空海こと弘法大師ゆかりの東寺の歴史

京都のシンボル「東寺の五重塔」。有名な空海こと弘法大師ゆかりのお寺です。東寺真言宗の総本山であり、日本で最初に建てられた密教寺院でもあります。昔から庶民の深い信仰を集めており、毎月21日に、弘法大師の縁日とされる「弘法市」が今でも開かれています。今回は、京都のお寺の代表格でもあり、1994年に世界遺産に登録された素晴らしい東寺の魅力をご紹介します。

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東寺?教王護国寺?名称が2つ存在するお寺!

東寺?教王護国寺?名称が2つ存在するお寺!

東寺なの!教王護国寺なの!どちらが正解?

東寺は、京都市南区九条町にある仏教寺院。
真言宗の根本道場とされ、、東寺真言宗の総本山でもあります。
このお寺には、「東寺」(とうじ)と「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)という2つの呼び名があります。
どちらが正しいの?と思われる方も多いはず。

歴史書や教科書・旅行本などを読むと「東寺」と書かれているものもあれば、「教王護国寺」とするものもあります。
実は、正式名は、「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」という長い名前が2つあります。
宗教法人としては、「教王護国寺」で登録されています。

宗教法人としては、教王護国寺なので寺内の建造物の国宝・重要文化財指定を表す立て札には、「教王護国寺五重塔」などと記されています。
ただし、東寺という呼称は創建当時から使用されていたものなので、南大門の前にある石柱には「真言宗総本山 東寺」と書かれていますし、寺院内の様々な所に掲げられている提灯には「東寺」と寺名が入っており、寺院自体でも通常は東寺の名称を使用しています。
「?」と思われますよね。
どちらも正解なのです。

この2つの名称は、東寺の創建と弘法大師空海に深い関係があります。
創建当初は「東寺」と呼ばれていましたが、嵯峨天皇より東寺を下賜された弘法大師空海が、東寺を真言密教の根本道場とするために「教王護国寺」に名称を改めたのです。

それぞれ名称の由来とは?

東寺が創建されたのは、今から約1200年前の796です。
奈良の平城京から京都の平安京に遷都をした際に王城鎮護(天皇の都を護ること)を目的として建てられました。
羅城門の東側に建立されたのが、この東寺。
羅城門の西側に建てられたのは西寺です。
しかし、現在は西寺跡が残るのみで西寺は、現存していません。
このように創建された当初は、「東寺」が正式名称でした。

教王護国寺という名は、いつ付けられたのでしょうか?それは、東寺創建から約30年後の823年のことです。
嵯峨天皇が、唐から密教を取得してきた弘法大師空海に、東寺を下賜しました。
弘法大師空海は、東寺を真言密教の根本道場とすることを決めて、東寺から教王護国寺に名称を変更しました。
正式名称は、金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(こんこうみょうしてんのうきょうおうごこくじひみつでんぽういん)というとても長い寺院名。
教王護国寺は略した寺院名なのです。

やはり、一般的には「東寺」という呼称が浸透していますよね。
こちらでも以後「東寺」で統一さ

せていただきますね。

東寺の歴史

東寺の歴史

建立から焼失まで

東寺は、796年に平安京遷都の伴い王城鎮護のため、桓武天皇の発願によって建立されました。
その後、823年、嵯峨天皇より唐より真言密教を習得した弘法大師空海に下賜され、真言密教の寺院「教王護国寺」に名を改められました。
創建当時の東寺には、金堂と僧房しかありませんでしたが、弘法大師空海は講堂・食堂・五重塔などの造営に着手し、伽藍の整備(大きな寺院の建物群)を積極的に整えていきました。

828年には、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という名の日本初の私立学校を開設しました。
弘法大師空海は、様々な思想や知識を身分の上下を問わず、誰でもが学ぶ事ができる教育機関を目指していたと言われています。

しかし、弘法大師空海も亡くった平安後期になると、朝廷の財源も失われはじめ、東寺は衰退していきます。
空海に帰依する文覚(もんがく)上人という人物が、東寺の再興に力を注ぎますが、東寺は幾度も戦乱に巻き込まれてしまいます。
そして、山城国一揆で伽藍が焼失してしまい、その後100年間、再建されることはなかったのです。

