世界遺産「白神山地」の魅力と歴史。「役立たず」の森はいかにして世界的な山地になった?

今回のテーマは、「世界遺産・白神山地」です。「世界遺産」も「白神山地」も、社会の授業で習ったという方が多いことでしょう。しかし、世界遺産とは何でしょうか?なぜ世界遺産登録が重要なのでしょうか?そして、白神山地は何がどう価値を認められて世界遺産登録されたのでしょうか?白神山地にはどういった歴史があるのでしょうか?今回はこういった疑問にすべてお答えします!読み終えた頃には皆さんも「白神山地博士」になっているはずですよ。

今さら聞けない「世界遺産」について

 

今さら聞けない「世界遺産」について

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白神山地は「世界自然遺産」です

 

「世界遺産」という言葉を聞いたことのない方はいらっしゃらないと思います。
地球上の豊かな自然や歴史上の貴重な遺産を保護し、後世に残していくために登録されるものです。
1972年、ユネスコで採択された「世界遺産条約」という条約で定義されました。
2016年現在、全世界で1,052件の世界遺産が存在し、そのうち日本のものは20件となっています。

世界遺産には三種類あります。
人工物を対象とする「文化遺産」、自然物を対象とする「自然遺産」、その混合が「複合遺産」です。
日本には文化遺産16件、自然遺産4件、複合遺産0件があります。
白神山地は自然遺産です。
日本にある文化遺産の例としては奈良の法隆寺、原爆ドーム、「古都京都の文化財」などが挙げられます。
自然遺産は白神山地の他に屋久島、知床、小笠原諸島があります。
ちなみに複合遺産とは、自然遺産と文化遺産の登録基準をそれぞれ一つ以上満たした物件が対象です。
日本には存在しませんが、世界的に有名な複合遺産なのがペルーのマチュピチュですね。
インカ帝国の遺跡と周辺環境の景観がともに認められたことから複合遺産として登録されました。

世界遺産はどうやって選ばれるのか

 

国内と国外の両方で、世界遺産としてふさわしい「普遍的な価値」をアピールする必要があります。
ここで「普遍的な価値」と言っているのは、要するにいつの時代でも、誰が見ても、その物件の素晴らしさを認識できるという意味です。
もちろん個人の好みはありますが、確かに京都の神社仏閣や屋久島の屋久杉、もちろん白神山地の原生林はどれも迫力があり、価値を認めざるを得ませんよね。

白神山地のような大自然の場合、必ず問題になってくるのが開発と保護の兼ね合いです。
地元の人の利便性からすると、開発をどんどん進めて観光や耕作地・住宅地などに変えていくほうが、短期的な価値は上がるかもしれません。
こうした開発の波から自然を守り、受け継いでいく仕組みを作らなければ、世界遺産登録は遠い夢です。
日本の場合は、国が保護に乗り出し、世界遺産の推薦候補としてリストアップされることが世界遺産登録への第一歩となります。

こうしたリストに記載されている物件が「暫定リスト」として各国からユネスコに推薦され、ユネスコの委員会が審議を重ねて認められたものだけが世界遺産として登録されるのです。

「世界遺産」としての白神山地

 

「世界遺産」としての白神山地

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白神山地の評価ポイント

 

白神山地は秋田県と青森県の県境に存在し、屋久島・法隆寺・姫路城とともに日本で初めて登録された世界遺産です。
白神山地が最も評価されたのは、やはりその生態系でした。
白神山地の生態系で特筆すべきが、そのブナ林です。
詳細は次節でご説明しますが、ブナの原生林が白神山地ほど大規模に残っているのは世界的にも例のないことでした。
しかも、近代になるまで伐採の手を逃れることができたため、昔ながらの森の姿が現代にも受け継がれている、という意味でも大変貴重な森林だったのです。

さらに、ブナ林の恵みを受けて希少な生物が暮らしを営んでいます。
例えば、天然記念物に指定されている「クマゲラ」がその一種です。
クマゲラとは日本最大のキツツキで、身体全体がカラスのように真っ黒に覆われています。
鳥類以外にも昆虫が確認されているだけで2000種類以上、東北地方に生息するほとんどすべてのほ乳類(ニホンジカとイノシシ以外)など、多様な生態系が構築されています。
これも後述しますが、白神山地の調査・研究が本格的に始められたのはこの30年ほど。
あまりに森が広大で深いために、まだまだ分かっていないことが多いのが現状です。
ひょっとしたら、完全な新種が今後発見されるかもしれません。

