初めてのベネチアなら見逃せない!1000年の栄光を感じる歴史スポット11選

海の上に浮かぶ幻想的な光景が印象的な街・ベネチア。

イタリアの観光でも人気のこの街には見どころがたくさんあって、初めて訪れる方はまず何からみたらいいのか迷うほど。

そんな初めてのベネチア観光でこの街の魅力と歴史を感じられるスポットをピックアップいたしました。

ベネチアの定番スポットから離島まで11つのスポットをぜひチェックしてみてください!

街の中心地 サン・マルコ広場

街の中心地 サン・マルコ広場

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ベネチアの中心としてとても有名なサン・マルコ広場。

この広場は本島の南側にあり、運河の入口にあたります。

9世紀頃にベネチア共和国の政治の中心地が本島に移り、開拓されてこの広場が共和国の玄関口となりました。

ベネチア共和国は海洋国家でしたので、街の玄関口は海側。
海から訪れる人々がベネチアに着いた時に最初に目にするこの玄関口が最も美しく見えるように演出されています。

最もベネチア共和国が栄えた15世紀から、現在でも見られるように党首(ドーシェ)の住まいと礼拝堂があり、この街の栄華を感じるとこができます。

ベネチアと海のつながりは永遠に

ベネチアには毎年キリスト昇天祭(復活祭の40日後の木曜)がある週の日曜日に行われる「海との結婚式」という儀式があります。
ドーシェ(現代はベネチア市長)が金の船に乗ってこのサン・マルコ広場からリド島への近海に出て、「海よ、永遠にベネチアとの繁栄が続くよう汝と結婚する」と唱えながら海へ指輪を投げ入れます。

この儀式は宗教行事ではなく、11世紀にアドリア海の対岸ににあるダルマチア地方の海賊を撃退しアドリア海をベネチアの配下にしたことと、12世紀に対立していた神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ1世とローマ法王アレクサンドル3世の仲介をし、アレクサンドル3世よりサン・マルコから譲られた指輪を授かり、毎年海との契約を結ぶように言われたことがはじまりです。
この2つの出来事が起こったのがちょうどキリスト昇天祭の時期でした。

それ以来、ベネチアは海との結婚式を行うようになりました。

サン・マルコ広場から黄金の船が出て行くたいへん豪華な儀式です。

黄金のサン・マルコ寺院

黄金のサン・マルコ寺院

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サン・マルコ広場の中をぐるりと見渡すと周りにはたくさんの建物があります。

その中でもひときわ目を引くのが金色のモザイクで輝くサンマルコ寺院。

828年にエジプトのアレキサンドリアから2人のベネチア商人が運んできた聖人マルコの遺体を祀るために9世紀に建てられたロマネスク・ビザンチン建築の建物です。

聖マルコはキリストの福音書の4人の1人で、この街の守護聖人とされており、彼のシンボルが有翼の獅子でした。
そのため、ベネチアの権威の象徴として黄金の有翼の獅子がいたるところで観ることができます。
このサン・マルコ寺院の正面上部にも聖マルコの像の下、有翼の獅子が見えます。

正面には5つのモザイクがり、そこには聖マルコの遺体を運び出す一連の伝説が描かれており、バルコニーにはベネチア提督が率いる十字軍がコンスタンチノープルを占領した記念に1204年に持ち帰った4頭のブロンズ製の馬像のコピーが広場を見下ろしています。

西向きに建つこの寺院は夕暮れが最も美しく、正面のモザイクの金色が夕陽に反射して一層輝きをますのです。

サン・マルコ寺院の中は黄金でキラキラ

内部はビザンチン建築に特徴的なギリシヤ十字架様式(縦横が同率の長さの十字架の形)で、床、壁、天井のクーポラは大理石やモザイクで飾られています。
キリストにまつわる聖書の場面が描かれています。

内陣の奥には聖マルコの遺体が収められており、寺院最大の宝物である金銀細工芸術の粋を集結させた細やかな細工と金色に輝くパラ・ドーロと呼ばれる祭壇画があります。
1300粒のパールと400のガーネット、300のエメラルドとサファイア、90のアメジスト、ルビー、七宝焼きなどで飾られた祭壇画は圧巻です。

