観光する前に知りたい!王朝文化の集大成「修学院離宮」の歴史と見どころ

修学院離宮は、京都の比叡山山麓に位置する宮内庁管轄の広大な庭園を中心とした離宮です。東京ドーム11個分に相当する約54万5千平方メートルの敷地には、上御茶屋(かみのおちゃや)・中御茶屋(なかのおちゃや)・下御茶屋(しものおちゃや)いう3つの庭園で構成されています。この修学院離宮は、好きな日に自由に参観することが出来ず、必ず宮内庁への事前予約が必要(当日枠あり)です。今回は、王朝文化の集大成とも言える修学院離宮の歴史や見どころ、楽しみ方から予約方法まで詳しくご紹介します。

【京都常連が徹底ガイドのおすすめ記事】
京都観光の理想的な日帰りプラン5つ
殿堂入り!京都お土産ランキング BEST30

修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)とは

 

修学院離宮の創始

 

修学院離宮の創始

image by PIXTA / 7279304

そもそも離宮とは,寺社仏閣とは異なり天皇の住居であり、皇居以外に設けられた宮殿を指します。
東京では、赤坂離宮や芝離宮などがありました。
現在ではそれらの離宮は、赤坂迎賓館や旧芝離宮恩賜公園となって昔の姿を今に残しています。
京都では、西京区にある桂離宮と、今回ご紹介する左京区にある修学院離宮があります。

そして、宮内庁が管轄している皇室施設が京都には5ヵ所。
それは、京都御所・大宮御所・仙洞御所・修学院離宮・桂離宮です。
2017年現在は、京都御所は予約不要の通年公開(除外日あり)、仙洞御所・桂離宮・修学院離宮は事前予約(当日枠あり)が必要ですが、一般公開されています。

修学院離宮は、1655年(承応4年)に後水尾上皇の指示で完成した離宮です。
後水尾天皇は、第108代天皇。
中宮(現代の皇后と同じ)は江戸幕府を開いた徳川家康の孫娘・徳川和子でした。
後水尾天皇は、徳川幕府との間で「紫衣事件」(高僧のみに許される紫衣の着用を天皇が許す命を出したが、幕府がその命を無効とし、天皇が激怒した事件)を契機となり、1629年(寛永6年)に、女一宮であった興子内親王(おきこないしんのう)へ天皇の位を譲り、興子内親王は、第109代天皇明正天皇となり、後水尾天皇は後水尾上皇となります。

後水尾上皇は、譲位して後、当時の文化人として大変高い教養があり、10世紀後半に「修学院」という寺院が建立されていたとされるこの地に広大な山荘を開き、見事な庭園を築き上げました。
それが修学院離宮のはじまりとされています。

修学院離宮の構成と見どころ

 

修学院離宮は、桂離宮と並び江戸初期の代表的な山荘です。
後水尾天皇は、この風光明媚な地を大層気に入り、4年の歳月をかけて大規模な山荘造営を行いました。

比叡山の麓に造られた修学院離宮は、上・中・下の三つの御茶屋から構成されており、それぞれ上御茶屋(かみのおちゃや)・中御茶屋(なかのおちゃや)・下御茶屋(しものおちゃや)と呼ばれています。
それぞれの御茶屋の間には、広大な田畑が広がっており、それぞれのお茶屋を細い松並木道が結んでいます。
総面積は、約54万㎡(東京ドーム11個分)もある壮大な離宮となっています。

上御茶屋・下御茶屋は、1884年(明治17年)に宮内省の所管となりましたが、中御茶屋は、もともと後水尾上皇の第8皇女であった光子内親王(てるこないしんのう)のために1668年(寛文8年)に造営された御所でした。
そのため、実際は修学院離宮ではありませんでしたが、1885年(明治18年に、修学院離宮の一部として編入されました。

上御茶屋(かみのおちゃや)

 

上御茶屋の構成

 

