貝殻の形をしたフォルムが印象的な豪州のシンボル!シドニー・オペラハウスができるまでにはこんな苦労が…!

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はオーストラリアシドニー「オペラハウスの歴史」をご紹介します。

シドニーの青い空と青い海に映える20世紀の名建築

シドニーの青い空と青い海に映える20世紀の名建築

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シドニー湾に突き出た岬にある世界遺産のシドニー・オペラハウスは、セシル型の屋根が美しく360度どの角度から見ても躍動感がある表情で楽しませてくれる、20世紀の名建築といわれています。
同じく世界遺産のハーバー・ブリッジから見下ろすオペラハウスを見たり、フェリーでオペラハウス全体を眺めたり、シドニーの夜を一層華やかにライトアップされた姿も素敵です。
特に夜のライトアップは暗闇の中に白い貝殻が浮かび上がっているような幻想的な姿を見ることができます。

このオペラハウス建築に際し、世界的なコンペで選ばれたのは、デンマーク出身の建築家「ヨーン・ウッツォン氏」でした。
設計した建築物が生きているうちに世界遺産に登録されるという、栄光を手にしたのは彼が初めてとか。
建築史上最も困難な組み立て作業の後に完成したオペラハウスは、20世紀を代表するユニークなデザインとして、2007年にユネスコ世界遺産に登録されました。
今回は、オペラハウスが世界遺産になるまでの経緯や成り立ちに触れてみたいと思います。

オペラハウスができるまでオーストラリアの演劇界

オペラハウスができるまでオーストラリアの演劇界

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実は、このオペラハウスができるまでは、歌手たちが自国で歌を歌える環境がありませんでした。
オーストラリアに生まれ、音楽を自国で学んでもそれを披露する場がなく、海外に出向かなければなりませんでした。
そんな状況のもと、1956年には初の国家的オペラ・カンパニーの「オーストラリア・オペラ」を結成しました。
これは、ツアーを主とする団体として始まったのです。
しかし、他の主要都市を巡る前にモーツアルトによる4週間のシーズンを開き、その基盤が徐々にシドニーに置かれるようになりました。

1965年に世界的に有名になっていた、オーストラリア人歌手のジョーン・サザーランドが、自分が結成している演奏家たちと帰国し、公演を行いました。
大当たりし、これがオーストラリアのオペラに火を付け、オーストラリア・オペラと活動を共にするようになりました。
この流れからも分かる通り、オーストラリアでは、オペラハウスが必要となっていたのです。
1954年には、ニュー・サウスウェールズの総裁だった、J.J.ケイヒルがオペラハウスの建設計画と設計コンクールの概要を発表しました。

オペラハウスの始まり

オペラハウスの始まり

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新しいオペラ会場を作ろうという計画のもと、コンペには世界中から233点もの作品が集まりました。
栄光にも5000£を手にしたのは、当時無名の建築家だったデンマークのヨーン・ウッツォン氏です。
彼が選ばれた理由は、オーストラリアだけでなく全世界が驚くような彼の着想の独創性に感心したからでした。
実は彼の作品は一次選考で、「応募基準に合わない」と落選していたのです。
しかし、選考委員の一人エーロ・サーリネン氏の強い推薦を受けての復活でした。
その上、選ばれたのだから見事な逆転勝利だったんですね。

当初、建設費用は700£で3年もあれば完成するはずでしたが、実際に工事に入り完成した時には14年もの歳月が過ぎた1973年でした。
費用も1億200万$もかかっていたとか。
このオペラハウスには、オペラシアター、コンサートホール、ドラマシアターなど4つの劇場を持ち、レセプションホールや、レストラン、バー、図書館なども入った総合施設として誕生しています。
防音効果、音響効果、共に当時の最高技術を駆使しており、外観、内装、設備どれをとっても優秀としかいいようのないオペラハウスが誕生したのです。
現在は、クラシック、オペラ、ポップス、バレエなど多彩なパフォーマンスが行われています。