そのほか、共和国が遠征などで得た宝物なども見ることができ、何もかもがキラキラと輝き、そこに当時の隆盛を感じることができます。

政治の中心だった ドゥカーレ宮とため息橋

政治の中心だった ドゥカーレ宮とため息橋

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サン・マルコ寺院の横にベネチア共和国の豪奢な富と権力を象徴するかつてのドーシェが住んだ居城だったドゥカーレ宮殿があります。

居城としてだけでなく、国会や行政、裁判が行われた場所でもあり、小運河を挟んだ牢獄もありました。
ドゥカーレは終身任期の総督で、その治世は元老院などの有力貴族達に常に監視されており、権力が1人に集中しないようになっていました。

外観は薄らとピンクがかった幾何学的なひし形の大理石と、繊細レースのようなエレガントなアーチで彩られており、ベネチア・ゴシック建築の様式の中に異国情緒を感じることができます。

内部は主に3階と4階を観ることができます。
黄金の化粧漆喰で豪華に飾られたドーム天井の黄金階段を登っていくとたくさんのベネチア派のティツィアーノやティントレット、ヴェロネーゼなどによるベネチアやドーシェにまつわる絵画が飾られています。

光と影をつなぐ橋 ため息の橋

豪華な大広間と対照的にこの建物の地下や天井裏は牢獄に使われていました。
その形跡も残っており、天井裏の牢獄は18世紀の伊達男として有名なカサノヴァが捕らえられていました。

16世紀には衛生面から新しい牢獄が小運河を渡ったところに作られました。
ドゥカーレ宮とこの牢獄の間にある「ため息の橋」はドゥカーレ宮で有罪判決を受けた者が渡った橋で、この世俗との別れにため息をついたことからその名前がついたと言われています。

ベネチアの盛衰を見届ける 時計塔

ベネチアの盛衰を見届ける 時計塔

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広場のアーケードの一角に15世紀に建てられた深い青色の文字盤が印象的な時計塔が建っています。

これはベネチア・ルネッサンスを代表する建築家マウロ・コドゥッチによって設計されました。

この時計塔は大きな時計の文字盤、半円のバルコニーから見下ろす聖母子像とベネチアの象徴である有翼のライオンと鐘を鳴らすムーア人の人形の構成でできています。

キリスト教国であったベネチアでしたが、この時計塔は聖母子像の上に、有翼のライオンが記されています。
ベネチア共和国の時代、政治に宗教がかかわることを極端に嫌っていました。
この配置はまるでキリスト教勢力は共和国政府の配下にあることを示しているようです。

デザインも作りもベネチアならでは

この時計台は大きくラピスラズリの文字盤が黄道12宮を表した天文時計で、船乗りや商人たちのために航海に出る時期がわかるように作られています。
また、文字盤の月の満ち欠けから潮の干満も知ることができました。

海洋国家であったベネチアにとってはとても重要な時計でした。

時計塔の一番上には自動式の鐘をつくムーア人の人形があり、正午になると大きな鐘を鳴らします。
このムーア人は若いムーア人と年配のムーア人のコンビです。

正午の5分前に年配のムーア人が鐘を打ち、正午には若いムーア人が鐘を打ちます。
かつては時を知らせる鐘つきがこの時計塔に住んでいましたが、現在はすべてが自動なっています。

時を知らせることが目的でしたので、正午の鐘は聞き間違えないよう二回鳴らしているそうです。

また、年に2回、1月6日とキリスト昇天祭(復活祭から40日後)の毎時には仕掛け人形の大天使と東方三博士たちが聖母子の前に姿を表します。

この時期にベネチアへ訪れることができたらぜひ見ておきたいですね。

絶景ビューポイント サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会

絶景ビューポイント サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会

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サン・マルコ広場をぐるりと巡った後は、ベネチアの全貌をみるのにぴったりなサン・ジョルジョ・マッジョーレ島へ渡ってみましょう。

