実は美女ではなかったクレオパトラ!?王として、女として生きた彼女の波乱の人生

公開日:2019/2/3 更新日:2020/2/3

カエサルとの運命の出会い

エジプトへ逃げたポンペイウスを討つためにやって来たカエサルですが、当のエジプトではクレオパトラとその弟が内戦中でした。
エジプトに貸しを作るチャンスと見たカエサルは両者に和解を提案します。
これに対して先に反応したのは、クレオパトラでした。

自分を寝具の袋(もしくは絨毯とも)にくるませて、贈り物だと言ってカエサルの元に届けさせたのです。
当時、エジプトでは絨毯にくるんでわいろを贈る習慣があったといいます。
つまり、クレオパトラ自身をカエサルに捧げるという意味があったのかもしれません。
なんともドキッとする話ですよね。

絨毯から転がり出たクレオパトラに、カエサルはたちまち魅了されてしまいました。
一説にはその美貌に参ってしまったとも言われていますが、彼女の知性や話術も大きな要素だったそうですよ。

以後、二人は愛人関係となります。
この時、クレオパトラ21歳、カエサル52歳でした。
究極の年の差カップルの誕生です。

カエサルの提案によって一応の和解をしたクレオパトラと弟プトレマイオス13世でしたが、すぐにそれも破綻します。
カエサルがクレオパトラに肩入れしていると反感を抱いたプトレマイオス13世と、それに妹アルシノエ4世も加わり、カエサルへ攻撃を仕掛けたのでした。
これがナイル川の戦いといいます。

結果はカエサル(ローマ側)の圧勝に終わり、プトレマイオス13世は逃亡後ナイル川に身を投げ、アルシノエ4世は捕虜となりローマへ送られて幽閉生活となったのでした。

残ったのはクレオパトラ。
彼女は情勢を見極め、見事ファラオへ返り咲いたのです。

カエサルとの蜜月、そして永遠の別れ

内戦の終了後、クレオパトラはもう一人の弟プトレマイオス14世と結婚し、再び共同統治を開始しました。
しかし実際は、彼女はカエサルの愛人であったため、エジプトの実質的な支配者はカエサルでした。
カエサルは数ヶ月間エジプトに滞在し、その間に2人はナイル川を旅してプライベートな時間を満喫しています。
そして前47年には2人の間にカエサリオンという男の子が生まれました(カエサルの子ではないという説もあり)。

前46年にはカエサルはローマに凱旋し、凱旋式を行って終身独裁官となります。
つまり、ほぼ皇帝のような地位に就いたわけです。
この時、クレオパトラはカエサリオンとローマを訪問、滞在していました。

ところが、強大な権限を手にしたカエサルに対して、危機感を持つ勢力もいました。
これまでローマは議員による共和政だったので、そのシステムが根本からくつがえされてしまうかもしれないという事態だったのですね。
そして、前44年、会議の場でカエサルは暗殺されてしまったのです。

後ろ盾を失ったクレオパトラは、息子を連れてエジプトに帰国しました。
この時、弟プトレマイオス14世が亡くなり(クレオパトラによる毒殺という説もあり)、彼女は息子を共同統治者に据え、再び女王として君臨することとなったのです。

次の男・アントニウスとの出会い

カエサルの死後、後継者のオクタヴィアヌスやカエサルの部下の武将アントニウス、カエサル副官のレピドゥスらによってローマの政治は運営されていました。
しかしこの時、クレオパトラは何と、彼らに対立する勢力を支援しています。
つまり、カエサルを暗殺した勢力を、です。
こういうところは女性としてよりも一国の王として国の利害を考えていたのかもしれません。

しかし、結果としてクレオパトラが支援した勢力はオクタヴィアヌスとアントニウスに敗北し、彼女はアントニウスの元に出頭することとなりました。

その場で、彼女はまたも相手を魅了したのです。

美の女神アフロディーテのように着飾り、衣服と身体に香を焚きしめた彼女は、アントニウスを宴に招待し、あっという間に彼を虜にしてしまいました。

しかし、ただ男性を魅了するだけでは終わりません。
彼女は王としての冷酷さを発揮し、アントニウスに頼んで、ローマによって幽閉されていた妹アルシノエ4世を殺させたのです。
アルシノエ4世は、アントニウスの領土内で幽閉生活を送っていたので、殺すのは簡単でした。

アントニウスとの生活を始めたクレオパトラは、やがて男女の双子と男子、3人の子供をもうけました。
実はアントニウスは既婚者で、しかもその相手はオクタヴィアヌスの姉だったのですが、やがて離婚しています。
そしてアントニウスはクレオパトラの援助を受けて東方(ペルシア)方面へ遠征を行い、成功をおさめました。

彼はクレオパトラにのめり込んでおり、もう彼女なしでの生活は考えられなくなっていたのです。

クレオパトラの見込み違い:アントニウスの没落

東方遠征の成功による凱旋式を、アントニウスはエジプトで行いました。
本来なら凱旋式はローマで行うものですから、ローマ市民はアントニウスに失望し、同時に彼を骨抜きにしたクレオパトラに反感を抱いたのです。
そのため、彼らの心はオクタヴィアヌス寄りになっていきました。
加えて、アントニウスはオクタヴィアヌスの姉でもある自分の妻を離縁し、自分の領土はクレオパトラたちへ無断で分け与えてしまったのです。

これは、権力を狙うオクタヴィアヌスにとって絶好のチャンスとなりました。
そして彼はアントニウスとクレオパトラに宣戦布告し、両勢力がぶつかったのです。

これがアクティウムの海戦ですが、結果はアントニウス・クレオパトラ連合軍の敗北でした。
戦場でまずクレオパトラが離脱し、アントニウスがそれを見てすぐに後を追ったため、指揮官を失った軍はどうしようもなくなってしまったのでした。

エジプト付近へ逃亡した2人は、体勢を立て直して再び決戦を挑むも失敗します。
そのため、クレオパトラはオクタヴィアヌスを懐柔しようとしますが、これも失敗してしまいました。

そして、アントニウスはクレオパトラ死去の誤報を聞き、絶望して自殺を図ります。
それを知ったクレオパトラの元に連れてこられた時はすでに瀕死の状態で、やがて彼は息を引き取りました。
クレオパトラは今度こそ、正念場を迎えたのです。

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