オリンピックの原点がここに!古代ギリシャのびっくり常識とオリンピア遺跡

抜けるような青い空、深く美しい紺碧のエーゲ海、そして天をつく白亜の神殿。
おそらく古代ギリシャまたはギリシャと聞くと想像する映像なのではないでしょうか?
現代ヨーロッパ文明の原点とも言われ、その芸術的な面や哲学・民主主義の理想国家など私たちが現在思い描くギリシャは半分作られたものだと知っていましたか?
特に2020年に東京で開かれるオリンピックの原点はギリシャですが、こちらも古代のオリンピックはその様相は違っているようです。
今回はとオリンピックが生まれたオリンピアの遺跡と一緒に、ちょっとびっくりな古代ギリシャと古代オリンピックの世界をみていきましょう!

古代ギリシャはおもしろい

古代ギリシャはおもしろい

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実は存在しない古代ギリシャという国

いきなりですが、古代に「ギリシャ」という国は存在しません。

え?と一瞬驚きますが、昔に学校で習った「都市国家(ポリス)」という言葉を思い出してみてください。
紀元前には現在のギリシャにはアテネやスパルタに代表されるような1500もの都市国家が発展しており、統一されたギリシャという国はありませんでした。

ギリシャの地形は山が多く互いの地域の行き来が難しいためそれぞれが独立して都市を作り、互いにけん制し合っていました。

それでも彼らは自らのことを「ギリシャ人(ヘレネス)」だと名乗ります。
同じ血を持ち、同じ言葉を話し、同じ神々を信じ、同じ風習をもつ人たちを「ギリシャ人(ヘレネス)」と称していました。

なので、古代ギリシャという国はありませんが、古代ギリシャ人はいるという不思議なことになっています。

彼らは「私はギリシャ人(ヘレネス)で、アテナイ人だ」と自らを称していたようです。

それはさながら日本の戦国時代のようで、同じ言語と風習と信仰をもち、「日のもとの国の民で摂津国の者」と言っていたのに近いのかもしれません。

このように紀元前の時代に「ギリシャ人(ヘレネス)」たちが作った都市国家の地域や文化をまとめて古代ギリシャと私たちはよんでいるのです。

独特の価値観すぎる?古代ギリシャの人々

「風光明媚な白い神殿と深い紺碧色のエーゲ海。」

きっと古代ギリシャ人が聞くと「?」となることでしょう。

彼らはエーゲ海を表現するときには「ワイン色のエーゲ海」と言い、神殿は極彩色で彩られているものだったからです。

「ワイン色のエーゲ海」って不思議ですよね。
もっと不思議なことに彼らは「緑色の血」とも言ったそうです。
こんな表現をするのには理由があって、彼らは色に意味を持たせて考えていたと考えられています。
例えば「紫色」は流れたり動いたりするものを表したり濃い色と表現する意味もあり、「緑色」には新緑のように若々しくフレッシュな意味がありました。
なので先ほどのふたつは「うちよせるさざ波のエーゲ海」「鮮血」ということになるわけです。
見たままの色を表現するのではなくその表現にはひとつ違った深みが加わっているように感じます。

そして極彩色に彩られている神殿を現代の私たちは見ることができませんが、発掘された遺跡の一部に着色の跡が残っていることはよくあることです。
そのため、研究者の間では古代ギリシャの神殿に着色されていることは当然の事実として認識されています。

ではなぜ私たちは白亜の神殿と真っ白な彫刻ばかり目にするのでしょうか。

それは18世紀にヨーロッパで古代ギリシャが大ブームになり、私たちの原点である古代ギリシャはシンプルで美しい白亜の文化であってほしいと理想を描いた人々がわずかに残っている古代の色彩を金たわしなどで削り磨き上げてしまったからなのです。

有名なパルテノン神殿やミロのヴィーナスのもとの色を私たちは見ることができないのはとても残念だと思います。

オリンピアという神域

オリンピアという神域

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全知全能の神・ゼウスの神域オリンピア

オリンピアの町はギリシャの西側に大きく突き出たペロポネソス半島のこれまた西側にある山間にある、現在は1000人くらいの人口の静かな町。
ギリシャの首都アテネからはバスで約5時間かかるほどの距離です。

