世界遺産「小笠原諸島」の魅力と歴史。世界でここだけの秘密とは?

「自然環境を守ろう!」とはよく言いますが、いったいなぜ、どうやって自然環境を守るのでしょうか?今回の記事の舞台は、2011年に世界自然遺産に登録された小笠原諸島。この島の自然を保護するためには、常に侵入のすきをうかがう外来種と闘う関係者の並々ならぬ努力があったのです。今回の記事では、小笠原諸島の魅力をたっぷりと紹介すべく、歴史や環境保護の取り組みを中心にご紹介していきたいと思います。

小笠原諸島とはどんなところ?

 

小笠原諸島とはどんなところ?

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一応東京都・・・でも1000km離れている!

 

「小笠原」の言葉だけであれば聞いたことのある人がほとんどでしょう。
しかし、「南の島」という認識ぐらいで、実際どこにあるかよく知らないという人も多いはずです。

小笠原諸島は、東京から南へ約1000キロメートル離れた、太平洋に浮かぶ島々の総称。
「群島」とは、群集している島々をまとめたときの呼び方で、「諸島」は、群島を含めてポツリポツリと点在する島々をまとめたときの呼び方です。
小笠原諸島は、小笠原群島に南鳥島や沖ノ鳥島などといった島を合わせた諸島になります。
小笠原群島には、父島や母島、兄島、姉島、弟島、妹島などがあります。
家族のようでおもしろいですね。

東京から1000キロメートルも離れていますから、本当に遠いです!実は、小笠原諸島から見ると、東京に行くのもグアムやサイパンに行くのもほとんど同じくらいの距離になります。
2016年現在では飛行場が島にありませんので、東京から船で24時間ほどかかります。
しかも、人を乗せられる船は観光シーズンですら3日に1回、オフシーズンともなると6~7日に1回しか運行していません。
観光客は、船に合わせた観光スケジュールを立てる必要があります。
日本にある世界遺産の中では、最も行きにくいところと言っても過言ではないでしょう。

大陸とつながったことがない島

 

このように、小笠原諸島は太平洋の真ん中に浮かぶ島々です。
なんと、歴史上他の大陸とつながったことがありません。
このような島のことを「海洋島」と呼びます。
日本本土(内地と言います)から遠く離れており、面積も小さい(最大の父島ですら24平方キロメートルほど)ために、無人島だった期間が長かったのです。
現在ですら、人が住むのは父島と母島だけ。
人口は3000人ほどで、公務員と観光業に携わる人が大半を占めます。

日本列島に住むほとんどの人から見ると、小笠原諸島での生活はとても不便なものです。
前述の通り、船が来るのは多いときでも3日に1回しかありません。
船が来るときにしか物資が輸送されませんので、船が来る前で観光客も少ない日は休業している商店がほとんどです。
新聞の宅配も船で行われますから、数日分から一週間分がまとめて届けられる形になります。

小笠原に住む人々はこうした生活を送っていますので、交通手段の充実が全島民の悲願でした。
首相や東京都知事などの要人、急病人を運ぶための自衛隊機は発着可能ですが、民間航空機用の飛行場は2016年現在においても存在していません。
環境保護との兼ね合いで、なかなか着工が実現されないのが現実のようです。

世界でココだけ!小笠原諸島の特異な生態群とは?

 

固有種が多いのはなぜ?どこがすごい?

 

固有種が多いのはなぜ?どこがすごい?

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小笠原諸島は、生物の固有種の多さが評価されたことから世界遺産(世界自然遺産)への登録が実現されました。
その経緯について見ていく前に質問があります。
固有種が多いのはなぜか、そしてどこがすごいのか、お分かりでしょうか?

