歴史とともにたどる歴代天皇。初代から現在まで128人を一挙紹介

日本の歴史を見守ってきた歴代天皇。その総数は128人となり、途絶えることなく現在まで続いています。さて、128人もの天皇、全員ご存知ですか?おだやかに生きられた天皇もおられれば、波瀾万丈の人生を送られた天皇もおられます。ここでは、日本最古の神武天皇から現在の今上天皇まで、歴史の流れとともに歴代天皇をたどっていきます。時に簡潔に、時に深く掘り下げつつ、すべての天皇をご紹介しますよ。

神の時代から人の時代へ~飛鳥時代以前の天皇~

神の時代から人の時代へ~飛鳥時代以前の天皇~

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実在したのかが曖昧な天皇

初代天皇である神武(じんむ)天皇から第25代天皇である武烈(ぶれつ)天皇までは、実在だったのか伝説もしくは架空の天皇なのかがたびたび議論されています。大きく4つの説があり、神武天皇以降全員が実在する天皇であるとする説、そして、第10代崇神(すじん)天皇以降が実在、第15代応神(おうじん)天皇以降が実在、第26代継体(けいたい)天皇以降が実在とする説です。

神武天皇から武烈天皇までが実在の天皇ではないとされるのは大きな理由があります。一つに古事記と日本書紀を史実に基づく歴史書ではないとする考え方が一般的だからです。そのため、第25代武烈天皇まではあくまで伝説上の天皇であったとされがちなのですね。

ただし、現在最も有力な説は第10代崇神天皇以降が実在であるというものです。これは、初代神武天皇と第10代崇神天皇が同一人物であるという考え方に基づいています。死後に送られた諡号(しごう)が同じであった、など共通する点が多いことからです。そして、初代神武天皇からあとの、第2代綏靖(すいぜい)天皇、第3代安寧(あんねい)天皇、第4代懿徳(いとく)天皇、第5代孝昭(こうしょう)天皇、第6代孝安(こうあん)天皇、第7代孝霊(こうれい)天皇、第8代孝元(こうげん)天皇、第9代開化(かいか)天皇までは、実在しない、すなわち欠けた8代として欠史八代と呼ばれています。

第1代神武(じんむ)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:神武天皇元年1月1日 – 同76年3月11日実在したか不明だが、10代と同一人物であるとする説が有力
第2代綏靖(すいぜい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:綏靖天皇元年1月8日 – 同33年5月10日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第3代安寧(あんねい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:綏靖天皇33年7月15日 – 安寧天皇38年12月6日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第4代懿徳(いとく)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:懿徳天皇元年2月4日 – 同34年9月8日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第5代孝昭(こうしょう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝昭天皇元年1月9日 – 同83年8月5日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第6代孝安(こうあん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝安天皇元年1月7日 – 同102年1月9日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第7代孝霊(こうれい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝霊天皇元年1月12日 – 同76年2月8日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第8代孝元(こうげん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝元天皇元年1月14日 – 同57年9月2日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第9代開化(かいか)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝元天皇57年11月12日 – 開化天皇60年4月9日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる

大和政権最初の天皇、そしてだれもが知っている古墳を墓に持つ天皇

3世紀から4世紀に即位していたとされるのが第10代崇神天皇です。前項でもお話ししましたが、初代神武天皇と同一人物と考えられ、日本において実在する最初の天皇という説が有力とされています。日本各地にそれぞれ王朝があり、独自の政治が行われていた大和政権初期でしたが、崇神天皇の時代に初めて全国が統一される形になったという説が有力です。まだまだ統治の行き届かない日本全域に人を遣わし、さまざまな地域の農業を発展させ、人々の暮らしが豊かになるよう努めたすばらしい天皇であったと記録されています。

崇神天皇以降、第11代垂仁(すいにん)天皇、第12代景行(けいこう)天皇、第13代成務(せいむ)天皇、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇、第15代応神天皇へと続いていきます。この第15代応神天皇から実在する天皇とする説もあります。

続いて天皇となったのが、第16代仁徳(にんとく)天皇です。この仁徳天皇、天皇としてというよりもお墓となった古墳が非常に有名なので、みなさんもご存じなのでは?誰もが社会や歴史の教科書・参考書で一度は目にする前方後円墳、そのもっとも有名なものが、この仁徳天皇の陵。現在の大阪府堺市にある大仙陵古墳で、地元の人々には「仁徳さん」という名で親しまれています。

仁徳天皇の前代である応神天皇までは奈良県に都を置いていましたが、応神天皇もしくは仁徳天皇のときより大阪府中央区に難波宮が置かれたとされています。どちらの天皇が遷都したのかは、はっきりとした記録が残されていません。仁徳天皇は難波宮から近い河内平野の水害を治めるため、堤防を作ったり、大きな水路を作り上げたとされています。ほかにも近畿地方のさまざまな地域の水に関する土木工事を多く取り扱われたようです。

第10代崇神(すじん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:崇神天皇元年1月13日 – 同68年12月5日実在したか不明だが、10代以降は実在した説が有力
第11代垂仁(すいにん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:垂仁天皇元年1月2日 – 同99年7月14日実在したか不明
第12代景行(けいこう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:景行天皇元年7月11日 – 同60年11月7日実在したか不明
第13代成務(せいむ)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:成務天皇元年1月5日 – 同60年6月11日実在したか不明
第14代仲哀(ちゅうあい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:仲哀天皇元年1月11日 – 同9年2月6日実在したか不明
第15代応神(おうじん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:応神天皇元年1月1日 – 同41年2月15日実在したか不明。15代以降実在したとする説もあり。
第16代仁徳(にんとく)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:仁徳天皇元年1月3日 – 同87年1月16日実在したか不明。教科書にでてくる前方後円墳として有名

初めて有力王族からの出自となった天皇

第16代仁徳天皇以降、第17代履中(りちゅう)天皇、第18代反正(はんぜい)天皇、第19代允恭(いんぎょう)天皇、第20代安康(あんこう)天皇と続きます。続く第21代雄略(ゆうりゃく)天皇に関しては、考古学を根拠として実在を証明できる最初の天皇と考えられています。埼玉県行田市にある稲荷山古墳から出土した考古品の中に、雄略天皇の諡号と考えれられる文字が記されていたからです。

続いて第22代清寧(せいねい)天皇、第23代顕宗(けんぞう)天皇、第24代仁賢(にんけん)天皇、第25代武烈(ぶれつ)天皇まで、子息もしくは兄弟に天皇が受け継がれていきます。しかし、第25代武烈天皇には、後継ぎとなる子どもや兄弟がおらず、武烈天皇自身も後継ぎをだれにするのか決めずに崩御してしまったため、第26代の天皇はすぐに決まりませんでした。

そこで、第26代天皇として白羽の矢が立ったのが、第15代応神天皇の5代あとで遠縁にあたる継体(けいたい)天皇でした。この継体天皇後遠縁から天皇を迎えるということはなく、現在の天皇家の礎は継体天皇であるという考え方もあります。第26代継体天皇の後、第27代安閑(あんかん)天皇、第28代宣化(せんか)天皇、第29代欽明(きんめい)天皇、第30代敏達(びだつ)天皇、第31代用明(ようめい)天皇まで古墳時代と呼ばれる時代が続きます。