この地域はエリスという都市国家が治めており、古来よりゼウスの神域としてあまり人が住んでいない場所でした。

ここで簡単に古代ギリシャの信仰についてお話したいと思います。

古代ギリシャではオリュンポス12神と言われる神様たちを筆頭にたくさんの神々を祀ってそれぞれの神殿を建て、神々縁の物を供える習慣がありました。

現在ではギリシャ神話で私たちも知ることができる神様たちです。
その神々はとても人間的で泣くし怒るし、浮気はするし失敗もたくさんします。
人と違う点は不死の存在であり、自分の領域についてはほかの神よりも強い力を持っていることです。

昔の日本の神道に似ていて、キリスト教やイスラム教のように唯一絶対神に対する畏怖畏敬の信仰ではなく、自然事象や生活から感じる自然の力に対する信仰でした。

そして、その神様の中で一番力があるとされているのが全知全能の神・ゼウス神です。

一番力があるとされるゼウスですが、彼はとても人間的で奥さんで結婚を司るヘラには頭が上がらず、浮気も失敗もよくします。
そんな彼は天を司り、雷(雨や水)を支配している神様です。

自然の崇拝であることから、ギリシャの神々の神殿はあまり街中にはなく、山間など人々の暮らしの場所から離れた場所にあるのが特徴。
ゼウスはその力から、山頂で祀られることが多いのです。

世界七不思議・巨大ゼウス像があった!

「世界七不思議」と聞くとなんだかオカルトや超常現象のようですね。
ここでいうところの「世界七不思議」は「見るととても驚く巨大建造物」というものになります。

紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスなど古代の人が書いた旅行記で7つの巨大建造物を紹介しており、現在ではそれらをもとに世界七不思議と呼んでいます。

オリンピアには高さ13.5メートル、現在の建物で4階の高さがある巨大なゼウス像がありました。
完成したのは紀元前433年ごろ。
制作者は古代ギリシャで有名な彫刻家のフェイディアスです。

そのゼウス像は象牙と金でできており、現在では約10億円位の価値がある金を用いてゼウスの衣服や王冠、頭のリボンなどを飾り、1トンを超える象牙でゼウスの胴体と頭、その手の上に立つ勝利を告げる女神ニケを作りました。

さらに水晶や宝石などで装飾されており、豪華絢爛なゼウス像でした。

当時の神殿には窓がなく光は入口の扉からだけ差し込みます。
そうすると神殿の奥に配置されたこのゼウス像に光が当たらず、そのきらびやかな像の魅力が半減します。

そこで、フェイディアスはゼウス神殿と全く同じ大きさで同じ方位の神殿を建てて、日の差し込む位置や角度を徹底的に研究したと言われます。
そして、ついにゼウス像の前に暗青色の石で長方形の池を作り、その中にオリーブオイルを混ぜた水を張るという手法を編みだします。

その結果、入口からの光が池を反射してゼウスの顔や肩などを照らしだすようになり、まるでその像自身が輝いているように見えたと言います。
このオリーブオイルは象牙の湿度対策として像の保存にも役立っていました。

このゼウス像は残念ながら394年にビザンチン帝国の宦官によってコンスタンチノープルの宮殿に移され、その後475年にその宮殿の火事によって焼失してしまいました。

今ではそのゼウス像があった神殿跡だけを見ることができます。

祭場だったオリンピアの遺跡

祭場だったオリンピアの遺跡

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一番の基本は神殿と祭壇が中心

オリンピアの遺跡たちは、クロノスの山に沿って広がる競技場や祭壇や神殿などがある神域と、選手たちの練習場だった体育施設(ギムナシオン)や宿泊施設(レオニデオン)の区域に分かれています。

現在私たちが見ることができるオリンピアの遺跡はローマ時代のもので、ギリシャ時代の全体の作りはわかっていません。

神域の真ん中には先のゼウス神殿があり、それを正面にして左手にはニケの像が、右手にはゼウスをはじめとする神々へ捧げる生贄のための祭壇と宝物庫があり、その奥にはゼウスの妻であるヘラの神殿があります。

