祇園四条の歴史とおすすめ観光スポット

祇園四条と言えば、京都の代名詞とも言える有名な観光名所です。皆さんの中には「祇園四条」という地名があると思っている方も多いはず。しかし、実際には「祇園四条」という地名は存在しません。正しくは「祇園四条駅」という駅名があるのみです。しかし、祇園・四条にはとてもとても長い歴史と沢山の見どころがあります。今回は、祇園四条の歴史と楽しみ方、見どころをご紹介します。

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祇園四条とは?

 

祇園四条とは?

祇園四条という地名は実際には、存在しません。
祇園四条とは、京都府京都市東山区の京阪電気鉄道京阪本線の駅の名前です。
京都の人々は、この駅の周辺地区を四条京阪と呼ぶことが多いと言われています。
京都市中東部にある四条通と京都の夏の風物詩である鴨川納涼床が行われる鴨川沿いを走り、川端通が交差する四条大橋交差点にある京阪本線の1面2線の地下駅です。
この駅は、開業100年にもなる歴史ある駅で、長らく鴨川沿いの地上を走っていました。
今回は、京都東山・祇園四条駅周辺、特に祇園の歴史と見どころについて紹介していきたいと思います。

祇園四条の歴史

 
「祇園」と言えば、京都東山区にある京都を代表する歓楽街です。
そもそも祇園という地名の由来は、八坂神社が「祇園社」と呼ばれていたことにあります。
明治時代までは、八坂神社こと祇園社は鴨川一帯まで境内だったのです。
そのためにこの界隈が祇園と呼ばれることになりました。

この祇園が現在のように京都有数の歓楽街になったのは、江戸時代初期と言われています。
当時は、祇園社に参拝する人が数多くおり、その参拝客を狙って茶屋が多く開業し始めました。
茶屋が多くなるにつれて、競争も激しくなり多くの客を集客するためにお茶屋には、美しい女性を働かせるようになりました。
そして、美しい女性が多く集まり働くようになったため、祇園は京都でも有数の歓楽街として成長することとなったのです。

江戸時代から明治時代になり、文明開化により近代化が進みました。
祇園も近代化が進み四条通りの北側が近代化し繁華街として栄えました。
逆に舞妓さんがいることで有名な祇園甲部などの地域伊は、現在でも古い町並みを残しており、江戸時代から続く日本の伝統家屋の置屋やお茶屋、料亭などが建てられています。
格子戸の続く日本家屋には、古式ゆかしい風雅と格調が偲ばれます。
祇園の北部新橋通から白川沿いの地区は、現在では国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、また、南部の花見小路を挟む一帯では歴史的景観保全修景地区に指定されており、昔ながらの日本家屋の町並みの保護と活用が国をあげて勧められている地域となっています。

祇園と言えば花街

 

祇園と言えば花街

祇園と言えば舞妓さん!と多くの方は連想するのではないでしょうか?舞妓・芸妓さんのルーツは、約300年以上前の江戸時代、先にも述べた祇園社に参拝する人をもてなす水茶屋の茶立女(ちゃたておんな)にあります。
水茶屋もはじめは、簡単なお茶や団子などの甘味を提供していましたが、そのうちお酒や本格的な料理を提供するようになり、それぞれのお店で働く茶立女達が、当時流行していた歌舞伎芝居を真似て、三味線や踊りなどを見せるようになりました。
江戸末期には、お茶屋が500軒・舞妓さん・芸妓さんなど1000人以上いたと言われています。

祇園には、二つの花街があり京都最大の「祇園甲部」と1881年(明治14年)に(1881年)に祇園甲部から分離独立した「祇園東」があります。
花街は、信用を重んじて「一見さんお断り」という初回で遊ぶことは出来ません。
必ず馴染みの方の紹介がなければお店の中に入ることさえ出来ません。
そのため観光で京都を訪れる方が本当の舞妓さんや芸妓さんに会えることはなかなか難しいかも知れません。
チャンスとしては、夕方から夜にかけてお座敷へ向かうときが狙い目です。
また、昼間でも時折、正装していることはありませんが、素顔で普段着(着物)の舞妓さんに出会うチャンスがあります。