前述の通り、小笠原諸島は大陸と陸続きになったことのない海洋島。
したがって、植物も動物もなかなか小笠原諸島まで到達することができません!例えば、風で種子を運ぶブナ科やマツ科の植物が小笠原では繁殖できません。
動物でも、シカやヤギなどの草食動物、海水の苦手なカエル・イモリなどの両生類、クマやオオカミといった肉食動物が小笠原には本来いません。
これらの動物のような「捕食者」が小笠原では不在なので、本来であれば食べられてしまう動植物が独自の発達を遂げることが可能な環境があるのです。
だから小笠原固有の生物が異常に多くなっています。

では、固有種が多いとなぜ「すごい」のでしょうか?一言で言うと、それは私たちが生物のダイナミックな進化を目の当たりにできるからです。
「進化論」という説は聞いたことありますよね。
生物は神様が創ったわけでもなければ、不変なわけでもなく、環境に対応する形で変化してきた、という説です。
今では一般的に知られている進化論ですが、生物の「進化」を証明するのは至難の業。
実は、小笠原のように他地域から孤立した島の生物を分析することで、その生物がどのように環境に適応してきたかをじっくり見ることができます。
小笠原諸島は進化論の実験場のようなもの。
「生物の進化」という大きなテーマを研究する上で、きわめて貴重な土地なのです。

固有種だらけ!カタツムリの固有種率は94%

 

特に小笠原の生態系の特別さを示すのが、カタツムリ(「陸産貝類」と言います)です。
動きも遅く武器も持たず、他の地域ではすぐに食べられてしまうカタツムリたちにとって、捕食者がほとんどいない小笠原は楽園。
信じられないくらいに爆発的な多様化を遂げた結果、なんとこれまで小笠原で記録された陸産貝類106種のうち、94%に当たる100種が固有種とされています。
しかも、現在でも謎の(データに記載がない)種が次々と発見されているため、固有種の数はより増える可能性が高いのです。
小笠原諸島の中でも、島同士の距離が大きいために同じ種でも色や形が異なるケースが多くなっています。
島の中でも一つの種が異なる色・形に変化しているケースもあり、注意深く観察することで私たちは進化の過程を現在進行形で目にすることができます。
小笠原諸島は、まさに「進化の実験場」なのです。

後述しますが、小笠原諸島は明治時代以降に森林破壊、戦争、外来生物の侵入と次々に試練を経験してきました。
環境に大きなダメージを受けているのですが、それでも在来種の8割方は絶滅することなく現在まで生き延びています。
他の太平洋の島々では、環境破壊や外来生物の影響ですでに半数の陸産貝類の種が絶滅してしまいました。
そうした意味でも、小笠原諸島の環境を守ることは大きな価値があると言えるでしょう。

山と海がごちそう!観光ポイント

 

ビーチでクジラ・イルカ・ウミガメと会える

 

ビーチでクジラ・イルカ・ウミガメと会える

小笠原諸島の自然はきわめて学術的な価値の高いものであるばかりでなく、観光地としても素晴らしいポテンシャルを秘めています。
青く美しいビーチがいくつも広がっており、シュノーケリングや海水浴などのアクティビティを満喫することができます。
父島には八ツ瀬川という川もあり、ツアーによってはシーカヤックで移動することもできます。

また、やはり小笠原で必ず体験したいのが貴重な野生動物の数々。
前述のカタツムリや魚、昆虫など、小笠原以外の場所では決して見ることのできない固有種を目にできます。
「こんな生き物がこの世に存在するの!?」とびっくりしてしまうような体験ができるはずですよ。

それに加えて、クジラやウミガメを間近に見られるチャンスがあるのも小笠原の魅力の一つ。
島内にある「小笠原海洋センター」では、これらの動物の展示を見学できますし、いくつかのビーチでは実際に野生のアオウミガメが産卵するとか。
運と忍耐力があれば、産卵シーンを見ることができる…かもしれません。
沖合へホエールウォッチングやドルフィンウォッチングをするツアーもあります。
大きなザトウクジラがジャンプを繰り返すシーンや、クジラの「歌」を水中で聞くことも可能です。

一生記憶に残る!山の頂上から絶景を満喫

 