喧嘩別れによる、ウッツォンの全面撤退

喧嘩別れによる、ウッツォンの全面撤退

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ウッツォンと新しい政府の公共施設担当大臣の間で、1966年までに何度も喧嘩となり軋轢が生まれ、彼は仕事を放棄してしまいました。
外部はほぼ出来上がっていたのですが、内部は未完成でした。
オレンジ色で彩られた美しいフレームが、フランス製の壊れないガラスを支えるガラス壁の建設方法もウッツォンのデザインとは異なっています。
途中で投げ出すなんて、これからどうなるんでしょうね。

内部を完成させるために新たな建設家のグループが組まれました。
これにより、外部はウッツォンの設計で、内部は他のグループの作品へとオペラハウス建設は変更されました。
しかし、音響弱さで危機を招いてしまいます。
これは、コンサートホールをオペラハウスにし、オペラハウスをコンサートホールへとの逆転させることで解決したのです。
彼が設計していた背景の道具を上下させる機能は排除され、その機能が備わる場所にはレコーディング用のホールが作られました。

オペラハウスの内装の素晴らしさ

オペラハウスの内装の素晴らしさ

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コンクリートの外壁が完成した後に内装が作られたことから、建物の中に建物があるという奇妙な造りになっています。
これも途中で計画が変更されたことによるものです。
何といっても、見ておきたいのは、2679席が備わるコンサートホール。
完成までに10年かかったといわれる、壮麗なパイプオルガンは見る価値ありです。

運がよければ、リハーサルで弾かれる美しい音色を聴くことができます。
ジョーン・サザーランド・シアターでは、舞台が狭いこともあり、舞台軸がない代わりに奥でセットの入れ替えをする、オーケストラピットも見ることができます。
これらは、日本語ガイド付きのツアーが開催されており、これに参加するとオペラハウスがどうして世界遺産に選ばれたのかを学べるのでおすすめです。
また、ツアーのみでみることができる、北側ロビーのガラス壁からハーバード・ブリッジを望むこともできます。

完成したオペラハウス

完成したオペラハウス

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1973年10月20の杮落としは、エリザベス2世によって行われました。
当初は、少しの不安と大きな期待を持って開かれたようです。
この時の演目はベートーヴェンの第九でした。
8日後に最初のオペラ公演が行われています。
この時の演目は、サム・ワナメイカーが演出した、プロコフィエフ晩年の大作として有名な「戦争と平和」が演じられました。
イギリスの指揮者エドワード・ダウンズの指揮により、オペラ・カンパニーが演じています。

1988年にはオーストラリアの建国200周年を記念して、ベネロン・ポイントの西側に遊歩道が造られました。
1999年には5番目の劇場とされたプレイハウスが追加されています。
ウッツォンとの間で2000年にはオペラハウスの一部内装の再デザインが合意し、ウッツォンの当初の内装がレセプションホールに登場しました。
これまではウッツォンは、一切オペラハウスには手出しをせず、喧嘩別れしてから初めての起用でした。
これらの功績もあり、ウッツォンは2003年にオペラハウスの設計という功績が讃えられ、シドニー大学の名誉博士号を授与。
また、オーストラリアの勲章とシドニー市の鍵も同時に授与されました。

世界遺産に登録されたオペラハウス

世界遺産に登録されたオペラハウス

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最初の世界遺産への推薦は1981年の第5回世界遺産委員会です。
しかし、ICOMOSは消極的だったため、一端オーストラリアは推薦を取り下げています。
2007年に行われた、ニュージーランド・クライストチャーチで開催された31回の世界遺産選考委員会で、「人類の創造的才能を表現する傑作」という理由により登録されました。
これは建造物としては、最も新しい世界遺産になっています。

また、2009年より毎年冬には、南半球最大の光と音楽の祭典「ビビット・シドニー」が行われ、冬のシドニーを彩る風物詩となっています。
オペラハウスは、夏でも冬でも芸術など、楽しみ方も豊富です。
シドニーに行ったら必見の観光スポット、オペラハウスにぜひ、訪れてみてくださいね。

世界遺産のオペラハウスで、オーストラリアが誇るオペラを観賞してみませんか?

現在、オペラハウスでは毎年1600もの公演が催されており、世界トップクラスとなっています。
もちろん、世界的にも評価が高いオペラを満喫することができますよ。
ぜひ、素敵なパフォーマンスに酔いしれるひとときを、シドニー・オペラハウスで満喫してくださいね。
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