フランスの歴史でこれだけは知っておくべき9つのこと

公開日:2019/3/22 更新日:2020/3/6

これだけは知っておこう!フランスの9つの歴史的事実

 

これだけは知っておこう!フランスの9つの歴史的事実

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 華々しい芸術や文化を育んできたフランスですが、その歴史は重厚で伝統深いものです。
旅行などでも人気のフランスですが、訪れる前にそんなフランスの歴史について知っておくことは、フランスを楽しみ尽すうえでは欠かせないことでしょう。
凱旋門やエッフェル塔などのフランスの各観光地の成り立ちを知ることで、それらを更に味わえることは言うまでもありません。

それでは、そのフランス歴史のなかで絶対に抑えてほしい、9つの史実についてご紹介していきたいと思います。

1.古代ローマ時代の呼び名は「ガリア」

 

1.古代ローマ時代の呼び名は「ガリア」

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 古代ローマの時代、現在のフランスの位置にあたる地域は「ガリア」と呼ばれていました。
近代では、このガリアという語がフランスの雅称として使われることもあります。
ガリアの起源は、紀元前4世紀頃とされていて、ケルト人が居住していたと考えられています。
紀元前58年頃からガリア遠征を行ったカエサルによる「ガリア戦記」にも、ガリアの地にケルト人が居住していたことについての記述があります。

ガリアを語る上で、この第一級資料であるガリア戦記をはずすことはできません。
ガリア戦記は、前述のガイウス・ユリウス・カエサル属州総督自らの手によって書かれた戦記です。
元老院へガリア戦争の戦況を報告するためのレポートのようなものだったと考えられています。

ガリア戦争とは、紀元前58年から7年間にわたって行われた、共和政ローマのカエサルがガリアの全域を征服し、ローマの属州とした戦争のことです。
こうして征服を受けた後のガリアには、ローマ的な都市も建てられるようになり、ローマ化が一気に進んでいきました。

そして、この戦争での実績によって、カエサルは将軍としての権威を高めたうえに、ガリアでの戦利品を私物化し、莫大な財産を蓄えます。
カエサルが得たのは名誉や富だけでなく、一緒に戦いの日々を過ごした将兵たちからの熱い忠誠心をも獲得しました、カエサルを慕う将兵たちの忠誠心は、ローマよりもカエサル個人に対して向けられるようになったのです。
これによりカエサルは、頑強な私兵軍団をつくりました。

ローマの元老院は、このカエサルの勢力を恐れてポンペイウスと結託し、カエサルに対抗する姿勢を強めます。
そして、紀元前49年にはカエサル対元老院の内戦へ突入するのでした。

2.ゲルマン民族の大移動!フランク王国成立

 

2.ゲルマン民族の大移動!フランク王国成立

 375年ごろから、ゲルマン人ゴート族が南下し、ローマ帝国を脅かすようになります。
これが、後に言われる「ゲルマン人の大移動」の起こりです。
その後、ゴート族以外のゲルマニアの民族も南下しだしローマ帝国の領土を侵すようになります。
ゲルマン人の移動はすべてが侵略的だったというわけではなく、平和的に行われることもありました。
その移動の原因は、他民族からの圧迫から逃れるためであったり、気候の変化によるものだったりと様々です。

とくにゲルマニアの民族のひとつであったフランク族は、ローマ帝国と同盟を結び、他のゲルマン系民族とローマ系住民を吸収し、次第に現在のドイツやフランスに勢力を伸ばしていったのでした。
これがフランク王国成立の契機となります。

このフランク人をはじめに統治したクローヴィス王は、カトリックを受容し自信もその洗礼を受けました。
このことは、旧ローマ帝国領のカトリック勢力からの支持を得ることができる上でも有益でした。
クローヴィス王は、その後も度重なる遠征を敢行し、507年には西ゴート王国からガリア南部を奪い、ガリアへの支配を確立させました。

クローヴィス王の死後、フランク王国の領地は4人によって分割され、フランク王国は4つの分国に分かれることになります。
しかし、この分国の領主はほとんどが指導力に欠けたため、それら領主に仕える宮宰が実質的な力を握るようになりました。
なかでも、アウストラリア分王国のカロリング家はその権力を強化していきます。

そして、カロリング家はアウストラリア分王国だけでなく、いつしかフランク王国全土を従える実質的支配者となりました。
そのカロリング家のカールは各地に派兵を行い、フランク王国の領土を最大にします。
こういった功績から、彼は「ヨーロッパの父」と呼ばれました。

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