ヨーロッパ最大の帝国となったローマ!ローマはなぜ帝国になったの?ローマ帝国への道

イタリア半島を治めるようになったローマ。この瞬間からローマ帝国がはじまりました。現在のヨーロッパ社会の基礎を作ったといわれる、古代ローマがなぜ、皇帝の支配する国「帝国」になったのか気になりませんか?今回は、古代ローマが帝国になった道のりを紐解いてみたいと思います。

地中海を統一したローマ帝国

地中海を統一したローマ帝国

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イタリアにあった都市国家からはじまったローマは、地中海世界全域を支配するほど大きな国となりました。
ローマ帝国の最大時の領土は、北はイギリスから始まり、中東やアフリカ大陸にまで広がり、「世界帝国」と呼ばれるほど拡大しています。
現在も、世界遺産の「ローマ歴史地区」には、ローマ帝国時代の遺跡が残り、多くの人々が訪れて、かつての栄光ぶりを体感しています。

ローマ帝国とは、一般的に、オクタウィアヌスが内乱を収拾し即位したときから、帝政ローマがはじまりました。
時代としては、紀元前27年のころです。
どうしてこのような世界帝国が造られたのでしょう?そして、その意義は、どんなものだったのでしょう。

遊牧からはじまった古代ローマ

遊牧からはじまった古代ローマ

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ギリシア人の攻撃により国を滅ぼされましたが、一部のトロイヤ人たちは逃れることに成功しています。
それは、いつかこのようなことが起こるかもしれないと、襲われた時の集合場所を決めていました。
そこに集まった人々は、船に乗りイタリアを目指したのです。
しかし、海はそう甘くはありませんでした。
嵐にあってしまい、イタリアどころか北アフリカの沿岸に到着してしまったのです。

カルタゴ(現在のチュニジア)では、手厚くもてなされるも、新たなトロイヤを建国するために航海を続けました。
トロイヤ人たちは、現在のローマ市内を流れるテヴェレ河口へとたどり着いたのです。
もう、お分かりでしょう。
そうです、ローマに辿り着いたのです。

ロマンスから始まったローマ

ロマンスから始まったローマ

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辿り着いた地は、ラティウムという地で、ここの王ラティーヌスにトロイヤの王アエネアスは会いに行きました。
そこで、劇的な出会いがあったのです。
アエネアスは、ラティーヌス王の娘ラウィニアに恋をしちゃいました。
日増しに愛情は深くなり、とうとう王にラウィニアと結婚したいと申し出ます。

しかし、ラティウム国内にも、ラウィニアを好きだった人がいたのです。
彼は、アエネアスに戦いを挑みました。
この戦いに勝ったのは、アエネアスでした。
彼は、愛する人を手に入れると共に、新しい自国を作ることができました。
彼はその新しい国に、愛妻の名ラウィニアと名付け、幸せに暮らしたようです。

ローマ市の前進アルバ・ロンガ

二人には、アスカニウスという子供が誕生しました。
彼も、自分の国が欲しいと、ローマの南東アルバーノ山地周辺に長く白い都市という意味を持つ「アルバ・ロンガ」を築き、その後、ラウィニアから都を移しました。

アルバ・ロンガの都市ができて400年後は、アスカニウスの子孫ヌミトルが治めていました。

そのヌミトルの娘レア・シルウィアが、ローマ建国の伝説で外すことのできないロムルスとレムスの生みの母です。

ロムルスとレムスの誕生

ロムルスとレムスの誕生

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兄であるヌミトル王を追放してまでも、王座を我が物にしたアムリウスは、ヌミトルの娘レア・シルウィアに子供を産ませないよう巫女にさせました。
しかし、彼女は、ローマの戦いの神マルスを愛し、子供を産みました。
これが双子の男の子ロムルスとレムスです。

これを知った、アムリウス王はこの双子の男の子を、召使に「殺して川に沈めてしまえ!」と命令したのです。
レア・シルウィアも、牢屋に入れて出さぬよう命じました。
恐ろしい人ですね。

ロムストとレムスの人生の分かれ目

ロムストとレムスの人生の分かれ目

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召使たちは、実は双子の男の子を殺すことができずに、生きたまま木のゆりかごに入れて流し逃がしました。
その双子を7つの丘の近くで見付けた雌の狼はちょうど自分の子供を亡くしたばかりで、双子を育ててくれました。
これは、ローマを語る伝説の上で最も有名な話で、ローマ中にレリーフや像がたくさんあります。
紀元前5世紀に造られたとされるオリジナルの像は、カンピドーリオの丘の上のカピトリーニ博物館に所蔵されています。

