津軽の名城『弘前城』の歴史と魅力あふれる観光ポイントを解説

本州最北端の青森県にある弘前市は日本で最初に『市』に指定された都市であり、東北最古の天守閣を誇る『弘前城』がシンボルの歴史ロマンが色濃く残る街です。
そんな弘前市で最も有名なシンボル弘前城の『桜』は、花の咲く季節は200万人以上が訪れる大人気スポット。
しかし弘前城は桜だけが魅力の街ではありません。
白神山地に抱かれた北の小京都『弘前』と、人々を見守り支える『弘前城』。
歴史を遡れば戦国時代後期まで起源を持つ弘前城と、このお城を中心した魅力溢れる弘前市についてご紹介します。

【京都常連が徹底ガイドのおすすめ記事】
京都観光の理想的な日帰りプラン5つ
殿堂入り!京都お土産ランキング BEST30

弘前城が築城と津軽藩

弘前城が築城と津軽藩

image by PIXTA / 1159973

別名『鷹岡城(高岡城)』とも呼ばれる『弘前城』は、青森県弘前市のランドマークとして多くの観光客が訪れる人気のスポットです。

全国でも数が少ない江戸時代から現存する様々な建築物が国の重要文化財に指定されていて、日本の名城100選にも選ばれる『弘前城』の歴史についてご紹介します。

「弘前城」が築城から公園になるまで

「弘前城」が築城から公園になるまで

image by PIXTA / 11705896

江戸時代に入るまでのお城は軍事拠点としての役割を持っていましたが、江戸幕府から発令された『一国一城令』以降は藩の政治中枢として機能していきます。
この法令の背景には外様大名を含めた元戦国大名の力を弱め徳川家の支配力を強める狙いもあり、これ以降の築城や改築改装などは全て幕府からの許可が必要でした。

まだ徳川幕府の政治が安定し天下泰平と呼ばれる時代になるまでは、各お城の主はいつでも戦になっても良いように、様々な理由をつけて出来る範囲でお城の軍備強化を行っていました。

そんな時代に初代津軽藩藩主の「津軽為信(つがるためのぶ)」が1603年築城を計画し築城を開始しますが、翌年に京都にて客死してしまい計画は中断してしまいます。

しかし三男でありながら2代目藩主を引き継いだ息子の「津軽信枚(つがるのぶひら)」によって計画は再開、1611年に完成し、以来明治維新後の廃藩置県まで津軽氏の居城として長く津軽地方の象徴であり藩政の中心として栄え人々に親しまれてきました。

この弘前城の建材には「津軽為信」が以前暮らしていた『堀越城』や『大浦城』といった廃城になったお城の物を使っており、現存している天守の階段や櫓にも使われていて実際に触れる事ができ、時代を経て色艶の増した美しい古材の品格を感じられますよ。

実は築城完成当時はお城の名前は高台の鷹が多く住む森の中に造られたお城であった事から『鷹岡城』が正式でしたが、1629年に「津軽信枚」が仏教(天台宗)に帰依し「天海大僧正」が『弘前』と命名した事でお城の名前を改名したという説が有力ですが、土地の名前が鷹岡から弘前へと変わった事が理由で『弘前城』になったという説もあります。

その後江戸時代から明治時代へと移り藩から県へと変わった際には『弘前県』となり県政の中心となりましたが、「野田豁通(のだひろみち)」が現在で言う県知事である初代の県大参事に任命された19日後の1872年9月23日に県庁を青森に移す事を決め、それ以降は青森県という名称で現在までに至ります。

1873年の廃城令の発布に際してお城は取り壊される事になりましたが、旧藩主であった津軽家がお城跡を一般市民い公園として公開するから土地を貸してほしいとお願いをしたことで、現在の弘前公園ができ弘前市の人気スポットとなったのです。