復興と現代まで

鎌倉時代になると、弘法大師信仰が再び高まり「お大師様の寺」として、皇族から庶民に至るまで広く信仰を集めるようになります。
特に、東寺再建に尽力したのは、空海に深く帰依した後白河法皇の皇女である宣陽門院でした。
宣陽門院は、夢のお告げのままに東寺に莫大な荘園を寄進しました。
また、「生身供」(しょうじんく)という弘法大師空海が生きているが如く、毎朝食事を捧げる儀式。
「御影供」(みえく)という毎月21日の弘法大師空海の月命日に供養を行う儀式。
この2つをはじめて行ないました。
これらの儀式は、21世紀の今日でも継続して行なわれており、東寺の西院御影堂で、毎日朝6時から空海が今も生きているがごとく朝食を捧げる生身供が、毎月21日の御影供の日には、東寺境内に骨董市が立ち「弘法市」または「弘法さん」と呼ばれて親しまれています。

その後、織田信長や豊臣秀吉・秀頼の援助を受東寺は少しずつ復興されます。
そして、東寺は1603年に豊臣秀頼によって本格的な復興が実現し、元の伽藍の姿を取り戻し始めました。
その後、五重塔が落雷によって焼失。
1644年に徳川家光により五重塔は再建され現在に至ります。
1965年には、千年以上も秘仏とされて、一般公開されていなかった金堂・講堂の扉が開かれることになります。
そして、1934年に国の史跡に指定され、1994年には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されることになります。
このように、東寺は戦火や落雷により創建当時の建物は残っていません。
しかし、南大門・金堂・講堂・食堂が南から北へ一直線にまっすぐ並ぶ伽藍配置や、それぞれの建物の大きさは平安時代のままと言われており、歴史的価値はとても高い寺院です。

このように21世紀の今日も、東寺は京都の代表的な名所として存続し続けています。

密教ってなに?

密教ってなに?

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真言密教とは

仏教には、沢山の宗派があります。
根本は釈迦の教えを学ぶことは共通です。
しかし、仏教は大まかに「顕教」・「密教」とに分かれています。

顕教とは、教典により仏の教えが明解な言葉によって説かれており、広く衆生に開かれた教えです。
多くの宗派がこれにあたります。

その顕教にたいして、密教は、仏の真理は教典だけの明解な言葉だけでは伝えきれず、さまざまな加持・祈祷などの儀式が必要。
そしてそれらの儀式は、師から弟子へと秘密のうちに受け継がれ、秘密裏に行なわれる閉ざされた教えを説いているのです。
要は、顕教と対をなすもので、言葉や文章では伝えきれない秘密の教えが密教。
特に、真言密教は、言葉の通り「真言」を重視するものです。
真言とはサンスクリット語の呪文。
この呪文を、サンスクリット語で唱えることにより、神秘的な音色と聖なる呪文が、その意味、内容とは別に、そのもの自体に不思議な威力をもたらし、災いを除き、幸福を招く力を持っているとされています。

弘法大師の教え

弘法大師空海の教えとは、どのようなものなのでしょうか?

弘法大師空海は、宇宙の真理を意味する仏である大日如来を崇め、大日如来を自分自身の中に確認し、それと一体となることで肉身のままですぐに悟りに至ることができると説いています。

つまり、仏と自分とが一体になった状態、即身成仏になることで悟りが開けると考えたのです。
そのような生活ができるように、真言宗を信じる者は、身体と言葉と心を仏と一体化できることを目指す修行である「三密行」を実践する事が大切であると説いています。

また、弘法大師空海は、悟りとは自らの心をあるがままに知ることであるとも説いています。
人は、弱者を思いやることを忘れがちで、自らを戒めることが少なく、耐え忍ぶことも知らない、怠惰に過ごすため悩み迷ってしまう。
そのため、自らの心に真摯に目を向け、汚れた心をきちんと知って省みることが大切であると言っています。
そして、大日如来の慈悲を固く信じて、悟りを求める心を強く持ち、仏と一体化できるよう努力を怠らなければ、迷いから脱して真理を知ることができるとしています。
なかなか難しい教えですよね。

東寺のみどころ 金堂・講堂

金堂(こんどう)

金堂(こんどう)