近代オリンピックの聖火はこのヘラ神殿で凹面鏡を使って灯され、世界の開催地へ運ばれます。
この聖火を点灯するセレモニーは古代オリンピックでは行われておらず、近代オリンピックでナチス時代のベルリンオリンピックの際にナチスの宣伝の一環として始まったのが今に残っているのです。

そしてゼウス神殿を正面にしてその背後には反響廊があり、その奥の道を入ると石のアーチがあり、そこを抜けると競技場のスタディオンがあります。

スタディオンの広さは幅30メートル・長さ約192メートル。
その大きさは英雄ヘラクレスの足の600倍の大きさということになっています。
今でも徒競争に使われらスタートラインが残っています。

観客は両サイドの芝で人々は立って観戦をしたので、「立っている場所(スタディオン)」と言われ、スタジアムの語源になったのです。
このスタディオンには約2万人の人を収容することができたと言われています。

選手村と快適に過ごせる施設

神域とクラデオス川の間に参加選手たちの体育練習場(ギムナシオン)と闘技場(パレストラ)があり、関係者や各都市の使節のための宿泊所(レオニデオン)と評議会場(ブレウテリオン)などがあります。

体育練習場には競技場のスタディオンと同じがあり、選手たちはここで最終調整をしていました。
そしてそこは同時に選手たちの宿泊所でもありました。

宿泊所は中に噴水などの中庭もあり、建物全体も大きくてゆっくりと過ごせる場所でもありました。

観客の人々は実際に開催される前からこの町に集まり、選手たちが来るのを待っていました。
しかし、競技を見るために集まった人たちは招待客でない者の宿泊施設はないため、みなそれぞれが神域の壁に沿ってテントを並べて野宿をしながらその日を待っていたと言われます。

その他、マケドニア王フィリップス2世が建てた迎賓館は優勝者をもてなす宴会場として使用され、ローマ皇帝ネロが自分専用の宿泊施設を作ったり、ローマ時代になると水飲み場ができ、公共浴場が造られました。

当初は神域を中心に競技会を奉納していたのが時代が下るにつれて、その神事である性格が薄まり、エンターテイメントを楽しむためのテーマパークのように快適に過ごせる設備が加わり、変わっていったようです。

古代オリンピックのはじまり

古代オリンピックのはじまり

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ゼウスへ捧げられる祭典

古代オリンピックの始まりは実ははっきりとしていません。

ゼウスが父神であるクロノスを倒した神話を元にしているとかいろいろな説がありますが、一説には、オリンピアを治めていたエリスの王が疫病が流行り困って、デルフォイの神託を行ったところ、争いをやめてオリンピアのゼウス神殿の祭典を復活せよと言われたことからはじまったと言われています。

オリンピアでは紀元前1000年頃からゼウス神に捧げる小さな祭典を行っていました。
戦争や疫病などで途絶えていた祭典を再開させるようにとのことで、早速エリスの人々は王は戦争をやめてゼウス神に生贄を捧げ、競技会を行ったところ、疫病が治まったとそうです。

それが第1回古代オリンピックの始まりで、紀元前776年のこと。
それ以降4年に1度行われるようになり、392年に禁止されるまで約1200年間中止されることなく続けられました。

ゼウス神に捧げられる動物は基本的に雄牛と決められており、1体2体などではなく、最盛期には100頭の雄牛が祭壇に捧げられました。

先のフェイディアスが作ったゼウス神殿ができるまでは、雄牛が捧げられた祭壇が神殿の役割を果たしていたと言われています。

祭典で行われる競技の基本は徒競争

第1回オリンピックの競技種目はスタディオンを走る徒競争でした。
シンプルに速く走ることができた人が優勝で、第1回目の優勝者はエリス出身の料理人コロイボスとされています。

そしてそのうちに競技の種類が増えていきます。
5種目競技となり槍投げ・円盤投げ・幅跳び・レスリング・徒競争になります。
この5種目競技では徒競争をはじめ3種目の勝者が優勝者とされました。

