フランスを救った少女が火刑に処されたのはなぜ?悲劇のヒロイン「ジャンヌダルク」っていったいどんな人物?

フランスのヒロインとして神格化された唯一の女性ジャンヌダルク。現在も小説や映画、舞台などで世界中の人々に感動を与え続けるジャンヌダルクってどんな人物だったのか気になりませんか?今回は、悲劇のヒロイン「ジャンヌダルク」の人物像に迫ってみたいと思います。

ジャンヌダルクの人柄

ジャンヌダルクは、1412年1月6日にフランス東部のドンレミ村の農家に生まれています。
父と母と3人の兄と妹の5人兄弟の4番目の子として生まれました。
その田舎生まれの少女が国民的なヒロインへと成長するのです。
初めて奇跡が起こったのは13歳の時でした。
教会の方から「行いを正し、教会に通いなさい」と声がしたのです。
ここから彼女の数奇な人生がはじまります。

彼女の母も敬虔な信者で、ローマまで巡礼に出かけ洗礼を受けています。
その母から英才教育を受けたジャンヌは、進んで教会に行き、人に施しを与える慈悲深い少女へと育っていました。
何よりも教会から鳴り響く鐘の音が大好きだったようです。
それにちょっと泣き虫だったとか。
村の誰もが、慈悲深く、優しく、賢い乙女と後の魔女裁判の審問で話しています。

敬虔な信者のジャンヌダルク

ジャンヌダルクには、好きな人はいたようですが、恋に発展することはありませんでした。
魔女裁判で行われる処女検査は、医学的な検査ではなく学校や隣人の評判から純潔性を判断するというものでした。
その審問の際、ジャンヌが少年を献身的な看護で救ったなおよい話しは出てきましたが、浮いた話しは一つもありませんでした。

しかし、両親が進める縁談があったのは事実のようで、ジャンヌはその人との結婚を望まず、婚約破棄事件にまで発展したようです。
明るく社交的な性格から男女の間柄では誤解を生むことがありました。
しかし、純潔を犯すことは、聞こえてくる聖ミカエルの声が聴けなくなることだと知っていたのだから、男性を見ても恋愛対象として見ることはなかったのでしょう。

聖ミカエルの声ってどんなもの?

先程お話した神の声以降もジャンヌは色々な声を聞いています。
それも何年にも亘って聞こえているのです。
ほとんどは聖ミカエルの声と言われていますが、聖カトリーヌや聖女マルガリータも現れたことがあったとか。
ある日、幾人かの気高いお姿が現れ、ジャンヌにこう告げました。
「フランス国王を救いに旅立ちなさい。
オルレアンの包囲を解くのだ」との声がしました。
この言葉を告げたのが、天使の羽を持った審判と戦いの天子ミカエルだったのです。

お告げは1度にとどまらず、週に2,3度繰り返されました。
その後、「ヴォークルールにいる守備隊長のボードリクールに会いに行くのです。
彼があなたを王の下へ導くだろう。
聖カタリナと聖女マルガリータの加護のもとに」と告げました。
すぐに行動することはなく、3年間胸に秘め、自らの身を神に捧げ、生涯純潔を守ることを誓ったようです。

ヴォークルールへ出発

ジャンヌの父は、普通の娘としての幸せを願っており、結婚話を持ち掛けました。
その時、ジャンヌは伯父に聖ミカエルとの秘密を打ち明けます。
伯父の助けもあり、ヴォークルールへ着いたジャンヌですが、百姓の娘と相手にされず、苦労したようです。
ある日、公爵の方から会いたいと使いが来ました。
これって、神がかっていませんか?やっと、1429年2月にシノンの護衛隊の紹介を受け、危険な旅へと出かけました。
到着すると城の大広間へと通されました。
300人もの人がいる所にシャルル王太子がいたのですが、ジャンヌは迷うことなく王太子の下に進み出ていきました。

王太子に「神様のお告げがありました。
あなたが戴冠を受けて王位に就く手助けをすることを命じられました。
ランスへお連れします。」と公衆の面前で言い放ったのです。
しかし、シャルルもすぐには信じず、神職者や神学者に真意を確かめさせました。
その結果、シャルルは、ジャンヌがお告げにより行くように命じられた、オルレアンにブロワから兵を送ると共に、当時17歳のジャンヌを戦闘司令官としました。
シャルルはこの時、フランス王は自分がなるしかないと自信を回復したようです。
だって、ジャンヌが訪れるってことは、神様のお墨付きってことですもの。

いざ!オルレアンへ

オルレアンは、この時イギリスとの100年戦争の真っただ中。
イギリス軍によって南部に追い詰められており、オルレアンはまさに、最後の砦だったのです。
王太子にジャンヌは「私が神から使わされたことを、オルレアンの包囲を解く奇跡を起こし証明します」と告げました。

オルレアンの状況は、橋を全て壊され周囲にはイギリス軍がたくさんの砦を築き兵糧攻めにしていました。
1429年4月29日に、オルレアンに到着。
多くの食料を積み込みロワール川を船で渡って、手薄だった東側のブルゴーニュ門を通り街に入りました。
しかも、城に入場した時の姿は、甲冑に身を固めた乙女が白馬に乗ってやってきたのです。
これで、戦況が一遍!優位に立ちました。

