世界の4分の1を支配していた!? モンゴル帝国とチンギス・ハンの歴史

公開日:2020/3/7 更新日:2020/3/7

トラベルパートナー:在住トラベルパートナー

「蒼き狼」チンギス・ハン

チンギス・ハンの墳墓

チンギス・ハンの埋葬先は、長年に渡り秘密とされてきました。
遺体を運ぶ際に遭遇した者を全て殺し、埋葬した場所が特定されないよう埋めた場所を踏み固めさせたとも伝えられています。
生前、チンギス・ハンは、自分の死を隠すよう命じていたとのことで、その意向を子孫たちは守ったのでしょう。
墓の場所は隠し通され、そのまま、本当に忘れ去られてしまったものと考えられています。

墓の場所は長年不明のままで、「史上最大の謎」と言われ、多くの研究者が探索を続けてきました。
21世紀に入って、モンゴル帝国の霊廟と思われる場所が何箇所か発見されましたが、チンギス・ハンの墓であるとはっきり特定できたわけではないのです。

モンゴルの人々は今でも、チンギス・ハンの墓を暴かないでほしい、と望んでいるのかもしれません。

現在のモンゴル国北部に広がるヘンティー山脈にブルカン・カルドゥンという山は、モンゴル族発祥の聖地と言われている神聖な山。
チンギス・ハンの先祖はこの地で生活していたとのことで、チンギス・ハンの墓もここにあるだろうと考えられています。
様々な国の調査チームが調査を行おうとしましたが、地元の人々の心の内を察し、本格的な調査は行われませんでした。

2015年、「大山ブルカン・カルドゥンとその周辺の神聖な景観」はモンゴルの世界文化遺産に認定されています。



世界中でもっとも子孫を多く残した人物?

2004年、オックスフォード大学遺伝子研究チームが出したレポートによれば、チンギス・ハンは最も遺伝子を残した人物であるのだそうです。
DNA解析の結果、チンギス・ハンの遺伝子を引き継いでいる人物は世界中に1600万人いることに。
とんでもない数字です。

また、ロシアで行われたDNA鑑定によると、およそ800年前のモンゴル族と同じ染色体を持つ者が現在、1600万人いることがわかったとのこと。
逆算すると800年前に数百人から数千人の子供を設けた人物がいる、ということになり、こんなことが可能なのはチンギス・ハンだけだったろう、と考えられています。
広い大陸を駆け回ったチンギス・ハンならではの、スケールの大きな話です。

しかし、この説を疑問視する声も多く、確実な証明には至っていません。

チンギス・ハンの誕生は1162年と言われています。
亡くなったのが1227年ですので、65歳でこの世を去ったことになります。
1600万人という数は別にしても、多くの子孫を残した英雄であることには違いないようです。

チンギス・ハンは源義経?

「源義経は大陸に渡ってチンギス・ハンになった」

歴史好きなら一度は聞いたことがあるであろうこの話。
本当なんでしょうか?

この説を最初に唱えたのはドイツ人医師シーボルト。
自身の著書の中で義経=チンギス・ハン説を唱えています。
この話は当時、大変話題になったのだそうです。

源義経(1159年-1189年)は鎌倉時代の武将。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟で、時代に翻弄され数奇な運命を辿った不遇の人物として、現代でも大変人気があります。
一方でチンギス・ハンも、日本でも数多くの小説家が描いている人気の偉人。
義経が亡くなったのは31歳と言われていますので、もし追手を逃れて海を渡り、高原の民族たちから慕われて覇王になっていたとしたら?そんな想像を巡らせる人も多かったのでしょう。

チンギス・ハンに関して言えば、生まれや幼いころなどの様子が今ひとつはっきりしておらず、謎が多いのも事実です。
歴史書などにも、祖先は狼の化身だとか光に包まれて現れたとか、神格化されてしまっていてよくわからないことが多い。
義経の生涯にも不明な点が多く、シーボルトの説が物議を醸すのも頷けるところです。
しかしながら、義経の墓は鎌倉と宮城県(首塚と胴塚)にありますし、残念ながらこの説の信ぴょう性は低いように思われます。

ただ、義経は室町~江戸時代からずっと人気が高く、多くの著名人が「もしかしたら生きのびたのでは」との説を唱えていました。
チンギス・ハンを敬愛するモンゴルの人たちには申し訳ない気もしますが、歴史を愛する者として、今後も心の中でそっと「もしかしたら」と思い続けていきたいと感じました。

次のページ
最後に >>