祇園四条の見どころ

 

八坂神社(やさかじんじゃ)

 

八坂神社(やさかじんじゃ)

祇園四条を代表する場所は、やはり八坂神社ではないでしょうか?華やかな町並みの祇園の中心に鎮座する八坂神社古くは「祇園社」と呼ばれていました。
全国に約2300社あると言われている八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社です。
地元の人々には、古くから「祇園さん」とも呼ばれ親しまれています。

八坂神社の歴史は、とても古く1300年以上前の創建と伝えられています。
656年 (斉明天皇2年). 、朝鮮半島の高句麗という国の渡来人であった調進副使(献上品を納めるためにやってきた使節)の八坂氏の祖先とされる伊利之(いりし)という人物によって創建されたと言われています。
八坂神社の祭神は古くから牛頭天王(ごずてんのう)で、起源不詳の習合神で祇園精舎を守護すると言われています。
そして、日本では古来の霊信仰と結びついて素盞嗚尊(すさのおのみこと)と同一視されています。
素戔嗚尊は、荒ぶる神として有名です。
しかし、大切に祀られることにより無病息災や厄除け・厄払いの御利益をもたらす神となりました。
八坂神社では、素戔嗚尊の協力なエネルギーで様々な災いや邪気を払ってるパワーがあると参拝者が絶えません。

八坂神社にある本殿は、江戸時代建築の重要文化財建造物です。
現在の社殿は、1654年に徳川家綱によって再建されたもので、祇園造と呼ばれる独特の形をしているのが特徴。
一般の神社では、多くは拝殿と本殿は別の棟としてそれぞれ独立していますが、祇園造では本殿と拝殿が一つの入母屋屋根で覆われています。
これは、八坂神社以外では見られない大変珍しい造りと言われています。

八坂神社には、本社以外にも数々の摂社・末社が鎮座しています。
中でも有名なのが、美御前社(うつくしごぜんしゃ)です。
八坂神社の御祭神である素戔嗚尊が所持していた十握剣(とつかのつるぎ)より生まれた「宗像三女神」(むなかたさんにょしん)と呼ばれる3人が祭神として祀られています。
具体的には、多岐理毘売命(たぎりびめのみこと)・多岐津比売命(たぎつひめのみこと)・市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)の3人の女神。
特に美しいと伝わる市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)は、七福神の弁財天と同様の存在として古来より崇められており、美貌の女神と評される吉祥天とも習合して、美貌・芸能・財福の神としての大変人気があります。
美御前社は、「美のパワースポット」として、人気の社で京都の舞妓さんや芸妓さん、芸能人など、美容に関心のある多くの女性たちが頻繁に参拝に訪れています。

八坂神社だけでも沢山の見どころがあります。
最近では、パワースポットとしても大変評判の高い場所でもありますので、ぜひ一度足を運んでみて下さいね。

円山公園(まるやまこうえん)

 

円山公園(まるやまこうえん)

八坂神社に隣接する円山公園は、1886年(明治19年)に京都で一番始めに造られた公園と言われており、国の名勝に指定されています。
「祇園枝垂桜」(ぎおんしだれざくら)が大変有名で、春になると園内にある800本を越す桜が一斉に咲き乱れ、大勢の花見客で賑う桜の名所としても知られています。

江戸時代までは、八坂神社の境内であった土地。
明治時代になり日本古来の回遊式庭園である円山公園に生まれ変わりました。
その後、自然の丘陵を利用して渓谷を造りあげ、池や噴水を建設、野外音楽堂なども建設して,現在の円山公園の姿となりました。
円山公園の有名な枝垂桜は、「一重白彼岸枝垂桜」(ひとえしろひがんしだれざくら)という品種です。
実は、現在の枝垂れ桜は2代目にあたり、初代の枝垂桜は1947年(昭和22年)に枯れてしまいました。
しかし、とても貫禄があり素晴らしい桜を見ることが出来ます。