お寺の本堂である「金堂」。
1486年に創建時の金堂は焼失したと伝えられており、今日ある金堂は豊臣秀頼が再建し、1603年に完成した建物。
しかし、礎石や仏壇の位置や大きさなどは、創建当時のままと言われています。
この金堂は、桃山時代の代表的建造物で、国宝に指定されています。

金堂には、本尊である「薬師如来座像」(やくしにょらいざぞう)を中心に向かって右に「日光菩薩」(にっこうぼさつ)、左に「月光菩薩」(げっこうぼさつ)が安置されています。
また、本尊の台座には薬師如来を信仰する者を守護するとされている「十二神将像」が配置されています。
これらは、安土桃山時代の名作で重要文化財に指定されています。

真言密教の寺院の本尊が、薬師如来というのは不思議ですよね。
薬師如来は、顕教の仏様です。
密教は通常なら大日如来。
不思議ですよね?

これは、東寺の建立の歴史が関係しています。
東寺は、はじめから真言密教の寺院ではありませんでした。
前にも述べたように、当初は王城鎮護の寺院。
当初の平安時代初期は、薬師如来は、現世利益が強く、多くの人々を苦しみから救うと言われおり、政治的犠牲者の怨霊の鎮魂という意味でも、薬師如来は一番力を発揮する仏さまでした。
要は、弘法大師空海が来る前から、本尊とされていたので、真言宗の東寺でも本尊となっているのですね。

講堂(こうどう)

講堂(こうどう)

空海が、一番力を注ぎ、真言密教思想を表現する場としたのがこの講堂です。
立体曼荼羅がとても有名ですね。

講堂は、823年に東寺が弘法大師空海に下賜された時点では、まだ建立されていませんでした。
825年に着工され835年に完成しました。
しかし、1486年の土一揆による火災で焼失してしまいました。
現存する講堂は、1491年に創建時の基壇の上に再建されたものです。
「講堂」は、単層入母屋造で純和風建築様式を採用しており、幅34メートル・奥行15メートルのお堂で、中央に幅24メートル・奥行6.8メートル・高0.9メートルの壇が築かれています。
国の重要文化財に指定されています。

この講堂には、とても有名な立体曼荼羅が繰り広げられています。
金堂が顕教の薬師如来を本尊とするのに対して、講堂は、大日如来を中心に密教尊を安置しており、空海の密教の理想が表されています。
密教の世界を表現する仏像がずらりと勢ぞろいする講堂は、文章では伝えきれない美しさですので、ぜひ一度訪れてご自身の目でご覧いただきたいスポットです。

立体曼荼羅とは

立体曼荼羅とは

五智如来・五菩薩

立体曼荼羅とは、どのようなものでしょうか?そもそも曼荼羅とは、サンスクリット語のマンダラ(円、本質)が音写されたもので、人々を救済するために様々な姿に大日如来が変身することを体系的に表し、密教の宇宙感・悟りの境地を描いたものです。
それが東寺の講堂には、実際に3Dで立体的に表現されています。
その表現方法は、如来像5体・菩薩像5体・明王像5体・天部2体・四天王像4体の計21体によって表されており、立体曼陀羅各像の配置は弘法大師空海自らの発案。
他の寺院などでは、例を見ない配置がなされています。

実際に講堂には、須弥壇(本尊を安置する場所)の中央に大日如来。
その東西南北に五体の如来像が安置されています。
開いた蓮の花の台座に結跏座(足の裏を上にするあぐら)されています。
如来は、サンスクリット語で「真実から来た者」の意味を持ち、悟りを開いた者。
その中でも、大日如来は真言密教にのみ登場する特殊な如来で、最高仏とされています。
宇宙そのものをあらわした仏とされ、すべての仏は大日如来が時と場所を超えて変化した姿だとされています。
そのため、この立体曼荼羅は、如来部が中核をなしています。
中央に大日如来(だいにちにょらい)・東に阿閦如来(あしゅくにょらい)・西に阿弥陀如来(あみだにょらい)・南に宝生如来(ほうしょうにょらい)・北に不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)の五尊から成り立っています。
これらは、重要文化財に指定されています。