海のアクティビティも当然ながらおすすめで、ぜひとも体験していただきたいのですが、小笠原では小高い山がいくつか存在することも忘れてはいけません。
峠の頂上から見る海と空と砂浜の眺めは、言葉では言い表せないくらいに素晴らしいものです。
例えば、父島の中心部に近い三日月山の山頂には展望台があり、周囲の景色を一望することができます。
港からレンタルバイクで15分ほど、バス停から徒歩で15分ほどの距離にあるので、それほど行くのに苦労はしません。
ホエールウォッチングのポイントにも近いので、運がよければツアーのお金を払うことなくザトウクジラが見られるかもしれません!また、太平洋に沈む夕日を眺めるのもロマンチックでたまりませんね。

ただし、自然保護の観点から、小笠原村ではエコツーリズムを推進する姿勢を打ち出しています。
ゴミを勝手に捨ててはいけないのはもちろんのこと、観光ルートが定められていたり、場合によってはガイドが同行しないと行けない場所もあったりしますので注意が必要です。
観光客であっても、「自然を守る当事者である」ということを頭に入れておきましょう。

小笠原の生き物は簡単に滅びてしまう!生態系破壊について

 

絶滅種・絶滅危惧種がいくつも存在

 

絶滅種・絶滅危惧種がいくつも存在

小笠原諸島の自然を語る上では、残念ながら生態系の破壊について触れないわけにはいきません。
小笠原諸島に生息する動植物にとって、外来生物の存在が大きな脅威になっています。
外来生物によって捕食されたり影響を受けたりして、すでに多くの動植物種が絶滅の憂き目に遭ってきました。
確認されているだけでも、オガサワラカラスバト、ハシブトゴイをはじめ、鳥類や陸産貝類の30種ほどが絶滅したとされています。
絶滅した鳥類については、すべて20世紀前半までのことであったと言われています。
明治維新前後に開始された小笠原諸島開発事業の影響がどれだけ大きかったかを物語っています。

また、現在でも多くの絶滅危惧種が小笠原には存在しています。
例えば、固有種であるオガサワラツツジは自然株(自然に生えてきた植物のこと)がたった1株になってしまいました。
これが死んでしまったら、オガサワラツツジは絶滅してしまうのです!他にも、コウモリ、鳥類、海鳥、昆虫類、陸産貝類、植物などで多くの種が壊滅的な打撃を受け、絶滅の危機に瀕しています。
アホウドリやメグロは特別天然記念物に、その他オガサワラオオコウモリやオガサワラトンボ、陸産貝類のほとんどの在来種などが天然記念物に指定され、これらの採集や捕獲は厳しく禁止されています。
他にも国内希少野生動植物種に指定された種も数多く存在します。
どれだけ日本政府が危機感を持っているかがうかがえるのではないでしょうか。

固有種は外来種に弱い!環境破壊の謎

 

小笠原に数多く存在する固有種は、残念ながら外来種にきわめて弱いのです。
本来、弱い生物は食べられてしまいます。
しかし、小笠原諸島では敵がいないために容易に繁殖できました。
敵がいないがゆえに、自分の身を守るような「武器」を持つ形での進化をしてこなかったのです。
例えば、トゲや毒で食べられることを防ぐ植物がいないため、かつて外来種のヤギが野生化したときに驚くほどのスピードで食い荒らされてしまったことがありました。
また、靴底に付着しやすい肉食プラナリアが1990年代になって持ち込まれると、あっという間に陸産貝類が周辺から姿を消してしまいました。
生物は、いとも簡単に滅びます。

また、脅威となる外来種は何も動物だけに限ったことではありません。
外来種の植物も、ひとたび持ち込まれると小笠原独自の植物を駆逐する危険性があります。
例えば、「陰樹」という日光がなくても繁殖しやすい植物が侵入してきたことで、陽樹中心の小笠原の植生に大きな影響を与えています。
陰樹が侵入すると、在来の陽樹を押しのけて林を作ります。
この林によって日光が差し込まなくなってしまいますので、陽樹は生長しなくなってしまいます。
こんなことで、小笠原諸島の陽樹は危機に瀕してしまいます。

また、在来種にツルを絡ませて養分を吸収するガジュマルは、「絞め殺し植物」と呼ばれ勢いを増しています。
ガジュマルの芽は木の上部に生えるので、人間の手で駆除するのもなかなかうまくいかないのです。

小笠原諸島の歴史!初めて住み着いたのは日本人ではない?