後世に残していかないと「危険遺産」になってしまうかも…

 

白神山地は世界自然遺産に登録され、世界的に注目を集めることになりました。
また、日本政府もかなりの予算を投じて白神山地の森林保護や基礎研究に乗り出しています。
しかし、「世界遺産」ブランドのおかげで観光客が増え、ごみのポイ捨てやたき火などの問題がないわけではありません。
世界遺産に登録されたというのはゴールではなく、むしろ「未来永劫遺産を受け継いでいく」という終わりのないゴールに向けたスタートに過ぎないのです。

実際、世界遺産は抹消されたり「危機遺産」というリストに登録されたりすることがあります。
抹消された世界遺産の一つが、中東オマーンの「アラビアオリックスの保護区」というところです。
世界遺産登録後に保護計画が整備されるどころか、保護区の大幅な縮小やオマーン政府の開発優先の姿勢を根拠に登録抹消が決まりました。
抹消にまで至らなくても、保護計画の不備や難民の流入、武力衝突、疫病、農薬汚染などの要因によって「危機遺産」リストに入れられると、世界からプレッシャーがかけられることになります。
今のところ日本に抹消・危機遺産リスト入りの世界遺産は存在しませんが、開発圧力をかわしつつ自然を守り抜いていかなければならないわけです。

白神山地の魅力とは?

 

白神山地の魅力とは?

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世界最大級のブナ林

 

白神山地の全面積は13万ヘクタールもあります。
東京ドーム27,660個分にも当たる広大な山地のうち、1万7千ヘクタールが世界遺産として登録されている山林となっています。
それでも、ものすごく広大な土地であることはご理解いただけるはずです。
そして、白神山地の最大の魅力は、何と言っても世界最大級のブナ原生林!ただの「ブナ林」ではなく、「原生林である」というのが大きなポイントとなります。

原生林というのは、人間による伐採や植樹がほとんど行われていないということです。
ご存じのように、日本列島の中で人間の手の加わっていない森林などほとんどありません。
映画『もののけ姫』をご覧になったことのある方は何となく分かるかもしれませんが、近代以前から原生林の伐採は確実に進められてきました。
現在森林のように見えるもののほとんどが、伐採の進んだものであるか、伐採後に人工的な植樹が行われたかのどちらかです。

その点、白神山地は違います。
これも後述しますが、白神山地には人の手の加わりにくい理由が二つ存在していました。
この「二つの理由」によって、20世紀になるまでほとんど森林伐採が行われませんでした。
そのことが、白神山地を世界的に貴重な森林地帯にしたのです。

世界遺産に登山できる!

 

世界遺産だからと言って、白神山地は立ち入り禁止というわけではありません。
森林保護のために新たな歩道の設置はされませんが、既存の歩道を用いた登山は可能です。
ただし、既存の歩道も全く整備されていませんので、それなりに体力を必要とするルートではあります。
常に退却するための体力的な余裕を残した登山が求められますし、それを超えたルートであると判断したらすぐに退却する勇気を持たないといけません。

また、入山マナーが定められています。
当然のことながら決められたルート以外を登ってはいけませんし、ゴミのポイ捨てやたき火など環境に負荷をかけるような行為は一切禁止です。
全域が禁漁区に指定されているため、魚釣りをすることもできません。
トイレも一切ありません(入山前に済ませておくことが推奨されています)。

しかし、それらの制約を頭の中に入れておけば、白神山地ほど素晴らしい登山道は日本中どこを探してもないでしょう。
原生的な自然環境のもたらす神秘、緊張感、解放感…忘れられないくらい印象的な登山体験ができることはお約束します。

ブナ林のどこがすごいの?

 

ブナ林のどこがすごいの?