敷地面積は、約8600㎡と広大な円山公園では、春の桜はもちろんのこと、秋のもみじなど季節ごとに移り行く風景を楽しむことができ、繁華街祇園四条の中にあっても私たちの心を癒してくれます。

また、公園内には、「長楽館」という建物があります。
ここは、1909年(明治42年)にタバコで財をなした実業家・村井吉兵衛が、国内外の賓客をもてなすために建てた迎賓館でした。
現在は、ホテルとなっており、京都市指定有形文化財に宿泊することができます。
また、レストランもあるのでイタリアン・フレンチを堪能することができます。
長楽館カフェもあるので、気軽にハイカラなティータイムを堪能することも可能です。

建仁寺(けんにんじ)

 

建仁寺(けんにんじ)

建仁寺は、臨済宗建仁寺派大本山の寺院です。
京都最古の禅寺と言われており、中国禅宗五家七宗の一つである臨済宗の開祖・栄西禅師によって開山されました。
京都五山(南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の第三位の格式を誇ります。
建仁寺の広大な境内は、多数の塔頭寺院が存在しており、また、風神雷神図屏風を始めとした多くの文化財を所有していることでも有名な寺院です。

建仁寺は、1202年(建仁2年)に臨済宗の開祖である栄西禅師によって開山されました。
創建当時は、珍しいことに建仁寺には、真言宗・天台宗・禅宗という三つの宗派が置かれていたと言われています。
これは、当時大きな影響力があった真言宗と天台宗に配慮したためと伝えられています。
1259年(正嘉3年)に宋僧であった建長寺の開山・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入山した際に建仁寺は本格的な禅寺となりました。
その後、応仁の乱やその後の度重なる戦乱により多くの伽藍が焼失し荒廃していきましたが、1586年(天正14年)に戦国時代の有名な外交僧であった安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興されました。
そして、江戸時代になると京都五山の第三位に任ぜられるまでになり、現在に至ります。
現在は「けんにんさん」と京都の人々に呼び慕われています。

建仁寺の境内は、創建当時の建物は残念ながら残っていません。
しかし、伽藍は大変広く、戦国時代末期から明治時代にかけて再建された貴重な建物や他の寺院から移築されたものもあり、見応えは十分にあります。
また、重要文化財に指定されているものも多く残っています。

特に、風神雷神図屏風は、江戸時代初期の有名画家・俵屋宗達が描いた2曲1双の屏風画が国宝に指定されており有名です。
その素晴らしい構図は、現在も多くの場所や教科書などでも紹介されているので、一度は目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
残念ながら現在は、本物の風神雷神図屏風は、京都国立博物館に寄託されており、建仁寺で展示されているのはレプリカです。
方丈と渡り廊下で繋がっている大書院に展示されています。
また、最近ですが2002年(平成14年)には、建仁寺創建800年を記念して東大寺の襖絵でも有名な日本画家の小泉淳作氏によって、法堂の天井に双龍図が描かれました。
縦11.4m・横15.7mという大変壮大なもので、畳108枚分に相当する大絵画。

麻神(まし)と呼ばれる丈夫な和紙を用いて、最上級の墨を使用し描かれた水墨画は、大変迫力があり有名な妙心寺の雲龍図とは違った美しさを感じることができます。
描かれている龍のうち一匹は口を閉じており、もう一匹は口を開けていて阿吽の呼吸を表わしているとされています。
龍は、龍神であり水を司どると古代から伝えられており、建物を火災から守るご利益があるといわれています。

南座(みなみざ)

 

南座(みなみざ)

