江戸時代の最悪の法「生類憐れみの令」ってなぜおきたの?真実は?

公開日:2020/3/6 更新日:2020/3/6

トラベルパートナー:在住トラベルパートナー

綱吉人気を一気に落とした「忠臣蔵」の真実

年末になると「またか」と思われる人も多い「忠臣蔵」。
この「赤穂浪士討ち入り事件」は綱吉の時代に起りました。
ドラマや映画や小説だと赤穂浪士をヒーローにして描かれていますが、真実はどうなんでしょうか?

天皇や上皇から幕府に天皇からの使者が来ることがあります。

そこで順番に接待役というのが各藩に割り当てられます。
この時は赤穂藩の「浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)」。
幕府が恥をかいては困るので朝廷との繋がりが深い「髙家(こうけ)」と呼ばれる人が指導に当たります。
この時は「吉良上野介(きらこうずけのすけ)」。

最初の出会いが最悪でした。
指導を受けるのだからお礼(レッスン代)を払わなければなりません。
どうやら、普通より少額だったようです。
もうこの時点で「この田舎侍」と思っていたかもしれませんが、なにせ幕府が恥をかかないようにするのが大事なので厳しく指導します。
どうも浅野はイジメだと思っていたそうで、キレてこともあろうか使者が来た日に「松の廊下」で吉良に斬りつけます。

そんな大事な日に恥をかかされて、おまけに刃傷沙汰禁止の江戸城内で指南役の老人を斬りつけたということで、綱吉は怒り浅野を即日処罰します。
しかし赤穂藩士たちは吉良になにも処分がなかったために「喧嘩両成敗じゃないのか!」と怒りだして(これは一方的に斬りつけたので喧嘩じゃないと思いますが)数年後に47人の元藩士たちが吉良邸に討ち入りして吉良を殺害してしまいました。

庶民は「今時珍しい殿様の敵討ちって武士らしくていい!忠臣だ!」と大絶賛したという話です。
世論もあって幕府は武士らしく切腹することを言い渡しましたが、綱吉の人気は一気に落ちたとのことでした。

余談ですが、切腹を申し渡されたものの、実際のところ自ら切腹することができず「扇腹」といって扇をお腹に当てたのを合図に介錯したという話とのことです。

はてさて、この事件、一番悪いのは誰なのでしょうか?

次のページ
生類憐れみの令は、本当のところなんなのでしょう? >>