や入場料 30トルコリラ
参考サイト http://whc.unesco.org/en/list/356/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

アヤ・ソフィアの外観

アヤ・ソフィアの外観

image by iStockphoto / 90179541

537年12月26日、ユスティニアヌス1世と皇后テオドラのより盛大な献堂式が行われました。
557年の震災により大聖堂は大きな被害を受けました。
この頃のドームは現在のものよりも大きく、その重圧のためにドームの半分が崩れ落ちました。
ユスティニアヌス1世は直ちに修復を命じましたが、イシドロスはすでに亡くなっており、その甥に作業が託されました。
5年後の563年、2度目の献堂式が行われたとき皇帝は81歳になっていました。

整然とした雰囲気の内部

整然とした雰囲気の内部

image by iStockphoto / 63195827

大聖堂はその後も数々の災難に見舞われることになりました。
8世紀から9世紀にかけて起きた聖像破壊運動によって大聖堂の装飾なども被害を受け、10世紀と14世紀には地震が起きたためにドームの崩落が起きました。
1204年、十字軍による攻撃の際には、略奪を受け貴重な装飾品が奪い取られ、ビザンティン帝国の衰退とともに大聖堂は荒れてしまいました。

かわいらしい形のインテリア

かわいらしい形のインテリア

image by iStockphoto / 81659957

1453年、オスマン帝国の制服の後、メフメット2世は、まっ先に大映堂に赴き、金曜日の礼拝を行いました。
大聖堂はモスクに変えられ、アヤ・ソフィア・ジャミイと呼ばれるようになりました。
1934年にトルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクにより無宗教の博物館にされるまで、アヤ・ソフィア・ジャミイは世界的なモスクのひとつでした。
大聖堂はユスティニアヌス1世の偉業のひとつとして、また教会建築の模範として現在も生き残っています。

落ち着いた色合いの内部

落ち着いた色合いの内部

image by iStockphoto / 13742626

アヤ・ソフィア・ジャミイとして改装されるにあたって、聖堂内のモザイクは漆喰に塗りつぶされ、イスラム教の礼拝に必要な施設に造り直されました。
アフメット3世によりミンバル(モスクに設置される説教壇)が設けられ、ムスタファ1世の死に際して南側の洗礼堂は霊廟となりました。
メフメット2世、バズヤット2世、セリム2世は、外側に4基のミナレを建てました。
オスマン帝国の歴代のスルタンによって、大聖堂は常に完璧に整備され崇敬の的となりました。

穏やかでやさしい表情 モザイク1

穏やかでやさしい表情 モザイク1

image by iStockphoto / 71622309

1847年から49年にかけて、アブデュル・メジト1世の命を受け修復が行われました。
ドームは補強され、回廊のモザイクは一時漆喰を取り除かれましたが、十字架と関係のあるもの、人物像などは再び塗り込められました。
1932年、ムスタファ・ケマル・アタテュルクはアヤ・ソフィアを博物館にすることに決めました。

色が鮮明に残っている モザイク2

色が鮮明に残っている モザイク2

image by iStockphoto / 90771665

その年の4月、モザイクの復元に着手し作業は1934年になってようやく終わりアヤ・ソフィア博物館として初めて一般に公開されました。
大聖堂の壁は特有のモザイクによって飾られ、漆喰の下に塗り込められていたモザイクは修復により昔の姿をほぼ取り戻しています。
鈍く光る金色の地に青や赤や色とりどりの石片をちりばめたモザイクは、ビザンティン帝国の栄華をしのばせます。

美しいドームの内側

美しいドームの内側

image by iStockphoto / 75830823

中央のドームは直径30m以上あり、内部は幾何学模様を施された40本の石のリブ(補強部材)で支えられています。
ドームの内側には円形に40個の窓が並んでいます。
中央には太陽が描かれ、黒地に金色の飾り文字で囲まれています。

黒に金のカリグラフィー

黒に金のカリグラフィー

image by iStockphoto / 105991615

大聖堂にはさまざまな伝説が伝わっています。
北の回廊には湿った円柱と呼ばれる円柱があります。
魔術師聖グレゴワールは、大聖堂の落成後まもないうちにここに現れ、汗をかいていたといわれる円柱に、眼を癒し女性に子どもを授ける力を与えました。
円柱は保護のため銅で覆われていたのですが、巡礼者たちが尊い液体を集めるためにこの覆いを壊し石にまで穴を開けてしまったそうです。

繊細な彫刻の施された柱

繊細な彫刻の施された柱

image by iStockphoto / 105732815

壁を飾り円柱を建てるために、ユスティニアヌス1世はビザンティン帝国のあらゆる地域から多種多様の大理石を集めさせました。
マルマラ島の白大理石、ヘイベリ島の緑大理石、アフリカの黄大理石などが運ばれてきました。
また、アルテミス神殿から青大理石、バルベックの神殿から赤大理石が運ばれました。

キリスト教とイスラム教が混在しているモスク

キリスト教総本山、モスク、最終的には博物館になったアヤ・ソフィア。
他のモスクとは違い博物館となったことで、心置き無くじっくりとその美しさを鑑賞することができます。
photo by iStock