世界の4分の1を支配していた!? モンゴル帝国とチンギス・ハンの歴史

公開日:2020/3/7 更新日:2020/3/7

トラベルパートナー:在住トラベルパートナー

チンギス・ハンの生い立ち

苦難の連続だった幼少期

12世紀の始め頃の中国大陸は、宋という国が傾いて弱体しつつ南へ逃れ、代わりに金(きん)という国が華北を統一して王朝を打ち立てていました。
金はもともとは女真(じょしん)という満州民族で、漢民族以外の民族による、いわゆる「征服王朝」と言われた国。
領土は大陸の北東部に広がっており、西には西夏、南には南宋、そして、北部の広大なモンゴル高原には、モンゴルやタタール、オングート、メルキットなど多くの遊牧民族が暮らしていました。
遊牧民族たちはみな力が強かったため争いが絶えず、そのため、金は北方民族に滅ぼされることなく何とか均衡を保っていたものと思われます。

そんな中、モンゴル族の部族長イエスゲイのもとに男子が誕生します。
名はテムジン。
後のチンギス・ハンです。
テムジンは幼いころから野山を駆け回り、のびのびと成長していきました。

しかしあるとき、イエスゲイがタタール族に毒を飲まされ殺されてしまいます。
族長を失うと、仲間たちは他の強い部族へと移っていってしまい、部族はバラバラに。
テムジンは敵対する部族に捕えられ、殺されそうになったこともありました。
しかしテムジンは諦めず、母や弟たちを支え続けたのです。

部族統一を誓った青年期

苦労の甲斐あって再び、テムジンのもとに多くの人々が集まってくるようになりました。
テムジンはボルテという妻を娶り、リーダーとしてますます力を伸ばしていきます。

そんなテムジンに再び試練が。
敵対するメルキット族の襲来を受け、妻ボルテを奪われてしまうのです。
テムジンは父イエスゲイと同盟関係にあったケレイト族の族長を頼り、旧友ジャムハたちと共にメルキット族に攻め込み、ボルテを取り戻します。
ここで敵をせん滅するところを、テムジンは皆殺しにはせず、傘下に引き入れたり隷民として抱え込んでいきました。
恨み恨まれ、殺し合うだけでは何も残らない。
父の死から、テムジンはそんなことを学んだのかもしれません。

テムジンのおおらかな振る舞いは遊牧民たちから有能な指導者として認められるようになり、他の部族のもとに身を寄せていた者たちも次々とテムジンに従うようになります。
モンゴル族はテムジンのもとでひとつにまとまり、大きな部族へと成長していきました。

しかし、旧友たちの中には、このようなテムジンの振る舞いを理解しない者もいたようです。
特に、強い者だけが生き残るべきと冷酷非道なリーダーであり続けたジャムハとの間には徐々に溝ができていました。

ライバル征服と友との決別

ジャムハはテムジンと敵対する部族と同盟を組み、旧友であったはずの二人は次第に対立していきます。
二人は何度も戦いを繰り返しました。
勝敗については文献によって異なるのですが、ジャムハのほうが若干優勢だったようです。
しかし、冷酷で残虐なジャムハは次第に人望を失い、彼のもとを離れてテムジンに味方する者が後を絶たなかったとも伝わっています。

テムジンはジャムハと抗争を続けつつ、モンゴル高原の部族の統一を推し進めていきました。
1205年、モンゴル高原はほぼテムジンの手中に入り、残る大勢力は西方のナイマンだけ。
このとき、テムジンに追われたジャムハはナイマン族と合流していました。
テムジンはモンゴル高原統一のため、激しい戦いの末、ジャムハとナイマン族を打ち破ります。

ジャムハはテムジンのもとへ戻ることを拒み、処刑を望んだのだそうです。

こうしてテムジンは多くの犠牲を払いながらも、モンゴル高原をひとつにまとめ上げていきました。
かつて、部族間の争いから父を毒殺された青年は、部族同士の争いをなくすべく、モンゴルの王へと成長していったのです。

戦いの果てに築いたモンゴル帝国

1206年、テムジンはクリルタイと呼ばれる部族会議を開き、モンゴル帝国を建国。
ハン(王)に即位します。
チンギスとはお告げによって授けられた名前だと伝わっていますが、モンゴルの言葉ではなく他民族や他国の言語で”猛々しい”、”支配者”といった意味である、という説も。
名前の由来は諸説あるようですが、とにかく、テムジンは名実ともに草原の覇王として君臨することになりました。

ところで、チンギス・ハンは「蒼き狼」と呼ばれることがあり、これはモンゴル民族の古い伝説からきています。
天命によって生まれた蒼き狼が白く美しい雌鹿と結ばれて子孫を増やし、これがモンゴル民族の祖先になった、というもので、これがモンゴル民族の祖先だと信じられていました。
チンギス・ハンの生涯を記したモンゴルの歴史書『元朝秘史』(げんちょうひし)には、この狼とチンギス・ハンを関連付けた記述が残っています。
モンゴルの祖である狼とモンゴル帝国の建国者であるチンギス・ハンを結びつけて考えていたのでしょう。

チンギス・ハンはモンゴル統一後、様々な法律を作り、旅人や商人が安全に東西を行き来できるようにし、西方の国家の在り方を取り入れつつ、国の基盤を整えていきました。
モンゴル族はチンギス・ハンという偉大な指導者を得て、強いだけでない、大きな国家へと変貌を遂げていったのです。

次のページ
モンゴル帝国の躍進 >>