祇園四条で一際目立つ建物と言えば、南座です。
江戸時代から続くと言われている日本最古の劇場。
南座の名称の由来は、四条通の南側に位置しているためと伝えられています。
出雲阿国が1603年(慶長8年)に四条河原で「阿国かぶき」を舞ったことが歌舞伎の起源とされており、その歌舞伎発祥の地で400年近く南座は、歌舞伎を今日まで上演しているという意味で、日本最古の歴史と伝統を持つ劇場と言われ親しまれています。

1603年(慶長8年)、出雲の阿国が発案したかぶき踊りの発祥の地、京都四条河原に南座はあります。
1615年〜1623年(元和年間)に京都所司代であった板倉勝重が、四条河原に7つの芝居櫓(やぐら)を正式に許可します。
大変人気があり栄えますが、廃絶や大火事などにより、1804年〜1829年(文化文政年間)になると北座と南座の2つを残すのみとなってしまいました。
北座もあったんですね。
1893年(明治26年)になると、北座が廃座となってしまい、残るは南座のみとなりました。
南座は、1906年(明治39年)以降は、白井松次郎・大竹竹次郎兄弟が手がける松竹合名社が経営をすることになり、1913年(大正2年)には全面的な改修が行なわれ、南座の代名詞とも言える12月の吉例顔見世興行が行なわれるようになりました。
そして、1929年(昭和4年)には、桃山風破風造り(ももやまふうはふづくり)の豪華な劇場が完成し、皆さんが知っている南座の姿が誕生しました。
大阪・京都を代表する劇場として、昭和の時代は大変栄え、戦時中であっても南座の風物詩である年末の吉例顔見世興行は一度も途絶えることなく、辛い時代の人々の支えとなったと言われています。

1990年(平成2年)からは大改修工事がはじまり、1991年(平成3年)には祇園四条の町観にとけ込んだ外観を残しながら、最新設備を採用し新装開場を迎え、同年11月から12月にかけては吉例顔見世興行が行なわれて、平成の南座として新たなスタートをきりました。
1996年(平成8年)には、南座は、国の登録有形文化財に指定されますます祇園四条の代表的な建物となっていきました。

現在の南座は、残念ながら休館しています。
耐震性能の基準値を満たしていないことが判明したために大規模改修工事計画を進めている最中です。
南座は、国の登録有形文化財である京都市の歴史的意匠建造物となっています。
私たちから次代へ継承発展のためにしっかりとした工事が進むことを祈るばかりですね。

祇園四条の楽しみ方

 

祇園新橋・祇園白川(ぎおんしんばし・ぎおんしらかわ)

 

祇園新橋・祇園白川(ぎおんしんばし・ぎおんしらかわ)

京都を舞台とするドラマなどで必ず出て来る場所です。
趣のある木の欄干橋、その下を流れるせせらぎ。
祇園新橋・祇園白川は、祇園東の芸妓さん・舞妓さんのお茶屋が立ち並び、奥ゆかしく古風な情緒のある街並みが広がっています。
この街並みは、祇園新橋として伝統的建造物群保存地区に指定されています。

その歴史は古く、八坂神社が祇園社と呼ばれた頃の門前町として平安中期頃から発展していました。
先にも述べたように八坂神社の参拝客や芝居客相手の茶屋町が作られ、それらは「祇園外六町」と称呼ばれていました。
1732年(享保17年)になると、江戸幕府より茶屋営業の許可が下り、元吉町・橋本町・林下町・末吉町・清本町・富永町の「祇園内六町」が開発されました。
現在の祇園新橋は、この元吉町にあたります。
江戸時代末期から明治時代初期にかけて大変賑わい、江戸末期には500軒もの茶屋があったと言われています。
昭和になり戦後には、祇園一帯は歓楽街として乱開発が進み、数多くの古い茶屋が新しいビルに変貌していきましたが、祇園新橋の人々は以前からの古き良き茶屋の町並みを現代に守り続けています。

祇園白川は、巽橋や辰巳大明神など見どころがあります。
巽橋は、木製の欄干を持つ小さな情緒溢れる橋で、テレビで見た事がある方が多いのでは。
辰巳大明神は、舞妓や芸妓の信仰を集めている小さな神社です。
辰巳大明神は、諸芸上達のご利益があるといわれているので芸能関係の方も多く参拝します。
近くを流れる白川に沿って桜並木があり、春が桜の名所としても有名です。
毎年夜は、ライトアップをしていましたが、2017年は残念ながら中止となってしまいました。
2018年はどうなるでしょうか?

