【スコットランドに興味あるなら】世界遺産「エディンバラ」の観光前に知って起きたい昔と今

「エディンバラ」とはイギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)を構成する4ヶ国『カントリー』であるスコットランドの首都の名前です。イングランドの首都ロンドンから約648km、車なら約7時間、ロンドンの空港から直行便に乗れば約1時間弱の距離にあり、イギリス・スコットランド旅行ではロンドンの次に多くの人が集まる人気の観光スポットとなっています。
スコットランドの東海岸、北海に面したフォース湾の先にはイギリスのエネルギー産業の基幹となっている北海油田があり、日本の石油会社も出資して採掘が行われています。
またスコットランドのエネルギーとして石炭があり、この石炭は18世紀後半から始まった『産業革命』で、イギリスの工業技術の発展に大きな影響をもたらしました。
そんな世界を変える革命の一端を担ったスコットランドの首都であるエディンバラは、スコットランドがイギリスの一部となるまでの憐憫な歴史とそれに負けない昂然とした現在に至るまでをご紹介します。

紀元前から続くスコットランドの歴史を紐解く

紀元前から続くスコットランドの歴史を紐解く

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スコッチウィスキーやタータンチェック、バグパイプにケルト文化が今も息づくスコットランドは、イギリスの一地域とするには濃厚で成熟した独自の文化が息づく、ロマン溢れる国です。

歴史好きだけでなくファンタジーが好きな人の心をぐっと掴んで離さない、スコットランドとはどのような成り立ちなのかを知れば、さらにその魅力の虜になることは間違いなしですよ。

北ヨーロッパの豊かな島国「グレートブリテン島」

北ヨーロッパの豊かな島国「グレートブリテン島」

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日本を中心とした世界地図で見ると左上にあるスコットランドは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの四つの「国」が集まった『グレートブリテン島』という島国です。

複数の地質がありその成り立ちは約5億4200万から約2億5100万年前の古生代に起こった地殻変動によってできた古期造山帯と呼ばれる古い大地でできていて、スコットランド北西部には地球の歴史の半分以上の月日を過ごした最古の岩石が見つかった地域の一つでもあります。

ブリテン島の特徴として、スコットランド南部イングランドの近くの広陵地帯の低地を『ローランド』北部の険しい山々が連なる高地を『ハイランド』と言い、それぞれで似て異なる文化が根付いています。

ちなみにエディンバラや人気都市のグラスゴーのあたりはローランド地方になり、日本でも一世を風靡した『ネス湖』のあるハイランド地方へエディンバラから行くツアーも人気です。

旧石器時代から続く人が暮らしたスコットランドの大地

旧石器時代から続く人が暮らしたスコットランドの大地

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そんな大地に一番最初にたどり着いた人類は旧石器時代、氷河期を生き延びた人類が獲物を追って辿り着いたのが始まりと考えられています。
しかし彼らは現在の私たち『ホモ・サピエンス』ではなく『ホモ・エレクトス』や歴史の教科書でお馴染みの『ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)』の原人で、旧石器時代の後期頃に『ホモ・サピエンス』が入植し、発展していったのです。

紀元前8500年頃の旧石器時代中期の狩猟や造船の遺跡がエディンバラから直通バスで約15分ほどの場所にある『クラモンド島』で発見されています。

普段は海に浮かぶ孤島ですが、干潮の時にだけ浅瀬が土手のように島へと延びて徒歩で渡ることができ、この土手道の東側に無数の巨石が垂直に建てられていて驚きますが、実はこの岩は第二次大戦中に敵潜水艦の侵入を防ぐための防壁で旧石器時代の遺跡ではありません。
しかし近代の遺物として必見の価値を感じるほどの迫力です。

新石器時代に大きく変化した生活とケルト文化の始まり

新石器時代に入るとそこで暮らす人々の生活は洞窟を家として狩猟を中心とした暮らしから、定住する家を建てて農耕や牧畜を行うという風に変化していきました。

このころの遺跡としてスコットランドの北部にあるオークニー諸島のにはスコットランドの最初の定住者であるピクト人(カレドニア人)や黒海を中心に北欧で勢力を誇ったヴァイキングの遺跡があり、巨石文化を象徴するような素朴ながら巨大で迫力のある建造物を見ることがきます。

ちなみにこのオークニー諸島には1999年に世界遺産に登録された紀元前3000年~3600年ごろの様々な遺跡群が残っており、北ヨーロッパ最古の遺跡である石造りの居住跡の『スカラ・ブレイ』や『メイズハウ墳墓』などがありますよ。

特にオークニー諸島のメインランドにはイギリスで三番目の大きさを誇るストーンヘンジ『リング・オブ・ブロッガー』や細長く高さのある『ストーンズ・オブ・ステネス』といった巨石群があり、幻想的な空間を感じられます。
このリング・オブ・ブロッガーは巨石文明の最初期のものらしく、天体観測に使われていたと考えられています。

この巨石文化から青銅器を使った周辺との交易により様々な文化が混じることでスコットランドは徐々に発展し一つの国へと成長していったのです。

このオークニー諸島へはエディンバラ空港からメインランドへの直通便が出ているので、観光プランの一つに加えてみてはいかがでしょうか。

放浪の民が持ち込んだ青銅器文化の発展によって生まれた交易

放浪の民が持ち込んだ青銅器文化の発展によって生まれた交易

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紀元前2600年から紀元前1900年ごろにかけてインドやヨーロッパ大陸から来た人々の持っていた青銅などの金属を加工する技術の伝来によって金属を使った農具が発達していくようになりました。

この鋳造技術を持ち込んだ人々は主な遺物が鐘状の金属製の器を多く残していることから彼らを『ビーカー人』その文化を『鐘状ビーカー文化』と呼んでいます。

スコットランドの先住民ケルト民族(ピクト人)と放浪の民であるビーカー人の人々との交流は部族や集落の単位だった生活と経済基盤を徐々に発展させ少しずつ原始的な生活様式から地域や国の基礎となる文化へと進化。
石材の加工や運搬方法の確立などが広まって様々な交流がも持たれるようになりました。
しかし時代が進み紀元前2000年から紀元前1650年の頃には『鐘状ビーカー文化』は廃れ『ウェセックス文化第I期』と呼ばれる時代へと推移していき、複数の部族や集落が共通した経済価値や宗教観が生まれていきます。

さらに紀元前1650年から紀元前1400年の頃は『ウェセックス文化第II期』と呼ばれ、この頃になると政治的な勢力図が出来上がるようになり、ヨーロッパ全体が盛んに交流と発展。
道具の加工技術もさることながら濃厚技術も発達し、広大な麦畑や畜産を行っていたそうです。
この頃になると『ウェセックス文化第I期』まで盛んだった巨石を使った文化は廃れ、小国間での鉱石資源を求める争いが増えていきました。