 

捕鯨拠点としての小笠原諸島

 

捕鯨拠点としての小笠原諸島

ここからは、小笠原諸島が世界自然遺産登録に至るまでの軌跡を見ていきたいと思います。
小笠原諸島は、19世紀になるまで無人島であった期間がほとんどでした。
17世紀後半には、江戸幕府の命を受けて小笠原探検隊がやってきましたが、人の定住には至りませんでした。
当時は、「無人島(むにんじま)」と呼ばれていたようです。

19世紀になって初めて小笠原定住を試みたのは、実は日本人ではなく欧米人+ポリネシア人従者たちだったと言われています。
航海技術が発達し、捕鯨が盛んになったことで、欧米の捕鯨船が小笠原近海に出没したり、軍艦が寄港したりする機会が増えたのです。
そのため、冒険好きの欧米人たちがそれまで何度か見かけたことのある無人島への定住を試みたとされています。

実は、江戸幕府に開国を迫ったあのペリーの「黒船」も1853年に小笠原諸島に訪れています。
1857年には、イギリスのモットレイ夫妻が母島に居住しており、そのお墓が今でも母島には残されています。
同じ1857年には、ペリーに連れてこられたハワイからの移民が首長に任命されました。
この頃は、アメリカの移民政策が一歩先を行っていたことになります。
それだけ、太平洋を行く捕鯨船や艦隊にとって重要な寄港地として評価されていたわけですね。

日本による開拓開始!日本の領土に

 

江戸幕府は、1862年に軍艦咸臨丸を派遣し、はじめての移民開拓を実施しました。
この咸臨丸には、福沢諭吉や勝海舟などといった有名人がメンバーとして乗船していたことでも知られています。
このときの開拓は失敗に終わり、移民もいったん引き揚げざるを得ませんでした。

1876年、明治政府は小笠原諸島の統治を各国に通知し、正式に日本領として認められました。
本格的な開拓が始まりました。
このときの乱獲によって、アホウドリやアオウミガメ、サンゴなどが激減し、いくつかの固有鳥類は絶滅してしまいました。
その後、サトウキビ栽培や観葉植物、冬物野菜の栽培が盛んに行われ、数少ない平地や斜面はほとんど畑に転用されました。
こうした「環境破壊」の影響は現在にまで続いています。

この時代にはビニールハウスが存在しませんから、旬の異なる野菜やフルーツを内地に送ると高く売られました。
それに加えて漁業も盛んに行われていました。
そのため、戦前の小笠原諸島の島民の生活は内地に比べてよほど豊かであったと言われています。
当時の日本には、「環境保護」などという考え方は存在しませんから、生活のために農業や漁業を盛んに行うのは仕方のないことかもしれません。

戦争は最大の環境破壊!硫黄島は人の住めない島になった

 

太平洋戦争最大の激戦地・硫黄島

 

太平洋戦争最大の激戦地・硫黄島

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『父親たちの星条旗』や『硫黄島からの手紙』といった映画にもなった通り、小笠原諸島の島の一つである硫黄島では激しい戦闘が繰り広げられました。
小笠原諸島は、グアムやサイパンに近い位置にあります。
小笠原諸島は日本本土へ向かうアメリカ軍の戦闘機B-29を見張る重要な拠点でした。
そのため、アメリカ軍はこの島を制圧することで本土への空襲をスムーズにする戦略的意図があったとされています。
飛行場が置かれた硫黄島がターゲットになっていることを察知した日本軍は、多くの兵士を送り込んで抵抗を続けました。

こうして、硫黄島では沖縄戦に先んじて日米の激しい上陸戦が繰り広げられました。
結果、日本軍のほとんどの兵士が戦死、アメリカ軍も6,000人を超える犠牲者を出すなど、太平洋戦争後期における最も凄惨な戦いとして後世に名を残しています。