さらに時代が下ると5種目競技はそれぞれ個別の競技ではなくなり、この5種の順番はわかりませんが1種目ごとに上位何名かが残り次の競技を取り組む勝ち抜き式になっていき、古代オリンピックでは「5種目を制する者が真の優勝者だ」と言われるほどこの5種類の競技で勝つのはすべての身体能力に優れている必要があり、勝者は英雄視されていたようです。
さらにボクシングや戦車競走などが追加され最終的には18種類の競技が行われるようになりました。

競技種目が増えると、開催期間も当初は1日だったものが、最終的には5日間の開催となりました。

ギリシャのほかの都市でも神々に捧げる祭典として競技会を行っていましたが、オリンピアの祭典は歴史が古く、格式があるとしてとても人気の祭典だったのです。

そのため、ギリシャ全土から一生に一度は見たい祭典として人気を博しました。

古代オリンピックは本当に平和の祭典?

古代オリンピックは本当に平和の祭典?

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開催期間中の一切の戦争は禁止します!

4年に1度のオリンピアの祭典はエリスの町の実行委員ともいえる識者たちが、自分たちが使用している暦を元に綿密な計算のもと、開催日を決定します。

当時はポリスによって使用されている暦が異なるため、8月の満月と言っても一定の日を指すことにはならなかったのです。

基本的には太陰暦で月の満ち欠けを使用した暦だったようで、夏至のあとの2度目または3度目の満月の日がちょうど祭典の3日目になるように計算されていました。

それは小麦の刈り入れが終わった農閑期にあたる8月下旬に行われており、農業に従事する人々が多かったため、暮らしにあまり影響がない時期でもありました。

開催日が決まると、休戦を告げる3人の死者・スポンドフォロイ(休戦運び人)が各ポリスに祭典の開始と休戦を宣言して回ります。

休戦の期間は当初は1カ月でしたが、最終的には3カ月を超えるようになりました。
これはギリシャのポリスだけでなく、植民地であるシチリアやスペインなどの遠方から来る参加者が出発してから戻るまでの期間だったのです。

休戦は平和の為ではなく、参加者がが安全にオリンピアとの往復ができるようにする配慮から決められたものでした。
そして信託にも争いをやめよとあり、神のために祭典を邪魔するようなポリスは神罰が下ると考えられていたのです。

古代の戦争はのんびり

古代ギリシャのポリスは食糧の確保や覇権争いで互いにいつも争いを繰り返していました。

そう聞くと生きるのに必死でいつもおびえて暮らす荒んだイメージを持ちます。

しかし実際は古代の戦争にはルールがあり、基本的に戦争は小麦の収穫が終わった後、秋のオリーブの収穫までの夏の農閑期に行われていました。

年中行事のように夏になると食糧を求めて隣の収穫を奪い取るために戦争を始めますが、秋の声を聞くとオリーブやブドウなどの収穫のため戦争を止めて解散になります。

大体最大でも40日間の出来事です。
戦争での死者も1割程度だったと言われています。
食糧を得るための戦争なのに人が死んでしまうのは本末転倒です。

古代ギリシャの戦争ではこんなルールがありました。
奇襲・宣誓布告なしの戦争の禁止。
夜討ち朝駆けはなしで、夏以外の戦闘行為の禁止。
敗走する敵を追う時間と場所を制限。
伝令などの非戦闘員への危害を加えることの禁止。
宗教施設である神殿や聖地の占領を禁止。
飛び道具(弓矢や投石)の使用を禁止。

古代らしくとてものんびりとした人が生きることを中心にしたルールだと思います。

そうなるとオリンピアの祭典が行われる年は夏の戦争はお休みになりますので、その年の戦争はなくなり、結果的に平和の祭典といわれるようになったのです。

オリンピック期間中はどんちゃん騒ぎ

オリンピック期間中はどんちゃん騒ぎ

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誰もかれもがオリンピアの祭典で稼ぐ気満点

休戦期間になると選手たちだけでなく、その祭典を一目見ようとギリシャ全土から観覧者が集まってきます。

どんな人たちが集まってきているのかというと、基本的には男性ばかりです。

というのも古代ギリシャは完全な男性中心の世界で、基本的には女性は家にいるものであり、男性と同じく学んだり外で楽しみに興じることはありませんでした。
そのため、オリンピアの祭典への参加はできませんでした。