そんな長い時間をかけた時代の中でできた遺物がイングランドのソールズベリー近郊にある巨石文化の代表的な建造物である『ストーンヘンジ』で、ブリテン島各地で当時を生きた人々の今は消えてしまった文化の片鱗に触れることができます。

古代世界史の覇者「ローマ帝国」の侵攻

古代世界史の覇者「ローマ帝国」の侵攻

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古代ヨーロッパの歴史において最大の勢力を誇り今に通じるも様々な文化を生んだ『ローマ帝国』は、イタリア半島から生まれ地中海沿岸全域からシルクロードに渡りその支配力を誇った大国でした。

そんなローマ帝国の支配はブリテン島も当然及んでおり紀元前80年から85年にかけて侵攻され、その支配下に置かれるようになり、ピクト人はローマ帝国の言葉でカレドニア人と呼ばれるように。

『グラウピウス山の戦い』に残るようにブリテン島に住んでいたピクト人はローマ帝国に対して激しく抵抗し様々な戦略を練って捨て身の戦いを挑んでいきますが、残念ながらローマ軍の圧勝で終戦を迎えこれ以降ローマ帝国によって約300年に渡り支配をつづけました。
この当時にローマ帝国がピクト人からの侵攻を防ぐ為に作ったイングランドとスコットランドの境目にある『ハドリアヌスの長城』とスコットランドの中央にある『アントニヌスの長城』の二つの防塁が残っており2008年にユネスコの世界遺産に『ローマ帝国の国境線』の一つとして登録されています。

ちなみにこの『ハドリアヌスの長城』は完成した132年ころからローマ帝国の支配力が弱まる500年後半を経て1800年頃までイングランドとスコットランドの国境線として使われ、現在も二つの地域を分ける境界線として残っており、丘の間を縫って地平線へと延びる長大な遺跡を見る事ができますよ。

ローマ帝国の衰退と「アルバ王国」の成立

ブリテン島を支配したローマ帝国ですが、その支配は20年ほどだったと言います。
諸説ありますがブリテン島の気候がローマ人に合わないのと人口が少ないために税収率が悪く統治をしても国益へと繋がらなかったのではないかという説があります。

地中海気候の温暖なローマの人々にとって日照時間も短く寒い、ついでにあまり晴れないブリテン島の気候が肌に合わなかったというのも頷けますね。

395年に宗教と政治の対立から東西にローマ帝国は分裂し、各地への影響力は弱まっていきます。
その後410年頃にはローマ帝国の影響は全くなくなり、ブリテン島は複数の小国へと分裂していきました。

その後500年ごろにアイルランドから渡ってきたケルト系移民のスコット人である「ファーガス・モー・マク・エルク」(生没年不詳)と二人の弟(もしくは異母兄弟)である「ローン」と「オーンガス」(共に生没年不詳)がスコットランド西部にあるキンタイア半島に上陸し、現在の行政区画の『アーガイル・アンド・ビュート』にある小さな『アド川』のほとりに『ダルリアダ王国』を樹立し600年ごろには北アイルランドまでを統治下に置いていました。
ダルリアダ王国の首都『ダナト』があった場所は『ダンアドヒルフォート』という小高い丘として残っており、鉄器時代であったこともあり様々な彫刻が残されています。

このダルリアダ王国の少し前にカレドニア人によって『アルバ王国』がスコットランドの東側に建国されており、この2か国は激しい紛争を続けていましたが846年ごろにダルリアダ王国の「ケネス1世」(810年~858年)によって統合され、アルバ王国の首都『スクーン』を引き継いでその後の『スコットランド王国』の元を作りました。

このアルバ王国の統一後の凄惨な王位争いやそれに関係する人々を背景に描かれたのが「シェイクスピア」の四大悲劇の一つ『マクベス』であり、スコットランドの王「マクベタッド・マク・フィンレック(マクベス)」(1005年~1057年)をモデルとしているのは有名は話しです。

スコットランド王国とイングランド王国

スコットランド王国とイングランド王国

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マクベス王以降に取り入れられてきたキリスト教の影響とフランスやイングランドからの移民によって教会組織が作られケルト文化から徐々にキリスト教を基礎としたヨーロッパ的な封建社会へと発展していきます。
廃れていく古い文化と率先して取り入れられる先進文化の軋轢はハイランドとローランドの文化的な格差や差別なども生まれます。

戦争の絶えない時代だったこともあり、スコットランドの玉座も平和的な譲位とは言えない暗殺と陰謀によって多くの王が斃れては即位するを繰り返していたのです。

そんな頃にイングランドは何度も繰り返しスコットランドへの侵攻を繰り返し、フランスとの同盟を強化してはこれを撃退する事が何度もあり、エディンバラ城はその防衛拠点としてより堅牢に強化されていきました。

スコットランド王「アレグザンダー2世」(1189年~1249年)がイングランドの王女と結婚することで1236年のヨーク条約により不明確だったイングランドとスコットランドの国境を明確にし、息子の「アレグザンダー3世」(1241年~1286年)の代になると国内の平定と共にノルウェーへの進軍を行っていきます。

その後「アレグザンダー3世」の唯一生き残っていた直系の孫娘でノルウェー王家の血を引く「マルグレーテ王女」(1283年~1290年)が「マーガレット女王」として即位しますが、当時まだ3歳であったために父親のノルウェー王「エイリーク2世」(1268年~1299年)の元にとどめ置かれました。

この間にスコットランドは重鎮たちの合議制によって運営されていましたが、権力争いに発展し混迷を極める中、目をつけたのがヨーク条約によって宗主国となっていたイングランド王「エドワード1世」(1239年~1307年)です。
自分の息子とマーガレット女王との婚約を結びスコットランドの併合を画策しますが、残念ながらマーガレット女王は7歳にして崩御してしまいます。

その後様々な人が自分こそが正統な王の血筋だと名乗りを上げては争うようになり、内乱を恐れたスコットランド諸侯の嘆願によってエドワード1世が調停を行う事になりました。
ここを好機と見たエドワード1世により「ジョン・ベイリャル」(1249年~1314年)を王に指名し実質的な傀儡政権を樹立させたのです。

二度にわたるスコットランド独立戦争

傀儡政権によってイングランドの圧政に不満を持っていたスコットランドの人々は、1297年5月に起きた事件をきっかけに第一次スコットランド独立戦争へと発展させていきます。