花見小路(はなみこうじ)

 

花見小路(はなみこうじ)

花見小路をご存知ですか?花見小路は、北は三条通り南は建仁寺まで通ってるる約1キロの小路です。
小路の周辺には、寺社仏閣や祇園甲部のお茶屋、京都らしい飲食店などが立ち並んでいます。
保存地区となっており、祇園四条の中でも祇園新橋と並んで、祇園らしい情緒が色濃く残る場所の一つです。
通りを散策するだけでも様々な発見があり楽しめます。

花見小路は、明治初期に開発された小路。
明治初めは、建仁寺の寺領一部が京都の自治体のものとなり、それにともなって交通の便を良くするために花見小路は造られたと言われています。
その後、1949年(昭和24年)に道の幅を広くする工事が行われました。
2001年(平成13年)には京都の景観を守るためにすべての電線が地中に埋められ、アスファルト敷きだった小径には、石畳が敷かれました。
より京都らしい風情となり、現在も観光客に大変人気の通りとなりました。

特に、有名なのは祇園の中でも最も格式の高く由緒あるお茶屋「一力亭」です。
忠臣蔵を題材とした歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも登場したり、幕末に活躍した新撰組の近藤勇や薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛も通ったと言われている歴史的なお茶屋。
運が良ければお茶屋に向かう、舞妓さんや芸妓さんの姿が見られるかもしれません。
一見さんお断りなので、簡単に中に入ることはできませんが、この建物を外から見るだけでも一見の価値があります。

祇園さゝ木(ぎおんささき)

 

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6月7日wed☔️ * 今日は毎月恒例お着物ランチ? 京都祇園さゝ木 へ あいにく雨のため、お着物ランチなのに洋服で参加? 今回は8名だったので二階の個室となりました❣️ カウンターだとお料理のお話などしながら食べられるそうですが… また予約が取れたら、次はカウンターで雨降ってない日に行きたいな〜 ?ささ木お料理写真 ?最後の写真は帰りに近くのスーパーで見つけた?イタリアンパセリ あずき?へのお土産? * #お着物ランチ #祇園さゝ木 #今週土曜日着付教室イベントで着物着るからまあいいか #来月はヒラマツ #きなこにお土産無し

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祇園四条で、大変人気のあるレストランが、「祇園ささき」です。
現在、京都で一番予約を取るのが難しいお店と言われており、2010年から8年連続でミシュランガイドで2つ星を獲得している名店。

お店の中は、16人が横一列に並ぶ形式の一枚板のカウンター。
出される料理は京料理ではなく、魚を中心とした創作和食。
ご主人である佐々木浩さんが作り出す料理の数々は、見た目も斬新で味だけではなく、目でも楽しませてくれると大変評判が高いです。
メニューはコースとなっており、内容は季節などにより頻繁に変わるそうですが、そのコースも味は格別との噂。

また、なかなかお店に訪れるのが難しい方でも、お店のランチコースのデザートとしても提供されているパウンドケーキを通販で購入することが可能です。
京都の宇治抹茶をふんだんに使用した生地に北海道の小豆を混ぜ込んだ抹茶あずき・粒よりの能登産大納言小豆をちりばめた豊かな味の大納言あずき・シンプルなプレーン。
その3種類が入ったセットが大体3000円代で購入することができます。
ふんわりとした焼き上がりのパウンドケーキに興味がある方は、「 祇園さゝ木 パウンドケーキ」で検索をしてみて下さいね。