これも一重に旧領民達の事を思い行動した『津軽家』の人々の気持ちがあったからと言えますね。

津軽藩を治めた津軽氏とは

津軽藩を治めた津軽氏とは

image by PIXTA / 9083357

それでは、そんな津軽家とはどんな一族だったのでしょうか。

その歴史は鎌倉時代まで遡ります。

弘前一帯の地域は鎌倉幕府を開いた「源頼朝(みなもとのよりとも)」の妻の「北条政子(ほうじょうまさこ)」の家系である「北条氏」の惣領家の領地で、主家である北条家に代わって「津軽曾我氏」や「津軽安東氏(または安藤氏)」が治めていました。
しかし「津軽曾我氏」は戦国時代に入る前の南北朝時代に滅んだとされ、残された「津軽安東氏」は領地維持に努めますが15世紀の半ばには清和源氏の流れを組む「南部氏」によって領地を追われる事になりました。

戦国時代に入ると両家の領地争いは加速し何度も戦を起こしますが、結果的に弘前をふくめた地域一帯は南部氏に支配される形となります。

しかし「津軽為信」は戦国末期になると津軽氏として独立を進め1590年7月に「豊臣秀吉」の『小田原征伐』に参戦した功績によって大名として認めれ、さらに「徳川家康」と「石田三成」による『関ヶ原の戦い』で徳川軍に味方した功績が認められた事で領地の石高が増え津軽藩として南部氏の支配から独立、その後幕末まで栄える事となりました。

幕末から明治時代にかけて起こった明治政府と旧徳川幕府軍による『戊辰戦争(ぼしんせんそう)』の際には、明治天皇の義理の叔父にあたる「北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)」を盟主に東北諸藩からなる『奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)』という新政府(明治政府)の圧力に対抗する同盟を組みますが、同盟の趣旨が会津藩と庄内藩の天皇の敵を意味する『朝敵』の赦免嘆願から旧幕府軍主体による新政府樹立へと変わっていった事や旧幕府軍劣勢という時勢を読んで同盟を裏切り、新政府側へ寝返る事で明治維新を乗り越えます。

一見すると津軽藩は裏切り者の様に思えますが、様々な思惑や意思が錯綜する様々な時代の混迷期にあって領民や領地を守り家を存続させる事を第一に考えて高度な政治的判断と駆け引きを行ってきたのが、今日の弘前の繁栄に繋がっているのでしょう。

このように津軽の人々が守り伝えてきた歴史の数々は、今も弘前市を中心に色濃く残っているのです。

「弘前城」に残る江戸時代の面影

「弘前城」に残る江戸時代の面影

image by PIXTA / 15383939

築城から約400年経っても当時の面影を残す弘前城は、関東以北で唯一の江戸時代に造られた天守閣が残る貴重なお城で、6つの郭(お城を囲う壁)と3つの濠(水の張ったお堀)、本丸と二の丸、5つの城門が残っていますが、現在の天守は江戸時代に落雷によって火災が起こり中に保管していた火薬に引火して大爆発を起こしてしまい、その後再建されたものになります。

再建されたといっても再建自体も江戸後期なので、江戸時代の建築である事に変わりはありません。

この現存している本丸の天守は『御三階櫓(ごさんがいやぐら)』は元々はロシアから来る船の監視や万が一の襲来に対応する目的で作られた物であり幕府への配慮から御三階櫓と呼ばれていましたが、弘前城の事実的な天守閣(軍事拠点)として機能していました。

ところで津軽海峡を往来するロシア船対策に建てられた櫓(やぐら)ですが、地図で見ると海からずいぶんと距離があるように感じます。
江戸時代は現代のような高い建物が無かったので、遠くまで見渡せたのでしょうか。
天守は現在津軽藩、弘前城の資料館として公開されていますので、ぜひ登って江戸時代から息づく建物の香りと大きな採光窓から差し込む明るい室内から遠く青森の景色を楽しんでみてくださいね。

ちなみにこの御三階櫓は、2015年8月より100年ぶりに石垣の改修工事が行われていて、本丸の内側へ70m建物丸ごと移動しており、2021年秋ごろに元の位置に戻る予定となっています。

その為、今だけ日本百名山の一つであり青森県最高峰の岩木山を背景にした貴重な景色を楽しめますよ。

この天守は思いのほか小さいと感じるかもしれませんが、その構造の華やかな切妻出窓や狭間窓を使い小ささを感じさせない豪華さと漆喰の白さと黒い瓦の対比が美しくて、当時の面影を感じます。
特に瓦は寒冷地らしく粘土瓦に銅の瓦を巻くという仕様になっていて、東北地方ならではの対策が施された姿には先人の知恵が際立ちますね。