この独立戦争のきっかけと中心となった「ウィリアム・ウォレス」(1270年頃~1305年)は国民感情を高めて「エドワード1世」によるスコットランド統治の体制を時には戦いで、時には呼びかけで独立を促しますが1305年8月5日に仲間の裏切りにあいイングランドに捉えられ、同年8月23日に大逆者として残酷な方法で処刑されてました。
その凄惨な処刑方法には恐怖によって独立の機運を高めていた民衆を鎮める意図があったとされますが、明らかにやり過ぎな方法だったこともあり逆に独立への士気を高め鼓舞することになり、「エドワード1世」の統治を崩す事となったのです。
現在でも「ウィリアム・ウォレス」は愛国の指導者の英雄として慕われており、彼を題材としたハリウッド映画『ブレイブハート』は様々なアカデミー賞を受賞しており、「ウィリアム・ウォレス」を演じた「メル・ギブソン」を模した銅像がスコットランドのスターリング市に設置され、彼が使っていた剣が『ナショナル・ウォレス・モニュメント』に展示されています。

第二次スコットランド独立戦争は1329年にスコットランド王「ロバート1世」(1274年~1329年)が崩御しその長男「デイヴィッド2世」(1324年~1371年)がわずか5歳で即位したことで、様々な権力者たちの権謀術数が渦巻き混沌とした状況へと陥っていきます。
同時期にイングランドとフランスの間で百年戦争が勃発したのも、スコットランドの権力争いを混迷化させていく要因の一つであり、第一次スコットランド独立戦争の際に当時のローマ教皇へと送った書簡文『アーブロース宣言』による「スコットランドの王位に就く者は民衆からの指示が必要」「イングランドに従属的な王は排する」という中世には珍しく王に権力が集中しない政治体制だった事も複雑になった一因と考えられます。

この頃イングランド王「エドワード3世」( 1312年~1377年)が戦死した事をきっかけに「デイヴィット2世」は王妃と共にフランスへ亡命。
彼と正統な王位を争っていた「エドワード・ベイリャル」(1282年~1364年)はイングランドへ逃亡と、スコットランドに王がいない状態となってしまい、「デイヴィット2世」の甥である「ロバート・スチュアート」( 1316年~1390年)が摂政として国を支える事になったのです。

1371年に「デイヴィット2世」が死去すると「ロバート・スチュアート」が即位し『スチュアート朝』を開き最後の王である「アン女王」(1665年~1714年)まで続く王朝となりました。

近代スコットランドへの変遷と影

「ロバート・スチュアート」から数えて8代目になる「メアリー・スチュアート女王」(1542年~1587年)の時代にスコットランドは一つの転換期を迎えます。
ヨーロッパ全土へと広まった宗教革命の波は容赦なくスコットランドも覆い、フランスで生まれ敬虔なカトリックの信者であった「メアリー女王」は廃位へと追い込まれました。
その後イングランドへと亡命しますが、残念ながら謀略より1587年2月8日に刑死してしまいました。
そんな彼女の死後から16年後の1603年にイングランドの「エリザベス1世」(1533年~1603年)が崩御すると、彼女に後嗣がいなかったこともありイングランドからの要請で「メアリー女王」の息子である「チャールズ・ジェームズ・ステュアート」(1566年~1625年)がイングランドとスコットランドの両国を統治する王となりましたが、この結果スコットランドから『独自の王』と『スコットランドの議会』そして『スコットランドらしさ』が失われ、実質的にイングランドへと吸収されてしまったのです。
「チャールズ・ジェームズ・ステュアート」は現在につながる『初代ユニオンジャック』を国旗として掲げ、1707年にイングランドとスコットランド、ウェールズを合わせた『グレートブリテン王国』と呼称するように。

この時制定された『合同法』と呼ばれる法律によってスコットランドの独立への道は閉ざされ、産業革命から近代化、二度の世界大戦を経た現代まで『グレートブリテン及び北アイルランド連合王国』の一つの地域としてあるのです。

「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」となった今

「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」となった今

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このような複雑な歴史を辿ってきたスコットランドは、今なお独立への意思を持ち続け近年でも様々な形でそれを発信しています。

その為言語はイギリス語(英語)ではなくスコットランド語を公用語として、言葉と文化に非常に誇りを持っているので、旅行の際には彼らの文化を尊重することが大切です。
もちろん英語でも通じますが少々聞き取りづらい場合もあるので、スマートフォンの翻訳アプリなどのツールを用意しておくのもおすすめですよ。

ちなみにスコットランドという名前は現在でも英語での国名はゲール語の『アルバ(Alba)』と表記され、長い歴史は今も身近に息づいているのです。

そんなスコットランドの首都エディンバラは1492年に「ジェームス1世」(1394年~1437年)の当時の首都『パース』での暗殺を機に首都をエディンバラへと移してから今日に至るまで、スコットランドの中心として人々が集う街。
しかしそこに至るまでには忘れてはならない悲劇がありました。

近代までヨーロッパの街は不衛生であったというのは有名ですが、それはエディンバラも例外ではありません。
18世紀前半に起きた急速な人口過密化とそれに対応しきれない都市は一つの部屋にぎゅうぎゅう詰めで暮らし、それでも足りなければ上へ地下へと階層を増やしていき、決められた時間になると一斉に窓から汚物や汚水を投げ捨てるのが当たり前の習慣だったのです。
そんな習慣のあるエディンバラでは当然のことながら地下の部屋には悪臭が充満しや汚水が染み出る劣悪な環境となりそこには貧困層の人を、上層階の太陽が見える場所を富裕層が暮らす格差社会を形成していきます。
その結果ヨーロッパで猛威を振るったペスト等の感染症が発生し、地下に暮らす人々が次々と感染していきました。
そして特権階級にある地上の人々は自分たちも感染することを恐れてすぐにできる解決策として、物理的に地下に暮らす人たちごと埋める方法でペストを封じることにしました。

その後18世紀後半により衛生的な環境を作るために開発されたのがエディンバラの新市街であり、地図で見るとプリンセスストリートを境にエディンバラ城のある旧市街に比べて整然とした街並みになっている事がわかります。

そんな悲劇が起きた旧市街の地下は現在では埋められた出入り口が発掘され、そこに慰霊碑が建てられて見学できるようになっていて、エディンバラの人々は今も亡くなった方々を忘れていません。

そしてエディンバラはこのような様々な歴史を含めて旧市街と新市街が文化遺産としての基準を満たし、1995年にユネスコの世界遺産へと登録され、今も多くの人々で賑わっている街となっているのです。

駅に降りた瞬間に圧倒されるシンボル「エディンバラ城」

駅に降りた瞬間に圧倒されるシンボル「エディンバラ城」

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ウェイバリー駅から一歩出れば、そこは世界遺産に登録されている古都『エディンバラ』の街。