上御茶屋の構成

image by PIXTA / 13728954

上御茶屋は、人の手で作られた巨大な浴龍池(よくりゅうち)という池と日本庭園の技法の一つである多数の木を寄せて植え,築山などの一つの大きな形になるように刈り込む大刈込(おおかりこみ)を中心とした壮大な回遊式庭園となっています。
上御茶屋は、後水尾上皇が自ら設計されたとも言われており、最も離宮らしい造りとなっています。

杮葺の御成門から入り、右側は山道となっており、左は池のほとりに道があります。
その池は、浴龍池と呼ばれており、龍が泳ぐ姿を見立てた池と言われており谷川を堰き止めた人工池。
堤防は高さは約13メートル・延長200メートルとかなり大きな池です。
浴龍池には、中央に中島・北側に三保島・南側に万松塢があります。
中島には東の岸から楓橋、北の岸から土橋が架かっています。
中島と万松塢の間には千歳橋が架かっています。
池の周囲は、4段構造の石垣で補強され、その石垣を見えないようにするために3段の生垣と大刈込で覆っています。

そして、御幸門から緩やかな石段を上り、離宮内の一番高いにあるのが隣雲亭が建っています。
ここからの眺めは格別で、眼下に先ほど述べた浴龍池、遠方には山々を望む壮大な風景が広がっています。
特に紅葉の時期は、真っ赤に染まり素晴らしい庭園を眺めることができます。

上御茶屋は、隣雲亭と窮邃亭の2棟の建物があります。
この建物については、詳しくご紹介しますね。

隣雲亭 (りんうんてい)

 

隣雲亭 (りんうんてい)

image by PIXTA / 14363777

修学院離宮の一番高いところに建てられた簡素な建物です。
海抜150メートル、浴流池とは標高差10メートルあります。
創建当時の建物は、1677年(延宝5年)に焼失されたと言われており、現在の縦も建物は、1824年(文政7年)に再建されたものです。

浴龍池と風景を眺望する目的で造られた建物だけあって、とても簡素な造りになっています。
床や棚などに座敷飾りは一切なく、装飾らしい装飾は、欄間の花菱文と釘隠にみられる程度です。
主室の「一の間」は6畳・その南に「二の間」は3畳、一の間の北側には「洗詩台」と呼ばれている2坪ほどの板間があります。
洗詩台は南側を除いた三方が吹き抜けとなっており、開放的な空間になっています。
洗詩台・一の間・二の間の西側と南側は、 板張りの縁側となっており、その周囲は土庇の軒下です。
この土庇部分の三和土(たたき)には、「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれる赤と黒の小石が埋め込まれています。
二の間の東側には、中廊下を隔てて東から西へ8畳間・6畳間・6畳間が連なっていますが、ここからは、これらは浴龍池と風景を眺望できず、従者の控えの間であったと推測されてます。

窮邃亭(きゅうすいてい)

 

窮邃亭(きゅうすいてい)

image by PIXTA / 14363868

窮邃亭は、後水尾上皇によって造営された上御茶屋・中御茶屋に存在する建物のほとんどが滅失し、再建されておますが、唯一この建物が創建当時のものとされています。
江戸末期には、相当に痛んで荒廃しており、大幅な修繕はされています

この建物は、欄干付き木橋の楓橋を渡った中島の頂上に建てられています。
建築物の屋根形式は方形造りで、屋根葺きは杮葺、屋根の頂きには瓦製の露盤がありその上に切子頭の宝珠が載っています。
建物の内部は、18畳の1室のみで間仕切りなどはありません。
北側の東隅に板間が突出しており、水屋(水を扱うところ台所を指します。)となっています。
水屋には流し・天袋・地袋が設けられています。
を設ける。
座敷飾りなどはありませんが、池に面している北面から西面にかけては、ほぼ直角に曲がって、畳一枚高くした上段を設けています。
上段西の窓際いっぱいに低く欅の一枚板を渡して御肘寄としています。
また、この建物は壁で塞がれているのは、水屋部分のみで他の4面は、明障子の戸や窓と待っています。
南側上がり口の軒下には『窮邃』と描かれた額があり、これは後水尾上皇の宸筆(天皇自らが書いた文書)と伝えられています。

