実は新大陸を発見していた!コロンブスの栄光と挫折の人生を辿る

3回目の航海で中央アメリカの沿岸に至るも、辿り着いたのはインドの一部だと信じたまま亡くなったコロンブス。本当は、新大陸に到達していたコロンブスの歴史って気になりませんか?今回は、新大陸に到達していたコロンブスの歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

イタリア生まれのコロンブスがなぜポルトガルへ?

イタリア生まれのコロンブスがなぜポルトガルへ?

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コロンブスはイタリアジェノバで1451年に生まれました。
父親のドメニコは羊毛の織物職人で、14歳の時に初めて海に出たと伝わっています。
最初の航海は有名な海賊と一緒だったんです。
名前は、コロンボ・ザ・ヤンガーという人物でした。

1746年ジェノバの船がポルトガルの沿岸沖で襲われ海に投げ出されたコロンブスは、自力でリスボンへとたどり着きました。
戦争で全財産を失った貴族出身と嘘を付き、ポルトガル貴族の女性と結婚します。
身分違いの人と結婚したんですね。
酷い男って思いません?かつてポルトガルの航海術は世界No.1でした。
運よくそのポルトガルで暮らしたコロンブスは、天文学と算術を独学で学び、地理と歴史も文献を読みあさり身に付けたようです。

援助を断ったポルトガル

援助を断ったポルトガル

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1481年にコロンブスは西洋にジパング(日本)が存在していることを知り、距離を再度算出してポルトガルのジョアン2世に探険の資金援助を申し出ました。
コロンブスは今までの5600キロメートルという距離を4400メートルと計算し直しており、それを基に援助を申し出ています。

彼は何度も失敗を繰り返しており、信頼は失墜していました。
彼より詳しく大西洋を知る専門家たちに計算を否定され断念せざるを得なかったのです。
しかも嘘つきとお墨付きだったので、援助をするのは一人もいませんでした。
実は、コロンブスが日本と思っていた陸地は、西インド諸島です。
スペインから日本って実際には約19300キロメートルも離れているんですもの。

スペインからの援助

スペインからの援助

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借金はかさみ首が回らない状態の上、奥さんが死んでしまう不幸にも襲われました。
コロンブスは、幼い息子を連れてスペインに逃げたのです。
パロスの町の近くにあるラ・ラビタ修道院で、パンと水の施しを受けて生活するほどの生活ぶりでした。
でも、救う神あれば拾う神あり。

スペインでは、修道士のアントニオ・デ・マルチェナと知り合い、幸運を手に入れました。
マルチェナは、1486年5月フェルナンド王とイザベラ女王に逢いコロンブスを紹介。
彼はやっと航海の援助を得たのです。
でも、イザベラは司祭にこの問題を預けてしまい、4年間も説明に追われる毎日を送っています。
司祭を筆頭とする委員会は、無益なものだと否定したんです。
1491年7月に再申請しやっと決心されました。
その背景にはスペインがグラナダを征服したことが起因しています。

最初の航海へ出発

最初の航海へ出発

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1492年5月22日から準備を進めるため、パロスの町に戻ったコロンブスでしたが、「コロンブスと航海したものは皆死ぬ」と噂されていました。
マルティン・アロンソが大金をはたいて人を集めました。
彼は同時に信頼も集めています。
小さい船3隻での出航。
ポルトガル人用は2隻の最新型の探検航海用の船でした。
しかし、コロンブス用の船は費用が足りず、重い貨物船だったのです。

1492年8月3日の明け方、3隻の船に90人が乗り込み出航しました。
4日後には最新型の船の舵が壊れ、1ヶ月も出遅れます。
実は、コロンブス暗殺のためにわざと船を壊したともいわれているんです。
大西洋は島が少なく同じ景色ばかり。
次第に船員たちの不安と不満が募り、とうとう反乱が起きます。
コロンブスを船から投げ落としてスペインに帰ると言い出したのです。
しかし、反乱を起こしたものは縛り首にすると怒鳴り上手く治めました。
それから間もなくして、「大陸だ!」と見張り役が叫んだのです。
1492年10月12日午前2時に見張り役のロドリゴ・デ・トリアナが陸地を発見しました。

1度目の航海終了

1度目の航海終了

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タイノー人が住む、バハマ諸島の小さな島に着きました。
コロンブスはアジアにいると思い、彼らにインディオと名付けています。
11月22日にマルティンに裏切られピンタ号を乗っ取られました。
12月6日に望郷の念にかられるほど美しいイスパニョーラ島を発見。
24日のクリスマスに座礁したサンタ・マリア号の残骸で要塞を造り、新大陸で初めてのスペイン植民地としました。
インディオには砲撃の実演を見せて脅し、服従するように仕向け武装した50人の乗組員を残しています。

