夫の父に見初められ…絶世の美女・楊貴妃の栄華と悲劇の生涯

公開日:2019/3/19 更新日:2020/3/5

楊貴妃の墓が日本にある!?

 

楊貴妃の墓が日本にある!?

山口県長門市の二尊院(にそんいん)という寺には、楊貴妃の墓とされているお墓があります。

寺に伝わる話によると、楊貴妃を殺すよう玄宗に要請した将軍が、玄宗のあまりの嘆きぶりに哀れをもよおし、楊貴妃を殺すと見せかけて船に乗せて逃がしたというものでした。
それが長門の向津具(むかつく)半島に漂着したというのです。
楊貴妃は間もなく死んでしまったそうですが、人々は哀れに思ってその遺体を葬ったということでした。

そして、楊貴妃が玄宗の夢枕に立ち、自分が日本で死に成仏できずにいるので供養して欲しいと頼みます。
そこで玄宗は使者を遣わせましたが、使者はその寺がわからずにとりあえず京都の寺に仏像2体を置いていきました。
後に楊貴妃が埋葬された寺が判明すると、日本では京都の寺におさめられた仏像と同じものを1組作り、京都と二尊院とでそれぞれ1体ずつを分け合ったということです。

現在、二尊院の境内には「楊貴妃の里」という中国風の庭園があります。
そこには彼女の享年(38歳)にちなんで高さ3.8mとした白大理石の楊貴妃像があるんですよ。
これは、彼女が亡くなった中国の馬嵬坡(ばかいは)に建てられているものと同じものです。
そして、二尊院にあるこの像は彼女が住んだ都・長安(現在の西安)の方角である西を向いています。

実はこの時、楊貴妃に阿倍仲麻呂が同行していたという伝説もあるんですよ。
オペラになったりもしています。
真相はいかに…というところですが、こういう歴史ロマンも面白いですよね。

傾国の美女。だが楊貴妃は真の悪女ではない

 

安史の乱が起きたのは、玄宗が楊貴妃に溺れて政務を顧みなくなったために唐の屋台骨がきしみ始めたからでした。
確かに彼女が一因ではありますが、あくまで彼女はそこに存在し、玄宗の妃であっただけで、彼女は政情に介入はしていないのです。
打算的に彼女に近づいた安禄山でさえ、彼女の死に数日間も涙を流したといいますし、彼女は美しさだけでなくその性格も「できた」女性だったのではないでしょうか。
彼女の行動について、悪評は史実には残されていません。
それが何よりも証拠だと思います。
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