フランスの歴史でこれだけは知っておくべき9つのこと

公開日:2019/3/22 更新日:2020/3/6

8.ナポレオン3世の登場

 

8.ナポレオン3世の登場

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 こうして、自由主義者として有名なオルレアン家のルイ・フィリップがフランス王となりました。
7月革命によって即位した彼の治世は7月王政と称されます。
この王制では、厳しい制限選挙によりブルジョワジーにしか政治参加が認められませんでした。
そういった王政への反発として、二月革命が起こり、ルイ・フィリップもと退位へ追い込まれました。
そして、この二月革命がヨーロッパ全体へと広がっていきます。

二月革命によって成立した臨時政府は、ブルジョワ共和派と社会主義者の連携が図られていました。
しかし、様々な諸政策で対立が深まり、その影響によって総選挙で社会主義者が大敗を喫したことを受け、国立作業場が閉鎖されます。
これにパリの労働者が反発し、六月蜂起を起こしましたが、カヴェニャック将軍によって早々に鎮圧されました。

この一件は、ブルジョワジーに、社会主義的な革命に対する恐怖心を抱かせました。
彼らは以前のように改革を進めることを否定し、保守化したことによって市民革命の時代は終焉を迎えたのです。
このような政治的混迷のなかにあって、農民やブルジョワジーたちは強力な指導者の登場を待望するようになりました。
その期待に応えるようにして、1851年12月、ルイ・ナポレオンが国民投票により皇帝に即位したのです。

即位後のナポレオン3世は、有名なクリミア戦争などを含む数々の諸外国遠征の成功によってその威光を高めました。
その一方で、フランス国内においては、大規模なインフラ整備によって工業化を推進します。
工業化によって新たに創出された雇用は、失業者の減少にもつながり、ますますナポレオン3世は人々からの尊敬を集めたのでした。
ナポレオン3世による統治の前半は、言論の自由が制限されたりと以前のような権威主義的な統治でしたが、前述のように労働者の支持も獲得し、工業化の推進によってブルジョワジーの期待にも応えました。
このように、ナポレオン3世はフランス国民全体からの直接的な支持を集め、フランスの政治運営を行ったのでした。
こうした統治の方法には、後のポピュリズムにも通じるような要素が見いだされると思いませんか?

しかし、こうした彼の絶大な権力は、派手な成功を維持し続けなければ維持することはできませんでした。
1860年代、アメリカ大陸への進出を目指すために行ったメキシコ出兵で失敗し、その威光が弱まります。
また、ナポレオン3世は、自由貿易体制をとったために、フランス国内の産業はイギリスの優れた工業製品に取って代わられ、打撃を受けていました。
このような失政が続き、以前のような権威主義的な統治も難しくなり、段々と議会に対して妥協せざるを得ないことが多くなっていきます。
さらに、世論を自らの権力基盤としていたので、エムス電報事件によって世論が反ドイツ大きく傾くと、民衆によって、開戦を避けられない状況に追い込まれました。
かつて自分を支えた世論が、今度は自分の首をしめるような結果になってしまいます。
そして、1870年に普仏戦争が勃発し、ナポレオン3世が捕らえられたことによって第二の帝政は幕を閉じました。

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