観光する前に知りたい!神秘のパワースポット「清明神社」の歴史と見どころ

公開日:2020/3/5 更新日:2020/3/5

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「安倍晴明」。一度は名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?平安時代の有名な陰陽師です。この安倍晴明をお祀りした神社が京都の一条戻橋にある「清明神社」です。最近は、神社で御朱印を書いてもらうことがブームになっていますが、この清明神社の御朱印帳はとってもクールで有名!今回は、清明神社の歴史と安倍晴明の謎に迫っていきたいと思います。
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清明神社とは

清明神社の歴史

晴明神社は、京都市上京区京都市晴明町にある神社です。
平安時代の有名な陰陽師であった安倍晴明を祀っています。
一条戻橋のたもとにあったと言われる安倍晴明の屋敷跡に鎮座しています。
1005年に安倍晴明が亡くなると、当時の天皇であった一条天皇は、安倍清明の遺業を賛えて、1007年(寛弘4年)に安倍晴明の屋敷跡に神社を創建したのが始まりと言われています。
当時の清明神社の境内は、とても広大で東は堀川通り・西は黒門通り・北は元誓願寺通り・南は中立売通りまで続いていたと言われています。
しかし、応仁の乱をはじめとする度重なる戦火や豊臣秀吉が行った都市整備などにより次第に規模は縮小し、清明神社の社殿も荒れていきました。
幕末以後、清明神社の氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われ、1950年(昭和25年)に堀川通に面するように境内社地が拡張されました。

平成になると、「陰陽師・安倍清明」は小説や映画などで注目を浴びるようになり、この清明神社には、全国から参拝者が訪れるようになりました。
2005年(平成17年)には、祭神である安倍清明の没後1000年となったことから、安倍晴明千年祭が開催されました。
また、こちらの宮司さんの占いは、当たると大変有名で全国から多くの相談者の方が来ていることでも知られています。

祭神 安倍晴明

安倍晴明とは、平安時代の稀代の陰陽師。
最近では、夢枕獏氏による小説『陰陽師』やそれをもとにした映画で人気の狂言師野村萬斎氏が安倍晴明を演じたり、フィギュアで羽生結弦氏がフリーの演目で安倍晴明に扮したことからも高い人気が伺えます。
安倍晴明は、鎌倉時代から明治時代の初めまで占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署であった陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。
921年(延喜21年)に、摂津国阿倍野(現在の大阪市阿倍野区)に生まれたと言われています。
生地については、奈良県桜井市安倍とする言い伝えもありますが真偽はわかっていません。
幼少の頃については確かな記録が残っていませんが、陰陽師である賀茂忠行(かものただゆき)・保憲(やすのり)父子に陰陽道を学んで、天文道を伝授されたという説が有力です。

948年(天暦2年)に平安時代の官職の一つであった大舎人になります。
960年(天徳4年)に40歳で陰陽寮に所属して、天文博士から天文道を学ぶ学生である天文得業生となります。
少し遅い出世でしたが、50歳前後に陰陽寮に設置された教官である天文博士に任ぜられます。
977年(貞元2年)に賀茂保憲が亡くなった頃から陰陽道内で頭角を現してくることになります。

979年(天元2年)には、59歳で安倍晴明は当時の皇太子であった師貞親王の命で那智山の天狗を封ずる儀式を行ったり、この師貞親王(後の花山天皇)の信頼を得たようで、当時の記録にはしばしば安倍晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が残っています。
その後も、一条天皇や栄華を誇った藤原道長の信頼を集めるようになり、藤原道長の日記『御堂関白記』などに安倍晴明の記録が残されています。
そのほかにも『小右記』によると、一条天皇が急な病に侵された際には、安倍晴明が禊(みそぎ)をおこなうと病はたちまちに回復し、安倍晴明は正五位上に昇進。
また、『御堂関白記』によると、1004年(寛弘元年)には、深刻な干ばつが続いたため安倍晴明が、雨乞いの五龍祭という儀式を行ったところ、直に雨が降りはじめたなど、様々な伝説や伝承が残っています。

稀代の陰陽師として名声を極めた安倍晴明は、天文道で養った計算能力を活かして、中央財政の収支計算(歳入・歳出・予算・決算)などを行う主計寮に異動します。
その後、左京権大夫・穀倉院別当・播磨守などといった官職を歴任して、位階は従四位下まで昇りました。
安倍晴明の2人の息子・安倍吉昌と安倍吉平は、天文博士・陰陽助に任ぜられ、安倍一族はは安倍晴明一代の間に師であった加茂忠行の賀茂一族と並ぶ陰陽道の家としての地位を確立したのです。

安倍晴明は、6代もの天皇に仕え、当時の天文暦学から独特の“陰陽道”を確立させ確固たる地位を築き上げた偉大な陰陽師だったのですね。

珍しい神紋!晴明桔梗印

五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として古くから伝わっています。
清明神社の神紋はこの五芒星で「晴明桔梗印」と呼ばれています。
通常の神社では、鳥居の額には、神社名や祭神名が掲げることが多いのですが、清明神社では金色に輝く神紋である「晴明桔梗」が掲げられており、とても珍しいと言われています。
安倍晴明は、陰陽五行・天文に陰陽師として精通していました。
陰陽道では、この五芒星、星形は魔除けの呪符として伝えられています。
陰陽道の基本概念と言われている陰陽五行説。
すなわち陰陽五行の思想とは、自然界は木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)の5つの要素で成り立っているというもので、この5つの要素が循環することによって万物が生成され自然界が構成されていると考えです。
この木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を五芒星は表したものであり、五芒星はあらゆる魔除けの呪符とされ重宝されました。
晴明神社では本殿を始め、この紋をいたるところで見ることができます。
天地五行(木・火・土・金・水)を形どっており、宇宙万物の除災、清浄をあらわしているとされています。
境内の至る所に見かけることができるので、行かれる方は、隠れ清明桔梗印をぜひ探してみて下さいね。

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