オルレアンでの活躍

ジャンヌは「神の名において、撤退を進める」と和解を促すも、イギリス軍は罵声をあげるのみでした。
そっと攻撃を仕掛けたイギリス軍に気づき逆襲をかけ一気に攻めました。
別の砦にイギリス軍が逃げ込みましたが、ジャンヌの神がかった勢いは止まりません。
一挙に砦を陥落させイギリス軍を追い払い、シャルルとの約束を簡単に果たしました。

7月17日には、シャルルの戴冠式がランスで無事行われました。
戴冠式はランスで行われるのが慣習となっており、政治と宗教が密接に結びついた時代だったことが分かりますね。
しかし、シャルルは、ヒロインとなっていたジャンヌの人気が気に入らなかったのです。
ジャンヌの言葉には耳を傾けなくなりました。

ジャンヌ捕虜となる

イギリス派のブルゴーニュは、休戦協定を求めてきました。
ジャンヌはイギリスの支配下にあったパリを攻めることを進言しましたが、シャルルはNOを突き付けました。
でも、休戦は、ブルゴーニュ軍の時間稼ぎだったのです。
休戦条約が切れると、ブルゴーニュ軍は兵も増員しており、フランスの街をいくつか占拠しました。
騙されたと気づいたシャルルは、1430年5月22日にジャンヌをブルゴーニュに攻められているコンピエーニュに行かせました。

ブルゴーニュ軍の様子を見ながら入城に成功したジャンヌでしたが、翌日の夕方に敵との戦いになりました。
跳ね橋で味方の兵が渡った所で門を閉めてしまい、ジャンヌは城の外に追い出されました。
剣を振り回すもあっけなく捕まってしまいました。

イギリスに売られたジャンヌ

ブルゴーニュは、ジャンヌをイギリスに売り渡してしまったのです。
ランスでシャルルが戴冠を受けた時、追い出された司教のピエール・コーションにジャンヌを託しました。
イギリスにとってもブルゴーニュにとっても、政治的に都合の悪い人物だったジャンヌは、魔女裁判にかけられることになりました。
しかも、ジャンヌ人気にへそを曲げたシャルルは静観を決め込んだのです。
小さい男…。

ジャンヌは、森の奥深くにあるブルゴーニュの貴族の館に幽閉され、1430年の冬にイギリス軍の城、ルーアン城の牢へと繋がれました。
異端審問のため1431年に予備審問がはじまりました。
法廷に一人で意地の悪い司教や司祭たちの質問に答えなければなりませんでした。

罠にはまり火刑に処せられたジャンヌ

聖職者たちは、王太子との神のお告げに関する会話を聞き出そうとしました。
「神からの啓示については答えられない」と突っぱねたのです。
ジャンヌに拷問すると脅し、読み上げた誓約書を突き付けました。
文字の読み書きができなかったジャンヌは、十字架を書き署名としました。
その誓約書は差し替えられたもので、男装はしないと書き加えられていたのです。
牢に帰ると女性の服装では身を守れないと、男装をしました。
用意したのはイギリス兵でした。
これは、罠だったのです。
教会への不服従の罪を背負わされ、火刑を言い渡されました。
異端とは正統とする信仰から外れることです。

火刑は1431年5月30日に、ルーアンのヴュー・マルシェ広場でイギリス兵によって行われました。
800名のイギリス兵がいたそうです。
十字架を欲しいといったジャンヌにイギリス兵の一人が、棒切れで十字架を作り渡しました。
火が付けられると熱さに耐えきれなくジャンヌは、「イエスさま」と6回叫んだそうです。
その姿には誰もが涙し、中には気を失う者もいました。
彼女の心臓は、焼け残り動いたまま止まらなかったそうです。
遺灰と心臓は、セーヌ川に流されました。

やり直し裁判と復権

シャルルとブルゴーニュ公は和解し、1463年にパリではイギリスへの暴動が起きました。
ジャンヌを火刑に陥れた、コーションはパリを追われました。
1449年11月にはルーアンも奪還しています。
ルーアン城に入ったシャルルは、ジャンヌの異端の刑に対する再審判をするよう命じました。

復権裁判はジャンヌの遺族による請願書によって行われました。
1456年7月7日に無効との宣告がなされました。
前裁判は事実においても手続きにおいても、欺瞞と中傷、不正と矛盾だらけで、誤りは明白であるとのものでした。
やっと、ジャンヌの無実の罪を晴らすことができました。
20世紀に入りカトリック教会は、ジャンヌは殉教者として聖人になり、5月30日が聖女の記念日になりました。

フランスの救世主ジャンヌダルクは今でもフランス人の誇りです

「救国の乙女」、「オルレアンの少女」と讃えられたジャンヌダルク。
異端裁判のやり直しにより復権しましたが、350年もの間忘れ去られました。
しかし、19世紀のはじめフランス革命の直後、ナポレオンが自信を正当化するためにジャンヌを押し出したことで、再度人気に火が付き国民の英雄とされました。
「愛国の乙女」として、現在もフランス人の敬愛を一身に集めています。

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