女城主は直虎だけではなかった!岐阜県岩村城の女城主お直は、織田家と武田家のはざまで揺れる悲劇のヒロインだった

今、NHKの大河ドラマで注目を浴びている「女城主井伊直虎」以外にも、波乱の戦国時代に女城主として生き抜いた、もう一人の女城主がいるんです。その名は“お直(おつや)”といい、絶世の美女だったといわれています。お直の歴史を知れば、『おんな城主 直虎』も、一層面白く視聴できそうですね。今回は、もう一人の女城主、遠山景任(とおやまかげとう)の妻「お直の方」の数奇な歴史を紐解いてみたいと思います。

岩村城とは?

岩村城とは?

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岩村城は、海抜717mにあり、全国の山城の中でも最も高いところに位置する山城です。
奈良県の大和高取城、岡山県の備中松山城に並ぶ、日本三大山城の一つとして知られています。
苗木城(石高約1万500)、明智城(石高約7000)と岩村城は石高が約2万石あり、当時岐阜県東濃地方の一大勢力遠山一族の城の中でも重要な城だったことでも知られています。
因みに明智城は、織田信長を討った明智光秀生誕の地との説もあります。

元々岩村城は、文治元年(1185年)に源頼朝の家臣加藤景廉によって築城され、その後遠山氏を称しました。
この城は、交通や戦いの要地として重要視されており、当時覇権争いをしていた織田氏と徳川氏、武田氏たちにとっても目を離せない存在でした。
戦いで危ういときは、城隠しに絶好の深い霧が湧いたといわれ、別名「霧が城」とも呼ばれています。
現在お城は残っていませんが、6段壁の見事な石垣が残っています。

お直(おつや)の誕生

お直が生まれた日は、詳しくは分かっていません。
織田信定の末娘としてこの世に生を受けています。
織田信定は信長の祖父で、お直は信長のおばさんにあたります。
お直の人生は、織田信長に忠誠を誓い初めての結婚をするも、夫に先立たれ、3度の政略結婚を含め生涯4回も結婚しています。
戦国時代に生まれた姫の性と言うべきでしょうか?

また、城を守るため、織田家の宿敵である武田家の家臣と結婚したという波乱万丈の戦国時代に荒れ狂う中で、強く逞しく、時には心を強く打つほど健気に生きた女性です。
当時、美濃と甲斐という2つの大国の狭間で岩村城という小さな城を守り抜いた、絶世の美女として知られるお直の人生は果たして幸せだったのか、悲劇だったのか今になっては想像するのみですね。

お直初めての結婚

お直初めての結婚

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お直は、信定の末娘だったので、実は信長よりも年齢は下でした。
大きくなるに連れてお直は、信長にいつしか恋心を抱いていたのです。
結構ロマンティックな人生ですね。
でも、当時の姫は、お家のために政略結婚の道具として扱われていました。
もちろん、お直もその一人です。
しかも、恋心を抱く信長の命により、現岐阜県安八町の結城の城主で斉藤龍興の重臣「日比野下野守清実」と結婚しました。
しかし、永禄4 (1561)年の森部の戦いで、戦死したため、未亡人となっています。

2度目の結婚の後、岩村城主と結婚するお直

2度目の結婚は信長に仕える武将でした。
これも信長のための政略結婚でした。
初恋の相手から2度も他に嫁ぐよう言われたお直の心は、どれだけ悲しかったでしょうね。
でも、この夫にも先立たれ一端岐阜に戻り、武田勢に攻め落とされそうだった、岩村城の城主遠山景任(とおやま かげとう)と永禄5(1562)年に結婚することになりました。

元亀2(1570)年に武田の家臣、秋山信友(虎繁)が信玄の命により岩村城に攻め入りました。
これは、上村合戦となりました。
この戦でのケガが元となり、景任は病死してしまいます。
織田家のための政略結婚だったのに、お直の景任への看病は献身的だったようです。

岩村城主となったお直

岩村城主となったお直

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残念なことに、景任とお直の間には子供がいませんでした。
この時、お直は岐阜に帰らず、民のもとで女城主として生きる道を選んでいます。
岩村城は武田軍の攻撃を何度も受けており、ここの民たちは飢えや病気に苦しんでおり、見捨てることができなかったようです。
景任と結婚してから、お直は岩村の民のために善政を敷き、皆に慕われていたといわれています。

元亀3(1572)年の夏に景任が亡くなると、景廉の兄弟が次々と病死してしまいました。
岩村城の城主として、当時8歳だった織田信長の5男御坊丸(後の国宝犬山城の城主・勝長)を養子として迎え入れました。
すくすくと成長していく、御坊丸を愛しみ育てていた様子が見えてくるようです。
だって、初恋の相手信長の子供ですもんね。
8歳の子に政を任すわけにはいかず、実質的にはお直が女城主として活躍したのです。