第17代履中(りちゅう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:履中天皇元年2月1日 – 同6年3月15日実在したか不明
第18代反正(はんぜい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:反正天皇元年1月2日 – 同5年1月23日実在したか不明
第19代允恭(いんぎょう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:允恭天皇元年12月 – 同42年1月14日実在したか不明
第20代安康(あんこう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:允恭天皇42年12月14日 – 安康天皇3年8月9日実在したか不明
第21代雄略(ゆうりゃく)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:安康天皇3年11月13日 – 雄略天皇23年8月7日実在したか不明だが、考古学を根拠として実在を証明できる最初の天皇
第22代清寧(せいねい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:清寧天皇元年1月15日 – 同5年1月16日実在したか不明。21代から子息もしくは兄弟に天皇が受け継がれる
第23代顕宗(けんぞう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:顕宗天皇元年1月1日 – 同3年4月25日実在したか不明。21代から子息もしくは兄弟に天皇が受け継がれる
第24代仁賢(にんけん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:仁賢天皇元年1月5日 – 同11年8月8日実在したか不明。21代から子息もしくは兄弟に天皇が受け継がれる
第25代武烈(ぶれつ)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:仁賢天皇11年12月 – 武烈天皇8年12月8日実在したか不明。21代から子息もしくは兄弟に天皇が受け継がれる
第26代継体(けいたい)天皇在籍:507年 2月4日~531年 2月7日25代目に後継ぎがなく、第15代応神天皇の5代あとで遠縁だった継体(けいたい)天皇に白羽の矢が立つ
第27代安閑(あんかん)天皇在籍:531年 2月7日 ~ 535年 12月17日古墳時代と呼ばれる時代。
第28代宣化(せんか)天皇在籍:535年 12月~539年 2月10日古墳時代と呼ばれる時代。
第29代欽明(きんめい)天皇在籍:539年 12月5日 ~ 571年 4月15日古墳時代と呼ばれる時代。
第30代敏達(びだつ)天皇在籍:572年 4月3日 ~ 585年 8月15日古墳時代と呼ばれる時代。
第31代用明(ようめい)天皇在籍:585年 9月5日 ~ 587年 4月9日古墳時代と呼ばれる時代。

優れた女性天皇が多くいた時代~飛鳥から奈良時代~

優れた女性天皇が多くいた時代~飛鳥から奈良時代~

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公正な判断で統治した日本最初の女性天皇

飛鳥時代に入り、第32代崇峻(すしゅん)天皇が即位していましたが、当時権力を持ち大臣の座についていた蘇我馬子(そがのうまこ)により暗殺されてしまいます。長い日本と天皇の歴史の中で、天皇が臣下の命令により暗殺されるのはこの崇峻天皇だけであるとされています。

その後第33代天皇に即位したのが、推古(すいこ)天皇です。日本で初めての女性天皇とされており、甥である厩戸皇子を皇太子としてそばに置いていたことでもよく知られています。この厩戸皇子が私たちもよく知っている聖徳太子。推古天皇と言うと、そばに仕え、十七条の憲法や冠位十二階など、さまざまな制度を整えた聖徳太子に注目が集まりがちですが、聖徳太子がそれだけの力を発揮できたのは、推古天皇の治世であったからと言えます。

当時、天皇の外戚に当たる権力者が政治に口出しすることも少なくなく、何かと便宜を図ることも多かった時代ですが、推古天皇は身内だからとひいきせず、公平にするのが国のトップである自分の姿勢であるとしていたのです。そのような推古天皇の時代であったからこそ、それほど力があったわけではない聖徳太子が自分の意見を通し、制度を整えることができたと言えます。

第32代崇峻(すしゅん)天皇在籍:587年 8月2日 ~ 592年 11月3日臣下の命令により暗殺された唯一の天皇とされる
第33代推古(すいこ)天皇在籍:592年 12月8日 ~ 628年 3月7日日本で初めての女性天皇

飛鳥時代から奈良時代にかけての天皇は三分の一が女性

飛鳥時代から奈良時代にかけては、日本の歴史において、女性天皇が最も多かった時代です。18人の天皇が即位したこの間、そのうちの8人が女性天皇でありました。中には再任という形で2回天皇となった方まで。順に名前をあげていきますと、第33代推古天皇、第35代皇極(こうぎょく)天皇、第37代斉明(さいめい)天皇、第41代持統(じとう)天皇、第43代元明(げんめい)天皇、第44代元正(げんしょう)天皇、第46代孝謙(こうけん)天皇、第48代称徳(しょうとく)天皇です。

このうち、第35代皇極天皇と第37代斉明天皇、第46代孝謙天皇と第48代称徳天皇は、重祚となっています。重祚(ちょうそ)とは一度即位した天皇が退位後に再び即位することです。第35代皇極天皇は、日本で初めて重祚した天皇でした。それまでの天皇は現在の日本と同じで亡くなるまで天皇であり続けるのが通常でありました。ですから、皇極天皇は日本で初めて位を譲った、すなわち生前譲位した天皇でもあるのです。

それぞれ即位の理由はさまざまでしたが、我が子に天皇を継がせるため、夫の政治を受け継ぐため、世を良くするためなど、確固たる意志を持って即位していたようですね。この時代の女性がパワフルであった様子がうかがえます。

第34代舒明(じょめい)天皇在籍:629年 1月4日 ~ 641年 10月9日
第35代皇極(こうぎょく)天皇在籍:642年 1月15日 ~ 645年 6月14日女性天皇
第36代孝徳(こうとく)天皇在籍:645年 6月14日 ~ 654年 10月10日
第37代斉明(さいめい)天皇在籍:655年 1月3日 ~ 661年 7月24日第35代と同一人物。女性天皇
第38代天智(てんち)天皇在籍:668年 1月3日 ~ 671年 12月3日大化の改新を行った
第39代弘文(こうぶん)天皇在籍:671年 12月5日 ~ 672年 7月23日
第40代天武(てんむ)天皇在籍:673年 2月27日 ~ 686年 9月9日
第41代持統(じとう)天皇在籍:690年 1月1日 ~ 697年 8月1日女性天皇
第42代文武(もんむ)天皇在籍:697年 8月1日 ~ 707年 6月15日
第43代元明(げんめい)天皇在籍:707年 7月17日 ~ 715年 9月2日女性天皇
第44代元正(げんしょう)天皇在籍:715年 9月2日 ~ 724年 2月4日女性天皇
第45代聖武(しょうむ)天皇在籍:724年 2月4日 ~ 749年 7月2日国分寺や東大寺の建立を進めた
第46代孝謙(こうけん)天皇在籍:749年 7月2日 ~ 758年 8月1日女性天皇
第47代淳仁(じゅんにん)天皇在籍:758年 8月1日 ~ 764年 10月9日
第48代称徳(しょうとく)天皇在籍:764年 10月9日 ~ 770年 8月4日第46代と同一人物。女性天皇。
第49代光仁(こうにん)天皇在籍:770年 10月1日 ~ 781年 4月3日

改革や歴史に残る大きな建造物も作られた時代

改革や歴史に残る大きな建造物も作られた時代

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女性天皇の活躍の間にも、功績を残した天皇がさまざまいらっしゃいました。第34代舒明(じょめい)天皇、第36代孝徳(こうとく)天皇、第38代天智天皇は男性天皇でした。天智天皇と言えば、社会科、歴史を通して誰もが知る大化の改新です。実際は、蘇我入鹿暗殺は乙巳の変(いっしのへん)、その後の政治制度の改革を大化の改新と呼びます。前項にも出た皇極天皇の譲位は、乙巳の変を原因としました。その際、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は皇太子の座に就いたのですが、孝徳天皇、斉明天皇の即位を経て、第38代天智天皇となられたのです。