立体曼陀羅の東側には、五菩薩が配置されています。
菩薩は、サンスクリット語で「悟りを求める者」の意味を持ち、出家前のお釈迦さまの姿がモデルとされています。
中央のに金剛波羅密多菩薩こんごうはらみたぼさう)・東に金剛薩タ菩薩こんごうさっゆうぼさつ)・西に 金剛法菩薩(こんごうほうぼさつ)・南には金剛宝菩薩(こんごうほうぼさつ)・北に金剛業菩薩(こんごうぎょうぼさつ)の五尊が安置されています。

すべての菩薩に「金剛」(こんごう)という2文字がついていますが、これは「灌頂名」と呼ばれており、金剛界の灌頂(菩薩が一番上の位にはいる時,仏が智慧の水を注ぎその資格を得ること)を授かった証しとされます。
この五菩薩は、全て国宝に指定されていおり、金剛波羅密菩薩以外は、焼失を免れ創建当時の像となっています。

五明王・天部

西側には、東側の慈悲にみちた五菩薩とは対照的に荒々しい五大明王(ごだいみょうおう)が安置されています。
明王は、元々は仏ではなく、インド神話の神々が仏教に入ってきて仏となったものです。
そのため、如来や菩薩に比べそれぞれが個性的な姿をしています。
立体曼陀羅の五大明王は憤怒の表情をしており、不動明王(ふどうみょうおう)を中心に、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)が配置されています。
これらの明王を日本へ伝えたのは、弘法大師空海と言われており、この立体曼荼羅の五明王は、もっとも密教色の強い仏像群です。
五体全てが創建当時の像で全て国宝指定されています。

東寺の立体曼陀羅において四隅に配置され四方を守護しているのが四天王です。
四天王もインド古代神であったものを仏教に取り込まれたものといわれています。
「天」はサンスクリット語で、「超人的な力を持つ神」と意味。
東に持国天(じこくてん)・西に広目天(こうもくてん)・南に増長天(ぞうちょうてん)・北に 多聞天(たもんてん)の四尊が配置されています。
こちらも、創建当時の像で国宝に指定されています。

そして、四天王の間に梵天(ぼんてん)と帝釈天(たいしゃくてん)が配置されています。
こちらも四天王同様に、インド古代神に由来します。
こちらも創建当時からの像ですが、かなり補修されていますが、国宝に指定されています。

この立体曼荼羅は、本当に見る価値があるので、ぜひ興味がある方は、東寺の講堂に足を運んでみて下さいね。
著者の5歳になる娘も、この講堂は「きれいなほとけさまだね。」としばらく眺めていましたよ。

東寺のみどころ 五重塔(ごじゅうのとう)

東寺のみどころ 五重塔(ごじゅうのとう)

五重塔はなぜ高い?

東寺の五重塔は、東寺のみならず京都のシンボルとなっているとても有名な塔です。
もちろん国宝に指定されています。
高さは、54.8メートルあり、木造五重塔として、日本一の高さを誇ります。
弘法大師空海が東寺を下賜された時、五重塔はまだ存在せず、本尊を安置する金堂のみでした。
弘法大師空海は、826年に敷地内に五重塔を創建しようと試みますが、費用と人手が不足してい順調に進みませんでした。
五重塔が完成したのは、弘法大師空海の没後半世紀が経った883年のことでした。

その後、創建時の五重塔は、1055年の落雷で焼失してしまいます。
その後も再建されては、焼失を3度繰り返し、1644年に徳川家光が寄進したものが現存しています。
五重塔は、何度も落雷によって焼失しているため、現在は塔の先端に避雷針が設置されています。
しかし、日本一の高さを誇る五重塔ですが、地震で倒壊したという記録はありません。
とても高い塔ですが、耐震構造がとられているそうです。
五重塔は五つの層を順番に重ね合わせ、木材を堅く結合させないことで耐震構造となり、地震が起きても各層が地震の揺れを吸収してくれるしくみになっています。

東寺の五重塔は、なぜ高いのでしょうか?そもそも五重塔などの仏塔は、古代インドの「ストゥーパ」を起源としてと考えられています。
ストゥーバとは、お釈迦様の遺骨を納めた墓です。
できるだけ、広い範囲の人々が、お釈迦さまのお墓を拝めるように、塔を高くしたと考えられます。

五重塔の内部は?

