ハンガリー観光なら次はここ!「ヴィシェグラード」で見たい絶景10選

ヴィシェグラードは、ドナウ川に面するハンガリー北部の町です。13世紀半ばに再建された小高い丘の上に建つヴィシェグラード城は現在でもその一部が残っています。

丘の頂に建つヴィシェグラード城

丘の頂に建つヴィシェグラード城

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ドナウ川が大きく流れを変える手前の小高い丘の頂にある要塞風の古い城です。
城は4世紀頃に古代ローマ帝国の属州であったパンノニアに住み着いた部族が砦を築いたことに始まります。
9世紀になると砦跡にスラヴ人が住み着いて新たな砦を建てました。
スラヴ語の高い城を意味するヴィシェグラードが城の名前となって今日まで残っています。

城へたどり着くのに徒歩で1時間

城へたどり着くのに徒歩で1時間

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周囲には町らしきものはなく、ドナウ河畔には発掘作業が続いている王宮跡と頑丈そうな門塔、そして高台にはこの古城がそそり立っているだけです。
城へ登るには徒歩では1時間程かかります。
タクシーなど車を使っても途中で降ろされてしまいます。
城へ到達するにはそこから石段を上がり、さらに登って行かなければなりません。
中世の時代にこの城を攻めるのは容易ではなかったと考えられます。

弧を描いて流れるドナウ川

弧を描いて流れるドナウ川

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城までたどり着くと真下に雄大な風景が開けています。
すぐ近くをドナウ川が悠々と流れ、ドナウ川が弧を描いて流れていく様子も見渡せます。
ここならどの方向から敵が攻めてきてもすぐにわかります。
築城の条件としてはこれ以上の立地はありません。

モンゴル軍に対抗するために造られた城塞

モンゴル軍に対抗するために造られた城塞

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この城塞が重要になったのは13世紀のベーラ4世の時代からです。
1241年春にハンガリーはモンゴル人の襲来を受けてドナウ川以東の全域がモンゴル軍の手に落ちました。
モンゴル軍はさらにドナウ川を渡って西へ進撃して国王を捕らえようと試みましたが失敗し、翌年の夏にハンガリーから引き上げました。
わずか1年の間であったもののハンガリーが受けた痛手は大きく、ベーラ4世は国の再建に力を注ぎました。

堅固な造りのシャラモン塔

堅固な造りのシャラモン塔

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彼は石造建設の必要性を強く感じ、ブダの丘に石造の王宮を建てました。
そしてそれまで王宮のあったエステルゴムを大司教に譲り、ヴィシェグラードの城塞も強固に再建し、王妃や一族の避難場所としました。
ベーラ4世は城塞の下に六角形の大きな塔も建てました。
シャラモン塔と呼ばれるその塔は高さ31m、壁の厚さは8mに及び、山頂の城塞とともにのちのオスマン帝国の襲撃にも耐えた堅固な避難塔です。

ハンガリーの中心地となる

ハンガリーの中心地となる

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1301年にアルパード家が絶えるとアンジュール家のカーロイ・ロベルトがハンガリー王となります。
ところがイタリア出身の彼が王位に就くことを認めない大貴族が多くカーロイはブダ城に入ることができませんでした。
このため彼はヴィシェグラードの丘のふもとに新たな王宮を建てここを王都としました。
1335年にドイツの諸侯やポーランド、チェコの王らを招待して首脳会議を開催します。
この時ヴィシェグラードはハンガリーの中心地となりました。

華やかな宮廷文化が開花

華やかな宮廷文化が開花

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15世紀後半に即位したマーチャーシュ王は深い教養を身につけた文化人であり、ブダ城をルネサンス様式に建て替えるなどハンガリー史上で最も輝かしい時代を作り出しました。
イタリアから迎えた王妃のためにヴィシェグラードの王宮もイタリア・ルネサンス様式に造り替え華やかな宮廷文化が開花しました。

オスマン帝国の支配

オスマン帝国の支配

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ハンガリーが栄華を極めたのはマーチャーシュ王の時代までです。
1541年から後のハンガリーは約150年間にわたってオスマン帝国の支配を受け、ブダやペスト、エステルゴム、セーケシュフェヘールヴァールなどはトルコ支配下の軍事的居住地になってしまい、多くの教会がモスクに変わりました。

ハプスブルクの支配

ハプスブルクの支配

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1699年にハプスブルク軍の攻撃でトルコ軍は撤退しますが、今度はハプスブルクのハンガリー支配が始まり、トルコ追放後に力を回復しようとする支配階級の望みは打ち砕かれました。
ハプスブルク政府の搾取は厳しく、貴族は土地を取り上げられ、市民や農民は軍の強奪や略奪の対象となりました。
絶対主義支配に対する反発は高まり、18世紀初頭にはラーコーツィ・フェレンツによる自由戦争が、19世紀に半ばにはコシュート・ラヨシュによる独立戦争という、2つの対ハプスブルク戦争が起こりました。

ハンガリーの英雄となった二人の指導者

ハンガリーの英雄となった二人の指導者

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ハプスブルクに対抗した二人の指導者は今でもハンガリーの英雄です。
地方の町に行ってもラーコーツィとコシュートの銅像がよく見られ、いたるところにコシュート広場やラーコーツィ通りがあります。
ヴィシェグラードの城塞はラーコーツィの自由戦争の際にハプスブルク軍によって破壊され長い間そのまま放置されていました。
現在は一部に小さな展示室が設けられ中世の生活様式などが再現されています。

ハンガリーの歴史が感じられる城

ほとんど廃墟となった城塞の内部には、当時を思わせるいろいろな資料が展示してあり、他国から何度攻められても自由を得るために戦ってきたハンガリーの歴史を知ることができます。
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