この他にも矢傷が残る築城当時の『北門(亀甲門)』や平穏な時代に正門として使われた『追手門』、日本最古の樹齢が約130年を誇るソメイヨシノが内側にある『東内門』に防火と防御の役割を果たした三階構造の白い土壁のが美しい3つの方角に据えられた『櫓(やぐら)』など、江戸時代初期から残る希少な建物が残っています。

弘前城を彩る弘前公園の四季の景色

弘前城を彩る弘前公園の四季の景色

image by PIXTA / 30387536

弘前城と言えばお城を含む広大な『弘前公園』に植えられた2600本の桜が楽しめる事が有名な、東北屈指の桜の名所です。

特に満開の溢れるような桜の木々とその下を流れるお堀に浮かぶ花筏との共演は、他では滅多に見れない絶景として毎年多くの観光客を魅了してやみません。

そんな弘前城を彩る桜やそれを守る弘前公園についてご紹介します。

春夏秋冬、様々な顔を見せる桜の世界

春夏秋冬、様々な顔を見せる桜の世界

image by PIXTA / 12910502

弘前城を囲むように広がる弘前公園は、東京ドーム約10個分の広大な敷地の中に多くのソメイヨシノを含めた約50種の桜が植えられており、毎年4月下旬から5月上旬に『弘前さくらまつり』が開催されソメイヨシノから順に満開を迎える桜の木々が多くの人々を魅了しています。

そんな弘前公園は津軽家をはじめとした旧藩士の人々の努力により廃城令によって取り壊されそうだったのを守られ1805年から公園として公開されていましたが、1902年に個人から弘前市と管理が移り公共施設として利用されてきました。

この弘前公園は1908年に当時皇太子だった大正天皇が弘前市に訪問された事を記念して『鷹揚園(おうようえん)』と名付けられ、現在でも弘前公園は正式には『鷹揚園』となっています。

ちなみに弘前公園の中にある様々な桜は廃藩置県の後に旧藩士から寄付された1000本のソメイヨシノを始め、明治から大正、そして戦後から現在にかけてしだれ桜や八重桜など様々な桜の木が様々な形で寄付され、現在のような多くの桜が咲き誇る素晴らしい景色を生み出しました。

この弘前公園の桜が幻想的なまでに美しく見惚れるのは、それを管理する桜守さん達の努力がある事を忘れてはいけません。

ソメイヨシノは様々な説がありますが、基本的に他の植物と違い種から発芽して木になる事がほぼできず、今ある木の枝を別の木をくっつけて一つの木にする『接ぎ木』という手法で繁殖しています。
簡単に言えば元となったソメイヨシノのクローンが全国に広まっているのです。

そんなソメイヨシノは病気や害虫に弱く繊細な桜でもあり、扱いを間違えるとあっという間に枯れてしまい、またしっかり管理を行っても平均寿命が60年ほどと言われているほど弱い木ですが、弘前公園の桜の木々はどれも生命力に溢れ生き生きと咲き誇り、樹齢100年を超える桜が多くあります。

これは桜と同じバラ科の木で美味しい実を作るのに繊細な気遣いが必要なリンゴの名産地である弘前だからこそできる細やかなケアの賜物であり、『弘前方式』と呼ばれるリンゴの剪定技術があっての事。

花の時期が終わり青葉が茂る頃から、弱った枝や病気の根をを樹木医さんが見極め桜守さん達が取り除き、栄養をたっぷり与え、真冬の大雪の中に不要な枝を取り除いて春に多くの花芽をつけるように、毎日一本ずつ大切にケアしています。

そんな弘前公園の桜だからこそ、本来であれば花が散り青葉が顔の見せる頃にしか見れない、水面を花弁が埋める『花筏』を、満開の花と一緒に楽しめる幻想的な風景を堪能することができるのです。