その後、二人は羊飼いに拾われ育てられました。
二人は、村の青年のリーダーとなるべく、たくましく成長しました。
これも血筋でしょうか?そして、アルバ・ロンガを襲撃し伯父である王を殺し、彼らの祖父ヌミトルが王に復権しました。
もちろん、母のレア・シルウィアも、牢屋から救われています。

ローマの王たち

ローマの王たち

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ローマの都市をロムレスが造ったことは、ご存知でしょう。
そこから7人の王が統治したと伝説に残っています。
ロムレスは、ローマの王時代に民会組織を作り、ローマが領土を広げる道筋を作りました。
でも、古代ローマの遺跡は、現在のコロッセオの下に眠っており、コロッセオを壊してまでも発掘することはなく謎のままなんです。

ロムレスは、ローマを守るための軍隊強化もしています。
3000人の歩兵と300人の騎兵を編成しました。
古代ローマには奴隷制度というものがありました。
ここから、人材を確保することが必要になったのです。

奴隷制度が招いた終わりのない戦い

奴隷制度が招いた終わりのない戦い

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奴隷の獲得が、ローマの重要な政の一つとなったのです。
ローマ社会は、自転車操業となり、ペダルをこぐことを辞める時が衰退の時となる状態でした。
これだけで領土は十分でしたが、この頃になると必要だったのは土地ではなく人材でした。

この頃の奴隷は、征服した海外の領土から戦利品などとして調達していました。
だから、どんどん戦争をして、領土を広げることで戦利品を手に入れ、それにより奴隷を確保し続けたのです。
小国で自国をしっかり守りたくても、人材確保が必要で大きくならなくてはなりませんでした。
この自転車操業が功を奏して、帝国になったんです。
現在でいえば、お店に店員さんがいなくなると店が開けられません。
こういったように、奴隷確保に奔走し戦い続け領地を広げるようになっていったのです。

奴隷確保が難しくなるローマ

奴隷確保が難しくなるローマ

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ローマにとって一番の悩みは、奴隷が取れなくなったらどうしようということでした。
なぜかというと、蛮族の抵抗も強くなったことで、奴隷を得ることは難しくなり、次第に海外領土を獲得することが難しくなりはじめたのです。

それどころか、ローマの領土が拡大していくにつれ、貴族たちは富を手にして裕福に暮らしはじめていました。
一般市民たちは、相次ぐ戦争で人口も減り、疲弊の一途を辿るようになったのです。
貴族と市民が対立するようになり、紀元前2世紀の後半から、約100年もの間、内乱が続き混乱期へと移行しました。

共和政から終身独裁官カエサルの誕生

共和政から終身独裁官カエサルの誕生

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夢にまで見たローマ共和国の地中海統一というのは、国内の問題を解決できずに一時しのぎで戦争をした結果、大きく拡大したにすぎませんでした。
殷富が富の偏在を生み、ローマ共和国の繁栄の象徴だった貴族たちは、

みるみる余裕を失い自分たちの居場所を失いはじめました。
民衆も市民兵がいなくなり、お金による傭兵のみになったのです。

ここでやばいと思ったローマ共和国は、新秩序の開拓者!ユリウス・カエサルが登場します。
でも、これは苦しいことで、旧秩序との壮絶な戦いとなってしまいました。
所謂カエサルは、日本の戦国時代の明智光秀だったのです。
旧秩序を潰そうと企むも残念ながら暗殺されてしまいましたが…。
「ブルータス!おまえもか…」という言葉は有名ですね。

ローマ帝国の誕生

ローマ帝国の誕生

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いくら、明智光秀が殺されようと織田信長の時代は帰ってこず豊臣秀吉の時代へと進行したように、カエサルが殺されようとも、ローマの共和政の古き良き時代が戻ってくることはありませんでした。
でも、カエサルの思いは、彼の養子オクタヴィアヌスによって継承されました。
これが、ローマ帝国の誕生へと繋がりました。

ロムレスが作ったローマ都市は民主と独裁のバランスを保ち、ローマ共和国へと発展していきました。
この頃は、貴族が権力と富を民衆に分け与える余裕を持ち、バランスの取れた政治を成りたてていたのです。
市民も自分の家族や財産、生活を守るために戦う志気の高い集団でした。
時代とともに急激な変化に耐えられなかったローマ共和国は組織が破壊され、富の偏在が社会秩序を崩壊しました。
「ローマは一日にして成らず」の言葉のごとく、ローマ帝国ができるまでには約700年の月日を費やしています。

国内問題の悪化とその場しのぎの戦争により拡大したローマ帝国

今のヨーロッパを作ったローマには、悩みの種がいつも付きまとっていました。
しかし、それを払拭したいと立ち上がったのが、カエサルでした。
でも、帝政時代が始まって約200年は「ローマの平和」と呼ばれる時代が続きました。
1日にしてローマは成り立ちませんでしたが、700年もの歳月をかけて平和的な帝国を造り上げました。
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