その後、第39代弘文(こうぶん)天皇、第40代天武(てんむ)天皇、第42代文武(もんむ)天皇と男性天皇が続きます。次に即位したのが、第45代聖武(しょうむ)天皇です。聖武天皇が即位していた時代には、疫病や災害が多く、多くの死者が出ました。仏教を深く信仰していた聖武天皇は、仏様の力を借りて世の中を救おうと、国分寺や東大寺の建立を進めました。東大寺といえば、現在でも多くの人が観光に訪れる「奈良の大仏」です。聖武天皇は生涯をかけてこの奈良の大仏建立に努め、開眼法要の2年後崩御されました。

聖武天皇の後、第47代淳仁(じゅんにん)天皇、第49代光仁(こうにん)天皇と続き、時代は平安へと入っていきます。

貴族文化が栄え、天皇も雅な生活を送っていた平安時代

貴族文化が栄え、天皇も雅な生活を送っていた平安時代

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平安京遷都で歴史の舞台は京都へ

794年といえば、小学生でも暗記する平安京遷都です。日本史の区切りではここからを平安時代ととらえることがほとんど。ここから約400年にわたる平安時代の始まりです。平安時代の天皇は、親兄弟、外戚などさまざまな血脈や思惑が入り乱れ、400年の中におおよそ30人もの天皇が即位しました。

まず、平安京への遷都を行ったのが、第50代桓武(かんむ)天皇でした。桓武天皇は当時の天皇にしては珍しく、自分自身で政治を行う親政を行った天皇でもありました。軍備を整え、まだ統治の手が届いていなかった東北を制圧するために遠征を行ったり、唐から持ち帰られた仏教の新しい考え方を取り入れ、政治面文化面において日本を発展させた天皇とも言えます。

桓武天皇の後、第51代平城(へいぜい)天皇、第52代嵯峨(さが)天皇、第53代淳和(じゅんな)天皇と、桓武天皇の子どもたちが続いて天皇を継いでいきます。第54代仁明(にんみょう)天皇、第55代文徳(もんとく)天皇、第56代清和(せいわ)天皇、第57代陽成(ようぜい)
天皇があとに続きます。清和天皇、陽成天皇はこののちに台頭してくる武士のさきがけであった清和源氏の祖であったとする説があり、どちらの天皇の血統であったのかが未だに議論され続けています。

第58代光孝(こうこう)天皇、第59代宇多(うだ)天皇、そしてその次の代である第60代醍醐(だいご)天皇の時代に大きな事件が起こりました。醍醐天皇が右大臣であった菅原道真(すがわらのみちざね)を大宰府へと左遷されたのです。道真はその後大宰府の地で亡くなりますが、天皇の周りでは大臣が死に、天皇自身も体調を崩し、住まいが落雷で焼けるなど、道真の祟りとされてもおかしくないことがたくさん起きました。醍醐天皇は文芸にも秀で、優秀な天皇とされていたのですが、この道真を大宰府に左遷した昌泰の変は、失策ととらえられています。

第50代桓武(かんむ)天皇在籍:781年 4月3日 ~ 806年 3月17日平安京への遷都を行った。自分自身で政治を行う。
第51代平城(へいぜい)天皇在籍:806年 3月17日 ~ 809年 4月1日
第52代嵯峨(さが)天皇在籍:809年 4月1日 ~ 823年 4月16日
第53代淳和(じゅんな)天皇在籍:823年 4月16日 ~ 833年 2月28日
第54代仁明(にんみょう)天皇在籍:833年 2月28日 ~ 850年 3月19日
第55代文徳(もんとく)天皇在籍:850年 3月19日 ~ 858年 8月27日
第56代清和(せいわ)天皇在籍:858年 11月7日 ~ 876年 11月29日
第57代陽成(ようぜい)天皇在籍:876年 11月29日 ~ 884年 2月4日
第58代光孝(こうこう)天皇在籍:884年 2月5日 ~ 887年 8月26日
第59代宇多(うだ)天皇在籍:887年 8月26日 ~ 897年 7月3日
第60代醍醐(だいご)天皇在籍:897年 7月3日 ~ 930年 9月22日右大臣であった菅原道真を大宰府へと左遷。歴史的な失策とされる

天皇を支える藤原氏の権力が最盛期を迎える

天皇を支える藤原氏の権力が最盛期を迎える

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第61代朱雀(すざく)天皇、第62代村上(むらかみ)天皇、第63代冷泉(れいぜい)天皇、第64代円融(えんゆう)天皇、第65代花山(かざん)天皇ののち、即位したのが第66代一条(いちじょう)天皇です。一条天皇の時代には、清少納言や紫式部のような女流作家が多く才能を開花させました。華やかな貴族文化が栄えていたからでもありますが、一条天皇自身が文芸や音楽に強い関心を寄せていたことも一つの要因であったのでしょう。温厚な性格で、学問にも秀で、政治にもよく取り組まれたということで、周りの人々から愛された天皇であったようです。

一条天皇の在位中から、摂関家としての藤原氏の力が強くなり、第67代三条(さんじょう)天皇、第68代後一条(ごいちじょう)天皇、第69代後朱雀(ごすざく)天皇、第70代後冷泉(ごれいぜい)天皇までは藤原氏が政治を取り仕切っていたような時代が続きました。第71代後三条(ごさんじょう)天皇は、藤原氏を外戚に持たない天皇でした。摂関家のみが権力や財力を持つ当時の政治システムを大きく改革し、天皇家が国のトップとして政治を取り仕切ることができるように努めました。

第61代朱雀(すざく)天皇在籍:930年 9月22日 ~ 946年 4月20日
第62代村上(むらかみ)天皇在籍:946年 4月20日 ~ 967年 5月25日
第63代冷泉(れいぜい)天皇在籍:967年 5月25日 ~ 969年 8月13日
第64代円融(えんゆう)天皇在籍:969年 8月13日 ~ 984年 8月27日
第65代花山(かざん)天皇在籍:984年 8月27日 ~ 986年 6月23日
第66代一条(いちじょう)天皇在籍:986年 6月23日 ~ 1011年 6月13日清少納言や紫式部のような女流作家が多く才能を開花した時代
第67代三条(さんじょう)天皇在籍:1011年 6月13日 ~ 1016年 1月29日藤原氏が政治を取り仕切る
第68代後一条(ごいちじょう)天皇在籍:1016年 1月29日 ~ 1036年 4月17日藤原氏が政治を取り仕切る
第69代後朱雀(ごすざく)天皇在籍:1036年 4月17日 ~ 1045年 1月16日藤原氏が政治を取り仕切る
第70代後冷泉(ごれいぜい)天皇在籍:1045年 1月16日 ~ 1068年 4月19日藤原氏が政治を取り仕切る
第71代後三条(ごさんじょう)天皇在籍:1068年 4月19日 ~ 1072年 12月8日政治のトップを藤原氏から上皇へ移るよう努力

政治のトップが藤原氏から上皇へと変化

後三条天皇のはたらきにより、次の第72代白河(しらかわ)天皇ののち、天皇が退位したあと上皇として再び政治を行う院政の時代がやってきます。白河天皇が譲位し、第73代堀河(ほりかわ)天皇が立てられます。しかし、堀河天皇が即位時まだ8歳であったこともあり、白河上皇が政治を行い続けました。白河上皇が政治を行う中で、自分専属の武士集団を集めたことにより、平氏などの武士が力をつけていきます。こののち、政治の世界にもどんどんと武士が介入し、貴族が政治をする時代から武士の時代へと変化していきます。