後年ローマ時代になると未婚の女性が家人の御目付を従えて観戦したこともあるようでしたが、既婚女性は絶対に入ることができませんでした。
それでもどうしても観たかった女性が男装をして忍び込んだというから、その観戦への欲求がとても感じられます。

そしてギリシャ全土から裕福な市民や知識人たちもくるこの機会はとても貴重。

会場のあちこちで宣伝をする者たちが場所せましと活動します。

ある役者は即興で寸劇を披露し、絵描きはその場で描いたり自分の作品を展示し、文筆家は自分の著作を朗読してその作品を発表します。
さらに簡易の食堂やワイン売りやお土産物のお店などが立ち並び、商売に勤しみます。
夜になると毎晩宴会が開かれてみな飲んだくれになっていきます。

そして、男性ばかりが集まる場所には必ずいる娼婦たちは1年分の稼ぎをこの祭典期間中にがっつりと稼いでいたと言われています。

舞台裏は大混雑

会場のあちこちで人々の思惑が飛び交い、どんどんとにぎやかになっていきます。
しかし、この夏に開催される祭典は大変劣悪な衛生状態であったことでも有名でした。

まず水の設備は観客用には整っておらず、常に人々はのどの渇きと戦っていました。
想像してみてください。
8月の暑さの中で水を満足に得ることができない辛さを。

これが解消されるのは実に900年の歳月がかかり、イロド・アティコスというものが給水施設を作ったことで以前より水に悩まされることはなくなりました。
この給水施設を作ったアティコスについて「このように安易に水を得ることができるのは選手や人々を堕落させる」と演説した者がいましたが、その者は人々から石を投げられ、翌日には「アティコスは素晴らしい偉業をなした」と賛美したということもありました。

また、排泄設備つまりトイレなどの整備はされておらず、近くの干上がっている川で用を足していたため、そこからハエや蚊が発生し、異臭と虫が漂っていたのです。
毎年ハエと蚊に悩まされており、会期前にはエリスの運営担当者たちがハエが発生しないように祈りゼウスへ祈りを捧げていたくらい困り果てていました。

お風呂?飲み水ですら整っていない中、そのような設備は選手のためだけにあり、観客は夏の時期にも関わらず風呂に入らず過ごしていました。
中には衛生状態の悪さから腹を下したり、倒れたりした者もいたと言われています。

古代ギリシャの奴隷はあまりに働きが悪いと「オリンピアに観戦にいかすぞ」と脅されるくらいその衛生状態の悪評はギリシャ全土に広まっていたようです。

真に高潔な精神か?選手とコーチと甘い誘惑

真に高潔な精神か?選手とコーチと甘い誘惑

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訓練に耐えに耐えて選ばれる選手たち

オリンピアの祭典に選手として参加できるのはギリシャ人の自由民の男子だけでした。
自由自由民とは両親ともがギリシア人であり、奴隷や外国人と女性の参加は認められていません。
ローマ時代になるとギリシア人は自らをローマ市民と名乗るようになるため、両親のどちらかがギリシア人またはギリシャ語を理解できる者で奴隷や女性でなければ参加出来るようになったとも言われています。

いずれにしてもこの選手たちは幼少の頃からその才能を見出され、訓練を受けてきたものばかりでした。
開催される1年前には次の祭典へ参加する選手を決めて、専任のコーチによる特別な訓練が行われます。

