世界で初めて文明を生んだ国、イラクの歴史っていったいどんなんだろう?!

イラクって戦争ばっかりしている国という悪役のイメージが強いのですが、実は、世界で初めて文明を生んだ国なんです。古代4大文明の一つメソポタミア文明は、文字を作り、家や町をつくり、舟や道路、ダムなども造ったという優れた文明でした。そんな、イラクって気になりませんか?今回は、イラクの歴史について、簡単にご紹介したいと思います。

不便な土地が生んだ世界初の文明

メソポタミア文明は、生きるための苦労を強いられた場所に出来たものです。
名前のメソポタミアという言葉は、ギリシア語で、「2つの川に挟まれた地」という意味を持っています。
チグリス川とユーフラテス川が運んできた砂などが三日月地帯を作りました。

栄養分をたくさん含んだ肥沃な土地で、農作物が良く育ち人々は定住をはじめました。
でも、洪水が多々おこる地で、干ばつとなるような乾いた土地もあったんです。
ここに住んだネアンデルタール人は、ダムや用水路を作りました。
このような苦労からメソポタミア文明が出来上がり、文明が栄えた地は、ほぼ現在のイラクと同じ地域です。
ここからだんだん北へ勢力を拡大していきます。

シュメールの都市国家群

メソポタミアの人々は、初めての町を造りました。
これは、6000年も前に造られた世界最古の町、エリドゥです。
この頃の日本人の記録は残っていません。
生存はあったでしょうが、まだ穴倉暮らしで文明なんて、「蚊帳の外」といった頃だと思われます。

南側では、マアダン(沼の人)と呼ばれる住民が住んでいました。
彼らは、葦で束ねた島を作りその上に葦の家を作って暮らしました。
また、タッラーという黒塗りの木舟も作り交通手段も確保しています。
沼の人の沼は、マシューと呼ばれる、マアダンが古代の葦文化を伝える重要な存在です。
しかし、悪名高き大統領のサダム・フセインが埋め立ててしまいました。
これも、イラン兵士が葦に隠れて攻撃してくるかもという観点があったようです。
せっかく残った古代人の遺跡の一つなのにもったいない…。

ここに住んだのはシュメール人で、紀元前2700年ごろには、数千人が済む都市国家が多数形成さます。
その一つが、ウル・ウルクで、イラクという名称自体が由来しているともいわれています。
彼らは、農耕技術を向上させ武器を発明しました。
とても、頭の良い人々で、時間、面積、測定方法、楔型文字まで作っています。
しかも、貿易の走りとして、トルコやイランにまで商売に出かけていたようです。

バビロニアやアッシリア帝国の起こり

残念なことに、シュメールの都市国家群は、メソポタミア中部のアッカド人によって征服されました。
紀元前2000年ごろ南メソポタミアを統一し、王国を作りました。
これが、「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典のできた、古バビロニアです。
法典のハンムラビ王は6代目ですが。
法典の中には、商売、財産、犯罪、裁判などの問題も扱われています。
法律が既にこの頃にあったなんてビックリ!

そのころ北では、2003年に世界遺産に登録されたアシュール遺跡で知られる、アッシリア帝国が建設されました。
人面有翼牡牛像が守る最後の都です。
彼らの勢いは素晴らしいもので、シリアやエジプトまでを支配する大帝国を築きました。
しかし、100年も経たない内に、カルデア人の反乱で帝国が滅びてしまったのです。
彼らは、紀元前626年ごろ新バビロニアを建設しました。
ここまででも分かるように、大変多くの王国や王朝が支配しています。

ペルシアとギリシアに支配されるイラク

ペルシア(イラン)とイラクの戦争は、この頃から何度も行われています。
アケメネス朝ペルシアが、紀元前539年に新バビロニア王国を滅ぼしました。
ペルシア帝国は非常に強く、西アジアのほとんどを200年以上に亘り支配しています。
ペルシアの支配は残酷なもので、今でも仲が悪いのはこの頃からの思いもあってのことだとか。

ヨーロッパの西にある、マケドニア王のアレクサンドロスがペルシアを追い払いました。
この大王は、ペルシア、トルコ、エジプトをはじめ、ヨーロッパ、アジア、北アフリカまでを征服し、専制帝国を作ったのです。
大王は至る所に遺跡を造っており、アジアとヨーロッパが融合したヘレニズム文化を花開かせました。

しかし、アレクサンドロス大王が亡くなった後の後継者を決めておらず、後継者争いが勃発し滅びちゃいました。
ここでイラクを支配したのが、ギリシア系のセレウコス朝シリアでした。
こんなに凄いことをやってのけた大王が、一匹の小さな蚊に殺されちゃったんだから、後継者を選んでなくても仕方ないですよね。

イスラムの布教とイスラム帝国の支配

610年ごろにムハンマドが起こしたイスラム教は、彼の死後イラク周辺地域にあっという間に広まりました。
ムハンマドの後はイマーム・アリーが選ばれ、彼の後はカリフ(指導者)を相談して決めるスンニ派が継ぎました。
しかし、ムハンマドの血族がカリフになるべきとのシーア派に分裂してしまいました。