この戦いは、人間だけではなく環境をも激しく破壊するものでした。
激しい砲撃にさらされた硫黄島は、地形が変わるほどの被害を受けました。
戦前はこの地に政府の保護林があったのですが、激しい戦闘の中で全滅したとされています。
今は自衛隊駐屯地として軍事上重要な役割を持つ硫黄島には、今も人の居住が認められていません。

硫黄島以外における戦争の影響

 

父島や母島にも守備隊が駐屯したため、アメリカ軍の砲撃を受けて数多くの戦死者が出ました。
特に父島は要塞化され、陣地構築のために自然環境の破壊が進んでしまいました。
1944年には、少数の兵士以外の全島民が本土へ強制的に疎開させられた一方、戦争末期には4万人を超える兵士が駐留したとされています。
空襲で森林が火事になり、貴重な動植物が被害を受けただけでなく、兵士の食料として植物の伐採が行われ、一部の植物は全滅に追い込まれたと言われています。
もちろん、本土からの人の出入りが増えたために、知らず知らずのうちに外来種が持ち込まれ、島内で繁殖して在来種を脅かす結果ともなったはずです。
戦争中ということもあり、この間の自然破壊に関する情報はあまり多くありません。

また、島民が引き揚げた結果、一部家畜が野生化して繁殖しました。
特に、放置されたノヤギが野生化し、トゲや毒のない植物を食い荒らして在来種の脅威となりました。
1990年代になっても、小笠原諸島の一つ聟島(むこじま)では1,000頭にものぼる野生化したヤギが確認されています。

アメリカに占領された小笠原諸島

 

日本人の島民は島に帰ることを許されなかった

 

日本人の島民は島に帰ることを許されなかった

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戦後、1968年に日本に返還されるまで、小笠原諸島はアメリカ軍の統治下に置かれました。
日本人島民の帰島は許可されず、19世紀に定住していた欧米系住民の子孫たちだけが戻ってくることができました。
その数はたったの100名ほどで、父島のごく一部の地域以外はほぼ無人島の状態に逆戻りしました。

この間は「空白の23年間」となり、人の手が入らないおかげで戦争と開発によって大きく破壊された小笠原諸島の自然は大きく回復に向かいました。
その一方で、この間に環境の「変化」が発生しています。
建物や道路を覆うように植物が繁殖しました。
特に、外来種のリュウキュウマツと在来種のムニンヒメツバキが開拓されていた農地に侵入し、広い範囲が新たな林と化しました。
また、マメ科の在来種であるギンネムが村落であった地域に広く繁茂しました。
自然環境がただ元通りに回復したわけではなく、外来種の侵入や人間の開拓の影響を受けて以前と異なる形で植物が繁殖したということです。
現在でもこれらの植物は小笠原諸島のそこかしこで見られます。
戦争のもたらした環境の変化は、すでにこの地に定着してしまっているわけです。

アメリカ統治時代の獣害と外来種の侵入!

 

前述の通り、外来種であるヤギの野生化がアメリカ統治下で発生しました。
当時の島民が100名ほどしかいませんでしたから、とても管理できる状態ではなかったのです。
防衛システムを持たない植物たちは食い荒らされ、環境破壊につながりました。
聟島では、この時期に森林がほぼ全滅したと言われています。

また、当時の島民の生活物資は主にグアムから運搬されていました。
そのため、この時期にも外来種の侵入が起こったと考えられています。
特に現在にまで大きな影響を及ぼしているのが、トカゲの一種であるグリーンアノールです。
グリーンアノールは、自分のアタマよりも大きな昆虫を食べることができるほどどん欲なトカゲで、特に父島では少なくとも数十万匹にまで繁殖したことが確認され、現在でも根絶できていません。
戦後にペットだったものが脱走して野生化したとされており、オガサワラシジミをはじめとした昆虫類を食い尽くしていることがわかっています。
日本生態系学会が「日本の侵略的外来種ワースト10」に選出されたことからもわかるとおり、グリーンアノールはアメリカの統治した小笠原や沖縄において、深刻な被害をもたらしています。

ガンガン開発!日本返還後の小笠原諸島

 

環境をないがしろにした開発の進展

 

