東インド会社の歴史を徹底解説。「世界初の株式会社」の栄光と挫折

公開日:2019/3/22 更新日:2020/3/7

『東インド会社』。確か社会科の教科書に出ていたような気がするけれど、どういうものだったか全く覚えてない……という方も多いのではないでしょうか。”東インド”とは、400年以上前のヨーロッパの人たちにとっての”インダス川より東の地域”のこと。当時、まだアメリカ大陸の存在はそれほど知られてはいませんでしたので、東インドとは主に現在のインドやインドネシアなど東南アジア地域を指していたものと思われます。17世紀頃、こうした地域との貿易権を持つ特許会社が、イギリスやオランダなど高い航海技術を持つ国の中に誕生しました。これが『東インド会社』です。

東インド会社が誕生する前の世界

 

16~17世紀の世界の様子

 

16~17世紀の世界の様子

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東インド会社について考える前に、まず、400年ほど前の世界がどんな様子だったか、想像を巡らせてみましょう。

16世紀に入ってから、ヨーロッパではキリスト教の信仰をめぐる政治的な対立が激しさを増していました。
また、イギリスやフランスなどでは国王の力が絶対的なものに。
イタリアを中心としたルネサンスの時代は終わりを告げようとしていました。

地中海から東へ向かうと、そこにオスマン帝国が。
さらに東のペルシャ湾沿いにはサファヴィー朝、現在のインドにはムガル帝国という強大な国家が存在していました。

中国大陸は明王朝の時代。
日本では間もなく鎖国が始まろうとしていた、そんな時代のお話です。

ヨーロッパの人口はおよそ1億人、ムガル帝国は1億人を優に超えていたと言われています。

この時代、船旅にはまだまだ、危険が伴いました。
ヨーロッパの外に漕ぎ出すためには、高い航海技術や性能のよい船が必要であったことは言うまでもありませんが、それ以上に多くの労働力と莫大ない費用が必要となりました。
大きな力を持つ国でなければ、外洋を目指すことなどできない時代だったのです。

そして、何より忘れてはならないものが、胡椒(コショウ)をはじめとする「スパイス」。
この時代、ヨーロッパではまだ、香辛料の類は栽培することができなかったため、胡椒は大変貴重なものとして珍重されていました。
需要の高い香辛料は高値での売り買いが可能で、多くの富を求める国々はこぞって、香辛料の獲得に乗り出していたのです。

バスコ・ダ・ガマ、インド到着

 

東インド会社設立より100年ほど前のこと。
探検家バスコ・ダ・ガマは1497年7月、ポルトガル王マヌエル1世の命を受けて、リスボンを出発。
航海の目的地は「インド」。
旅の目的は、東方のキリスト教国を探すことと、香辛料を手に入れることでした。

ポルトガルからの航海は、まずアフリカ大陸沿いに大西洋を南下し、喜望岬を廻って北上。
モザンビークやマリンディといった港町を経由してインド洋を渡るという過酷なもの。
ガマの船団は100トンほどの大きさの船3隻で慎重に航海を続け、翌1498年5月、現在のインドの西南部にある海岸の港町カリカットに到着しました。

当時はまだ、ムガル帝国の統治は始まっておらず、南インドにはヴィジャヤナガル王国というヒンズー教国が治める小国がたくさん存在していて、既にイスラム系ペルシャ商人たちや中国商人たちが盛んに商売をしていたのです。
言葉も文化も異なるヨーロッパ人が入り込むためには”武力”が必要であると痛感したに違いありません。

こうした難しい状況下に於いて、バスコ・ダ・ガマは何とか交易を続けました。
ある程度の香辛料と、宝石など珍しい品々を買い集めることはできましたが、友好的な関係を築くことは難しいと感じ、1498年8月、インドを出発します。
苦労の末再びリスボンに辿り着いたのが1499年9月。
出発から実に2年以上の年月が流れていました。

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