世界の4分の1を支配していた!? モンゴル帝国とチンギス・ハンの歴史

公開日:2020/3/7 更新日:2020/3/7

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北方騎馬民族はなぜ強い?

キーワードは”機動力”

この後で、チンギス・ハンの生い立ちを追いかけてまいりますが、その前に、なぜモンゴル帝国がこのように領土を広げることができたのか考えてみましょう。

中国大陸の北部・西部には、紀元前4世紀頃には既に遊牧民族が数多く存在していたと考えられており、歴代中国王朝はいずれも、彼らの存在に脅威を感じていました。
万里の長城が長年に渡って補修・延長され続けてきたのも、北方の遊牧民族から町や交易ルートを守るためだったと考えられています。

モンゴル帝国が建国・繁栄した12世紀~13世紀という時代を考えれば、北方騎馬民族の強さの理由はずばり、機動力でしょう。
彼らの生活に馬は不可欠。
ただ馬を扱うだけではなく、乗りこなし、広大な土地を短時間に駆けることができ、狩猟を行っていたため馬上からの弓の照射能力も優れていたと考えられています。

都市部で編成される軍隊が騎兵技術を身につけるためには調練が必要ですが、騎馬民族なら子供のころから身についていること。
騎馬は彼らにとって生きるために必要な技術です。
馬は身体の一部と言ってもいい。
その技量の差は歴然です。

歩兵が中心の軍隊では、移動にも時間がかかりますし、複雑な作戦や、戦況に合わせた臨機応変な対応はほぼ不可能。
しかし騎馬なら素早い移動も可能で、相手の出方によって柔軟な戦術が可能となります。
もちろん大軍による大規模遠征も、歩兵中心の軍隊に比べれば容易です。

遊牧生活が彼らを強くした

北方騎馬民族の強さの理由、機動力の他にもうひとつ挙げるなら、彼らの生活が定住ではなく遊牧であったことに着目すべきでしょう。
町や集落、農耕を行わない彼らにとって、安定した生活を行うために”略奪”は不可欠でした。
より強い力を持ち、周辺の集落を攻撃して物を奪う。
逆に、こちらが襲われることもある。
身を守るために”砦を築く”のではありません。
”攻撃こそ最大の防御”。
“さらに強い力を、多くの仲間を必要としたのです。

もちろん、北方騎馬民族が常に戦いに勝っていたわけではありません。
城塞を攻めきれず敗退したことも多々あったようです。
しかし彼らの戦いは、守るためではなく生きるため。
戦いを止めることはありませんでした。

類稀な機動力。
大義ではなく生きるために、戦うことが当たり前の生活。
何度も何度も、勝つまで戦い続ける姿勢。
しかし、それなら、モンゴル帝国以外にも、北方騎馬民族国が誕生していてもおかしくありません。
匈奴、スキタイ、突厥、契丹など、強い力を持った北方民族はたくさんありましたが、その中で、モンゴル帝国はどうしてこんなにも突出して強かったのでしょうか。

モンゴル帝国は優れた軍事国家だった

そこで登場するのがチンギス・ハンです。
彼は騎馬民族の強さに、国家としての要素を取り入れていきました。

強すぎる遊牧民族は力が全て。
略奪を繰り返して力を増すと、一部の者に権力が集中し、弱い部族を抱き込んで大軍になりますが動きが鈍くなり、騎馬民族としての機能が失われて衰退する、ということが繰り返されていました。
また、なまじ武力があるため、一度内紛が起きると収集がつかなくなり、そのまま潰し合って消滅してしまうことも。
武力があるだけでは生き残っていけないことを、チンギス・ハンは悟っていたのかもしれません。

チンギス・ハンは比較的早い段階から、大軍をひとつに束ねて無駄なく統率できる方法を見出していました。
投石機や火薬を使った武器など、新しい攻撃方法の模索・研究にも余念がなかったようです。
諜報活動のようなことも頻繁に行っていたのだとか。
彼は非常に寛容な人柄であったとも伝わっています。
古い体質やプライドにとらわれず、新しいことにどんどん挑戦していくことができたのかもしれません。

このようにしてモンゴル帝国は、それまでの遊牧民族が成し得なかった東西文明地域の征服、果ては史上最大の大帝国へと発展していきました。
遊牧騎馬民族としての強さ、荒々しさはそのままに、近代的な軍事国家の体を整えていったチンギス・ハン。
しかし、その道のりは決して、順風満帆とは言えない、大変厳しいものでした。



チンギス・ハンの名前問題

「草原の覇王」「蒼き狼」。
チンギス・ハンの生い立ちを追いかける前に、名前の書き方についての謎に触れておきたいと思います。

チンギス・ハンの名前には様々な呼び方が。
チンギス・カン、カーン、ハン。
ジンギス・カンと表記することもあり、混乱をきたすことも。
果たしてどれが正解なんでしょう?また、なぜこんなに様々な読み方があるのでしょうか。

ハンとは、トルコ・モンゴル系の遊牧民族の「王」や「部族長」を表す言葉。
モンゴル語では”カ”と”ハ”の中間くらいの発音になるのだそうです。
これがさらに、複数の部側を束ねるような、もっと強い王や長ともなると、”ハーン”、”カーン”と伸ばすように。
モンゴル語のカタカナ表記は非常に難しいとのことで、このあたりが混乱の要因になっているようです。

また、中国語や戦前の日本では”成吉思汗”と漢字で表記することもありました。
これを中国語で読むと”チンギス・ハン”。
現在では、チンギス・カンと読むケースが多くなってきているようですが「”ハン”と読んだほうがしっくりくる」という方も多いのではないでしょうか。

もうひとつ、”ジンギス・カン”という読み方はというと、こちらはアラビア文字表記が元になっています。

12世紀から13世紀にかけて、中央アジアのみならずヨーロッパや中東まで、ユーラシア大陸全土に渡ってその名を轟かせたチンギス・ハン。
様々な言語・文化圏の文献に名を残しているがゆえに、その名前の読み方も標記も様々。
それほど偉大であり、脅威でもあったのでしょう。

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