第74代鳥羽(とば)天皇も、第75代崇徳(すとく)天皇、第76代近衛(このえ)天皇の在位時院政を行います。続く第77代後白河(ごしらかわ)天皇は、第78代二条(にじょう)天皇、第79代六条(ろくじょう)天皇の時代に上皇として政治を取り仕切りますが、平清盛により幽閉されてしまい、政治が行えなくなってしまいます。第80代高倉(たかくら)天皇は親政を行いましたが、若くして崩御してしまわれ、その子の第81代安徳(あんとく)天皇があとを継ぎます。安徳天皇が即位時1歳4ヶ月とあまりにも幼すぎたため、後白河上皇が再び院政を行うこととなりました。

第72代白河(しらかわ)天皇在籍:1072年 12月8日 ~ 1086年 11月26日
第73代堀河(ほりかわ)天皇在籍:1086年 11月26日 ~ 1107年 7月19日
第74代鳥羽(とば)天皇在籍:1107年 7月19日 ~ 1123年 1月28日
第75代崇徳(すとく)天皇在籍:1123年 1月28日 ~ 1141年 12月7日
第76代近衛(このえ)天皇在籍:1141年 12月7日 ~ 1155年 7月23日
第77代後白河(ごしらかわ)天皇在籍:1155年 7月24日 ~ 1158年 8月11日
第78代二条(にじょう)天皇在籍:1158年 8月11日 ~ 1165年 6月25日後白河天皇が上皇として政治を取り仕切る
第79代六条(ろくじょう)天皇在籍:1165年 6月25日 ~ 1168年 2月19日後白河天皇が上皇として政治を取り仕切る
第80代高倉(たかくら)天皇在籍:1168年 2月19日 ~ 1180年 2月21日親政(自分で政治を行うこと)を実施
第81代安徳(あんとく)天皇在籍:1180年 2月21日 ~ 1185年 3月24日1歳4ヶ月で即位。後白河上皇が再び院政を行う

武士が政治を動かす時代~鎌倉時代から戦国時代~

武士が政治を動かす時代~鎌倉時代から戦国時代~

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天皇の血統が真っ二つになった鎌倉時代

第82代後鳥羽(ごとば)天皇は、前代の安徳天皇と2年間在位を重複させる形で即位しました。即位時には3歳と幼かったため、譲位したときにもまだ18歳ほどでした。そののち、第83代土御門(つちみかど)天皇、第84代順徳(じゅんとく)天皇、第85代仲恭(ちゅうきょう)天皇の時代には上皇として院政を執り行いました。鎌倉幕府に押されてしまっていた天皇の権威を取り戻そうと承久の乱を起こしますが失敗。結果、現在の島根県隠岐の島に流され、その地で亡くなります。譲位した天皇を上皇、さらに出家すると法皇と名前が変わりますが、後鳥羽上皇は流刑前に出家、亡くなるときには後鳥羽法皇になっていたそうです。

第86代後堀河(ごほりかわ)天皇、第87代四条(しじょう)天皇、第88代後嵯峨(ごさが)天皇と続いたのちの第89代後深草(ごふかくさ)天皇、第90代亀山(かめやま)天皇から鎌倉時代の皇室の大きな特徴である両統迭立(りょうとうてつりつ)が始まります。両統迭立とは、天皇家の血統が2つに分かれ、それぞれの血統から交互に天皇を即位させていた状態です。

後深草天皇の血統を持明院統(じみょういんとう)、亀山天皇の血統を大覚寺統(だいかくじとう)と呼びます。第91代後宇多(ごうだ)天皇、第92代伏見(ふしみ)天皇、第93代後伏見(ごふしみ)天皇、第94代後二条(ごにじょう)天皇、第95代花園(はなぞの)天皇、そして南北朝時代に突入する第96代後醍醐(ごだいご)天皇の時代まで続きます。天皇の在位も10年ほどで交代が続き、どちらかの血統から2代続けて天皇が出ると圧力がかかり、早い段階で天皇の交代がされたこともあったようです。

第82代後鳥羽(ごとば)天皇在籍:1183年 8月20日 ~ 1198年 1月11日前代の安徳天皇と2年間在位を重複させる形で即位
第83代土御門(つちみかど)天皇在籍:1198年 1月11日 ~ 1210年 11月25日82代後鳥羽天皇が、上皇として院政を執り行う
第84代順徳(じゅんとく)天皇在籍:1210年 11月25日 ~ 1221年 4月20日82代後鳥羽天皇が、上皇として院政を執り行う
第85代仲恭(ちゅうきょう)天皇在籍:1221年 4月20日 ~ 1221年 7月9日82代後鳥羽天皇により、承久の乱が起こる
第86代後堀河(ごほりかわ)天皇在籍:1221年 7月9日 ~ 1232年 10月4日
第87代四条(しじょう)天皇在籍:1232年 10月4日 ~ 1242年 1月9日
第88代後嵯峨(ごさが)天皇在籍:1242年 1月20日 ~ 1246年 1月29日
第89代後深草(ごふかくさ)天皇在籍:1246年 1月29日 ~ 1259年 11月26日
第90代亀山(かめやま)天皇在籍:1259年 11月26日 ~ 1274年 1月26日鎌倉時代の皇室の大きな特徴である両統迭立(りょうとうてつりつ)が始まる
第91代後宇多(ごうだ)天皇在籍:1274年 1月26日 ~ 1287年 10月21日
第92代伏見(ふしみ)天皇在籍:1287年 10月21日 ~ 1298年 7月22日
第93代後伏見(ごふしみ)天皇在籍:1298年 7月22日 ~ 1301年 1月22日
第94代後二条(ごにじょう)天皇在籍:1301年 1月22日 ~ 1308年 8月25日
第95代花園(はなぞの)天皇在籍:1308年 8月26日 ~ 1318年 2月26日

日本で唯一王朝が2つ建てられた室町南北朝時代

後醍醐天皇は、元々中継ぎのような役割の天皇として立てられたため、即位の段階で我が子に天皇の地位を譲ることができないようになっていました。後醍醐天皇はそれを不満に思い、鎌倉幕府を倒す計画を立てます。一度目の倒幕は失敗に終わり、後醍醐天皇も隠岐に流されてしまいますが、倒幕をあきらめず、本土に復帰後再び倒幕の計画を練ります。室町幕府を立てた足利尊氏らの力を借り、鎌倉幕府を倒し、自ら天皇専制に近い形の建武の親政を始めます。しかし、協力者であった足利尊氏が離れ、後醍醐天皇ののちに即位していた光厳(こうごん)上皇のもとへ行ってしまいます。結果、後醍醐天皇が奈良県吉野に吉野朝廷(南朝)を開き、京都朝廷(北朝)との南北朝時代が始まったのです。第97代後村上(ごむらかみ)天皇、第98代長慶(ちょうけい)天皇、第99代後亀山(ごかめやま)天皇までは南朝の初代から4代目までの天皇で、現在の考え方では正統の天皇であったとされています。

第100代後小松(ごこまつ)天皇は北朝6代天皇でしたので、北朝には後小松天皇以前に、北朝初代光厳(こうごん)天皇、北朝2代光明(こうみょう)天皇、北朝3代崇光(すこう)天皇、北朝4代後光厳(ごこうごん)天皇、北朝5代後円融(ごえんゆう)天皇が即位していました。