東寺の五重塔は、通常は内部は一般公開されていません。
しかし、年に数回1階部分が特別に拝観できます。

内部の中心には、太い心柱が立っています。
その周りを阿閦如来像・阿弥陀如来像・宝生如来像・不空成就如来像の金剛界四仏が取り囲んでいます。
そして、弥勒菩薩・金剛蔵菩薩・文殊菩薩・観音菩薩・除蓋障菩薩・虚空菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩の八代菩薩がさらに周りを取り囲んでいます。
密教ならではの仏像が、心柱を取り囲んでいるのです。
しかし、密教で一番の重要しされ、中心尊である大日如来の像が見当たりません。

五重塔の仏像の位置関係をよく見ると、大日如来が理解できます。
この仏像たちに取り囲まれた心柱そのものが、「大日如来」を表しているのです。
日本で一番高くそびえる五重塔を支える心柱を大日如来に見立てる発想は素晴らしいですね。
そして、内部は極彩色の文様で彩られており、柱や天井、壁の細部にまで丁寧に文様が施されています。
年に数回、特別公開されますので、ぜひ足を運んでみて下さいね。

東寺のみどころ 御影堂・弘法市

御影堂(みえいどう)

御影堂(みえいどう)

御影堂は、大師堂とも呼ばれており、かつて弘法大師空海が住房として使用していた境内の西北部に位置していた「西院」と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂。
後堂(うしろどう)、前堂(まえどう)、中門(ちゅうもん)の3つ建物から構成されています。
蔀戸(しとみど)がはめられた入母屋造り、総檜皮葺き。
この造りは、密教寺院住房の古い形式だそうです。
1380年に再建された建物が現存しており、国宝に指定されています。

御影堂は弘法大師空海の信仰の中心地で、毎朝6時に弘法大師が生きているが如く、 一の膳・二の膳・お茶をお供えする 生身供(しょうじんく) が現代でも延々と続けられています。

この御影堂の前堂には、弘法大師坐像が安置されています。
この像は、左手に数珠、右手に五鈷杵を持ち、弘法大師空海の42歳の姿を刻んだものといわれています。
鎌倉時代の名仏師である運慶(うんけい)の第四子、康勝(こうしょう)にの作と伝えられており、国宝に指定されています。

後堂には、国宝に指定されている絶対秘仏の不動明王像が安置されています。
この不動明王像は、弘法大師空海の作と言われています。
秘仏と言っても、年に数回一般公開されるものもありますが、御影堂の不動明王像は、厳重秘仏として一般公開などされることもなく、平安時代から修理のために数回、あとは明治21年、昭和29年、昭和46年に調査が実施された記録が残っているのみだそうです。
本当に秘仏中の秘仏。
いつかご開帳される日がくるのでしょうか。

弘法市(こうぼういち)

弘法市(こうぼういち)

東寺の「弘法さん」・「弘法市」は、とても有名な縁日です。
元々”縁日”の由来は、神仏がこの世と”縁”を持つ日と言われており、この日に寺院や神社を訪れると大きな功得があると言われたことから。
東寺の弘法市は、弘法大師空海の命日である3月21日を期して、毎月21日に御影堂で行われる供養法会がはじまりでした。
当初は、年に1回の開催だったのが、1239年から毎月行なわれるようになったと伝わっています。

このような縁日が行なわれるようになったのは、人々が盛んにこの法会に参詣に訪れるようになったため、屋台でお茶を提供する商人が出てくるようになったからだそうです。
江戸時代には茶店だけでなく、植木屋や薬屋も境内に屋台を出すようになり、これが現代の「弘法市」の起源。
現在では、さまざまな露店が立ち並ぶ京都を代表する縁日となっています。

境内のすぐ横まで広がっている露店は、約1200店ほどで、毎月約20万人ほどが楽しみに訪れます。
露店では、骨董・着物・古着などが売られており、これは、フリーマケットのように誰しもが出店できるわけでなく、業者の方が販売しています。
開催は、毎月21日で朝5時から夕方4時まで。
(雨天など天候によっては時間は前後します。)年配の方から若い方、外人の方まで幅広い年齢層や国を跨ぎ、東寺の境内は沢山の人で賑わいます。
ぜひ、一度訪れて見て下さいね。