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ブナ林は恵みをもたらす

 

白神山地の代名詞とも言うべき「ブナの原生林」について、なぜ「原生林」が高い価値を持つのかについてはご説明しました。
では、「ブナ林」であることはこの地区にとってどのような意味を持っているのでしょうか。

日本の森林に多いのは、スギやヒノキなどといった針葉樹の植林地です。
これに対して、ブナは落葉広葉樹の一種に分類されます。
研究の結果、ブナのような落葉広葉樹の森は、針葉樹林にくらべて高い保水力を持っています。
土には落ちた葉っぱが積み上がっており、ミミズなどの動物が落ち葉を食べてやわらかくしています。
土にすき間が多くなるため、水をためやすくなります。
ブナ林は水源であり、ヨーロッパでは、ブナのことを「森の聖母」と呼んでいるほどです。

豊かできれいな水を吐き出すおかげで、多くの生物がその恩恵にあずかっています。
川の上流ではアユやイワナなどの魚を育て、下流では平野の農作物や飲料水として人間が利用しています。
沿岸の海藻類もブナ林由来のきれいな水で育ち、その海藻を海の魚が食べることから、間接的に漁業にも影響を与えています。
森~川~平野~海と、きわめて広い範囲の生き物が白神山地のブナ林の恵みを命の糧として生きているのです。

ブナ林は文化をもたらす

 

豊かな恵みをもたらすブナ林のおかげで、太古の昔から人間の文化が形成されていました。
明らかになっていないことも多いのですが、白神山地周辺からは多くの遺跡が発掘されています。
最も古いものは今から8,000年前、縄文時代の遺跡です。
前述の通り、ブナ林からわき出す水のおかげで海の幸に恵まれていたため、稲作伝来以前から人の定住が可能な土地でした。
魚や貝を中心に、クルミなどの木の実、ヤマイモやキノコ類などを採取して生活していました。

その後も記録にはほとんど残っていませんが、わずかに発見されている遺跡によって生活の痕跡の存在が分かっています。
江戸時代の「天明の飢饉」をはじめ、白神山地のある東北地方日本海側は冷害や飢饉に何度も襲われており、不作によって多くの餓死者を出しました。
しかし、白神山地ふもとの村々では、作物の収穫は少なくても、白神山地で採取した木の実や木の根、キノコなどを食べてなんとか生き延びることができました。
実際、東北の農村に多い餓死者に手向けられた「供養塔」というのがふもとの村にはないと言います。

ブナ林とマタギ

 

ブナ林とマタギ

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マタギとは何者?

 

白神山地の歴史を語る上で忘れてはいけないのが「マタギ」です。
マタギとは、北陸地方から北海道にかけて存在する狩猟集団で、ツキノワグマやカモシカ、ニホンジカなど大きな哺乳動物を狩猟することで生計を立てていました。
それぞれのマタギ集団は縄張りを持っており、独特なマタギ言葉を使って話をしていたそうです。
江戸時代の白神山地には、目屋(めや)マタギと呼ばれる人々がいたという記録があります。

マタギが狙っていたのは、大型哺乳動物の毛皮です。
北陸地方から北海道の地域は大変寒いですから、動物の毛皮は大変貴重な商品でした。
また、クマの胆のうは薬として珍重され、肉は山里の人々にとって大切なタンパク源でした。

今では数が少なくなったものの、マタギを職業としている人々は残っています。
冬から春先にかけて狩猟にいそしみ、その後は山菜採りや炭焼き、農業をなりわいとして生活しています。
昔から口伝で伝わってきた植物、動物、地理、天候、季節など白神山地の歴史について、マタギの人々は豊富な知識を有しています。
また、伝統的な慣習や信仰をとても大事にしています。

江戸時代以前から受け継がれるマタギの知恵と技

 

マタギと呼ばれる人々か歴史上いつからいたかということはよく分かっていません。
白神山地がはじめて書物に記録されたのは、江戸時代後期である18世紀後半から19世紀前半にかけて書かれた旅日記でしたが、そこにもマタギについてははっきりとは書かれていません。

マタギには文字の記録は存在しません。
山を歩くための地図やコンパスはありませんし、マタギ言葉を体系化した教科書があるわけでもありません。
生活の知恵を書いた書物は一切なしに、親から子へ、先輩から後輩へ口伝えだけであらゆる知恵を伝承してきました。
例えば、炊事や暖を取るために必要なたき火の知恵がその一つです。
火の付け方はほぼ決まっています。
最初に木の皮と油分の多く含まれる「クロモジ」という木の枝を重ねて火をつけ、その後は少しずつ太い枝を上にのせていきます。
完全に火がつくと太い生木を同じ向きで積み上げるだけです。
生木は水分が多いため火が簡単にはつきませんが、一度つくと火のもちがとてもよいために、一晩中火をつけていたい場合でもそんなに大量の薪を集める必要がありません。

江戸時代までの白神山地

 

江戸時代までの白神山地

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江戸時代後期までほぼ手つかず!