そんな街の中で圧倒的な存在感を放つスコットランドの自主独立精神の象徴とされるエディンバラ城は7世紀に創建されて以降代々のスコットランド王の居城であり、1707年にイングランドと併合されるまで長らく最前線で国土を守り増築と武装化を続けてきた堅牢なる不落の要塞としての姿を今も残しています。

エディンバラ城は駅から続く目抜き通りの先にある標高130メートルの高台は『キャッスルロック』と呼ばれ約3億5000万年前の塞がった休火山の上に建っており、エディンバラの街並みを一望できるビュースポットとしても人気です。

そんなスコットランドのシンボルであるエディンバラ城の、歴史と魅力に溢れたおすすめの観光ポイントをご紹介します。

チケット即完売の「エディンバラ・ミリタリー・タトゥ」

緯度の高いスコットランドで一番過ごしやすい季節である8月は、一年で一番盛り上がるフェスティバルの季節です。

そんなスコットランドの夏でもっとも注目したいのがエディンバラ城を背景にエスプラナード広場で行われる、伝統衣装のタータンチェックのキルトを纏ったスコットランド軍楽隊の壮大なショー『エディンバラ・ミリタリー・タトゥ』は、一糸乱れぬバグパイプの行進演奏と大勢のダンサーによる心も躍動するハイランドダンスの演舞が楽しめます。

このショーではイングランドをはじめとした諸外国の軍楽隊やダンサーも参加して、魂の奥底から沸き起こ興奮と身体の芯ま響く音楽は一度体感したら忘れられない、一生の思い出になること間違いなしです。

ショーの最後に打ち上げられる花火がショーの余韻を一層引き立ててくれますよ。

1950年から毎年続く地元の人にも愛されているエディンバラ・ミリタリー・タトゥは、チケットは即完売するほどの人気ぶり。
ネットなどでの販売開始から数時間で完売することもザラなので、個人で良い席を予約する際には販売開始前からパソコンや電話でのスタンバイ必須なほどです。

また8月の最初の三週間は世界中から一流の演劇やオペラ、音楽のトップアーティストたちが集まる『エディンバラ国際フェスティバル』が開催され、毎夜日替わりの演目が『アッシャーホール』や『ロイヤル・ライシューム・シアター』などで様々な芸術やワークショップなどに触れることができるので、ぜひ合わせてお楽しみ下さい。

エディンバラ城の「三種の宝器」

エディンバラ城のクラウンルームに安置されている『王冠』『王笏』『御剣』の三種の宝器『オナーズ・オブ・スコットランド(スコットランドの栄誉)』は、スコットランド王家が王の証(戴冠宝器)として代々受け継がれ複雑で過酷な歴史を歩んできたスコットランドの激動時代の中でも大切に大切に守られてきた至宝です。

1540年にスコットランド王「ジェームス5世」が元々あった古い王冠を溶かしスコットランド産の金と混ぜて作られた王冠には10個の大粒ダイヤと十数個の宝石、スコットランド産の淡水パールが円形に散りばめられ、クラウンルームにある他の宝石とは一線を画す存在感に輝いています。

王笏は1494年にローマ法王「アレクサンダー6世」からスコットランド王「ジェームス4世」へと贈られた物で、スコットランド産の真珠や金銀箔を使った大変豪奢な物です。
ちなみにロッドの頭の部分にはデフォルメされたイルカの飾りがあり、海と大地の恵みを受けるスコットランドにぴったりのデザインで、1536年に長く改造して先端には聖堂と聖母マリア、聖ヤコブ、聖アンデレ等の小像があしらい、重厚な雰囲気を醸し出して王権を示すのに相応しい姿は宝器としての存在感を放っています。

そして御剣は宝剣『ソード・オブ・ステイト』とも呼ばれ1507年にローマ教皇「ユリウス2世」からスコットランド王「ジェームス4世」へと贈られたもので、オークの葉やドングリの形をイメージした柄にエッチング処理された137.16センチの刃には「ユリウス二世」の名前が刻まれ王の威光を示していました。
しかしこの御剣は1650年にスコットランドへ進軍して来たイングランドの「オリバー・クロムウェル」(1599年~1658年)の軍から隠すために鞘ごと1652年にエディンバラ城からダノッター城へ移す際に半分に折られてしまったのです。

この御剣をはじめとした三種の宝器はクロムウェル軍の侵攻によって君主制が崩壊した後、「オリバー・クロムウェル」の指示により破棄や分解を支持されましたが、それに反発したスコットランドのキンネフ村の牧師「ジェームズ・グレンジャー」(生没年不詳)の奥さんがクロムウェル軍の目を騙す奇策を練って村の教会の説教壇の下へと隠されて1660年の王政復古の際にエディンバラに戻されるまで大切に守られます。

その後1707年にイングランドとの連合を締結する際に統合憲章にその存在が触れるとされて、チェストに入れて隠し再び封印され長らく所在が不明となりました。

それから100年以上たった1818年、歴史小説家として知られる「ウォルター・スコット」をリーダーとした『宝器探索委員会』によってエディンバラ城の地下で発見され、その封印は解かれ再びエディンバラに宝器が戻りエディンバラ城で大切に保管されているのです。

スコットランドの至宝「運命の石」

三種の宝器と一緒に代々の王が戴冠式の際に用いられてきたスコットランドの守護石と呼ばれる『スクーン石』または『運命の石』と呼ばれる石がクラウン・ルームにあります。

この石は9世紀のスコットランド王国の前身である『アルバ王国』が建国されて以降代々のスコットランド王が戴冠する際に運命の石に腰かけて継承を行った、前述の三種の宝器と共に王の威光を示すものでした。

元々は500年ごろにアイルランドから持ち込まれたもので、これを持ち込んだ「ファーガス・モー・マク・エルク」がダルリアダ王国を建国した後にスコットランドの守護石として代々大切に守られるようになったのです。

運命の石の別名である『スクーン石』の由来は前述の846年にダルリアダ王国とアルバ王国を合併し統治したケネス1世がダルリアダ王国の首都ダナト(またはダンスタフニッジとも呼ばれます)から現在のスコットランドのパース市近郊にあった新首都スクーンに運命の石を移したことで、スクーン石とも呼ばれるようになりました。

しかし1296年にイングランド王「エドワード1世」がスコットランドの王位継承争いい仲裁として介入と称して侵攻を行った際に戦利品として奪われ、長らく『ウェストミンスター寺院』の戴冠式で王が座る『エドワード王の椅子』の下に置かれていたのです。

つまり代々のイングランド王はスコットランドの守護石をお尻に敷いて戴冠していたという事で、複雑な歴史と国民感情を感じさせますね。

そんな素地があったからか1950年に諸説はありますが民族主義の学生4人によって寺院から盗み出されましたが、その3ヶ月後に発見され再びウェストミンスター寺院に戻されました。
しかし残念なことに盗み出した際の運搬中に割れてしまい発見された際にはあくまでも『似た石』と表現され、今もその真贋を疑う声が出ています。