第96代(南朝初代)後醍醐(ごだいご)天皇在籍:1318年 2月26日 ~ 1339年 8月15日南北朝時代に突入。
第97代(南朝2代)後村上(ごむらかみ)天皇在籍:1339年 8月15日 ~ 1368年 3月11日
第98代(南朝3代)長慶(ちょうけい)天皇在籍:1368年 3月11日 ~ 1383年 10月
第99代(南朝4代)後亀山(ごかめやま)天皇在籍:1383年 10月~1392年 閏10月5日
北朝初代光厳(こうごん)天皇在籍:1331年 9月20日 ~ 1333年 5月25日
北朝2代光明(こうみょう)天皇在籍:1336年 8月15日 ~ 1348年 10月27日
北朝3代崇光(すこう)天皇在籍:1348年 10月27日 ~ 1351年 11月7日
北朝4代後光厳(ごこうごん)天皇在籍:1352年 8月17日 ~ 1371年 3月23日
北朝5代後円融(ごえんゆう)天皇在籍:1371年 3月23日 ~ 1382年 4月11日
第100代(北朝6代)後小松(ごこまつ)天皇在籍:1382年 4月11日 ~ 1392年 閏10月5日南北朝が統一される

後小松天皇の時代に南北朝は統一、その後は…

後小松天皇の時代に南北朝は統一されますが、室町幕府足利義満の力は朝廷を圧するほどとなり、後小松天皇は飾りのような状態であったと言われています。第101代称光(しょうこう)天皇、第102代後花園(ごはなぞの)天皇、第103代後土御門(ごつちみかど)天皇へと続いていきますが、後土御門天皇の在位中、時代は戦国へと入っていきます。

南北朝とあったなかで南朝の天皇が正統とされているのは、明治時代に明治天皇によって「南朝を正統とする」という宣言があったからです。三種の神器を保有していたのが南朝であったからなどさまざま理由が考えられますが、はっきりとした理由は現在もわかっていません。

第101代称光(しょうこう)天皇在籍:1412年 8月29日 ~ 1428年 7月20日
第102代後花園(ごはなぞの)天皇在籍:1428年 7月28日 ~ 1464年 7月19日
第103代後土御門(ごつちみかど)天皇在籍:1464年 7月19日 ~ 1500年 9月28日戦国時代へ突入。天皇の権威が小さくなっていく

天皇の権威が小さくなっていた戦国・安土桃山時代

天皇の権威が小さくなっていた戦国・安土桃山時代

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室町時代末期、応仁の乱により、日本全体が戦乱に巻き込まれ、室町幕府も衰退していきます。天皇をはじめとする朝廷も疲弊し、財政難に陥り、朝廷で行うべき儀式もままならぬ状態になっていました。天皇の地位も今までにないほど低く見られた時代となっていきます。第104代後柏原(ごかしわばら)天皇、第105代後奈良(ごなら)天皇、第106代正親町(おおぎまち)天皇と続くが、どの天皇の在位中も朝廷は苦しい状態であったそうです。

正親町天皇の在位中には、織田信長が天皇を支えます。決して善意というわけではなく、天皇の権威を利用して、自分自身が日本統一に向けて動くのを有利にするためではありましたが、財政の立て直しなど信長の力がなければ、朝廷の財政難はどうにもならなかったのも現実でした。信長が倒れたあと、豊臣政権に移ってからも正親町天皇は、在位し続け、今度は豊臣秀吉の後ろ盾となります。秀吉も自らの後ろ盾を強固にするため、天皇の権威回復に努めたため、朝廷は室町末期からの苦しい時代から回復していきます。

第104代後柏原(ごかしわばら)天皇在籍:1500年 10月25日 ~ 1526年 4月7日
第105代後奈良(ごなら)天皇在籍:1526年 4月29日 ~ 1557年 9月5日
第106代正親町(おおぎまち)天皇在籍:1557年 10月27日 ~ 1586年 11月7日織田信長が天皇を支える。その後豊臣秀吉の後ろ盾となる

天下泰平の世に~江戸時代~

天下泰平の世に~江戸時代~

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政治に関するほとんどを幕府に介入されるように

第107代後陽成(ごようぜい)天皇の在位中、豊臣が倒れ、徳川幕府が開かれます。天皇の権威回復に努めた豊臣とは違い、徳川幕府は天皇や朝廷の権威が強くならないよう牽制した政治を行いました。そのため、官位についてや元号を変える際にも徳川幕府が大きな決定権を持つようになっていきます。第108代後水尾(ごみずのお)天皇、第109代明正(めいしょう)天皇の間にも幕府は天皇や朝廷に対する干渉を強め、天皇は身内に会ったり外出したりするだけでも幕府の許可を得なければならないように制限されるようになりました。

第110代後光明(ごこうみょう)天皇、第111代後西(ごせい)天皇と幕府による朝廷の支配状態は続きますが、第112代霊元(れいげん)天皇、第113代東山(ひがしやま)天皇の時代には王政復古を目指した動きがありました。しかし、幕府から権威を取り返すほどにはならず、第114代中御門(なかみかど)天皇は朝廷と幕府の仲が良好になるよう努めました。第115代桜町(さくらまち)天皇、第116代桃園(ももぞの)天皇、第117代後桜町(ごさくらまち)天皇、第118代後桃園(ごももぞの)天皇と少しずつ朝廷に権力を戻そうとする尊皇攘夷の動きが朝廷の内にも外にも現れはじめます。

第119代光格(こうかく)天皇は、朝廷で行っていた儀式の復活に努め、積極的に政治に参加されました。朝廷においての教育機関の設立を目指しましたが、在位中には叶わず、第120代仁孝(にんこう)天皇の時代へと引き継がれました。光格天皇は長く続いた譲位後の上皇という称号を最後にもらった天皇です。

第107代後陽成(ごようぜい)天皇在籍:1586年 11月7日 ~ 1611年 3月27日豊臣秀吉が倒れ、徳川幕府が開かれる。天皇の権威が弱くなる
第108代後水尾(ごみずのお)天皇在籍:1611年 3月27日 ~ 1629年 11月8日幕府による朝廷の支配状態が続く。
第109代明正(めいしょう)天皇在籍:1629年 11月8日 ~ 1643年 10月3日幕府による朝廷の支配状態が続く。女性天皇。
第110代後光明(ごこうみょう)天皇在籍:1643年 10月3日 ~ 1654年 9月20日幕府による朝廷の支配状態が続く。
第111代後西(ごせい)天皇在籍:1654年 11月28日 ~ 1663年 1月26日幕府による朝廷の支配状態が続く。
第112代霊元(れいげん)天皇在籍:1663年 1月26日 ~ 1687年 3月21日王政復古を目指した動きあり。
第113代東山(ひがしやま)天皇在籍:1687年 3月21日 ~ 1709年 6月21日王政復古を目指した動きあり。
第114代中御門(なかみかど)天皇在籍:1709年 6月21日 ~ 1735年 3月21日
第115代桜町(さくらまち)天皇在籍:1735年 3月21日 ~ 1747年 5月2日
第116代桃園(ももぞの)天皇在籍:1747年 5月2日 ~ 1762年 7月12日
第117代後桜町(ごさくらまち)天皇在籍:1762年 7月27日 ~ 1770年 11月24日女性天皇
第118代後桃園(ごももぞの)天皇在籍:1770年 11月24日 ~ 1779年 11月9日
第119代光格(こうかく)天皇在籍:1779年 11月25日 ~ 1817年 3月22日積極的に政治に参加。また、上皇という称号を最後にもらった天皇。(平成29年現在)
第120代仁孝(にんこう)天皇在籍:1817年 3月22日 ~ 1846年 2月6日