 

縄文時代から白神山地には人間が定住していました。
平安時代以降も人が居住していた痕跡は残っていますが、はっきりしたことは分かっていません。
少なくとも、白神山地の大部分は開墾もされず、乱伐も経験せず、山地のままであったと考えられています。

白神山地が歴史上初めて記録に表れるのは、前述の旅日記『菅江真澄遊覧記』です。
菅江真澄は旅行家であるとともに薬草学・医学・漢学など多方面の知識を持つ博物学者で、東北や北海道の広い地域を旅した際に見聞した庶民の風俗を旅日記に残しています。
同じく東北を旅して記録に残した人物として、有名な松尾芭蕉がいます。
しかし、彼の『奥の細道』があくまで紀行文であるのに対し、菅江真澄の旅日記は客観的な記録に徹しているため、むしろその時代の風物が克明に理解できるのです。

菅江真澄の旅日記には、白神山地の山奥で暮らす木こりたちの生活ぶりや、ブナを伐採して川に流し、下流へ運搬する仕事ぶりが記録されています。
人々が山とともに生きていたことは確かなようですが、あまり大規模な伐採は行われなかったようです。

白神山地の「使用価値」は低かった

 

ここには二点の理由があります。
第一に、白神山地が江戸(東京)や京都・大阪などの大都市から遠く離れていたことです。
白神山地は、秋田県と青森県の県境、本州の北端に存在しています。
また、主要な道や港からも距離があって、輸送には大きな困難がありました。
さらに言えば、白神山地の近隣には秋田すぎやヒノキなど、木材利用に適したすぐれた森林がたくさんありました。

第二に、ブナの木の使用価値は長い間それほど高くありませんでした。
シイタケ栽培には使うことができますが、木目が黒ずんでおり、乾燥させても曲がりやすいのです。
そのため、スギやヒノキ、ケヤキ、ナラなどといった他の木と比べて大規模に伐採するメリットもありませんでした。
他の地域では、使用価値の高いスギやヒノキに植え替えたり、開墾したりするためにブナ林は伐採の憂き目に遭いましたが、深い山奥に広がる白神山地にその手は伸びませんでした。

切ってもあまり高く売れないことで、20世紀の終わりになって「世界的に希少価値の高いブナの原生林」という評価を受けるようになったのですから、皮肉としか言いようがありません。
日本にはブナの原生林が他にもたくさんあったのですが、それらのほとんどは伐採され、他の木に切り替わってしまっているのです。

戦後に開発と管理が進行

 

戦後に開発と管理が進行

ブナ利用の技術が向上

 

第二次世界大戦中は、全国の森林が燃料や飛行機などの材料として乱伐され、荒れ放題になりました。
それでも、白神山地は輸送の手間もあって乱伐の対象となることはなかったのです。
それでも、戦後になってブナを利用するための技術が向上し、木材としての使用価値が見直されるようになってきました。
ブナ材の乾燥方法や利用の仕方が開発され、楽器や家具として使われるようになっていったのです。
1950年代以降の高度経済成長期になると、木材需要が増大したことから、全国各地で使い勝手のいいスギやヒノキなど針葉樹の人工造林が進められていきます(余談ですが、このことが今日の花粉症の流行をもたらしたわけですね)。
白神山地もその例外ではなく、一部落葉広葉樹林を伐採して針葉樹に植え替える取り組みが進んでいきました。

また、白神山地の周辺で伐採できるスギやヒノキ、ヒバなどの木がすでに少なくなってきていました。
こうしたことから、「最後の砦」である白神山地に残っていた広大なブナ原生林が伐採予定の対象としてピックアップされたのです。
産地の外側からは林道が新設され、じょじょに乱伐の危険が白神山地にも迫りつつありました。

1954年にはじめて「白神山地」という呼称へ

 

この地がはじめて「白神山地」という呼称へ定着したのは、1954年のことでした。
国土地理院発行の地勢図で「白神山地」と名付けられたことで名称が定着しましたが、それまでは「弘西山地」「西部山地」などと呼ばれていました。
それ以前の『菅江真澄遊覧記』には「白上」などと表記されています。
権力者にとってほとんど価値のない森林であったために、まともに管理の目が向けられていなかったことを象徴するエピソードと言えるでしょう。
地元住民以外には知られることのない森林でした。