どちらにしても運命の石は1996年、「エドワード1世」が持ち去ってから700年の月日が流れてからようやくスコットランドに返還され、守護石として人々に愛されて大切に守られています。

ちなみにスクーン城に運命の石のレプリカが展示してありますが、レプリカとはいえスコットランドの人々にとっては精神的な支柱の一つですので、安易に座るのはトラブルを呼び込むことになりかねないので気を付けてくださいね。

歴史を垣間見える「エディンバラ」のスポット

歴史を垣間見える「エディンバラ」のスポット

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複雑な歴史を辿ってきたエディンバラは1995年に旧市街新市街を合わせて世界遺産に登録されてから、その新旧の調和された街並みはすでに300年以上の時間を刻んだ古都というべき都市です。

人口飽和の解決策として計画的に建設された新市街の整然とした街並みと、街の発展と共に増築されていった雑然とした旧市街は開発された時代も設計者も違い、その建築様式まで異なるのに見事な一体感を持って人々を受け入れてくれています。

そんな現在でも人々の生活と共に発展しているエディンバラの街を満喫できるおすすめ観光スポットをご紹介します。

定番だけれど必見の「ホリールードハウス宮殿」

定番だけれど必見の「ホリールードハウス宮殿」

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アーサー王伝説のある標高256mの岩山『アーサーズシート』を背景に建てたられた『ホリールードハウス宮殿』は、エディンバラ城が堅牢な男性的なイメージを受けるのに対して円筒状の塔が印象的なバロック様式の建築のホリールードハウス宮殿は女性的なイメージがあります。

実際にこの宮殿は元々は12世紀に「デイヴィッド1世」が寺院として建立し、その後15世紀ごろから国王夫妻の居城として改築されたもの。
そのため砦としての機能が多いエディンバラ城よりも柔らかい印象になったのです。

このホリールードハウス宮殿は特に悲劇の女王としても有名な「メアリー女王」が気に入ってこちらの宮殿でよく過ごしていたといい、現在もイギリス女王の避暑地として利用されていたり王室主催の式典や迎賓館としても利用されています。

宮殿の見どころとしては歴代のスコットランド王の肖像画が並ぶグレートギャラリーや絢爛な玉座の間に2002年に併設されたの教会を改築して作られた『クイーンズギャラリー』は必見。
このギャラリーのある区画には『ホリールード修道院』が廃墟として残されており、まるでタイムスリップをしたような異空間に紛れ込んだような不思議な雰囲気と静謐さを感じて時間を忘れそうになりますよ。

宮殿の裏手にある『ホリールードパーク』はかつては王家の狩猟上であり手付かずの自然がそのまま残されて、2億5000年前の噴火によって出来たアーサーズシートまで遊歩道を伝って30分登る事ができて、絶好のビュースポットとしても人気です。

エディンバラ城からホリールードハウス宮殿まで続く目抜き通りの『ロヤルマイル』は約1.6kmの長さがあるエディンバラのメインストリートとして様々なお店が並んでいます。

特にスコットランド伝統模様であるタータンの工場見学やアイテムが購入できる『タータン・ウィービングミル&エキシビジョン』や新旧様々なおもちゃは揃う『子供博物館』に光とトリックを使ったアトラクションが楽しめる『カメラオブスキュラ』などショッピングや食事以外にも見どころが満載で、エディンバラ観光ビギナーのには特に楽しんでほしいストリートです。

ローリストン城で日本を感じる?

エディンバラの北、車で15分ほどで行けるフォース湾に面したクラモンドにある『ローリストン城』は、エディンバラ城をはじめとしたヨーロッパ各地のお城の中では比較的に小さくこじんまりとしたイメージを持つお城です。

16世紀に創建され19世紀に増築されたお城は、イングランドのヴィクトリアン王朝様式のスタイルに並ぶエドワード朝様式スタイルというファッションやインテリアが保存されている貴重なスポットとしても人気。

エディンバラ旅行の隠れたスポットとして密かな人気があるローリストン城には、東京ドーム約2個分の広大な敷地にスコットランドに残されていた古い石柱を使った回遊式日本庭園があり、和の雰囲気とヨーロピアンの雰囲気を絶妙にミックスした美しいお庭が楽しめる、スコットランドの和スポットです。

実はエディンバラは京都府と姉妹都市提携をしており、このローリストン城にその提携友好5周年を記念して2002年に造園されました。
以来観光客だけでなく地元の人々の憩いの場として、また日本とスコットランドを結ぶ友好の場としてイベントが開催されています。

実はあまり予算がなく京都の有名な庭園に比べると少し寂しい印象を感じるかもしれませんが、フォース湾を借景にし古来の石柱を利用と造園職人さん達のアイディアと努力が光る素晴らしいお庭は、海外の空気にはしゃぎすぎて疲れた心をほっと癒してくれること間違いなしですね。

幻想的な「セント・ジャイルズ大聖堂」

幻想的な「セント・ジャイルズ大聖堂」

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エディンバラの旧市街で一際大きなロイヤルマイル添いにスコットランドのキリスト教宗派の一つである『スコットランド国教会』の中心となる教会が『セント・ジャイルズ大聖堂』。

ケルト文化から徐々にキリスト教文化の影響を受け始めた頃の1120年にハンセン病や障碍者、鍛冶などを守護するギリシャ生まれの聖人「聖アエギディウス」(650年頃~710年頃)へ捧げた教会で「アエギディウス」を英語読みをした「ジャイルズ」の名前を掲げているエディンバラの人気観光スポットの一つです。

この大聖堂は現代に至るまでに火事や改修工事を行っており現在の内装の大部分は最初の改修で再建した1385年頃の物で、祭壇で一際目を引くステンドグラスは1872年頃に作られたものになり、全体的な建物はネオゴシック様式と呼ばれる建築となっています。

特に注目すべきは1911年に「ロバート・ロリマー」という建築家によって設計された『シスル礼拝堂』。

『シスル』とは花の『アザミ』の事で、アザミはスコットランドの国花でスコットランドの至る所で花や意匠を見る事ができます。
このアザミの名前を冠した礼拝堂には『シスル騎士団』というスコットランドで第一位の勲章を叙勲された騎士16人と王を模した彫刻が施され、天井のアーチにはバグパイプを演奏する天使がいてスコットランドらしいデザインとなっていますよ。