1493年1月4日に6人のタイノー族を連れてスペインへと出航しました。
2日後にマルティンの乗るピンタ号と合流。
コロンブスは彼を責めませんでした。
2月12~14日には嵐に巻き込まれますが、1493年3月4日に無事リスボンに到着。
彼は、航海を断ったジョアン2世に自慢げに成果を報告。
危うく暗殺されそうになっています。
3月15日にめでたくパロス港へ帰還しました。
コロンブスは大歓迎をうけ、公の場に王に次いで姿を見せる栄誉を与えられました。
もちろん宴も開かれています。

2度目の航海

2度目の航海

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1度目の航海で見付けた島には黄金があるとの噂が立ち早速1200人を引き連れた、1493年9月に2度目の航海が始まります。
コロンブスは、スペインの所有地を増やすため、克明に地図に記載する密令を受けます。
南側の航路を取り新しい島を発見。
人食い人種と遭遇しています。
1493年11月27日にイスパニョーラ島に到着。
居留地は既に破壊され、50人の武装した男性たちも殺されていました。

1494年1月2日に植民地建設を始めました。
しかし、ヨーロッパ人は土地を耕すことを嫌がり、先住民を奴隷として扱いました。
多くの先住民は、病気や死にかけるほど苦しめられました。
先住民たちは思い余って、先に残した50人を抹殺したほどの怒りもあり、戦闘となりました。
イザベル女王は、コロンブスの植民地統治に対する調査委員を送り込んだのです。
コロンブスは慌てて本国へ戻り釈明の後、無罪となっています。

3度目の航海と南アメリカ大陸到達

3度目の航海と南アメリカ大陸到達

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スペインはイタリアと戦争をしており、3度目の援助を渋っていました。
コロンブス自身は、これまでやっていたことが水の泡になると恐れていたのです。
その間に1497年にはジョバンニ・カボートが大西洋横断に成功、1497年には北アメリカ大陸に到達しました。
2ヶ月後にはバスコ・ダ・ガマが喜望峰に向けて出港しています。

1498年5月30日に6隻の船で出航。
しかし、猛烈な暑さに飲み物食べ物は、壊滅状態になり飢え死に寸前でした。
7月31日に3つの山の頂を発見。
1498年8月5日に南アメリカのパリア半島に上陸したのです。
彼は、世界で初めて南アメリカ大陸に辿り着きました。

逮捕されるコロンブス

逮捕されるコロンブス

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病気に侵されていたコロンブスは、イスパニョーラ島に帰還。
改善は認められるも先住民の反乱は続いていました。
コロンブスは罪を犯した入植者を殺してしまい、これがスペイン本土に曲がった形で報告されてしまいました。

1500年に本土から来た査察官に逮捕され、本国へと送還。
罪は問われませんでしたが、全ての権力を剥奪されました。
せっかく南アメリカ大陸に到達という偉業を成し遂げたのに。
運が味方してくれなかったんですね。
到達の喜びを表現したかったのに残念。

4度目の航海

4度目の航海

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コロンブスは2度と、イスパニョーラ島に戻ることはありませんでした。
代わりに、1501年9月には国王のお気に入りのニコラス・デ・オバンドが諸島の総督に任命・派遣されたのです。
コロンブスには1502年3月14日にやっと4度目の航海が認められました。
西回りで、大西洋を横断するインド航路を発見するように命令されました。
彼は命令に背きイスパニョーラ島を目指すも上陸をオバンドが拒否。

6ヶ月オンボロ船4隻で彷徨も最後は難破して救助され、1504年11月にスペインに戻りました。
イザベルの死亡後は更にスペインに必要とされなくなっていました。
彼は54歳で人生を終えています。

コロンブスの功績

コロンブスの功績

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1450年には印刷機が発明されており、コロンブスのニュースは1493年にイタリアと英国、1494年にはフランス、1497年にはドイツへと伝えられました。
この頃の商人は情報を取集し自分の利益へと発展させる力を身に付けていました。
だからこそ、コロンブスの発見が世界を変えるほどの功績に繋がったんだと思います。
彼が亡くなって半世紀足らずで、メキシコやペルーで銀鉱山が発見され、スペインはヨーロッパ最強の国となっています。

スペインにこれだけの功績を残した割には、生前に認められなかったコロンブス

本当に幸せだったんだろうか?と思ってしまうコロンブスの人生。
栄光は少しでほとんどが挫折だったように思えてきます。
「コロンブスの卵」伝説の通り、彼の人生は、「人の後に成し遂げても何にもならない」という気持ちで走り続けたのではないでしょうか。
彼が残した素晴らしい功績は変わるものではありませんね。
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