しかし、白神山地の呼称が定着し、高度経済成長も落ち着いてくると、だんだん国や自治体の保護の手が入るようになりました。
1971年に林野庁が白神山地一帯を「水源かん養保安林」として指定し、翌1972年には「津軽十二湖自然休養林」として白神山地の国有林が提供されています。

ちょうど、全国各地でぜんそくや水俣病などの公害病が社会問題化していた時代でした。
他の地域に比べれば乱伐の手を免れていたとはいえ、ブナ林利用が進みつつあった白神山地でも、自然保護の気運が高まりつつありました。

林道開発計画と反対運動

 

林道開発計画と反対運動

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1978年の林道開発計画がきっかけ

 

ブナ林伐採の反対運動が巻き起こったのは、1978年に白神山地を貫く大規模な林道開発計画が発表されたことがきっかけでした。
1982年に秋田県・青森県双方から、少しずつ開発工事が開始されます。
この直前に、秋田県および青森県に対して着工中止の要望書が提出されていたものの、行政側にはほとんど考慮されることもありませんでした。

反対する立場の人々は、たった一本の林道開発計画に対して何を心配していたのでしょうか。
それは、ブナ林が支えてきた自然の「恵み」そのものが致命的に崩壊するのではないかと言うことです。
もともと白神山地は地盤が弱い地域でした。
そこに林道を通すことで地すべりが起きやすくなり、山崩れや雪崩、洪水などの災害につながるのではないかという危惧があったのです。
また、下流の農業や沿岸部の漁業にも影響が及ぶことが懸念されていました。
白神山地はただの「木」ではなく、人間を含めた生態系の拠り所に他なりません。
それを開発することは、こうした生態系を危機にさらすものであることに、反対運動の参加者たちはきづいていたわけです。

激しい反対運動で開発が中止に

 

反対運動は、最終的には計画の完全中止という結果に実を結びます。
そこに行き着くまでにはいくつものポイントがあったのですが、ここでは三点を指摘しておきたいと思います。
一つ目は、1983年に天然記念物クマゲラ(先ほどもご紹介しましたね)の生息がはじめて確認されたことです。
クマゲラは日本中の原生林やブナ林に生きる鳥ですが、開発の進展に伴って急速に姿を減らし、1965年に天然記念物指定されていました。
ブナ林かつ原生林である白神山地の森林にも生息していることは推測されていましたが、ちょうど林道開発計画が物議を醸す最中に発見されたことで、反対運動を活気づけることになりました。

二つ目が、ブナ林伐採と林道建設に反対する署名活動でした。
反対運動に参加する人々は、白神山地の下流の村々を回って開発計画による影響や白神山地の自然の価値の高さを説いて回ったと言います。
下流の人々も、すでに開始されていた伐採と林道建設工事によって飲料水が確保できなくなったり、アユが激減してしまったりしたことを見ていました。
その結果、13,000通もの反対署名が集まったのです。
この頃には、マスコミや国会でもこの反対運動が大きく取り上げられるようになっていました。
1986年に秋田県、1987年に青森県で工事が凍結されました。

三つ目が、1990年林野庁によって「森林生態系保護地域」に指定されたことです。
これによって白神山地は開発不可能な土地と成り、林道開発計画は打ち切られることが確定しました。

世界自然遺産登録へ

 

世界自然遺産登録へ

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「取り残された自然」の価値が認められる

 

地道な反対運動によって守られた白神山地の自然の価値が、行政側にも認識されるようになっていました。
1992年には、環境庁(現・環境省)が白神山地を「自然環境保全地域」に指定します。
自然環境保全法では、あくまで自然環境の保全が目的とされており、観光振興や人為的な利用は一切前提とされていません。
あくまで原生林としての森林を維持し、すぐれた自然環境を守り受け継いでいくために、厳しい利用制限をかけていくことが定められています。
長い間権力によって放置されてきた白神山地が、まさしく放置されてきたがゆえに、まれに見る価値を持った自然環境として国に認められた瞬間でした。

それとともに、日本初の「世界遺産」に認定する動きも進み始めます。
1972年にユネスコで採択されて以降、日本は長いこと世界遺産条約に批准していませんでした。
白神山地をはじめとした各地の自然保護運動にも影響され、国は自然の保護に舵を切ります。
1992年に先進国では最も遅く同条約に批准したことで、「世界で認められるべき自然環境の日本代表」として白神山地が推薦されたのです。

日本初の世界遺産登録!