大政奉還によって政権が天皇の元へ

第121代孝明(こうめい)天皇の在位中、鎖国を止め広く開国する動きが始まり、朝廷と幕府の関係にも大きく影響していきます。開国の動きを進めたい幕府と開国などもってのほかという考えの天皇の意見はなかなか一致せず、平行線をたどります。明治維新へ向かう時代、幕府以外にも長州藩や薩摩藩など力を蓄えていた諸藩の台頭もあり、孝明天皇の影響力は次第に小さなものになってしまいました。

第122代明治天皇が即位後、薩摩藩、長州藩などから倒幕の動きが強まってきます。幕府、倒幕派のそれぞれが朝廷に対しても自分たちの味方になるよう働きかけていましたが、天皇はついに薩摩藩、長州藩に対し、倒幕の勅令をこっそりと下されようとします。密勅の動きを知った幕府は、形式上の大政奉還を行い、表向き政権を天皇に返しましたが、江戸幕府は残ったため、実権までは天皇に返ってきませんでした。そのため、倒幕派や天皇は1868年王政復古の大号令をもって新政府を立て、幕府を抑え込もうとします。これに反発した旧政府軍と新政府軍との間で戊辰戦争が起こります。結果新政府軍が勝利し、江戸幕府は解体されていきます。

第121代孝明(こうめい)天皇在籍:1846年 2月13日 ~ 1866年 12月25日鎖国を止め広く開国する動きが始まり、朝廷と幕府の関係にも大きく影響

近世の日本~明治時代から平成~

近世の日本~明治時代から平成~

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近代国家への道を歩む明治・大正時代

794年の平安京遷都以来、ずっと京都にあった天皇の御所ですが、明治天皇が東京へと居住を移し、それから現在まで天皇の御所は東京になっています。明治天皇は、日本国の象徴であるという自覚を強く持っておられた天皇で、国民からも尊敬される存在でした。明治に入り、食生活や服装などの変化を進んで取り入れられ、常に国民の先頭に立つよう努めました。明治天皇は、新政府樹立後、自ら政治を執る親政を放棄します。内閣からの要請がない限り、内閣閣議には参加しないということで、立憲国家としての日本を積極的に作り上げました。現在では当然のようになっていますが、天皇の諡号と元号が一致し、天皇が代替わりすると元号が変わるという一世一元になったのは、明治天皇の時代からです。

明治天皇の崩御とともに、第123代大正天皇が即位されます。大正天皇は明治天皇まで続いた一夫多妻制である側室制度を廃止し、皇后ただ一人と婚姻関係を結ばれました。子宝には恵まれ、4人の親王を儲けられました。在位の中ごろから体調の悪化が深刻になり、執務にさしつかえるようになられ、事態を重く見た政府や周辺の決定により摂政が置かれます。大正天皇の摂政には、皇太子でもあった第124代昭和天皇が任命されました。

第122代明治(めいじ)天皇在籍:1867年 1月9日 ~ 1912年 7月30日戊辰戦争に勝利し、江戸幕府は解体。794年の平安京遷都以来となる遷都で東京へ。
第123代大正(たいしょう)天皇在籍:1912年 7月30日 ~ 1926年 12月25日明治天皇まで続いた一夫多妻制である側室制度を廃止

震災や戦火に見舞われた昭和・今につながる平成

震災や戦火に見舞われた昭和・今につながる平成

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昭和天皇の在位初期は、関東大震災や第二次世界大戦と日本国土が大きな傷を負いました。二・二六事件や終戦など昭和天皇の進言により事態が進んだできごとも多かったようですが、天皇本人は政治に介入することにはとても慎重であったと言われています。日本国の天皇を専制君主ではなく、立憲国家の君主であるとし、自分の一言で日本の政治に影響を与えることを避けられたのでしょう。しかし、敗戦前も敗戦後も外交などの場面では、象徴として表に立ち、日本全国を行幸されることにも熱心でありました。崩御される数年前から体調を崩され、日本国天皇としては初めて開腹手術を受けるなど、公務へ復帰されるよう努められましたが、1989年1月崩御。正確な記録が残っている天皇の中では最も長寿で、87歳で亡くなりました。在位期間も最も長く、続く明治天皇の在位期間45年の大きく差をつけた62年という期間で、大きく日本の歴史が動いた昭和の時代とともに過ごされた生涯でした。

現在の天皇陛下は、日本国第125代の天皇でいらっしゃいます。今上(きんじょう)天皇という名前は、陛下自身を指すお名前ではなく、「現在在位中の天皇」という意味です。天皇は崩御もしくは譲位後に諡号を授かるため、在位中は「今上陛下」もしくは「天皇陛下」などと呼ばれるのが正しいとされています。

今上陛下は日本の天皇の中で初めて関東で即位の儀式を行われた天皇ですし、初めて民間のご家庭から皇后を迎えた天皇でもあります。積極的に外交の場にも出席され、80歳を迎えられるまで年間200回もの国内外の行事にご出席、年間1000枚にもなる書類に目を通し署名・押印なさるなどご公務もこなされています。ご高齢になり、体調を崩されることもありますが、御所での行事などの際には私たちにお姿を見せてくださり、常に笑顔を見せてくださる姿は日本国の象徴そのものですね。

第124代昭和(しょうわ)天皇在籍:1926年 12月25日 ~ 1989年 1月7日第二次世界大戦後、「象徴天皇制」に移行
第125代今上(きんじょう)天皇在籍:1989年 1月7日 ~ 2019年 4月30日(予定)初めて関東で即位の儀式を行われた天皇

巻末付録:125代までの歴代天皇一覧(まとめ版)