観光の際に気を付けなくてはいけないのが、正午の礼拝の時間になると観光客は中に入る事ができなくなるので、時間をずらすのがおすすめ。
また入場自体は無料ですが大聖堂の中の写真を撮るには一枚2ポンドの料金が必要となります。
ついついこっそり撮影したくなるかもしれませんが、せっかくの旅の記念ですから神社のお賽銭と同じと思って気前よくいきましょう。

英国王室の愛した豪華客船「ロイヤル・ヨット・ブリタニア」

英国王室の愛した豪華客船「ロイヤル・ヨット・ブリタニア」

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エディンバラに近いフォース湾には『ロイヤル・ヨット・ブリタニア』という、イギリス女王や王族達のプライベート船として1953年から1997年までの間愛用された豪華な客船が停泊していて、現在は博物館としてロイヤルファミリーの歴史の一端に触れることができます。

この船が停泊している『オーシャン・ターミナル・ショップ』には80以上のショップやレストラン、カフェなどが併設されておりエディンバラから車で15分という近さから、エディンバラ観光とショッピングスポットです。

特に『ロイヤルデッキティールーム』は英国王室の人たちが楽しんだ食事やイギリス定番のアフタヌーンティーが楽しめて、乙女心をくすぐる事間違いなし。
季節ごとのイベントもあるので、何度でも行きたくなる魅力が詰まっています。

船の近くの専用駐車場にはビジターセンターがあり、ここで『ロイヤル・ヨット・ブリタニア』の模型やお土産や歴史的な写真の鑑賞もできますよ。
その他にも日本語対応の無料のオーディオツアーがあり、このツアーではヨット内のエンジンルームや王族が生活した場所、クルーの仕事の様子などを体験することができるのでお子様連れの旅行にもおすすめのスポットです。

エディンバラ城を挟んで楽しめる植物園と博物館

ハノーヴァー・ストリートバス停から15分で行ける王立植物園『ロイヤル・ボタニック・ガーデン・エディンバラ』は、いつもの観光とはちょっとちがうエッセンスを加えてくれるおすすめスポットです。

1670年に設立された植物園には入園料は無料で東京ドーム約6個分の敷地で管理されたスコットランドだけではなく世界各地の珍しい植物を鑑賞つる事が出来て、都会の喧騒から隔離されたような静かな空間を楽しめるのもおすすめ。

1834年にビクトリア様式で建てられたガラスハウスや1967年のガラスハウスといった時代によって異なるガラスハウスの建築とその中で栽培される植物の素晴らしさは一度行ったら忘れられないインテリジェンスが体験ができる事まちがいなしです。

レストランやカフェテラスも併設されているので、散策に疲れたらゆっくりと寛ぐことができますよ。

そしてもう一つおすすめなのが『国立スコットランド博物館』は、ウェイバリー駅から徒歩15分ほどで行ける入館料無料(特別展示は有料)のスコットランドの考古学や文化に歴史、生物科学や宇宙工学など、スコットランドが誇る全てが展示されているハイセンスな施設で、世界史や美術工芸などを展示している『ロイヤル博物館』ともつながっています。

ロンドンのクリスタルパレスに影響された繊細なヴィクトリアン様式の建物の中には古代の遺物から国宝、最先端っテクノロジーまで1万点以上が展示され、その内容と種類の多彩さに驚きが溢れて時間を忘れて見入ってしまいそうです。

特にかつて日本でも話題になった『クローン羊のドリー』の剥製や世界的デザイナーであるベルナットクラインとヴィヴィアンウエストウッド、画家のピカソの貴重なコレクションなど、特に子供に学んでほしいプログラムが多彩い用意されていて、飽きることなく楽しめます。

博物館の屋上にあるタワーレストランからはエディンバラの街並みを一望しながら極上のモダンスコティッシュ料理を堪能できて、特別な時間を楽しむことができます。
日本語のガイドブックもあるのでよりディープなスコットランドの歴史や文化を解りやすく体感できて、帰国後ちょっと自慢したくなっちゃうおすすめ観光スポットですよ。

ノット「イギリス料理」絶対食べたい「スコットランド料理」

ノット「イギリス料理」絶対食べたい「スコットランド料理」

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イギリス料理はまずいなんてイメージがありますが、実はエディンバラにはミシュランの星付きレストランがロンドンに続いて多い街で、スコットランド伝統料理や各国のグルメを楽しめるお店が旧市街を中心に数多く出店しています。

たとえば朝食付きのホテルや近くのカフェで楽しめるイングリッシュブレックファーストならぬ『スコティッシュブレックファースト』はオートミール麦のミルク粥やパンケーキのようなポテトスコーンを主食に、香ばしく焼いたベーコンや卵、ニシンやコハダの燻製焼きに黒いソーセージのブラックプディングといった料理が並ぶのが定番です。
日本ではあまり見かけないメニューなので、スコットランドに行ったらぜひお試しください。

お土産探しにおすすめの「ジェナーズ」と「グラスマーケット」

ウェイヴァリー駅の前を走る新市街の目抜き通り『プリンセスストリート』へ出ると一際目立つ重厚な建物が、1838年に創業されたロンドンの『ハロッズ』の次に古くスコットランドの中では最も古い老舗デパート『ジェナーズ』です。

1911年には英国王室御用達認定書である『ロイヤル・ウォラント』を授与されており、まるで有名な魔法使いの世界に迷い込んだような歴史的建造物のノスタルジックな魅力だけでなく現代的なショップと見事な調和がとれたファンタスティックな雰囲気を味わいながら、上質な英国雑貨を購入することができます。

この『ジェナーズ』の斜向かいにある芝生の公園は、かつてあったエディンバラ城のお堀を埋め立ててできた場所でそこには『スコット・モニュメント』と呼ばれるビクトリアンゴシック様式の高い塔が立っています。

ビルのないエディンバラで一際目を引く塔は人気のフォトスポットの一つです。

またエディンバラ城の南側の旧市街にある『グラスマーケット』はスコットランド土産にピッタリのウィスキーや雑貨店、タータンを使った洋服などが購入できるおすすめのエリア。

世界遺産の古い街並みにぴったりの雰囲気のあるパブやバーが多く並び、エディンバラの夜を彩ってくれます。
もちろんスコットランド料理をはじめとした世界各国の料理が楽しめるのも魅力です。

星付きのホテルも多い地域なので、このあたりに宿泊をすれば夜のエディンバラを楽しんでも帰りは安心ですね。

スコットランドと言えばスコッチウィスキー!

スコットランドと言えばスコッチウィスキー!

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スコットランドを代表する名酒といえばなんと言っても『スコッチウィスキー』!