また300m続く桜のトンネルや赤い和橋と淡い桜のコントラスト、白と黒モノトーンの櫓に映える桜色の淡さなど、一度見たら忘れられない感動を心に残る絶景を堪能させてくれるのも、桜守さん達の繊細な気遣いと努力があってのもの。

ただただ景色に感動するだけではなく、その裏で努力している人達に思いを馳せるのも乙な桜の楽しみ方ではないでしょうか。

季節に合わせた美しいイベント

季節に合わせた美しいイベント

image by PIXTA / 772970

弘前公園は満開の桜を楽しむ『弘前さくらまつり』以外にも四季折々の風景やイベントが楽しめるのもポイント。

桜が散った後の新緑の中の散策は、さくらまつりの喧騒とは離れたゆったりとした空気を楽しめますし、元三の丸だった『弘前城植物園』では季節の植物から北の霊峰『白神山地』の生態園や日本庭園など、弘前ならではの植物に出会えます。

夏の弘前の風物詩として有名な『弘前ねぷたまつり』は、弘前市を巨大な『ねぷた』の勇壮が市内を練り歩きますが、その際に弘前城の横を通る『土手町ルート』があり夏の濃い緑に生い茂った公園の木々と弘前の象徴である弘前城とのコラボは必見です。

秋になると弘前城の木々が色づいて美しい紅葉が楽しめます。
弘前で紅葉が始まる10月半ばから11月にかけて『弘前城菊と紅葉まつり』が開催され、古城に残る常緑樹である松の緑と、赤や黄色に染まった桜のコントラストは心に残る景色。
そんな弘前公園内にある弘前城植物園で開催されるのが『弘前城菊と紅葉まつり』で、秋に代表される様々な菊花に菊人形や菊の五重塔などのアート、秋の草花の展示が行われます。

生き生きと茂る夏からどこか哀愁を感じる秋の色へと色づいた公園で催される可憐な菊の祭典は、日常に疲れた心にそっと優しい癒しをもたらしてくれますよ。

色づいた葉が落ちてしんしんと冷える冬には、雪国ならではのイベントが控えています。

豪雪地帯だからこそできる2月の風物詩『弘前城雪燈籠まつり』では、様々な趣向が凝らされた雪像に200基以上の雪で作られた灯篭とミニかまくらに灯された柔らかな明かりが幻想的で、白雪の世界に浮かび上がる弘前城は陶然として見惚れる美しさ。

心の琴線に優しく触れるような幽玄の世界は、一度見たら忘れられない思い出になること間違いなしです。

弘前城と一緒に感じる古いお屋敷とグルメ

弘前城と一緒に感じる古いお屋敷とグルメ

image by PIXTA / 986174

弘前市は藩主が暮らした街という事もあって、城下町として武家文化や商人文化が栄えた場所でもあります。

そのため市内のあちらこちらに江戸時代から明治大正の歴史ロマンを感じるポイントがあり、観光スポットに事欠きません。

数ある観光スポットの中でも弘前城に近く、心ときめくおすすめをご紹介します。

現存する名家が並ぶ城下町

現存する名家が並ぶ城下町

image by PIXTA / 11689137

弘前城が築城された江戸時代初期から城下町として栄えた弘前市には現在も武家屋敷や商家跡が残っており、特に亀甲門前の仲町は人気の観光スポットとなっています。

廃藩置県の頃、近代化を推し進める明治政府によって数多くの武家屋敷やお城が壊されましたが、その際にわずかに残った建物は時間を経て現在は大切に保管されています。

弘前市では亀甲門から北側に向かって東京ドーム約2個分の敷地を『重要伝統的建物保存地区』として、景観や建物を保存し一部は一般の観光客にも公開されています。

その中の国の重要文化財に指定されている豪商『石場家住宅』は、弘前城北側の亀甲門の目の前にあり江戸時代の豪商の暮らしぶりと雪国らしい建築を垣間見ることができ、わら細工を中心とした雑貨店だった面影を見る事ができます。
現在は酒屋さんとして地酒などの販売と共に看板犬と名物女将さんがお迎えしてくれますよ。

