歴史上唯一正しい戦争?奴隷が命を懸けて対抗した「スパルタクスの反乱」

イタリアローマ帝国時代、奴隷たちの命を懸けた戦いが行われていたことは有名ですね。そこで戦いを繰り広げた力の強い奴隷たちが、起こした反乱ってどんなものだったか気になりませんか?今回は、イタリアで起こったスパルタクスの反乱をご紹介したいと思います。

反乱の指導者スパルタクスってどんな人?

スパルタクスの反乱=第三次奴隷戦争の指導者スパルタクスは、ローマの剣闘士。
剣闘士といえばカッコいいですが奴隷の中でも一番下層な存在で、戦いに勝てば生きられる、でも負ければ命はないという日々を過ごしていました。
皇帝たちは自分の地位が高いことを誇示する一つの方法として、この剣闘士の戦いを見世物として市民の支持を得ていたのです。
彼は金髪の白人でマッチョマンでした。
彼は、トロイ戦争にも登場した勇敢な騎馬戦士といわれたトラキア人の剣闘士奴隷です。
彼はかつてイタリア半島南部の重要都市であったカプアの剣闘士養成所に属していました。
彼の戦い方の特徴は、敵の攻撃を受けた上で一発逆転に出るというとってもカッコいい勝ち方をしていました。
しかも、相手に殴られる時は、力を溜めていることをうかがわせる笑みさえ浮かべており、その姿は恐怖さえ感じていたようです。
命の戦いの場で余裕を見せるほど彼が強かったということでしょう。

スパルタクスの反乱に至るまで

ローマ共和政期に起きた「スパルタクスの反乱」を簡単に説明すると、コロッセウムで繰り広げられた映画『ベン・ハー』が、南イタリアで起こっていたといったらいいでしょうか?実は、紀元前73~71年に起こったもので、ローマ史上最大の奴隷反乱といわれているんです。
当時、この勇気ある奴隷たちの蜂起は、ローマ社会に大きな衝撃を与えました。
スパルタクスの反乱は、どうやって始まったんでしょうね。
当時、スパルタクスがいたカプアの剣闘士学校には、戦い方や技術を叩き込むため剣奴が集められていました。
このような施設はイタリアにたくさんあったんですよ。
スパルタクスが、他の奴隷たちに「見世物にされて殺されるより、自分たちのために戦おう」と働きかけ約200人が脱走しました。
脱走に成功したのは78人ほどでした。
スパルタクスは、才能があり弁も立つ人物で奴隷たちの中でも信頼が厚かったようです。

脱走に成功した奴隷たちとローマ軍

逃げ出した奴隷たちはスパルタクスの指揮のもと、ヴェスヴィオ山に逃げ込みました。
途中であった馬車から、鎧や武器を奪い去っています。
イタリア全土の奴隷階級に反乱を呼びかけていたことから、山には他の奴隷たちも集まっていました。
一方ローマ元老院は「奴隷が集まって問題を起こしそうだ鎮圧しろ」とグラベルに命を下しました。
でも、グラベルが率いるローマ軍は、「ただの奴隷の集まりだ。
山になんて立てこもってバカだなぁ。
山で餓死するのを待とう」と軽く考えていました。
そして、山へと通じる一本道を封鎖して奴隷たちが降伏して降りてくるのを待っていました。
奴隷たちは思いのほか、知恵を身に付けていたのです。
手にした武器を巧みに使い、山にある蔦や木々で作った道具を使って戦うことを考えていました。
グラベル軍の背後の崖から、武器や道具を巧みに使い襲い掛かったのです。
なんと、スパルタクスたち奴隷が勝っちました。

止まらない奴隷軍の反乱

ここで焦ったのはローマ元老院。
あれ?奴ら強いぞ!しかも巨大化してしまった。
これはもはや戦争だ!奴隷なんかに負けるわけにはいかん。
ここで法令館プブリウス・ウァリニウス率いる反乱討伐軍が編成されました。
彼はフーリウスとコッシニウスの2人を大将とし戦争に挑みました。
ここでも奴隷軍は強かったのです。
簡単にプブリウスの攻撃をはねのけ勝利。
この戦争で、コッシニウスは戦士。
ウァリニウスは捕らわれてしまいました。
奴隷軍はローマ軍の装備を着手し、ますます強くなったのです。
また、ローマに勝利したスパルタクスの噂は広まり、奴隷軍は一気に総勢7万人にまで膨れ上がったといわれています。
この中には地方の牧場などで働く奴隷などもいたようです。
スパルタクス率いる奴隷軍の快進撃は収まらず、南イタリアから北上する先々で奴隷たちを助け出しどんどん仲間を増やしていきました。
彼らの全盛期には12~20万人、最後には30万人以上に膨れ上がっていました。
剣闘士から始まったこの蜂起は牧人奴隷、農業や家内奴隷、手工業奴隷などにも広がりました。
驚くことにローマ軍団からの逃亡者もこの中に加わっていました。