諸説ありますがアイルランドから12世紀から13世紀ごろにスコットランドの寺院へと伝わり、独自の発展を遂げたと言います。
このスコッチウィスキーで最も重要なのはウィスキーの原料となる大麦を発芽させて作る麦芽を乾燥させる際に使う『ピート(泥炭)』の存在。
燃料としてガスや炭などが使われることがありますが、スコットランドで採れるピートの存在こそがスコッチウィスキー特有のスモーキーで奥深い香りを作り出すのです。
このピートの燻し時間や温度、採取した場所や質によって香りが左右され、また熟成に使う樽の素材や使用年数によって味が変わります。

ウィスキーはさまざまな種類がありますが、スコットランドにある1000を超える蒸留所で作られたウィスキーだけが『スコッチウィスキー』を名乗れ、蒸留所によって異なる香りと味があり一朝一夕では全てを知ることができない奥深い物なのです。
ちなみに日本で一番最初に作られたウィスキー『サントリー白札(サントリーホワイト)』はスコッチウィスキーを参考に作られたのは有名な話しですね。

そんなこだわりのあるスコッチウィスキーを存分に多角的に楽しめるスポットをご紹介します。

あの名探偵の生みの親が生まれた街「エディンバラ」

首都であるエディンバラには各地のグルメはもちろん、大人の夜にぴったりのパブやカフェがたくさんあります。

その中でも人気のスポットとしては世界的な名探偵「シャーロック・ホームズ」の生みの親である「アーサー・コナン・ドイル」(1859年~1930年)がエディンバラの新市街地にあるピカーディ・プレース通りの生まれでエディンバラ大学出身という事から、この通りにシャーロック・ホームズの銅像とその目の前に『パブ・コナンドイル』があるのです。

書斎と古典的な中世のパブをモチーフにした落ち着いた雰囲気の店内では残念ながら「コナン・ドイル」に関係したメニューを楽しむという事はできませんが、ランチタイムにはスコットランド料理のハギスやセパーズパイ夜はパブとしてスコッチウィスキーを楽しむことができますよ。

続いておすすめなのが『ホリールードパーク』の『アーサーズシート』の近くにある『シープ・ヘイド・イン』は約600年前、14世紀からあるスコットランドで最も古いパブで、古き良きイギリスのカントリーサイドのパブの雰囲気を今も残しているノスタルジックな風情が異国情緒を引き立てくれます。
お店の奥にはアナログスタイルのボーリングレーンもあって遊ぶこともできます。
ウィスキーはもちろんアイルランドのギネスビール等のお酒も味わえます。

「スコッチウィスキー・エクスペリエンス」で堪能する

エディンバラのロイヤルマイル近くにある人気のスポット『スコッチウィスキー・エクスペリエンス』は、1987年にスコッチウィスキーを製造販売する19の会社が集まって作った、世界最大級のスコッチウィスキーの博物館。
その中で展示されているウィスキーの多くはのブラジルのウィスキーコレクターの「ディアジオ・クライブ・ヴィディズ」(生没年不詳)が35年かけて集めた物を中心にスコットランド各地から集められた300種類以上4000本近いラインナップで、コレクター垂涎のラインナップとなっています。
もちろんウィスキーに詳しくない人でも感嘆のため息が出る美しいボトルや珍しいボトルが揃っていて、見るだけでも楽しめる大人のテーマパークです。

この『スコッチウィスキー・エクスペリエンス』では『シルバー』『ゴールド』『プラチナ』の三種類のツアーがあり、ウィスキーを作る樽の形をした乗り物に乗ってスコッチウィスキーの歴史から製造工程までを体感型アトラクションとして楽しむことができるのも人気の一つ。

一番定番の『シルバーツアー』15ポンドで50分間で日本語の音声ガイドを聞きながらウィスキーの歴史と魅力が体感できて、最後に気に入った一本のウィスキーを試飲でき、メンバーズになる『ゴールドツアー』では『シルバーツアー』に4種類のシングルモルトウィスキーの飲み比べを、ナチュラルな雰囲気のマキンタイアギャラリーで70分~90分間26ポンドで楽しめます。

三つ目の『プラチナツアー』は深夜だけ楽しめるウィスキーを愛する大人のツアー。
残念ながらガイド音声は英語のみですが、シルバーやゴールドツアーでは見る事ができない秘蔵のコレクションの鑑賞や限定スコッチウィスキーのテイスティングなど上質な時間を90分間36.5ポンドで味わえます。

さらにプラチナツアーにプラスアルファした『テイスト・オブ・スコットランド』では一流のアーバンレストランのシェフが腕を振るう季節の極上スコットランド料理のオードブルとデザートと相性の良いスコッチウィスキーを3時間70ポンドで堪能できるのです。

この他にも400種類以上の様々なウィスキーを取り扱うショップやレストランバーもあり、エディンバラ旅行では絶対に外せないポイントですよ。

ただスコットランドの法律では日曜日の12時30分までお酒類の販売が禁止されていますので、お土産でスコッチウイスキーなどの地酒を購入する際には曜日と時間にお気を付けください。

「エディンバラ」旅行で知っておきたい豆知識

「エディンバラ」旅行で知っておきたい豆知識

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エディンバラの魅力はさすが街全体が世界遺産なだけあって、見どころが満載。
そのため旅行の際には早めにチェックインして、身軽になることがおすすめです。

とくに数百年かわらない街並みは整備されたコンクリートではなく、デコボコとした石畳がメインストリートを覆っていますし坂も多いまりなので、しゃれたヒールや革靴よりも歩きやすいスニーカーがベスト。

北緯50度~60度というモスクワやフィンランドなど北極圏に近い国と同じくらいの位置にありますが、メキシコから流れてくる暖流の影響であまり雪が降ることがなく、真冬の最低気温の平均が3℃前後、真夏でも平均最高気温が約18℃とすごしやすい気候です。
しかしあまりカラッとした快晴になることがなく天候が変わりやすく雨が良く降る地域でもあるので、雨具を用意しておくといざという時に役立ちますよ。

しかし雨上がりの虹や晴れた街並みは「空が晴れれば世界で一番美しい国」と言われる理由を実感できるので、天候には注目したいですね。

ちなみに日本と違って気軽に利用できる公衆トイレが少ないので、お店や施設に入ったらこまめにお手洗いを済ませておくのも観光のポイントです。

そんな魅惑の世界遺産都市エディンバラの旅でもっと快適に過ごすために知っておいて損のない、より楽しめるちょっとした豆知識をご紹介します。

サマータイムあり。時差と時間

日本との時差は9時間で、日本の方が先に進んでいますがサマータイムだと時差が8時間になります。

サマータイムの開始は10月、終わりは3月ですが詳細に日にちは毎年変わるので、旅行計画に合わせて確認を取る事がおすすめ。

また北緯が高いので夏至の頃は日の出が4時30分くらいで日の入りが22時ぐらい、当時の頃は日の出は8時30分ぐらいで日の入りが15時30分ぐらいと日本とは全く異なる日照時間です。

極夜や白夜といったことはありませんが、日本とは違う太陽の高さや動きに海外なんだという新鮮な驚きを得られますよ。

天気の移り変わりが激しいのもスコットランドの特徴なので、観光地だけじゃない日本では味わえない自然の変化もぜひ体感してみて下さい。

気になるエディンバラの治安は?