スンニ派はウマイヤ朝を建設しました。
中央アジア、スペイン、フランスまでを征服した、シリアのダマスカスを首都とする王国です。
しかし、シーア派と反乱軍が手を結び、更に内乱が起こり滅びました。
749年に、500年続いたスンニ派のアッバース王朝が起こします。
この王朝は、イスラムの教えを根づかせ、イスラム帝国を開花させました。
非アラブ人でも高い地位に就くことができ、本来のアッラーの教えが定着しました。
この頃にアラブ人によって、イラクと呼ばれるようになったようです。

オスマン・トルコ帝国の支配と滅亡

500年続いたアッバース王朝が、チンギス・ハーンの孫、フレグ・ハンによって1258年に滅ぼされました。
しかし、1535年から380年間メソポタミアは、トルコ系のオスマン帝国に支配され、第一次世界大戦にまで及びました。
しかし、ヨーロッパは、トルコを「ヨーロッパの病人」と呼び、トルコ領を狙いました。

19世紀に入るとヨーロッパは、オスマン帝国の領地を奪い合うようになります。
それほど帝国の勢力はなくなっていました。

近代ヨーロッパの国力と第一次世界大戦

1836年に、イギリスはユーフラテス川で蒸気船を運航したのです。
ドイツも負けじと電線を設置して上に、トルコ中部からバグダッドまで汽車を走らせました。

ここで、900万人の大量虐殺といわれる、第一次世界大戦が勃発しました。
オスマン帝国は、ドイツと同盟を結びました。
しかし、イギリス軍に追い込まれ、1917年にバクダットが陥落。
1918年にオスマン帝国は降伏しています。
戦勝国のイギリスは、「イギリス委任統治領イラク」を設立し、アラブ独立運動の指導者、ハシム家のファイサル・イブン・フセインを国王としました。

出た~!大油田発見

よそ者の国王に、シーア派が黙っている訳ないですよね。
元々、ファイサルはシリアの王になりたかったのに、フランス王に追い出されちゃったんですもの。
実力を出せなかったのか結局、クルド人やシーア派の独立闘争がおさまることはありませんでした。
イギリスは結局軍事的に占領することにしました。

でも、イラクがある位置ってとってもお金になる資源があります。
そうです。
1927年にキルクークで大油田が見つかりました。
イギリスはここぞとばかりに、イギリス主導の「イラク石油会社」を造り、開発権を独占してしまいます。
これにより、イラクは経済的にも裕福になり、1932年にイラク王国として独立を果たします。
独立はするものの、イギリスの経済支配は続き、1945年には国連に加盟しました。
1948~1949年にかけては、アラブ5ヶ国は、イスラエルの建国を退け、第一次中東戦争が起こり、イラク経済が悪化しました。

悪名高き大統領!サダム・フセインの誕生

1979年のイラン革命で中央条約機構が崩壊しました。
中東全体が新しい方向に向かって動き出したのです。
同年7月16日にバクル大統領が病気で引退。
副大統領だったサダム・フセインが大統領になりました。
でも、同郷出身のバクルを裏で操っていたのは、フセインだったといわれています。

1980~1988年には、国境を巡りイランとの戦争がはじまりました。
イラク政府は、ヨーロッパ、アメリカ、ソ連、中国など、大国からの支援を受け優勢でした。
大国支援を受けたのは、石油資源を上手く利用したからだとか。

でも、イランって頑張り屋さんの国です。
大国を味方につけたイラクが楽に勝つなんて、そう簡単には行きません。
死をも恐れない国民性で8年も粘ったのです。
戦争なんてするから、国内経済は最悪。
400億ドルの借金を、イラクは背負ってしまいました。
しかも、イラクは化学兵器を使用しており、世界中から大変な非難を浴びました。

フセイン大統領の終焉

クウェートがイラクの国境を侵していると主張し対立が起こりました。
石油絡みだったのでお互いにひくことができません。
1990年8月2日に、クウェートに侵攻。
8日にイラクの19番目の州として併合したと宣言しました。
イラクは、アラブ連合をはじめ世界的に非難を浴び、貿易封鎖という経済制裁を受けました。
1991年1月17日に、28ヶ国の連合軍がイラクに進軍。
6週間戦った末イラクは敗北しました。

2001年9月11日に、同時多発テロ事件がアメリカで発生。
タリバンを排除するためにアフガニスタンを攻撃。
2003年3月には、湾岸戦争での国連決議に反して大量破壊兵器を所有しているとの疑いをかけられ、イラクは、アメリカとイギリスの連合軍とのイラク戦争がはじまりました。
フセイン大統領は、アメリカ軍に拘束され、2006年12月30日に絞首刑により処刑されました。
今もイラクは内乱状態にあり、国政は安定していません。
一日も早く争い事が終わり、人々が気軽に訪れて観光できる日が来たらいいですね。

イラクは、世界で一番古い文明を持つ国です

メソポタミア文明からの歴史をもつイラクには、たくさんの歴史的遺跡が残されているといわれています。
でも、残念なことに戦争などでその遺跡が失われているのも現実です。
歴史ファンにとっては、素晴らしい歴史的建造物等を実際に訪れてみたいものですね。