他にも弘前藩藩士(御家中)の屋敷である『旧岩田家住宅』は、ほぼ江戸時代後期に造られた当時のままの姿を残している貴重な一軒。
当時のままの茅葺屋根や小屋組みの柱、復元された井戸小屋などかつての武士の暮らしぶりを感じる事ができます。
その他に弘前藩お抱え医師だった『旧伊東家』藩士『旧梅田家』の移築復元住宅もあり、黒い木造の塀と生い茂る生垣が並ぶ通りはを歩くとまるで江戸時代に迷い込んだ気分が味わえて、散策が楽しくなります。

コーヒー好きなら絶対に外せない弘前のカフェ

コーヒー好きなら絶対に外せない弘前のカフェ

image by PIXTA / 24684370

城下町弘前市には明治大正期に建てられた建築物も多く残されており、現在はカフェや雑貨店などとして利用されてオシャレな街並みを作っています。
そんな弘前市の名物として押さえておきたいのはなんと言っても『珈琲(コーヒー)』。

実は弘前は美味しい『珈琲』が飲めるカフェスポットとしてもおすすめの街なのはご存知でしたか。

津軽塗の老舗の一階で飲める和モダンなカフェからアンティークな家具が落ち着くカフェに、弘前市内で最も古いビルの中にあるどこか懐かしい雰囲気の老舗店などカフェ巡りだけでも時間が足りなく感じるほど魅力的なお店がたくさんあり、カフェ好きにはたまらない街の一つなのです。

弘前の珈琲は明治維新前の江戸時代後期から浮腫み取りの薬として広く愛飲されてきたもので、その切っ掛けは1804年より弘前藩は幕府の命令で北方警備として北海道(蝦夷地)の宗谷岬(北海道稚内市)まで警備遠征に出た事にあります。

青森県も厳し寒さのある土地ですが、宗谷岬は内陸部とは違い気温がマイナス20℃を下回る事は滅多ないとはいえ、稚内よりも緯度の低い弘前より気温は断然下がり体調不良を起こす事が多々ありました。

当時はまだ現代のような優れた防寒技術も寒さ対策に優れた食料の知識もありません。
その為に多くの藩士たちが食糧事情の悪さと雪国育ちでも厳しい寒さから極度のビタミンなどの栄養不足となり、酷い浮腫みや腹水によって無くなってしまいました。
その後再びの北方警備の命令が下った際にその対策として藩が取り入れたのが「珈琲を飲む事」だったのです。

1800年の頃に発行された蘭方医で学者の「広川カイ(ひろかわかい)」の『長崎聞見録』に「日本のお茶常を飲むように常飲すると、胸やけや胃酸の逆流を防ぎ、尿の排出を促して胸や胃の痛みを軽減して胃腸の調子を整える。
漢方薬の『茯苓(ぶくりょう)』の様に利尿作用や滋養の作用がある」と記しており、これを知った弘前の人々は1855年に北方警備を命じられた際に珈琲を利用して病を防いだといいます。

そしてこの時の遠征のメンバーの中には弘前の漁師や農民が多く混ざっていた事で、帰還後に弘前の人々に珈琲を飲む事が広まったと考えられています。

さらに珈琲の入れ方は初めて珈琲を知った人でも淹れられる様にという気遣いから手順を事細かに書いた『仕様書』という物に残されており、現在も弘前城下のカフェで『藩士の珈琲』という名前で当時の珈琲を復元した一杯を飲むことができますよ。

女子におすすめ!可愛さ溢れる「リンゴ」アイテム

女子におすすめ!可愛さ溢れる「リンゴ」アイテム

image by PIXTA / 5915880

弘前市を含む青森県は日本一のリンゴの生産地で、特に弘前市は全国一位の生産量を誇るリンゴの街です。

そのため市内の各所にリンゴを使った美味しいスイーツやリンゴ雑貨がたくさんあり、観光の際に楽しませてくれます。

特におすすめなのが弘前駅からタクシーで5分、市内の巡回バスなら料金100円で行ける『弘果 弘前中央青果』。

青森県最大級の青果卸市場でシーズン中なら青森県内1万件農家から旬を迎えた様々な品種のリンゴが一日で10万箱以上が集まるので、瑞々しくて爽やかに甘いリンゴの香りが辺り一帯い漂います。

