江戸時代の最悪の法「生類憐れみの令」ってなぜおきたの?真実は?

公開日:2020/3/6 更新日:2020/3/6

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「生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)」というのは、江戸時代の五代将軍である「徳川綱吉(とくがわつなよし)」の時代に発令されたものです。

学校の歴史の授業では「跡取りの徳松が幼くして死んだために、子授けのご祈祷をしてもなかなかできず、綱吉が戌年生れだから、生き物の中でも特に犬を愛護したら子も授かるというお坊さんの言葉にしたがってくだされた」と習います。教科書なのでザックリしてますが、これで子供たちは「とんでもない法律だ」「この将軍頭おかしいんじゃないの?」と刷り込まれます。そして「これはとんでもない暗黒時代だ」と思います。

はたして、この法律は本当はどんな法律だったのでしょうか?

そして、この時代は暗黒時代だったのでしょうか?

そこで、この時代はどんな時代だったのか、そして法律の真実を調べていきたいと思います。

五代将軍・徳川綱吉の時代は暗黒時代?

「徳川家康」からはじまった江戸幕府。
「二代将軍・秀忠(ひでただ)」「三代将軍・家光(いえみつ)」を経て、幕藩体制はようやく盤石なものとなりました。

平和になったことから「武断政治」から「文治政治」へと移って、新田開発によって農具などの改良がされて生産力が増えたり、それによって物の流通が盛んになり貨幣経済が発展していきます。
経済が安定してきたので、一般市民の人達から生まれた「町人文化」も花開いていきます。

あれ? 暗黒時代とはほど遠いものを感じるのですが?

生い立ちと性格

徳川綱吉は、三代将軍・家光の四男として生まれます。
父親の家光から、後に将軍となる兄を助けてていくために「儒学」をたたき込まれます。
これが後に争いごとを嫌い「文治政治」の礎になったといわれています。

1651年、家光が亡くなり、長兄の「家綱(いえつな)」が四代将軍となりました。
この時に元服して家綱の「綱」の字をもらって「綱吉」となります。
1680年、家綱に子供が生まれなかったために(次兄はすでに死亡)跡継ぎに迎えられて、その年に家綱が亡くなったために将軍になりました。

とても学問が大好きで、特に儒学の講義を自らするくらいの秀才でもあり、今も殘る孔子廟の「湯島聖堂(ゆしませいどう)」を作っています。
そして殺伐とした軍事力で治める政治を嫌い、徳を重んじる文治政治を推し進めていきました。

儒学の影響で「尊皇」の気持ちが一番強かった将軍ともいわれていて、朝廷への支援や歴代天皇の御陵(お墓)の修復なども行っています。
他にも「大名の改易(罰として身分を平民にして財産没収する)の減少」「法令・制度の整備」「儀礼の尊重」「人民教化の重視」「学芸の振興」なども行っていて、「前半」は善政として「天和の治」と讃えられるほどのものだったのです。

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