環境をないがしろにした開発の進展

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1968年に小笠原諸島がアメリカから日本へ返還されると、本土へ疎開していた島民はだんだん帰島し始めました。
日本政府は法律を定めて巨額の予算を投じ、小笠原諸島の復興に乗り出しました。
港や道路、上下水道、電力、住宅などのインフラが整備されて生活水準は大きく向上したものの、サンゴ礁や植物群生地の破壊、陸産貝類の生息地の荒廃など、環境破壊を招きました。
車道の拡張によって希少植物が失われ、そこにアカギやギンネムなどの外来種が進出する事例もありました。
荒れ放題の小笠原諸島(父島・母島)を人が住めるところへ戻すために、どうしても優先順位は開発の方が環境保護よりも高かったというわけです。

その一方で1972年には小笠原国立公園が制定され、天然記念物や保護林が指定されるなど、内地で公害が社会問題化する中で、小笠原諸島の自然環境の価値も理解されつつありました。
陸海の生物学者が渡航し研究を開始し始めたのもこの頃です。
小笠原諸島の生態系や固有種の多さ、これまで説明してきたような過去から現在にかけての環境破壊の実態が少しずつ明らかにされていきました。

ぎりぎりで空港建設計画の中止

 

小笠原諸島における開発計画の中で、最も大きな議論を巻き起こしたのが兄島への空港建設計画問題です。
1988年、返還20周年式典において都知事が空港建設計画を発表しました。
当時はバブル景気まっただ中、全国各地でリゾート開発ブームに沸いていたこともあり、空港建設を目玉にした大規模な観光地開発事業が提案されました。

ところが、現地調査によって兄島の自然環境の価値の高さが改めて明らかになり、研究者や一部島民を中心に反対の声が上がりました。
また、バブル経済が崩壊したことで空港建設計画の資金繰りも不透明となったことから、結局計画自体が中止となってしまいました。
その後、候補地が父島へ移りましたが、やはり絶滅危惧種や希少種の生息地だらけの小笠原諸島では適当な飛行場候補地を決めるまでに至っていないのが現状です。

ただし、少ないときは週に1度しかない定期貨物便に生活物資を依存するのは負担が大きいため、飛行場建設は今でも島民の悲願となっています。
2014年に策定された小笠原村総合計画においても、航空路の開設実現が基本方針として明記されています。
やはり、島民の生活のためには交通アクセスの向上が欠かせないのです。
外部の人間は環境保護を重視しがちですが、島民のニーズを無視してはいけません。

なぜ、どうやって世界遺産登録された?

 

登録までの経緯

 

小笠原には学術的な価値の高い生態系と、世界有数とも言えるような素晴らしい自然環境を備えた島です。
しかし、世界自然遺産というのはただ何もせずに選んでもらえるような簡単なものではありません。
いえ、正確に言えば人間が生活している限り、「何もしない」というのがとても困難な条件なのです。
人間が外界と接触を持ち、生活を営む限り、外来種や環境破壊の影響は少なからず起こる可能性があります。
小笠原でも、1980年代頃には環境破壊と外来生物の侵入が進行し、「小笠原はおしまいだ」と嘆く研究者や島民も多かったと言います。

2003年に政府の検討会において世界自然遺産の候補地として推奨されましたが、そこでも外来種対策と自然保護の必要性について指摘を受けました。
それを受け、2006年に「小笠原諸島世界自然遺産候補地科学委員会」が設置されるなど、各種保全事業への動きが急ピッチで動き出したのです。
その後2007年にはユネスコの「暫定遺産」としてリストアップされ、2011年には正式に世界自然遺産として日本で4番目(屋久島、白神山地、知床の次)に登録されました。

評価されたポイント

 

評価されたポイント

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小笠原が世界に最も評価されたのは、その固有種の多さでした。
海洋生態系や動植物の進化のプロセスを示すような見本であること、というユネスコの審査基準に適合すると判断されたのです。
ただし、日本政府はもともと小笠原諸島の地質学的形成過程や、生物多様性という面もユネスコの審査基準に適合すると考えて立候補していたのですが、ユネスコの審議ではこれらは認められることがありませんでした。