広場を港側に出て東に行くと、ベネチアの足でもある水上バスの乗り場があります。
ここからひと駅、向かいの小さな島に渡ることができます。

このサン・ジョルジョ・マッジョーレ島はドラゴンと戦った古代ローマ時代の殉教者「聖ジョルジョ」に捧げられた島です。
水上バスで近付くとすぐ目の前にせまってくる静謐で美しいたたずまいの教会がサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。

この教会の設計は16世紀のベネト地方を代表するアンドレア・パッラーディオのものです。
ルネサンス時代まで彫刻家や画家が建築設計をすることが多かったのですが、古代ローマの建築を学んだ彼は建築だけを専門に行った初めての建築家だと言われています。

この教会の正面(ファサード)はコリント式の4本の円柱で飾られ、サン・マルコ広場から見たときに最も美しくなるように計算されていると言われています。

内部はとてもシンプルで、白とベージュ色の壁や天井に中央部分にクーポラがあります。
また、ティントレットの「最後の晩餐」「マナの収拾」が祭壇の前に向かい合っています。

鐘楼にのぼってみよう

教会は16世紀に着工して作られましたが、その付属の鐘楼は18世紀に建てられました。

この鐘楼はエレベーターで上まで登れます。

ベネチアの街には鐘楼以外に高い建物は基本的にはないため、運河や島全体を見渡すには、教会に付属している鐘楼に登ることになります。

鐘楼で定番なのはサン・マルコ広場にある鐘楼ですが、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼だとサン・マルコ広場やドゥカーレ宮などが一望でき、その隣のジューディッカ島はもちろん、天気がよければ遠くのドロミテの山のシルエットすら見ることができるのです。

ベネチアの街全体を見るなら金網などもないサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼をおすすめします。

大運河 カナル・グランデ

大運河 カナル・グランデ

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鐘楼からベネチアの街を見下ろして、その形がわかったら今度は最も人々が船で行きかう大運河カナル・グランデをみてみましょう。

ベネチアの島は人工的に潟に木の杭を打って土台を作り、その上に建物を建ててできた島です。

そのため、自然に海底の高いところに島ができ、低くて船が通れるほどの水深がある箇所が運河となっていきます。

自然に作られた本島の真ん中を逆S字に通るカナル・グランデは街ができた時からベネチアの幹線道路の役割を果たしていました。

幹線道路を通じて人と物資が運ばれますので、主要な建物や大邸宅はカナル・グランデに沿って建てられることが多く、今でもその建物を観ることができます。

ベネチアの建物の正式な入口は道路側ではなく、運河側。
なのでベネチアの建物を楽しむには運河を通りながら観るのがお勧めです。

ベネチア建築の見本市

カナル・グランデには、ベネチア共和国が栄えた中世からルネサンス、18世紀までの建築様式の館が建ち並んでいます。

その様式は時代的に大きく6つに分かれます。
アラブとビザンチンの影響を観られるロマネスク、植物模様と尖塔アーチのある中世ゴシック、円と半円アーチのある色彩豊かな大理石でできた初期ルネサンス、大きな建物で開口部が大きく半円アーチの窓が正面に繰り返される盛期ルネサンス、彫刻で飾られる重厚なバロック、18・19世紀の新古典主義。

陸からの電車の終着駅前にあるローマ広場から水上バスに乗り、サン・マルコ広場へ向かうとこれらの佇まいを一度に観ることができます。

中でも注目したい3つの館。
ひとつ目は現在東洋美術館と現代美術館となっている「カ・ペーザロ」。
1階は重量感のある切り石積みで、2・3階は円柱と大きな窓で装ったバロックの代表的な建物です。

ふたつ目は植物模様をアーチにした柱廊のあるゴシック様式の「カ・ドーロ(黄金の館)」。
昔はすべて金箔で覆われており、館が黄金に輝いていました。

最後に多彩な色の大理石がはめられた小ぶりながらも宝石のような初期ルネサンス様式の「パラッツォ・ダリオ」。
これは呪われた建物と言われ、ここに住んだ人は破産や殺人、自殺などの不幸な運命に陥るという伝説があります。

その他にもたくさんの館がありますので、次から次へと現れる美しい館を楽しめます。

ベネチアの経済の中心地 リアルト橋

ベネチアの経済の中心地 リアルト橋

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カナル・グランデのちょうど真ん中あたりに差し掛かると、白く優雅なアーチ型の太鼓橋が現れます。