東寺の七不思議

東寺の七不思議

京都や奈良の古いお寺には、さまざまな七不思議が語り伝えられています。
東寺にも七不思議がありますので、ご紹介します。

1.猫の曲がり

東寺の周囲を巡っている築地塀(ついじべい)の南東角辺りに「猫の曲がり」と呼ばれ、魔物が棲んでいる場所だと考えられている場所があります。
この角の前を通ると不吉なことが起きると言われており、縁起が悪いとされています。
そのため、今日でも京都の人々は婚礼の際、花嫁を乗せた車はこの角の前を通らないようにするという暗黙の了解があるとかないとか。

2.不開門(あけずのもん)

東寺の東大門を別名「不開門」と呼んでいます。
1336年に足利尊氏が新田義貞に攻められた時、門を閉じて危うく難を逃れたことからこのように呼ばれています。
以来、680年近く東大門の扉は固く閉ざされたままと言われています。

3.天降石(てんこうせき)

御影堂(みえいどう)のある区画の一角に宝塔や石碑がいくつも並べられている場所があります。
そこには、「天降石」と呼ばれる石があります。
その名の通り「天から降ってきた石」と伝えられており、古くからこの石は、庶民の間で信仰の対象になっていたそうです。
石を撫でて、その撫でた手で自分の身体の悪い部分を擦ると、病が治ると言われています。
しかし、逆に病気で苦しむ人がたくさん訪れてこの石を撫でるため、病原菌の媒介になると言われるようになり、明治の中頃には石を撫でることを禁止する制札が立ったりしたそうです。
たしかに理解できますね。

4.穴門(あなもん)

南大門から西へ40メートル歩いたところに簡素な門があります。
この門は「穴門」(あなもん)・「畜生門」(ちくしょうもん)と呼ばれています。
どちらもお寺に相応しくない名前ですよね。
この門は、修行の身である僧侶が、不倫をした場合に、この門から袈裟を剥ぎ取られて、破門されたと伝えられています。

5.蓮華門(れんげもん)

現存する東寺諸門のうち最古の門で国宝に指定されています。
この門には伝説があり、弘法大師空海が自らの死期を悟り、高野山に隠棲するためにこの門から去ろうとした時、不動明王が現れ涙を流して別れを惜しんだと言われています。
そして、その時、不思議なことに弘法大師空海の足もとに蓮の花が咲いたことから、蓮華門と名付けられたそうです。

6.瓢箪池(ひょうたんいけ)

五重塔の北側に「瓢箪池(ひょうたんいけ)」と呼ばれる池があります。
この池は、元々あったわけでなかったそうです。
江戸時代に強風が吹き、五重塔が南に傾いてしまいました。
傾いた五重塔をまっすぐに戻すため、傾いた方向の反対側の地面に穴を掘り五重塔を元に戻すことを思いつき、五重塔の北側に穴を掘ってみたところ、五重塔がまっすぐに戻ったという。
そして、その穴に水が溜まり現在の瓢箪池の姿になったと言われています。

7.宝蔵(ほうぞう)

創建当初は南北に2棟あったと言われ、弘法大師空海が中国・唐の恵果国師(けいかこくし)から授かった仏舎利、五大尊、密教法具、曼荼羅、袈裟などの宝が納められていたそうです。
京都では珍しい校倉造りになっており、現在の宝蔵は、文覚(もんがく)上人により1198年に再建されたものと伝えられています。
「文覚の校倉」とも呼ばれ、大強盗で有名な石川五右衛門が宝蔵に盗みに入ったが、文覚の校倉を解くことが出来ず中の宝物を盗み出せなかった伝えられています。

いかがでしょうか。
七不思議?と思われる逸話もありましたが、この七不思議の場所を確かめながら、東寺の境内を歩くのも楽しいのではないでしょうか?

ここでしか見れない立体曼荼羅をぜひご自身の目で!

いかがでしたか?東寺の建立から世界遺産になるまでの歴史と、数々の素晴らしい国宝や重要文化財を紹介してきました。
真言密教の出発点である東寺は、実に見どころの多い寺院となっています。
特にここでしか見ることができない立体曼荼羅や、年数回開催される五重塔の特別展はおすすめです。
ぜひ、機会がありましたら、ご自身の目でご覧になってくださいね。

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