夫の父に見初められ…絶世の美女・楊貴妃の栄華と悲劇の生涯

公開日:2019/3/19 更新日:2020/3/5

中国四大美人のひとり・楊貴妃

 

さて、ここからは楊貴妃という女性自身について見ていきたいと思います。

18子とはいえ、皇帝の息子に嫁いだということはそれなりの身分と教養、容姿に恵まれていたことは否定しようもありません。
そして、その中で容姿がずば抜けていたことは、現代に伝わる文献などでもわかりますよね。

中国の歴史には「中国四大美人」という4人の美女が登場します。

春秋戦国時代の西施(せいし)、漢の王昭君(おうしょうくん)、三国時代の貂蝉(ちょうせん)、そして楊貴妃です。

彼女たちを表現する「沈魚落雁 閉月羞花」という言葉があるのですが、これは、「川で洗濯をする西施の美しさに魚が泳ぐのを忘れ、異民族に嫁いだ王昭君が故郷を思って琵琶を弾くとその美しさと調べに雁も落ちてくるほどだった。
そして貂蝉が物思いにふける姿はあまりに美しく、月が雲に隠れてしまい、楊貴妃が後宮の庭の花に手を触れると、彼女の美貌と匂い立つ香気に花も恥じらい頭を垂れてしまった」ということなんです。

花も恥じらう、という言葉はここから来ているんですね。

その美しさ、天井無し

 

楊貴妃の美しさを伝える当時の史料や文学作品は数々残されていますが、楊貴妃の時代から少し後、806年に詩人・白居易(はくきょい)によって作られた長編詩「長恨歌(ちょうごんか)」がとても有名です。
実はこれ、紫式部の源氏物語にも大きな影響を与えている詩なんですよ。

玄宗と楊貴妃のロマンスを描いたこの長編詩には、随所に楊貴妃の美しさを伝える表現があります。

「彼女が振り返って笑えば、後宮の美人たちも色あせてしまうほどだ」とか、「花のような美しい顔」とか、「芙蓉のような顔、柳のような眉」などと彼女の美貌を伝えているんです。
芙蓉とは蓮の花のことで、特に古代中国では美人を形容する言葉でした。
柳のような眉というのも、美しいアーチを描いた眉のことで、これもやはり美人を指す言葉なんですよ。
「柳眉を逆立てる」なんてことわざもありますよね。

肌も美しく、雪のような肌という表現も詩の中で見られます。

加えて、とても良い匂いがしたそうなんです。

それが彼女の体臭なのか香料のせいなのかはっきりしないのですが、先にご紹介した「羞花」のように、彼女の良い香りに花もはじらうほどだったということですよ。

いい匂いのする美女、これで男性が落ちないわけがありませんよね。

すべてにおいて超一流の才能

 

美しいだけでなく、楊貴妃は聡明で歌舞音曲にたいへん優れていたと伝わっています。
琵琶や打楽器などはプロ級で、後宮の楽人も及ばないほどだったそうなんですよ。

また、彼女のために玄宗が作曲した幻の曲「霓裳羽衣(げいしょううい)の曲」というものがあり、彼女はそれに合わせて美しく舞ったといいます。
ただこの曲、経国の曲だということで忌み嫌われ、安史の乱の後に散逸してしまったんですよ。
そして後に復元されたため、完全オリジナルは玄宗や楊貴妃のみぞ知る、というところですね。

彼女の聡明さ、機転の利く様子を表したエピソードもあります。

ある時玄宗が皇子と碁を指していましたが、玄宗が負けそうになりました。
それを見た楊貴妃、イヌを放して碁盤をめちゃくちゃにさせ、勝負をあいまいにしてしまったのです。
玄宗はそれをひどく喜んだそうですよ。
プライベートとはいえ、皇帝を負けさせずにしっかりと立てた彼女は、皇帝のプライドをくすぐるのが上手だったと言えますね。

ちょっとふくよか、でもそれがいい

 

今でこそ、女性は痩せている方がいいなんて風潮がありますが、昔はそうでもありませんでした。
中国の影響を受けた日本でも、平安時代にはふくよかな女性が美人とされましたが、その大元の中国でもまた、ふっくらとしているのが女性の美の条件でもあったんです。