リアルト橋は「白の巨像」とも呼ばれる、カナル・グランデにかかる4本の橋の1つで、長さ48メートル、高さ22.1メートルと1番大きな橋です。

リアルト橋がある辺りは、ベネチアがさらに海への進出を迫られた時に作られました。

この辺りは潟の中でも海抜が高く、洪水にあう事が少なかったため自然に集落が生まれ、主に商業や経済の中心になって行きました。

ベネチアで主要産業だった銀行や東西貿易の商取引所などが集まり、ベネチアの富がこの橋の周辺に集中していたので、「富の橋」と呼ばれていました。

陸から運ばれてくる商材は一旦この付近で集約されるため、陸の関所と言われていました。

19世紀にアカデミア橋が完成するまで、カナル・グランデにかかる橋はこのリアルト橋だけでした。

ミケランジェロもコンペに参加

最初にリアルト橋が架けられたのは12世紀。

15世紀までリアルト橋には木製の跳ね橋がかけられていました。
木製という事もあって火事にもよく合う事が多く、1444年にフェッラーラ公のパレードがあった際にはパレードをひと目見ようと集まった人々の重みで落ちた事もありました。

16世紀になり、木製ではなく石造りの橋をかけることになり、コンペが行われました。
このコンペにはミケランジェロも参加しました。
最終的に決まったのはアンドレア・デ・ポンテ。
彼の案は船の往来が多いこの橋の事を考えた大きなアーチを描く太鼓橋でした。

そして、橋の上には店舗が建ち並び、現在もその姿が街のシンボルとして愛されています。

ペスト終焉の感謝を捧げた サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会

ペスト終焉の感謝を捧げた サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会

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カナル・グランデを抜けて運河が終わり海へ近付いた右手に見える白いドーム屋根を頂いた教会が、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会です。

1681年に、ベネチア・バロック建築の巨匠ロンゲーナの設計で作られました。

聖母マリアに捧げられたこの教会は聖母マリアの星である8角形の建物で、その周りに福音の聖人たちの彫刻が配されています。

ドームの屋根が印象的で、サン・マルコ広場からカナル・グランデを挟んで観た光景が美しく、絵画で何度も描かれているほどです。

聖母マリアに感謝を捧げ続けます

15世紀からヨーロッパ全土を襲い、その後17世紀までで人口の3分の1を奪った黒死病(ペスト)が終焉を迎えたことを感謝して、聖母マリアに捧げられた教会です。


ベネチアの人はこの教会を「ラ・サルーテ」と短く呼びますが、イタリア語で「健康」を意味しています。

その感謝は今でも変わらず、毎年11月21日に聖母マリア奉献祭が1681年から行われています。

その日には、サン・マルコ大聖堂から出発した行列が、この日のために作られた仮設の浮き橋を渡ってサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会へ参拝します。

ベネチア発祥の島 トルチェッロ島

本島よりも東北にあるトルチェッロ島はベネチア発祥の地のひとつ。

ベネチアの街はイタリアのその他の主要な街と異なり、古代ローマ人が築いた街ではありませんでした。

ローマ帝国が東西に分裂した後に東からゲルマン系民族などの蛮族がイタリアに流れ込んできます。
最も恐れられたフン族のアッティラが迫ってきました。
逃げ場を失ったベネト地方の人々は沼地の潟に逃げることを決めます。
潟の上に木の杭を打ち込み、それを土台にして島を作ることで、襲ってくる蛮族が近付くと木の杭を抜いて渡って来れないようにしたのです。

こうして生まれた島々がベネチアの始まりでした。

トルチェッロ島は重要な街として栄え、2万人が暮らしましたが、マラリアの蔓延によりほかの島々へ移住し、建物もほとんど解体されて運ばれたため、今ではとても静かな島です。

ベネチア最古の教会

サン・マルコ寺院よりも2世紀も早い7世紀に建てられたベネチアで最も古い教会、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂。