 

その後、専門的な諮問機関の現地調査を行い、翌1993年12月にコロンビアでかい際された世界遺産委員会において、白神山地を世界遺産リストに登録することが決定しました。
自然保護運動やブナ林などに関心のある人しか知らなかった白神山地は、世界遺産登録によって日本のみならず世界的な注目を浴びる森林地帯へステップアップしたのです。
世界遺産登録から2年経過した1995年、環境省や林野庁、文化庁、青森県、秋田県は、保護事業の推進に向けた基本方針を「白神山地世界遺産地域管理計画」として策定しました。
白神山地は、自治体や各省庁の枠を超えて長く保護されることとなりました。

ただし、その過程でひずみも出てきています。
2004年、白神山地のほとんどが「鳥獣保護区」に指定されました。
これは、保護区域内における動物の狩猟を実質的に禁止するものです。
これによって、昔から哺乳動物を狩猟し、皮や肉、胆を利用して生計を立ててきたマタギの伝統が失われることになりました。

また、訪れる人が増えたことで、地中の土壌生物がダメージを受け、土壌が硬くなってしまうことが不安視されています。
そうすると土の保水力が落ち、川や下流の水資源、沿岸部に影響を与える可能性があります。

白神山地の未来

 

白神山地の未来

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登山道の整備はあまりされていない

 

世界遺産に登録され、今後もブナの原生林を原生状態のまま保存していくことが既定路線となっている現在、登山道や遊歩道が一般向けに整備された場所はほとんどありません。
保護地域指定以前に設置された道や、それこそ大昔からひそかに使用されてきたマタギたちの「マタギ道」などがあるだけです。
それらも、周りのやぶと同化して見分けがつかない状態になっていると言います。
正直なところ、白神山地には美しい動植物や雄大な景色を眺められる場所はあまりありません。
そうした場所は、広大な白神山地の中でも道の通らない原生林にあって、一般的な方法ではたどり着くことができません

しかし、それくらい厳しく管理・制限しなければ、貴重な原生林を守り抜くことは難しいということです。
そこまでしても、増加した観光客の衣服や靴にくっついて、帰化植物の種が白神山地の核心地域で増え始めています。
また、これだけ動植物の採取が禁止されているにもかかわらず、渓流のあちこちで釣り人の痕跡(ゴミやたき火)などが残されているとも言います。
人やものの出入りを完全に管理することはできないのです。

森の本格的な調査・研究はこれから

 

はじめて本格的に白神山地の生態系が調査・研究の対象になったのも、国が森林保護に傾き始めた1980年代の後半になってからでした。
それから30年で分かったことも多くありますが、13万ヘクタールにもおよぶ広大な土地ゆえに、まだまだ調べ切れていないことや不明な点も数多く残されています。
たとえば、最も基礎的なデータである「白神山地全体のブナの量」や、その生長の仕組みなどについては分かっていません。
また、気象観測データも白神山地に関しては一切ありません。
そうした意味で、本格的な調査・研究はこれからの大きな課題です。
データを集める過程で、森を守るための方策もアップデートされていくことでしょう。

また、これまで人がほとんど立ち入ることができなかった核心地域で、新種の生物が発見される可能性もあります。
実際に、1997年にはパン作りに応用できる新しい酵母菌が発見されました。
通常の酵母に比べて低温に強く、発酵力にも優れていることから、パン作りに広く利用されるようになりました。

長いこと放っておかれた「役立たずの森」は、20世紀末になって「かけがえのない森」として世界に認められるようになりました。
後世まで守り抜いていくことは、日本に済む私たちの使命と言えるでしょう。

神秘の森・白神山地で自然の「オーラ」を感じよう!

 

白神山地は、屋久島や京都・奈良などといったほかの世界遺産地区に比べ、観光地化が進んでいない(これからも進まないであろう)地域です。
少し行くのに不便ではありますが、その分森林の雄大さや神秘が残されているとも言えます。
ぜひ一度、体調と準備を万全に整えて訪れてみていただきたいと思います。
かつての菅江真澄のように、何度も訪れたくなるような「オーラ」を持ったところですよ。
人生観が変わるような経験ができるかもしれませんね。
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