アルプスを越えても躍進する奴隷軍

戦って奪った武装や甲冑など装備が揃ったことで一段と強くなり士気も高まった奴隷軍たちは、アルプスを越えて奴隷仲間と合流しようと計画を立てました。
さらに北上を決め、彼らは仲間を増やすことには成功しましたが、南イタリアと違い食料を調達するのにとても苦労するようになりました。
アルプスを越える中で雪が降りはじめ、苛酷な状況に脱落者が続出する始末でした。
このような状態の時に、追い打ちを懸けるように、スパルタクスの故郷トラキアがルクルス率いるローマ軍によって陥落したと聞き、アルプス越えを強行する意味もなくなりました。
そこで奴隷軍は食料の豊富なシチリアを目指して進軍しています。
ここでも、ローマ軍は迎撃作戦に出ましたが、奴隷軍は難なくクリアしました。

もう負けられないローマ軍の攻撃

ローマ元老院はもう負けられないと、今度は金にものをいわせて戦う作戦に出ました。
討伐司令官の中に超大金持ちのクラッススがいました。
彼を討伐軍の長に任命し、6軍団を与えました。
軍団の費用はクラッススが全て賄ったといわれています。
というのも、大敗続きでローマ元老院には、軍費を出す余力さえなかったのです。
しかし、このクラッススも奴隷軍の強さを侮っていました。
それもそのはず奴隷軍は、海賊たちとも仲良くなり武器などを買い占めて一段と強力な軍団となっていました。
クラッススはこれも目の当たりにし、奴隷軍との直接対決を避けたのです。
元老院に、ポンペイウスとルクルスを遠征から帰還させるよう要請しました。
彼ら遠征軍から帰還するまで時間を稼ぎながら、奴隷軍とミトリダテスの中をクレタの海賊を手なずけ引き裂きました。
それだけでなく、南イタリアの奴隷たちには市民権を与え奴隷軍に味方しなくてもよいように手をまわしました。
かなりの能力作戦ですね!

スパルタクスの反乱の集結

知らない間に、奴隷軍の見方はキリキアの海賊だけになってしまいました。
クルッススは奴隷軍たちを半島に閉じ込めてしまうことを密かに狙っていたのです。
それを知らない奴隷軍は、キリキアの海賊たちと約束通りシチリアに送ってもらうことを優先しました。
レギウム(レッジョ)に奴隷軍が着いたころには、海賊たちはローマ軍に買収されており、キリキアの海賊にも裏切られ船は一隻も用意できませんでした。
いかだで渡ろうとするもローマ軍により攻撃され失敗に終わります。
半島にどうしても閉じ込めたかったクラッススは、長さ55キロメートルに渡る城壁を造りました。
シチリアに渡れなくなった奴隷軍は、南下を決意。
しかしここで、スペインからポンペイウスの遠征軍が帰還。
もうこうなったら戦うしかないとスパルタクスは、「勝てば馬は幾らでも手に入る。
負ければもう必要ない」と奴隷軍の士気を高め戦いに挑みましたが、最終的には奴隷軍の大敗。
スパルタクスは惨殺されました。
しかし、ここまでよくやったと、誉めてあげたいものですね。
反乱をすぐに終わらせていればよかったのかもしれませんが、剣闘士でいても反乱を続けても先には死しかなかったスパルタクスの悲しい運命を思うと心が痛みますね。

自由を求めて戦った「スパルタクス」の名は今も英雄として語り継がれています

歴史上唯一の「正しい戦争」だったと評価されている、スパルタクスの反乱は苛酷な運命を背負わされた奴隷たちが奴隷という理不尽な扱いから逃れたいとの一心で起こした反乱です。
自由気ままに生きていられる私たちの今も、このような歴史が支えてくれたものではないでしょうか?

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