こうしてポリスが何年もかけて育成した彼らを代表選手としてオリンピアへやっと送り出したのです。

選手たちは開催日の前の満月の日、約30日前には祭典の開催都市であるエリスの街へ到着し、参加の意思を宣言する必要がありました。

ここでゼウス神に対して正々堂々と戦うことと9ヶ月の訓練を受けたことを誓います。
長い訓練を終えて神にも宣言しました。

さあいざ戦わん!と思ってもまだ最後の関門がまちうけています。

開催から30日も早く集まったのはここで競技の審判からの最終チェックを受けるためです。
エリスの練習場であるギムナシオンで今までとは違う訓練を受けてどれ位のレベルかを確認され、一定の基準に達していないと判断された者は、参加資格を失います。

このようにいくつもの選抜に残った選手だけが神聖な祭典への参加が認められたのです

甘い誘惑は1つとは限りません

まず、戦いの後に優勝者だけの豪華な祝宴があり、このオリンピアの聖域に自らの像を置くことを許されます。

そして、彼らは故郷に帰ると大きく歓待され、英雄のように扱われ、中には政界入りする者もいたそうです。
さらに一生税金の免除や年金を恩賞をもらうこともあり、選手たちにとってこれからの一生をかけた戦いになります。

その栄誉は指導者のコーチにも与えられ、共に讃えられ選手と同じ恩恵を受けました。

そうなると人によってはコーチと選手どちらもが勝利への執着が倍増。
資金力のある選手の中にはその財力を使って対戦相手に八百長を持ちかけたい誘惑にかられるものもいたようです。
不正が見つかると罰金を支払うことになります。
その罰金で不正を戒める文言が刻まれたザネス像が建てられました。
長いオリンピアの祭典の歴史の中でたった16体しか建てられなかったのはとてもクリーンな祭典であったと言われています。

また練習場のギムナシオンは一般に公開されており、誰でもその練習風景を見ることができました。
そこでは選手たちの状態を確認し、競技の勝敗を賭ける誘惑に惑わされる観客もいれば、お好みの戦士たちを見つけて関係を持ちかける誘惑する持つ者もいたのです。

古代ギリシャでは同性愛は普通であり、特に40代の壮年の男性が10代の少年たちを教え導く姿は理想の同性愛だと言われていました。
知識人たちの間では男性間の恋愛の方が異性間の恋愛よりも崇高で美しいと言われていたほど上流階級では当たり前のたしなみだったのです。
古代ギリシャ人たちは現代の私たちとは違った恋愛観を持ていることが分かります。

いずれにしてもこのように開催前の選手村であるエリスの練習場では様々な思惑と誘惑がが飛び交っていたのです。

開催2日前、選手たちはエリスの街を出発し、ついにオリンピアへ向かいます。

さあ始まる古代ギリシャ最大の祭典 1・2日目

さあ始まる古代ギリシャ最大の祭典 1・2日目

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神の前で全力で戦うことを誓います

祭典初日はまずは宣誓することから始まります。
前日にエリスから到着した選手たちは祭典初日の朝に神域に入ります。
ひとりずつ10人の審判たちが並ぶ前に立ち、審判越しに威厳あるゼウス像を見ながら、コーチと父の名の下にルールを守り不正をすることなく全力で戦うことを誓い、評議会場で10ヶ月のトレーニングを行ったことをゼウスに告げます。

そのあと同時に審判団も公正なる判定と資格審査の時に知った選手の個人情報を漏らさずオリンピアの祭典を汚さないことを誓いました。
これで午前中は終了で、近代オリンピックと異なり聖火リレーや開会式などはありませんでした。

初日は午前中に少年の部(およそ12~18歳)の競技が行われます。
さらに「触れ役」と「ラッパ吹き」のコンテストも行われました。
勝者は翌日からの競技の優勝者の読み上げや祝福のラッパを奏でることができました。

と、ここでとても大事なことをお伝えしなくてはなりません。
皆様の想像の中で選手たちは何を着ているでしょうか?古代オリンピックでは、選手とコーチは全裸です!ふんどしなどもなく全くそのままの全裸。

その理由ははっきりとはわかっていませんが、古代ギリシア人は鍛え抜かれた肉体など人間の表面的な美を追求した人たちでした。
彼らにとって体を鍛える事はごく自然な行為であり、それにより作られる美しい肉体にも価値を見出していました。
彼らいわく、裸は大変美しいものであり、恥ずかしいと感じる人々は野蛮人だそうです。
また一説には神に捧げる祭典なので、神の前で不正をしない証でもあったとも言われています。