第1代神武(じんむ)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:神武天皇元年1月1日 – 同76年3月11日実在したか不明だが、10代と同一人物であるとする説が有力
第2代綏靖(すいぜい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:綏靖天皇元年1月8日 – 同33年5月10日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第3代安寧(あんねい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:綏靖天皇33年7月15日 – 安寧天皇38年12月6日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第4代懿徳(いとく)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:懿徳天皇元年2月4日 – 同34年9月8日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第5代孝昭(こうしょう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝昭天皇元年1月9日 – 同83年8月5日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第6代孝安(こうあん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝安天皇元年1月7日 – 同102年1月9日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第7代孝霊(こうれい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝霊天皇元年1月12日 – 同76年2月8日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第8代孝元(こうげん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝元天皇元年1月14日 – 同57年9月2日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第9代開化(かいか)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:孝元天皇57年11月12日 – 開化天皇60年4月9日実在したか不明。欠史八代と呼ばれる
第10代崇神(すじん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:崇神天皇元年1月13日 – 同68年12月5日実在したか不明だが、10代以降は実在した説が有力
第11代垂仁(すいにん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:垂仁天皇元年1月2日 – 同99年7月14日実在したか不明
第12代景行(けいこう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:景行天皇元年7月11日 – 同60年11月7日実在したか不明
第13代成務(せいむ)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:成務天皇元年1月5日 – 同60年6月11日実在したか不明
第14代仲哀(ちゅうあい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:仲哀天皇元年1月11日 – 同9年2月6日実在したか不明
第15代応神(おうじん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:応神天皇元年1月1日 – 同41年2月15日実在したか不明。15代以降実在したとする説もあり。
第16代仁徳(にんとく)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:仁徳天皇元年1月3日 – 同87年1月16日実在したか不明。教科書にでてくる前方後円墳として有名
第17代履中(りちゅう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:履中天皇元年2月1日 – 同6年3月15日実在したか不明
第18代反正(はんぜい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:反正天皇元年1月2日 – 同5年1月23日実在したか不明
第19代允恭(いんぎょう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:允恭天皇元年12月 – 同42年1月14日実在したか不明
第20代安康(あんこう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:允恭天皇42年12月14日 – 安康天皇3年8月9日実在したか不明
第21代雄略(ゆうりゃく)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:安康天皇3年11月13日 – 雄略天皇23年8月7日実在したか不明だが、考古学を根拠として実在を証明できる最初の天皇
第22代清寧(せいねい)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:清寧天皇元年1月15日 – 同5年1月16日実在したか不明。21代から子息もしくは兄弟に天皇が受け継がれる
第23代顕宗(けんぞう)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:顕宗天皇元年1月1日 – 同3年4月25日実在したか不明。21代から子息もしくは兄弟に天皇が受け継がれる
第24代仁賢(にんけん)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:仁賢天皇元年1月5日 – 同11年8月8日実在したか不明。21代から子息もしくは兄弟に天皇が受け継がれる
第25代武烈(ぶれつ)天皇在籍:西暦不明。日本書紀によると:仁賢天皇11年12月 – 武烈天皇8年12月8日実在したか不明。21代から子息もしくは兄弟に天皇が受け継がれる
第26代継体(けいたい)天皇在籍:507年 2月4日~531年 2月7日25代目に後継ぎがなく、第15代応神天皇の5代あとで遠縁だった継体(けいたい)天皇に白羽の矢が立つ
第27代安閑(あんかん)天皇在籍:531年 2月7日 ~ 535年 12月17日古墳時代と呼ばれる時代。
第28代宣化(せんか)天皇在籍:535年 12月~539年 2月10日古墳時代と呼ばれる時代。
第29代欽明(きんめい)天皇在籍:539年 12月5日 ~ 571年 4月15日古墳時代と呼ばれる時代。
第30代敏達(びだつ)天皇在籍:572年 4月3日 ~ 585年 8月15日古墳時代と呼ばれる時代。
第31代用明(ようめい)天皇在籍:585年 9月5日 ~ 587年 4月9日古墳時代と呼ばれる時代。
第32代崇峻(すしゅん)天皇在籍:587年 8月2日 ~ 592年 11月3日臣下の命令により暗殺された唯一の天皇とされる
第33代推古(すいこ)天皇在籍:592年 12月8日 ~ 628年 3月7日日本で初めての女性天皇
第34代舒明(じょめい)天皇在籍:629年 1月4日 ~ 641年 10月9日
第35代皇極(こうぎょく)天皇在籍:642年 1月15日 ~ 645年 6月14日女性天皇
第36代孝徳(こうとく)天皇在籍:645年 6月14日 ~ 654年 10月10日
第37代斉明(さいめい)天皇在籍:655年 1月3日 ~ 661年 7月24日第35代と同一人物。女性天皇
第38代天智(てんち)天皇在籍:668年 1月3日 ~ 671年 12月3日大化の改新を行った
第39代弘文(こうぶん)天皇在籍:671年 12月5日 ~ 672年 7月23日
第40代天武(てんむ)天皇在籍:673年 2月27日 ~ 686年 9月9日
第41代持統(じとう)天皇在籍:690年 1月1日 ~ 697年 8月1日女性天皇
第42代文武(もんむ)天皇在籍:697年 8月1日 ~ 707年 6月15日
第43代元明(げんめい)天皇在籍:707年 7月17日 ~ 715年 9月2日女性天皇
第44代元正(げんしょう)天皇在籍:715年 9月2日 ~ 724年 2月4日女性天皇
第45代聖武(しょうむ)天皇在籍:724年 2月4日 ~ 749年 7月2日国分寺や東大寺の建立を進めた
第46代孝謙(こうけん)天皇在籍:749年 7月2日 ~ 758年 8月1日女性天皇
第47代淳仁(じゅんにん)天皇在籍:758年 8月1日 ~ 764年 10月9日
第48代称徳(しょうとく)天皇在籍:764年 10月9日 ~ 770年 8月4日第46代と同一人物。女性天皇。
第49代光仁(こうにん)天皇在籍:770年 10月1日 ~ 781年 4月3日
第50代桓武(かんむ)天皇在籍:781年 4月3日 ~ 806年 3月17日平安京への遷都を行った。自分自身で政治を行う。
第51代平城(へいぜい)天皇在籍:806年 3月17日 ~ 809年 4月1日
第52代嵯峨(さが)天皇在籍:809年 4月1日 ~ 823年 4月16日
第53代淳和(じゅんな)天皇在籍:823年 4月16日 ~ 833年 2月28日
第54代仁明(にんみょう)天皇在籍:833年 2月28日 ~ 850年 3月19日
第55代文徳(もんとく)天皇在籍:850年 3月19日 ~ 858年 8月27日
第56代清和(せいわ)天皇在籍:858年 11月7日 ~ 876年 11月29日