9世紀と11世紀に改築され、付属の鐘楼も11世紀につけ加えられました。

内部はビザンチン様式で、大理石の床のモザイクは11世紀のものです。

内陣には12~13世紀の黄金に輝くモザイク「12使徒と聖母子」があり、反対側正面には「最後の審判」のモザイク画あります。

静かな島の時間の間に歴史の時間を感じることができる場所です。

漁師の島 ブッラーノ島

漁師の島 ブッラーノ島

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トルチェッロ島の南側にある4つの島からなるブッラーノ島。

この島はよくベネチアの観光写真で紹介されています。

緑、赤、黄色など鮮やかでカラフルな建物が建ち並んでいる島です。

この島に住む人のほとんどが漁師。
よく似た建物が並んでいるため、漁から帰ってきたときに自分の家が分かるように色分けされたのです。

特にこの地域は朝もやや霧が出やすく、港の場所も認識しにくかったため、色を頼りに戻れるようになっていました。

この街の取り決めで色も指定されており、横の並びで同じ色とならないよう話し合われているそうです。

帰りを待ちながら編む レース編み

ベネチアの特産品として有名なベネチアンレースの発祥はこの島から生まれました。

もともとは漁師の網を編む技術を応用して、島の女性たちが旦那さんの帰りを待ちながら編んだレース編み(メルレット)でした。

16世紀には大変盛んになり、日の当たる家の前に集まって女性たちが椅子に腰かけておしゃべりしなががらレース編みにふける光景がよくみられ、母から娘へとその作り方を伝承していました。

貴族の女性やドーシェの妻などの上流階級の間で、装飾必需品として好まれたことで経済的に支えられてきました。

18世紀にベネチア共和国が崩壊するとともに一旦すたれていきましたが、19世紀末に学校が作られたことで再び盛んになります。
20世紀の初めに工場が8つでき、職人が5000人ほどいました。

現在でも手編みのレースは大変貴重で、作り手がいなくなっているのです。

お土産としては大変高価ですが、伝統のレース編みの技術を実際に観ることができます。

カラフルな港とともにレースのお店の散策を楽しめる島です。

門外不出のガラス工芸 ムラーノ島

門外不出のガラス工芸 ムラーノ島

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ベネチアといえば、ベネチアガラス。
というほど有名な伝統工芸が伝わるムラーノ島。

この島は8世紀ごろアドリア海航海の重要な港となり、10世紀には塩や水車による粉ひき、漁業などで栄えました。

1291年に島の歴史は一気に様相が変わります。
当時、建物が木製だったベネチア本島で火事から街を守るためガラス製造を禁じる法令が出されました。

それによって追われたガラス職人たちをムラーノ島が受け入れたのです。

技法を流出させないために

ムラーノ島のガラスは、シリアガラスの技法とローマガラスの技法がミックスされてベネチアガラスになったと言われています。

その美しいガラス玉は15世紀にはベネチア共和国の経済を支えた重要な商品で、地中海全域からアルプスを越えて輸出され、共和国に大きな富をもたらしました。

13世紀には工場をムラーノ島に集結させ、技術の輸出は厳しく禁じられていました。
職人たちはムラーノ島に幽閉状態だったといいます。

それにも関らず他国に洩れたようで真似をされるようになりました。

ベネチアガラスは一つ一つ手作りで作られます。

その技はムラーノ島の工房で観ることができます。

現在でもお土産物屋の一部の商品にはチェコなどほかの国から輸入してきた商品をベネチアガラスだとして販売するお店もあるようです。

ベネチアガラスの技術と品質を守るため、ベネチアガラスの証明マークがありますので、お買いものされるときにはチェックしましょう。

1000年の歴史が詰まった光と影の街

ベネチアの歴史はベネチア共和国の歴史でもあります。

ルネサンス時代に隆盛を極めて、ナポレオンに征服されるまでの1000年。
共和国統治がこんなに長く続いた国はありません。

ベネチアにはほかのイタリアの街とはちょっと違う、東西の文化とベネチア共和国の栄華盛衰が混じり合った魅力があふれています。

運河のゴンドラなどテーマパークのような豪華さがありますが、その間に見え隠れする歴史も旅のスパイスとして感じてもらえたらうれしいです。

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