というわけで、これ以降のイマジネーションは全裸の彼らで読み進めてくださいね。

大興奮の戦車競技と伝統の5種目競技

2日目は日の出とともに戦車競技が始まります。
戦車競技は祭典の目玉の1つでもあり、6種類ほどありましたが人気は4頭立馬車による競馬でした。
競馬場はスタディオンの南東にあったとされますが、現代では跡形もありません。
レースは約360メートルの標識の間を12往復して競われました。
40台以上の戦車がすれ違うこの競技ではコーナーを高速で回るのは難しく、よく事故が起こりました。
派手なクラッシュシーンは観客を熱狂させ、ときには死者が出ることもありました。

この競技の特徴は勝利の栄冠が御者はなく馬主であることでした。

それは有力な馬を手に入れるなどの莫大な金銭が必要だったことと無関係ではありません。
そのためしばしば本来は参加を禁止されているはずの女性が勝利者となることがありました。

昼からは競技場で先に紹介した5種目競技が行われました。

幅跳びの競技方法には5段跳びなど諸説ありますが、選手たちは両手に1個ずつの重りを持ちこれを思い切り後ろに振り切ることでその反動を利用して距離を伸ばしたのです。

円盤投げは2キロの重さの円盤を投げます。
円盤を頭上に大きく振りかぶり、一気に振りおろして背後にスイングさせて反動を利用して空へ放ちます。

槍投げは槍の中心部分にあるアンキュレと呼ばれる革紐に右手の指をかけ、体の捻りを利用して投げました。

レスリングが徒競走以外の初めての種目と言われます。
相手の肩か背中を地面に触れさせることができたら1本。
3本先取で勝負がつきました。
関節技や絞め技による勝利を認められていましたが指を折る事は禁止されていました。

.オリンピア最大の見せ場 3・4日目

.オリンピア最大の見せ場 3・4日目

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牡牛を捧げて最も盛り上がる3日目

祭典が最も盛り上がる3日目。
それはオリンピアの祭典の最も大事な宗教行事であるゼウス神への雄牛の捧げものが行われるからです。
近代オリンピックと本質的に異なる点はこのオリンピアの祭典は神に捧げられるものだという点があげられます。

朝からエリスの役職者たち、神官や預言者、審判団、着飾った100頭の牡牛とその曳き役、各国からの祭礼使節、選手、コーチ、選手の家族などが神域を一周します。

そうして、ゼウスの大祭壇に100頭の牡牛が喉をかき切られどんどんと解体されます。
大腿部がゼウスのために焼かれ、残った部位は晩餐会で食べられました。

午後は競技場で徒競走が行われます192.27メートルこの距離を全力疾走します。
スターティングブロックの溝に足の指をひっかけ、バネじかけ式のゲートが開くのと同時に一斉に走り出します。
走るフォームは現在と違い同じ足の側の手と足を同時に動かすものでした。
フライングしたものは審判団からムチで打たれました。

これらの競技が終わると夕方からは大宴会となり、招待客は迎賓館で宴が興され、それ以外の人たちにも祭壇に捧げられた肉を受け取ることができ、祭りを分かち合うことができました。
当時肉は貴重な食べ物でしたので、この肉を目当てに集まってくる人もいたそうです。

ガチンコに肉体がぶつかり合います

4日目の種目は格闘技と武装競争。

格闘技はレスリングとボクシングとパンクラティオンが行われました。

ボクシングにはリングはなく、ある程度近づかなければ注意を受けたそうで、次第に観客がのめりこんで大興奮になるとどんどんと前に進み出て、選手たちが否応なしに狭い空間で打ち合うようになることがあったようです。

ボクシングのグローブのようなものは存在しましたが、それは長さ30センチの革ひもをオリーブオイルなどで柔らかくして拳から手首にかけて巻きつけたもので、顔を守るためのグローブではなく、殴る指の関節を守るためのものでした。
ルールとしてはクリンチは禁止で、お互いの頭部を相手の戦意がなくなるまで叩き合いました。