やはり、外来生物の侵入や環境破壊に対する懸念が背景には存在していると考えられます。
島民の間にも、世界遺産に登録された後に観光客が増えたことに対する賛否両論があると言います。
「観光客が増えてよかった」「登録されたことで、自然保護の仕組みができた」と好意的に評価する声がある一方、「保全対策は不十分だ」「観光客が増えても自然や自分たちの生活の妨げになる」と批判する声も出ています。
小笠原村と東京都には、村民が世界遺産登録のメリットを感じられるよう、島の維持・発展と自然保護を両立させるための試みを続けることが求められていると言えるでしょう。

世界遺産を守り受け継いでいくために

 

世界遺産を守り受け継いでいくために

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外来種の駆除と拡散防止

 

1990年代以降、外来種の駆除や拡散防止対策が矢継ぎ早に実施されました。
例えば、前述のノヤギは1990年代後半から本格的に排除事業が進み、2003年までには聟島などの離島から一掃されました。
父島にはノヤギが残っていますが、それでもかつての時代よりは勢力が小さくなってきています。

また、拡散防止のための検疫や洗浄も厳密化しました。
観光客による外来種持ち込みが危惧される中、島に入る前に靴底部分の洗浄などのチェックが入ります。
また、一部の遊歩道をのぞけばほとんどの国有林は立ち入り禁止となっています。
立ち入りの許可された地区でも、ガイドの同行が義務づけられるなど、観光客による外来種の侵入を防ぐ取り組みが行われています。

難しいのは、ただ外来種を駆除すれば問題が解決する、というわけでもない点です。
例えば、外来種の一つであるセイヨウミツバチ。
セイヨウミツバチは本土でも一般的に見られるハチですが、トカゲのグリーンアノールに捕食されにくい傾向があります。
したがって、グリーンアノールに昆虫の多くが捕食されてしまった地区ではセイヨウミツバチが植物の花粉を運ぶ役割を担っていることになります。
グリーンアノールを根絶し、固有の昆虫が回復しない限り、セイヨウミツバチを先に駆除してしまうことでむしろ植物が被害を受ける結果となります。
自然を保護するというのは、口で言うのは簡単ですが、実践するのはとても根気と労力が求められるのです。

エコツーリズムの浸透

 

島の経済発展と環境保護を両立させるためのキーワードが、「エコツーリズム」です。
日本にこの言葉が広まる以前から、環境に負担をかけないツーリズムのあり方を小笠原では模索してきました。
その具体例が1989年に日本で初めて行われたホエールウォッチングで、クジラの生態に悪影響を及ぼさないようなツアーが組まれています。
その後、イルカと泳ぐ際やオガサワラオオコウモリを観察する際の自主的なルールが決められたり、国有林内のルートにガイドが同行するようになったりと、他では見られないほど細かいルールが自主的に生まれました。
南島のエコツアーは最大100名まで、最大滞在時間2時間までに制限したのも画期的な制度でした。

世界自然遺産として、観光業界の中でも確固たる地位を築いた小笠原諸島ですが、自然を傷つけずに観光業を盛んにするのは至難の業です。
業者や島民だけではなく、観光客にも高い倫理観とマナー意識を持って観光を楽しむ姿勢が求められます。
世界遺産に登録されているのは、世界から自然保護にかける姿勢をいつも見られているということです。
ガラパゴス諸島が危機遺産リストに登録されたのを他山の石として、日本のみならず世界の宝とも言うべき小笠原諸島の自然を次代へ引き継いでいく使命が私たちにはあるのではないでしょうか。

小笠原諸島の未来はどっちだ?ぜひ一度本物の自然を見に行こう!

 
まだ人間が本格的に住み始めてから100年ほど、返還されてから50年ほどということもあって、小笠原諸島の未来は現在の対策にかかっていると言っても過言ではありません。
大変不便なところにありますが、ぜひ一度訪れてみてください。
マナーを守って、島々を観光してください。
あまりの美しさに言葉を失うことでしょう。
この自然を守るも壊すも、あなたの行動にかかっているかもしれませんね。

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