楊貴妃もまた、ふっくらとしたグラマーな女性でした。

女性のすぐれた容姿を指す言葉として、中国には「環肥燕痩」という言葉があります。
「環肥」とは楊貴妃のことを指しており(楊貴妃の本名は玉環)、「燕痩」とは前漢の成帝(せいてい)の皇后・趙飛燕(ちょうひえん)のことを指しています。
ふっくらとした楊貴妃に対し、趙飛燕は痩せ形の美人だったそうですよ。

しかし、楊貴妃は自分がふっくらしているのを少し気にしていたところもあるようです。

玄宗は彼女の前では趙飛燕の話題を避けたとも言われています。
ところがある時口を滑らせ、楊貴妃を「そなたなら風に飛ばされてしまうこともないだろうな」とからかってしまい、彼女の機嫌をいたく損ねてしまったそうです。
慌てて、美しい屏風を贈って機嫌を取ったそうですが…。
玄宗、もう少し女性の気持ちを考えないといけませんね。

こういうところがあったと知ると、可愛いなと思いませんか?

それなりに嫉妬もします

 

美しさと皇帝の寵愛に恵まれた楊貴妃ですが、ひとりの女性らしく時には嫉妬をすることもありました。

玄宗は彼女がいちばんといえど、やはり皇帝です。
後宮には何百人もの美女がおり、時にはちょっとそっちへ…ということもあったでしょう。

すると、楊貴妃はそれに嫉妬してしまうこともあったそうなんです。
それが度が過ぎたのかどうかは不明ですが、何度か玄宗の不興を買って楊一族の屋敷に送り返されるということもあったんですよ。

しかしたいていは楊貴妃がしおらしく謝り、それを玄宗が受け入れてさらに愛が深まる…ということでした。
ごちそうさまです。

パーフェクトな美女でも嫉妬してしまうこともあるんですね。
嫉妬して喧嘩してしまっても、素直に謝るというのが、楊貴妃の性格を表しているように思います。
そんなところも玄宗に愛された理由なのではないでしょうか。

二人の恋物語「長恨歌」

 

白居易による詩編「長恨歌」には、栄華をきわめた2人の様子だけでなく、その後の悲劇も描かれています。
そして、2人の魂の再会も描かれているんですよ。

王と妃が出会い、愛を深めていく様子と、反乱が起きたことで2人が都を追われ、その途中で妃が殺されてしまうというストーリーは、まさに玄宗と楊貴妃の人生そのものを描いています。

史実から離れ、文学作品としての長恨歌の魅力が発揮されるのが、残された王(玄宗)が亡くなった妃と再会を果たす後半部分です。

妃を失い嘆き暮らしている王のもとに、ある道士が訪れます。
人の魂を探し出すことができるという彼に頼んで、王は妃の魂を探してもらうことにしました。

そして、妃の魂が仙人の住まう山に暮らしていることが判明します。
彼女は王の魂の元に現れて生前の恩に深く感謝し、2人は永遠の愛を誓って別れるのでした。

その時に、「願わくば、天にあっては比翼の鳥となり、地上にあっては連理の枝となりましょう」という言葉が交わされるのですが、この「比翼の鳥」と「連理の枝」が2人の愛の深さを物語るキーワードとなります。

「比翼の鳥」とは中国の伝説上の鳥で、雄と雌がそれぞれ目と翼をひとつずつ持ち、飛ぶときは対になって寄り添うように飛ぶと言われています。

一方、「連理の枝」とは、並んで生えている別々の木が、枝同士で絡まり合ってひとつになっている様子を言います。
昔、愛し合っているのに別々の墓に葬られてしまった夫婦がおり、その墓から生えた2本の木の枝と葉が互いを求めるように絡み合っていたという故事が元です。

これらは両方とも仲睦まじい夫婦の様子を指しており、永遠の愛の象徴でもあるんですよ。
つまり、玄宗と楊貴妃の愛は美しいロマンスとなって後世に伝えられていったんです。

次のページ
楊貴妃は悪女なのか? >>