スコットランドをはじめ、イギリス国内は比較的治安は安定していますが、日本と同じ感覚では危険な場合があります。

特に日本では無意識に行いがちな荷物での席取りや、荷物を置いたまま席を離れてしまう場合、声を掛けられた時に無警戒で接してしまう、貴重品を外から見える場所に無認識で所持をするといった日本にいる場合には問題にならなくても、海外ではその警戒心のなさから犯罪に巻き込まれてしまう場合があります。

特にイギリスやスコットランドでは現金よりもクレジットカードや小切手、デビットカードを使っての会計が多く、現金を持っていても数十ポンドと少額なのが常識です。
それに対して日本人は特に旅行では多くの現金を持ち歩く場合が多く、悪い人たちにとって絶好の獲物とされています。

携帯電話やスマートフォンでの自撮りを行っていた人が通りすがりに強奪されたという事件も発生しています。

この他にも見知らずの人から預かり運んだ荷物に麻薬が入っておりそのまま重罪に罰せられたり、親切にしてもらったからと国の正規タクシーである『ブラックキャブ』以外のタクシーに乗ってしまい法外な料金を支払わされたという話しも。

外務省の海外安全ホームページではこういった現地の治安に関する情報や注意すべきこと、感染症の流行など旅に欠かせない情報が乗っているので、旅立つ前にぜひ一度確認してみてください。

特に観光客が増える夏場では、気持ちの緩んだ人々を狙った犯罪が増えるので防犯意識をしっかりと持って、安全に特別な時間を楽しんで下さいね。

単位は「ポンド」の独自紙幣がある

単位は「ポンド」の独自紙幣がある

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イギリスの通貨といえばポンドとペンスでそのうち紙幣が5、10、20、50ポンド札になりますが、スコットランドでは独自の紙幣として5、10、20ポンド札を発行しています。
このスコットランド紙幣はスコットランドの中では問題なく使えますが、イギリスだと使えない場合がありますし、日本では円への両替ができないので注意が必要です。

同じくイギリスを構成するカントリーである北アイルランドにも独自のポンド紙幣がグレートブリテン及び北アイルランド連合王国の確執の歴史の一端を感じられます。

しかし日本円にできない紙幣ですが、旅の思い出としてコレクションするのも素敵ですよね。

お金にまつわる豆知識として、エディンバラでのチップの支払いは一般的には10%ですが、25ポンドの支払いに対して30ポンドといったチップ込みで払う場合もあります。

しかしレストランによってはサービス料に含まれている場合があるので、事前にお店に確認をするとよいでしょう。

ついついお金のことを聞くと恥ずかしくてこなれ感を出してみてしまう場合もありますが、旅の恥はかき捨てとも言いますし現地の人も観光客とわかっているのできちんと教えてくれるので安心してくださいね。

用意しておくと便利なトラベルパス

海外旅行の際に何かと便利な『トラベルパス』はスコットランドでも大活躍するものです。

主なものとして『グレート・ブリティッシュ・ヘリテッジ・パス(GBH)』と『ヒストリック・スコットランド・エクスプローラ・パス(Explorer Pass)』の二つのトラベルパスがあり、スコットランド内での鉄道や飛行機、バスなどの交通機関の他に観光地の入館料などが割引される特典があるので、計画に合わせて事前に準備しておくと大変に便利でお得になります。

GBHはイギリス国内で最も古いトラベルパスで、イギリス全土約600か所の観光地の入場料金が最初に含まれていて、利用する日数によって料金が異なります。
日本でのオンラインやロンドンのビジターセンターで購入が可能で、普通に観光するよりもぐっと格安で楽しめてお得感満載。

Explorer Passはイギリス国内というよりもスコットランド自体をしっかりと味わいたい人におすすめのトラベルパスで、スコットランドの歴史的な観光地77か所を巡ることができます。
3日と7日の二種類があり、自分のペースでスコットランドを満喫できます。
Explorer Passのオプショナルツアーもあるのでこちらもおすすめ。
ネットで購入して送られてきたpdfを印刷し宿泊施設やエディンバラ城などの観光施設で提示することでチケットをもらえるようになります。
スコットランド全域だけでなく一つの地域限定のより深い場所を楽しめるパスも用意されていますよ。

『ブリットレイル・パス』ではイギリスのカントリー内を走る鉄道やバスが乗り放題になるので、スコットランドだけでなくイギリスの様々な地域を旅する場合にはこちらもおすすめのトラベルパスは、交通機関の割引だけでなく空港から市内への鉄道料金や小さなお子様が無料になるサービスがあるのも特徴。

ただ利用する地域や有効期限によって料金が異なるので、こちらも旅行前に確認して購入しておくことがおすすめです。

この他にエディンバラ市内を日本語オーディオガイド付きでのんびり巡回できる市内観光バス『シティサイトシーイング』は市内12か所のバス停から一日中乗り降り自由のお得なサービス。
エディンバラ城やホリールードハウス宮殿などの観光名所にも停車してくれますし、ブラックな歴史をもつエディンバラのホラースポットへの案内や子供向けのちょっと怖いオーディオコメンタリーが聞けたりして面白いですよ。

自由にスコットランドを縦断できるレンタカー

自由にスコットランドを縦断できるレンタカー

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日本と同じ右ハンドルの左側通行なので、国際免許があれば電車ではなかなか行けないイギリスの原風景を楽しむことができます。

またレンタカーは『ハーツ社』と『エイビス社』の2社が日本から予約できるので、旅行の日程が決まったら早めに予約しておくのがおすすめです。

レンタカー以外でもエディンバラの街中にはレンタサイクルのお店があり借りることができますが、残念ながらヨーロッパ規格なので平均体形の日本人には大きめとなってしまう事があります。

またイギリスやスコットランドの法律では自転車は自動車と同じ車両扱いなので、車道を走るので慣れないと少々ドキドキすることになるかもしれません。

しかし車では入れない小道や街角へエディンバラの風を感じながら遊びに行くこともできるので、一度検討してみてがいかがでしょうか。

さあ旅に出よう

イギリスを代表する世界遺産エディンバラには複雑で深い歴史と共に育った文化や食に溢れた街です。

時にはその深い歴史に思いを馳せつつ、ユニークな文化やスコッチウィスキーを片手にぜひ素敵なひと時を満喫してくださいね。

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