中御茶屋(なかのおちゃや)

 

中御茶屋の構成

 

中御茶屋の構成

image by PIXTA / 21359357

中御茶屋は、1885年(明治18年)に修学院離宮の一部に編入されました。
それ以前は、1668年(寛文8年)に後水尾上皇の第8皇女であった光子内親王(てるこないしんのう)のために造営された朱宮御所でした。
この朱宮御所は後水尾上皇死後は林丘寺(りんきゅうじ)という寺院に改められました。

中御茶屋の建物である楽只軒は朱宮御所の一部だったもので1668年(寛文8年)の造営と伝え足れています。
また、客殿は1677年(延宝5年)に造営され後水尾上皇の中宮であった和子(東福門院・徳川家康の孫娘)の女院御所の奥対面所を移築したものです。
他に、表門・中門・もとは林丘寺の総門であった瓦葺の総門などがあります。

楽只軒(らくしけん)

 

楽只軒(らくしけん)

image by PIXTA / 24290442

楽只軒は、1668年(寛文8年)に後水尾上皇の第8皇女光子内親王のためいに造営された御所。
御所ですが、非常に簡素な造りで、一の間と二の間からなり、茅葺の裳裾をつけた杮庇の建物。
楽只軒は、後水尾上皇の命名で、中国の有名な書物である『詩経』の「楽只君子万寿無期」の一文からとったものです。

東側にある「一の間」は、6畳で北側に床があり、西側にある壁貼付の絵は「吉野山桜図」と言い狩野探信の作。
「二の間」は8畳あり、西側にある壁貼付絵は作者未詳の「竜田川紅葉図」があります。
一の間・二の間の境にある柱を水平方向につなぐための長押上(ながし)にある『楽只軒』の額は後水尾院自身の筆によるものです。
一の間の南には、3畳ほどの入側という廊下、同じく二の間の南にも4畳の入側があります。
このほか、この建物には西側に5畳間・2畳間、北側に6畳間・5畳間・納戸(2畳)が存在します。
楽只軒は,光子内親王の朱宮御所としても最初の建物となっており、,その後,後水尾上皇亡き後じゃ、拡張整備されて林丘寺の一部となりました。
南側は、庭に面して広い縁側があり、床を低くとり庭との一体感を深めています。
簡素な造りの中にも趣があり,内親王の御所らしい優雅な風景が広がります。

客殿(きゃくでん)

 

客殿(きゃくでん)

image by PIXTA / 14363772

客殿は、楽只軒の南東に接して建っており、東福門院(後水尾上皇の中宮・徳川家康の孫娘)の女院御所の対面所を修学院離宮に移築したものです。

客殿の方が楽只軒より若干高い位置に建っており、楽只軒南東の板縁と客殿入側の間は直角な角度の状態で合い接する矩折(かねおり)の階段で結ばれています。
建物は入母屋造で杮葺。
西側に「一の間」・東側に「二の間」・北側に「三の間」があり、「一の間」の北側には仏間があります。
一の間は12畳。
北側の西寄りには床がり、その東に幅1間半の棚が設けられています。
棚は5枚の欅(かやき)の板を高さを違えて設置しており、霞のたなびく様ににていることから「霞棚」(かすみだな)と呼ばれており、「桂離宮の桂棚・醍醐寺三宝院の醍醐棚・修学院離宮の霞棚」と天下三名棚に一つとされています。
違い棚の下には、友禅染の張り場の風景が描かれています。
床・棚・襖を通して金泥で雲が描かれており、その上に親王公家の筆による和歌・五山僧の筆による漢詩と水墨画の色紙を貼り交ぜてあります。