この市場の敷地の一角にある『弘果物流』では一般のお客さん向けのアイテムが販売されており、新鮮なリンゴをたっぷり使ったスイーツや可愛らしいオリジナルの雑貨アイテムが揃っています。

また弘前公園の近くにある『津軽藩ねぷた村』や弘前城に近い追手町にある弘前市物産協会直営の『思い出ショップさくらはうす』では、リンゴやねぷたをモチーフにした可愛らしい雑貨やリンゴフレイバーのコスメにグルメがたくさんあって、ちょっとしたお土産にもピッタリ。

数あるカフェやパン屋さんにはリンゴの産地らしく季節によって異なる品種を使ったアップルパイが並び、食べ飽きる事のない美味しさでスイーツ好きには堪りません。
それぞれのお店のアップルパイを食べ比べするのもおすすめですよ。

この他にも弘前駅からバスで35分、弘前のシンボル岩木山の近くにある『弘前りんご公園』では春には桜とは趣の違う真っ白で可憐なリンゴの花を楽しめる『弘前りんご花まつり』が開催されたり、収穫の秋にはリンゴの収穫体験が行えます。
園内にある『弘前シードル工房kimori』では珍しい国産の自然発酵時に出る天然発砲のシードルの工房見学や試飲、焼きリンゴ体験など様々な形でリンゴを堪能する事ができます。

パワーももらえるおすすめスポットあれこれ

パワーももらえるおすすめスポットあれこれ

image by PIXTA / 980685

弘前城で歴史に触れたら、全国でも珍しいお寺のパワースポットも巡ってはみませんか。

弘前城の南西側にある禅林街は全国でも珍しい曹洞宗のお寺が33軒が一つの地域に集まっている寺町で、弘前でも人気のパワースポットです。

元々は二代目津軽藩主の「津軽信枚」が寺院を領地にまとめたのが始まりで、1615年頃に完成しました。

この地区にお寺を集めた理由は定かではありませんが、一説ではお城の周りに当時一番人々が集まる文化施設だった寺院を集めることで、商業的にも発展させ人を集める目的があったという話しや弘前城から見て南東の裏鬼門となる事から風水的な意味、または軍事的な抑えとして集約させたなど様々な謂れがあります。

この禅林街の入口には黒門と赤門があり、それぞれの門をくぐると林道が続き道沿いにお寺が並んでいる閑静な地区は、隠れた癒しのパワースポットとして地元の人のみならず観光客にも人気。

黒門の先にある『長勝寺(ちょうしょうじ)』は津軽家の菩提寺として1528年に創建され、現在の場所には1610年に弘前城の守護を願って移されました。
このお寺には入口の三門をはじめ本堂や梵鐘、津軽家の霊屋など合わせて6件の国の重要文化財に指定されており、禅林街散策の終点地として安息感を得られますよ。

まるで異国?レトロモダンが溢れる弘前

まるで異国?レトロモダンが溢れる弘前

image by PIXTA / 164254

弘前市内には武家屋敷をはじめとした江戸時代の面影を色濃く残す建物が多く残り歴史を辿る旅を彩ってくれますが、明治維新後の文明開化の時代の繁栄の面影も多く残しており街の至る所にレトロモダンな雰囲気の洋館が残っています。

弘前城に続く土手町通り沿いにある『青森銀行記念館』は明治37年に旧第五十九銀行の本店として建造された建物で、日本の洋風建築の祖とも呼ばれる弘前出身の「堀江佐吉」が手掛けたものであり国の重要文化財に指定されている美しい白亜の洋館として人気。

またこの近くにはおとぎ話に出てくるような八角形のドーム型の二つの塔が可愛らしいルネッサンス様式の『旧弘前市立図書館』や同じく二つの塔が印象的なゴシック様式の『日本キリスト教団弘前教会』と『カトリック弘前教会』があり、さらに大正時代に建てられた『日本聖公会弘前昇天協会』に昭和初期のアールデコ調がノスタルジックな気持ちにさせる『三上ビル』、弘前の夜を彩る繁華街『鍛冶町』と『本町』を繋ぐ戦後の高度経済成長期の面影を残す『明治屋ゴールデン街』といった、幅広い時代を感じるレトロな建物が現役で活躍して街角を彩っているのも歴史を守る弘前ならではの魅力です。