店名: 祇園さゝ木

住所: 京都府京都市東山区八坂通大和大路東入小松町566-27

アクセス: 京阪祇園四条駅より八坂通り沿いで徒歩10分くらいです。

料金: ランチ: 6000円位・ディナー: 25000円位

営業時間: ランチ: 12:00~12:30(L.O) / ディナー : 18:30~

定休日: 日曜・第2月曜・不定休

祇園四条で素敵な体験

 

着物で散策

 

着物で散策

祇園四条を歩いていると浴衣や着物姿の人が多いことに気付きます。
最近は、祇園四条に着物レンタルのお店が大変多く、着物を気軽に着て京都散策を楽しむことができます。

少し小径に入ると寺院や古い町屋が建ち並ぶ祇園四条エリアでは、奥ゆかしい着物が大変似合います。
自宅から着物を着ていくとなると荷物も着付けも大変ですが、着物をレンタルするこことで気軽の和装体験をすることが可能です。
祇園四条駅周辺には、ざっと検索しても20件以上の着物レンタル店があります。
最近では、ネットで気軽に事前予約ができますし、男性用のも用意されカップルで和装大変できるところも多いの人気の理由です。
お店によって、半日・1日とレンタル時間を決めることができるので、日帰りの方でも宿泊でのんびりの人でもご自身の時間の都合に合わせて利用することが可能。
価格もお一人3000円くらいからとお手頃です。

また、せっかく着物を綺麗に着付けてもらえるので、自撮りだけでなくプロのカメラマンに本格的に撮影をしてもらえるプランも人気があります。
八坂神社や建仁寺、花見小路など撮影ポイントなど実に沢山あるので、素敵な写真が撮れそうですね。

舞妓変身体験

 

舞妓変身体験

祇園四条では、舞妓さんや芸妓さんに出会うことも珍しくありません。
そして、ご自身が舞妓さんや芸妓さんに変身することも可能です。

舞妓・芸妓さん変身体験スタジオが最も多く集中しているのが祇園四条エリア。
着付けからヘアメイク、撮影までを専門の人たちが手がけてくれて、本格的な変身体験ができるとしてとても話題を集めています。
特に海外からの旅行者に大人気。
最近では、舞妓さん変身のみならず、豪華絢爛で艶やかな装いの花魁・芸妓さん・十二単の装束・お子さん専用の舞妓変身など様々な衣装が用意されており、沢山の変身を楽しむことができます。
また、男性にも侍や新選組の衣装などが用意されており、カップルや家族でも記念撮影を楽しむことができます。
撮影だけでなく、散策付きのプランもあるので、京都旅行の思い出にぜひ、一度変身大変をされてはいかがでしょうか?料金は、変身後写真撮影プランなら7000円位〜散策付きプランですと10000万円位〜からあります。

筆者も何度か京都で舞妓変身を体験しています。
最近の変身スタジオでは、より自然に見えるように地毛を織り交ぜた「半かつら」で髪を結い上げてくれたり、着物も正絹であったりと本格的な舞妓体験をすることができます。
散策に出掛けると海外の旅行者の方はもちろん、日本の旅行者の方たちから沢山写真をお願いされるので、少し恥ずかしいですが本当の舞妓さんになったようで楽しいですよ。

歴史ある町並みをぜひ散策してみて下さい!

 

いかがでしたでしょうか?京都にある最大の繁華街「祇園四条」について、詳しくご紹介しました。

日本情緒溢れる町並みや美しい鴨川など見どころが実に沢山あります。
着物レンタルや舞妓さんに変身体験をしながら、寺社仏閣を散策すると普段とは違った様々な発見があるかもしれません。
運が良ければ本物の綺麗な舞妓さんや芸妓さんに出会えるかも知れません。
ぜひ、一度「祇園四条」周辺を散策してみて下さいね。

photo by PIXTA