二の間は10畳あり、京狩野家を継いだ狩野永敬の四季絵があります。
襖の引手には、尾長鳥丸紋のデザイン、長押には七宝の竹葉形釘隠8個があります。
南側の畳縁の杉も板戸には、一の間側に鯉と鮒、二の間側に大鯉が描かれてています。
これらの魚の絵には、すべてを覆うように漁網の網目が描き込まており、網目がところどころほつれている様子も細かく描写されています。
伝承では、この描かれた魚たちが夜な夜なこの絵から抜け出して庭の池で泳ぐので、漁網を描き加えた言われています。
他には、10畳の「三の間」・6畳の「仏間」があります。

下御茶屋(しものおちゃや)

 

下御茶屋の構成

 

下御茶屋の構成

image by PIXTA / 21580038

下御茶屋は、壮大な上御茶屋とは趣が異なっており、簡素でありながらもどこか繊細で風雅な趣があります。
池泉観賞式庭園のなかに、後水尾院が御座所としていた寿月観が建っています。
門などの付属建物以外は、下御茶屋に残る建物は唯一寿月観のみとなっています。
かつては、下御茶屋にはこのほかに茶屋の「蔵六庵」と・2階建楼建築の「彎曲閣」があったと伝えられていますすが、現在は失われてありません。
丸太の門柱に竹を並べただけの簡素な表総門を入り、左側に進むと右手石段上に御幸門があります。
御幸門を入り、右に曲がると中門が見えて、池を掘り土を盛り上げて造った高みに寿月観があります。

寿月観(じゅげつかん)

 

寿月観(じゅげつかん)

image by PIXTA / 23073847

寿月観は、後水尾院上皇の御座所(天皇や上皇などの居室)となった建物。
当初の建物は、岩倉殿という山荘から移築したものでしたが、現在の建物は,1824年(文政7年)に再建されたものです。

寿月観の東側に「一の間」・その西側に「二の間」・その南側に「三の間」が鉤の手(かぎのて)のように連なっています。
三の間の西側には、5畳の茶室があります。
軒下奥には、後水尾上皇の自ら筆をとったといわれるになる「寿月観」という扁額が目に留まります。
障子の下部分が腰板となっている腰障子と濡れ縁を巡らせた建物の造りは、驚くほどに簡素で「離宮」と言われる華麗な宮殿のイメージとは大きくかけ離れたものとなっています。
「一の間」は、15畳の広さがあり、後水尾上皇が坐したと言われる三畳の上段が設けられています。
その背面側には、一間半ほどの床と左横には半間の琵琶床と飾棚が配されています。
四枚ある襖絵には、江戸時代中期の絵師岸駒(がんく)描いたの「虎渓三笑」(こけいさんしょう)があります。
二の間は12畳あり、西側の南にある杉戸には、作者不明の夕顔の絵があります。
三の間は6畳あり、ここは従者の控えの間であったとされています。
茶室は5畳で北側に床を設けており、裏には物入と水屋(だいどころ)があります。
寿月観の前庭にある飛び石や、庭に立つ袖石灯篭も見応えがあります。

修学院離宮の参観予約方法

 

修学院離宮の参観予約方法

image by PIXTA / 27165712

修学院離宮は、宮内庁が管轄しています。
そのため、自由に参観することは出来ず、事前に予約が必要となります。
また、離宮内を自由に見て回ることも原則出来ず、係の方と一緒に説明を聞きながら進んでいくことになります。
参観料は無料です。

全ての予約方法に当てはまる注意事項ですが、

・申込みできる人数は、一度に4人までとなります。

・参観できるのは18歳以上のみで子連れでは参観できません。

・代理人による申込みは出来ません。
必ず参観する人が代表で申し込みが必要です。

・予約申込み完了後は、人数や参観者の名義などの変更は出来ません。

です。
大人数での参観希望の場合は、申し込みを分けて予約する必要がありませので、気をつけて下さいね。

インターネットによる申し込み

 