他にも『走れメロス』や『人間失格』などで有名な津軽が生んだ文豪「太宰治」が学生時代に下宿していた『旧藤田家』こと『太宰治まなびの家』では彼が残したメモや写真など大正時代当時を感じる資料が残っており、文学好きだじゃなくてもロマンを感じる場所があるのも高ポイント。

弘前の和風な建築群の中に佇む洋風建築は、レトロモダンな情緒と共に不思議の世界へと導いてくれるような気持ちを感じさせてくれます。

弘前の極上グルメで心もお腹も大満足

弘前の極上グルメで心もお腹も大満足

image by PIXTA / 277904

カフェや歴史史跡の散策をしたら、津軽グルメを満喫してみませんか。

弘前駅近くにあるフレンチレストランの「フランス食堂シェ・モア」では、リンゴの産地らしくシーズンにはリンゴをふんだんに使ったスペシャル料理が楽しめて、おしゃれな旅行を演出できます。

また津軽伝統の郷土料理も地元ならではの味わいを満喫するのもおすすめ。

土手町にある「津軽路 弥三郎」ではオリジナルの日本酒や地酒と一緒に旬の魚や山菜などの食材を使った郷土料理が味わえ、また近くにある「麺処 郷土料理わらび」では津軽の冬の味覚である『タラのじゃっぱ汁』が年中味わえ、小麦粉の変わりに大豆粉をつなぎにし、イワシと昆布の優しくもパンチのある出汁が美味しい『津軽そば』も楽しめる、弘前に行ったら立ち寄ってほしいお店です。

また津軽と言えば『津軽三味線』。

弘前駅から土手町にかけてこの津軽三味線の生演奏を聞きながら美味しいお酒と料理が楽しめる和風ライブハウスがあり、三弦で奏でる時に激しく時にか細くて透き通る様な音と雪国の力強さを感じる三味線の音色に日常の雑事を忘れて酔いしれる事が出来ます。

美味しい食事と極上の音色、美しい景色をぜひ堪能してみてくださいね。

弘前へのアクセスとお得パス

弘前へのアクセスとお得パス

image by PIXTA / 22047584

弘前市へのアクセス方法はいくつもあります。

定番なのは各地域の空港から青森空港着の飛行機に乗り、空港から空港連絡バス(弘南バス)でJR弘前駅まで行く方法。
弘前駅の近くにはレンタカーのお店もあるので、弘前市内だけでなく津軽地方の観光スポットである白神山地や黒石市の方まで足を延ばすのもおすすめです。

特にレンタカーはインターネットで『駅レンタカー』で予約をすると『レール&レンタカーきっぷ』で電車代やレンタカーの料金が割引になるのでお得ですよ。

この他にも電車やバスのフリー切符や100円で利用できる土手町循環バスなどもあります。

また新幹線なら東京駅から東北新幹線「はやぶさ」で新青森駅まで来たら、JR特急「つがる」で弘前駅まで行くことができて、のんびりとした電車の旅におすすめのルートです。

さらにのんびりしつつも東北旅行を満喫できる方法にはドライブがぴったり。
東北自動車道の黒石ICから降りて国道102号線で弘前へ行くことができますし、そのまま東北各地を自分のペースで巡る事もできますよ。

東京横浜からであれば弘前直行の高速バスが出ているので、こちらの利用もおすすめです。

本州最北の土地で見つけた美しい街

いかがでしたか。

弘前は弘前城を中心として文化が花開いた歴史のある美しい街。

そんな弘前では数々の見どころや名産品が目白押しで、何度でも旅をしたくなるロマンと感動に溢れています。

弘前城を残した「津軽氏」の人々から「弘前」を守り伝えてきた人々の想いが詰まった北の小京都「弘前」をぜひ五感で知って、綿々と続く歴史を味わってみてください。

photo by PIXTA