パンクラティオンは噛みつきと目潰しだけが禁止の総合格闘技で、こちらも相手が降参するまで戦います。
この両競技はたびたび死者が出るほど危険なものでしたが、その分観客たちは大いに盛り上がりました。

武装競争は祭典最後の競技になります。
重曹歩兵の装いを装備してスタディオンを1往復走るものです。
特に修錬が必要な競技ではなく、ガチャガチャと音を鳴らしながら走る姿は滑稽で、たびたび詩や物語で揶揄されていました。

これにてすべての競技は終了し、夜は最後の宴とばかりに人々は楽しく宴会を楽しんだことでしょう。

古代オリンピックの終焉 5日目と終わり

古代オリンピックの終焉 5日目と終わり

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この瞬間を忘れない、表彰式

最終日は勝者をたたえる日です。
ゼウス神殿に入ると、象牙と黄金のテーブルに勝者の数だけオリーブの冠が用意されています。
冠は儀式のために選ばれた少年が黄金の鎌でゼウスの聖なる木から小枝を切り取って編んだものです。
オリンピア聖域にある聖なる森の西側にヘラクレスが植えたという木は厳重に柵で囲まれていました。

表彰式が始まるまで勝者の目印は松の小枝と腕に巻いた勝者のリボンでした。
入浴を済ませて身なりを整えた勝者たちは聖域の中でも最も神聖なゼウス像の前で名前を読み上げられ、頭にオリーブの冠を頂にのせられます。

表彰式を終えてゼウス神殿から出るとコーチや友人たちに担がれて音楽に合わせて花のシャワーの中、行進をしたそうです。

その瞬間は最も神に近付く瞬間でした。
その栄光は何十年何百年と語り継がれます。
一度その勝利の味を覚えたものはもう一度と思い、また4年後このゼウスの聖域へ足を踏み入れるための準備を始める者、引退して後継者を育てて再びこの地にくる者もいたのです。

こうして古代ギリシャ最大の祭典は閉会されました。

オリンピアの祭典の落日

こうして行われた古代オリンピックはヘレニズム時代をを経て、ギリシャがローマ帝国の一部となった後も続きました。
それはローマがギリシャ文化を積極的に導入していたからで、オリンピックも手厚い保護を受け、さらなる発展をしていきました。

中には暴君として知られたローマ皇帝ネロのように音楽や詩という競技を行わせ、自ら出場し優勝するという暴挙に出たものもいました。
しかも、戦車競技にも参加しましたが、すぐに転落してしまい完走することはなかったにも関わらず、優勝とされたと言われます。
また、すぐに皇帝ネロが出場したいがために無理に開催し、4年に1度の周期が1度だけ2年に1度になりました。
その後それを修正することができず、そのままその年から数えて4年に1度開催されるようになりました。

その後3世紀からのゲルマン人のペロポネソス半島侵入やキリスト教の隆盛により、ゼウス神の祭りであったオリンピックは次第にその勢いは衰えていき、392年のローマ皇帝が発令した異教徒祭祀の禁止令により、ついにその1200年に及ぶ歴史の幕を閉じたと言われています。

東京オリンピックに古代の息吹を探してみよう

さて、古代ギリシャ人が愛したオリンピアの祭典を彼らの文化や嗜好とご一緒にみてきましたがいかがだったでしょうか?

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、古代オリンピックはすべて個人戦で団体戦はありません。
それは個人の修錬と努力を神に見せるものだったからです。

このよう近代オリンピックは19世紀に復活された時には宗教的な意味合いはなく、スポーツで世界を結びつける動きから生まれたものでした。
そのため全く様相が違っていたかと思います。
しかしその中でもレスリングやトラック競技など伝統的に残っているものもあります。

2020年の東京オリンピックを楽しむ時、古代オリンピックや古代ギリシャへ思いをはせてもらえたらまた違った面白さになるのではないでしょうか。

そのきっかけになっていたらうれしく思います。

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