信長を裏切らざるを得なかったお直

信長を裏切らざるを得なかったお直

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一方秋山信友は岩村城への攻撃を再び開始、4か月間の籠城戦に持ち込みました。
でも、この時のお直の采配は見事だったといわれています。
信長に密書を送り味方とのつながりをしっかり持ち、武田軍の様子を伺うことにも余念がありませんでした。

でも、この戦乱の世は非常なもので、信長は長島の一向一揆などで、岩村城に向かうどころか援軍も出せなかったのです。
これも、信長とお直の運命だったのでしょうか?切なすぎる…。

4度目の結婚を承諾するお直

4度目の結婚を承諾するお直

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織田軍の状態を知った信友は、岩村城に密使を送り「信友と結婚することを条件に城を明け渡し、御坊丸に家督を譲ることで開城しないか?」と持ち掛けました。
この時、お直は自分の首を取りに来たと思い込んでおり、すごく驚いたようです。
このままいけば皆殺し、お直が信友と結婚すれば御坊丸だけでなく領民をも救えることは明白でした。
信長の意思ではなく自分の気持ちで、結婚を決めたのはお直にとって人生初のことでした。

この結婚は、武田の策略との説が濃厚ですが、実は、4度目の結婚相手の秋山信友は、景任が亡くなる前にも、信長の子奇妙丸と信玄の子お松の方の婚姻の使者として岩村城に訪れていました。
その時既に、信友は心優しき絶世の美女お直に惚れ込んでいたとの説があります。
あっぱれ信友!女城主との戦いを、見事に無血開城させたなんてちょっと素敵!だって、男が守るべき女子供に牙をむくなんて武士としてみっともないと思いませんか?でも、初恋の相手信長を裏切り、敵と結婚を決めるなんて、お直の人生ってなんて切ないんでしょう。

信長を怒らせたお直夫婦

信長を怒らせたお直夫婦

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信友はお直と結婚したことで武田信玄の恨みを買うことを恐れ、御坊丸を武田に人質として差し出しました。
(敗戦により、御坊丸の身柄を武田に引き渡したとの説もあります。)でも、養子に出したとしても、わが子をまんまと武田に人質として差し出した、お直夫婦の行為に信長は激怒したのです。

これまで武田勢が優位だったのですが、一気に織田勢が巻き返します。
これが、天正3(1575)年に起こった長篠の戦です。
武田軍は惨敗し勝頼が敗走し、次第に岩村城は孤立するようになります。
天正元年(1573年)に武田信玄が亡くなった時から、武田軍の勢いは衰えていたといわれていますが…。

初恋の相手信長に殺されたお直

初恋の相手信長に殺されたお直

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信長は孤立した岩村城を攻め落とすよう、嫡子の信忠に命を下しました。
岩村城主として幸せの絶頂期にいた二人の運命も、逆転してしまいます。
攻撃を受けながらも5ヶ月間の籠城戦に耐えた信友は、とうとう決断をしました。
途中、信友は死ぬのは自分だけでいい、お直は岐阜に戻れと言いましたが、最後まで一緒に添い遂げたようです。

信友はお直や城兵の助命を条件に、天正3(1575)年11月に開城しました。
しかし、信長はこの約束を守ることは、決してありませんでした。
岩村城の城主秋山信友とその妻お直の方ら5人が、長良川の河川敷において、逆磔(さかさはりつけ)に処されました。
これで遠山一族は滅亡しました。
愛の代償は大きかったというべきでしょうか?儚く散らした命だからこそ美しいとの印象もありますが。

信長の死は、お直の恨み?

お直の最後の言葉は「怨みはこの河原に残していく。
信長に伝えよ!織田家はこの妾が怨みにて、跡形もなく滅ぼしてくれよう!その時を震えて待つのじゃ!」だったようです。
みなさんご存じ、織田信長は森蘭丸と共に、この7年後に、明智光秀に本能寺で討たれます。
信憑性は薄いのですが、森蘭丸が岩村城を治めた時期があったとの説もあります。
お直夫妻開城の後、岩村城は織田家の所有となった後、河尻秀隆氏が城主となりました。

岩村には江戸時代の趣を残す城下町が今も残っています。
勝川家や木村邸など無料で見学できる施設もあります。
名物のかんから餅も柔らかくてほっぺが落ちるほどおいしいので、ぜひ、味わってみてください。
かんから餅が食べられるかんから屋には、優しい味でおいしいたまごうどんもあるので、午前中に岩村城を訪れて腹ごしらえするのもおすすめです。

今も悲劇のヒロインとして語り継がれる、お直が女城主となった岩村城に訪れてみませんか?

岩村のコミュニティセンターから城下町を通って岩村城跡までの約2kmの道のりは、風情があり素敵な散策が楽しめます。
特に城に続く約800mの風情ある石畳は、かなりつらく息の切れる坂道ですが登る価値ありです。
でも、城壁を見ながら、登った先には岩村の絶景が広がり、昔、ここに立って領民のため采配を振るった、お直の姿が何となく見えてくる気がしてきます。
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