一番手軽でインターネット環境があれば、簡単に申し込みができます。
宮内庁のホームページにある参観申込トップページにある「参観申込」という部分をクリックして、注意事項を読み同意できましたら、参拝月を選択することできます。
3〜4ヶ月先まで予約することが可能です。
選択画面には、頭に×が付いていない予約可能な日付と残席人数が表示されていますので、希望日を選択し、必要事項を入力することで予約できます。
後日確認メールが通知されます。
予約ができるのは、参観希望日の3ヶ月前の1日の午前5時から3日前の午後11時59分までになります。

往復はがきによる申し込み

 

ネットが普及しているので、郵送で申し込む方は少なくなりました。
しかし、予約枠がネットと郵送では別々ですので、ネットが満員でも郵送でなら予約できる可能性があります。
申し込み方法は、往復はがきを使用します。
宮内庁のホームページに書き方が載っていますので参考にしてご記入下さい。
注意点としては、消印に気をつけて下さい。
参観希望日の3ヶ月前の月の1日から希望日の1ヶ月前の日の消印を受付しています。
消印の早い順に受付となり、満員になり次第終了となるそうです。
結果は、申し込みの約3週間後に往復はがきの返信用はがきでわかるようになっています。
確実に予約を狙うなら、予約開始と同時に3ヶ月前の月の1日に直接郵便局に持ち込むと良いかも知れませんね。

窓口での申し込み

 

こちらも、ネットと郵送とは別で予約枠があるので、「絶対にこの日に参観したい!」という方には直接窓口予約はおすすめです。
しかし、窓口というのは、宮内庁京都事務所参観係窓口で京都の今出川駅から徒歩5分の京都御所の近くにありますので、遠方の方はなかなか窓口を訪れるのは難しいかもしれません。

窓口で備え付けの専用用紙に必要事項を記入して提出します。
必ず、本人確認資料を持参して下さいね。
提出を求められます。
また、参観希望日時に空きがあれば、即許可書を発行してくれますが、その場で発行出来ない場合もあるので、返信用はがきを持参していくと、後日送付してくれます。
また、窓口は、休みが多く基本、土日・祝日・休日・年末年始は休み。
受付可能時間は、8時30分〜12時・13時〜17時までとなっているので、参観予約をする場合は、注意して行って下さいね。

当日枠での申し込み

 

以前は、上記の3つの方法でしか参観予約ができませんでした。
昨年から当日予約枠が設けられ当日に直接修学院離宮を訪れることで参観が可能となりました。
参観を希望する方は、修学院離宮の受付に当日11時頃から並んでみて下さい。
先着順に、参観時間を指定した整理券を配布されます。
定員が満員となると参観はできません。
当日参観できるのは、13時30に35名・15時に35名となっています。
(他の予約方法に空きがある場合は、増員可。
宮内庁のホームページで確認できます。)必ず整理券の受取り及び参観の際に本人確認資料が必要になるので忘れずに持参して下さいね。

しかし、当日枠での参観時間は、午後のみで当日11時頃からの先着順なので、満員となると受付は終了してしまいます。
必ず参観できる保証はありませんので、確実に参観を希望する方は他の予約方法で予約したほうが安心かも知れませんね。

素晴らしい庭園をぜひ、その目で!

 

いかがでしたでしょうか?スケールが大きく、広大な庭園を楽しむことができる修学院離宮。
上・中・下の三つの御茶屋から構成される離宮の構成や見どころ、また予約方法について詳しくご紹介してきました。
京都御所・仙洞御所・桂離宮・修学院離宮の4つが宮内庁が管轄している京都の王朝世界の名残ですので、ぜひ興味がある方は、予約してじっくりと説明を聞きながら参観してみてくださいね。
photo by PIXTA