第57代陽成(ようぜい)天皇在籍:876年 11月29日 ~ 884年 2月4日
第58代光孝(こうこう)天皇在籍:884年 2月5日 ~ 887年 8月26日
第59代宇多(うだ)天皇在籍:887年 8月26日 ~ 897年 7月3日
第60代醍醐(だいご)天皇在籍:897年 7月3日 ~ 930年 9月22日右大臣であった菅原道真を大宰府へと左遷。歴史的な失策とされる
第61代朱雀(すざく)天皇在籍:930年 9月22日 ~ 946年 4月20日
第62代村上(むらかみ)天皇在籍:946年 4月20日 ~ 967年 5月25日
第63代冷泉(れいぜい)天皇在籍:967年 5月25日 ~ 969年 8月13日
第64代円融(えんゆう)天皇在籍:969年 8月13日 ~ 984年 8月27日
第65代花山(かざん)天皇在籍:984年 8月27日 ~ 986年 6月23日
第66代一条(いちじょう)天皇在籍:986年 6月23日 ~ 1011年 6月13日清少納言や紫式部のような女流作家が多く才能を開花した時代
第67代三条(さんじょう)天皇在籍:1011年 6月13日 ~ 1016年 1月29日藤原氏が政治を取り仕切る
第68代後一条(ごいちじょう)天皇在籍:1016年 1月29日 ~ 1036年 4月17日藤原氏が政治を取り仕切る
第69代後朱雀(ごすざく)天皇在籍:1036年 4月17日 ~ 1045年 1月16日藤原氏が政治を取り仕切る
第70代後冷泉(ごれいぜい)天皇在籍:1045年 1月16日 ~ 1068年 4月19日藤原氏が政治を取り仕切る
第71代後三条(ごさんじょう)天皇在籍:1068年 4月19日 ~ 1072年 12月8日政治のトップを藤原氏から上皇へ移るよう努力
第72代白河(しらかわ)天皇在籍:1072年 12月8日 ~ 1086年 11月26日
第73代堀河(ほりかわ)天皇在籍:1086年 11月26日 ~ 1107年 7月19日
第74代鳥羽(とば)天皇在籍:1107年 7月19日 ~ 1123年 1月28日
第75代崇徳(すとく)天皇在籍:1123年 1月28日 ~ 1141年 12月7日
第76代近衛(このえ)天皇在籍:1141年 12月7日 ~ 1155年 7月23日
第77代後白河(ごしらかわ)天皇在籍:1155年 7月24日 ~ 1158年 8月11日
第78代二条(にじょう)天皇在籍:1158年 8月11日 ~ 1165年 6月25日後白河天皇が上皇として政治を取り仕切る
第79代六条(ろくじょう)天皇在籍:1165年 6月25日 ~ 1168年 2月19日後白河天皇が上皇として政治を取り仕切る
第80代高倉(たかくら)天皇在籍:1168年 2月19日 ~ 1180年 2月21日親政(自分で政治を行うこと)を実施
第81代安徳(あんとく)天皇在籍:1180年 2月21日 ~ 1185年 3月24日1歳4ヶ月で即位。後白河上皇が再び院政を行う
第82代後鳥羽(ごとば)天皇在籍:1183年 8月20日 ~ 1198年 1月11日前代の安徳天皇と2年間在位を重複させる形で即位
第83代土御門(つちみかど)天皇在籍:1198年 1月11日 ~ 1210年 11月25日82代後鳥羽天皇が、上皇として院政を執り行う
第84代順徳(じゅんとく)天皇在籍:1210年 11月25日 ~ 1221年 4月20日82代後鳥羽天皇が、上皇として院政を執り行う
第85代仲恭(ちゅうきょう)天皇在籍:1221年 4月20日 ~ 1221年 7月9日82代後鳥羽天皇により、承久の乱が起こる
第86代後堀河(ごほりかわ)天皇在籍:1221年 7月9日 ~ 1232年 10月4日
第87代四条(しじょう)天皇在籍:1232年 10月4日 ~ 1242年 1月9日
第88代後嵯峨(ごさが)天皇在籍:1242年 1月20日 ~ 1246年 1月29日
第89代後深草(ごふかくさ)天皇在籍:1246年 1月29日 ~ 1259年 11月26日
第90代亀山(かめやま)天皇在籍:1259年 11月26日 ~ 1274年 1月26日鎌倉時代の皇室の大きな特徴である両統迭立(りょうとうてつりつ)が始まる
第91代後宇多(ごうだ)天皇在籍:1274年 1月26日 ~ 1287年 10月21日
第92代伏見(ふしみ)天皇在籍:1287年 10月21日 ~ 1298年 7月22日
第93代後伏見(ごふしみ)天皇在籍:1298年 7月22日 ~ 1301年 1月22日
第94代後二条(ごにじょう)天皇在籍:1301年 1月22日 ~ 1308年 8月25日
第95代花園(はなぞの)天皇在籍:1308年 8月26日 ~ 1318年 2月26日
第96代(南朝初代)後醍醐(ごだいご)天皇在籍:1318年 2月26日 ~ 1339年 8月15日南北朝時代に突入。
第97代(南朝2代)後村上(ごむらかみ)天皇在籍:1339年 8月15日 ~ 1368年 3月11日
第98代(南朝3代)長慶(ちょうけい)天皇在籍:1368年 3月11日 ~ 1383年 10月
第99代(南朝4代)後亀山(ごかめやま)天皇在籍:1383年 10月~1392年 閏10月5日
北朝初代光厳(こうごん)天皇在籍:1331年 9月20日 ~ 1333年 5月25日
北朝2代光明(こうみょう)天皇在籍:1336年 8月15日 ~ 1348年 10月27日
北朝3代崇光(すこう)天皇在籍:1348年 10月27日 ~ 1351年 11月7日
北朝4代後光厳(ごこうごん)天皇在籍:1352年 8月17日 ~ 1371年 3月23日
北朝5代後円融(ごえんゆう)天皇在籍:1371年 3月23日 ~ 1382年 4月11日
第100代(北朝6代)後小松(ごこまつ)天皇在籍:1382年 4月11日 ~ 1392年 閏10月5日南北朝が統一される
第101代称光(しょうこう)天皇在籍:1412年 8月29日 ~ 1428年 7月20日
第102代後花園(ごはなぞの)天皇在籍:1428年 7月28日 ~ 1464年 7月19日
第103代後土御門(ごつちみかど)天皇在籍:1464年 7月19日 ~ 1500年 9月28日戦国時代へ突入。天皇の権威が小さくなっていく
第104代後柏原(ごかしわばら)天皇在籍:1500年 10月25日 ~ 1526年 4月7日
第105代後奈良(ごなら)天皇在籍:1526年 4月29日 ~ 1557年 9月5日
第106代正親町(おおぎまち)天皇在籍:1557年 10月27日 ~ 1586年 11月7日織田信長が天皇を支える。その後豊臣秀吉の後ろ盾となる
第107代後陽成(ごようぜい)天皇在籍:1586年 11月7日 ~ 1611年 3月27日豊臣秀吉が倒れ、徳川幕府が開かれる。天皇の権威が弱くなる
第108代後水尾(ごみずのお)天皇在籍:1611年 3月27日 ~ 1629年 11月8日幕府による朝廷の支配状態が続く。
第109代明正(めいしょう)天皇在籍:1629年 11月8日 ~ 1643年 10月3日幕府による朝廷の支配状態が続く。女性天皇。
第110代後光明(ごこうみょう)天皇在籍:1643年 10月3日 ~ 1654年 9月20日幕府による朝廷の支配状態が続く。
第111代後西(ごせい)天皇在籍:1654年 11月28日 ~ 1663年 1月26日幕府による朝廷の支配状態が続く。
第112代霊元(れいげん)天皇在籍:1663年 1月26日 ~ 1687年 3月21日王政復古を目指した動きあり。
第113代東山(ひがしやま)天皇在籍:1687年 3月21日 ~ 1709年 6月21日王政復古を目指した動きあり。
第114代中御門(なかみかど)天皇在籍:1709年 6月21日 ~ 1735年 3月21日
第115代桜町(さくらまち)天皇在籍:1735年 3月21日 ~ 1747年 5月2日
第116代桃園(ももぞの)天皇在籍:1747年 5月2日 ~ 1762年 7月12日
第117代後桜町(ごさくらまち)天皇在籍:1762年 7月27日 ~ 1770年 11月24日女性天皇
第118代後桃園(ごももぞの)天皇在籍:1770年 11月24日 ~ 1779年 11月9日
第119代光格(こうかく)天皇在籍:1779年 11月25日 ~ 1817年 3月22日積極的に政治に参加。また、上皇という称号を最後にもらった天皇。(平成29年現在)
第120代仁孝(にんこう)天皇在籍:1817年 3月22日 ~ 1846年 2月6日
第121代孝明(こうめい)天皇在籍:1846年 2月13日 ~ 1866年 12月25日鎖国を止め広く開国する動きが始まり、朝廷と幕府の関係にも大きく影響
第122代明治(めいじ)天皇在籍:1867年 1月9日 ~ 1912年 7月30日戊辰戦争に勝利し、江戸幕府は解体。794年の平安京遷都以来となる遷都で東京へ。
第123代大正(たいしょう)天皇在籍:1912年 7月30日 ~ 1926年 12月25日明治天皇まで続いた一夫多妻制である側室制度を廃止
第124代昭和(しょうわ)天皇在籍:1926年 12月25日 ~ 1989年 1月7日第二次世界大戦後、「象徴天皇制」に移行
第125代今上(きんじょう)天皇在籍:1989年 1月7日 ~ 2019年 4月30日(予定)初めて関東で即位の儀式を行われた天皇

日本の象徴としてさまざまな人生を歩んできた天皇たち

日本の象徴としておられた128人の天皇について見てきましたが、いかがでしたか?実在したかすら不明な天皇から、長く天皇としておられた天皇までさまざまな天皇がおられました。現在まで続く天皇の流れは、日本がたどった歴史を見ていた唯一の一族とも言えますね。時に自分を押し殺し、国の象徴であり続けた天皇。今回は全員紹介ということで、細かく紹介しきれていない天皇もいますが、ぜひ一人一人の人生について詳しく調べてみてください。その時代背景や人物像など、歴史の授業だけでは発見しきれない新たな一面に触れられるかもしれませんよ。
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