観光の前に知りたい「武雄温泉」の昔と今、周辺の歴史的スポット

「竜宮城に来たみたい!」朱色の鮮やかな建物を見上げて、訪れた人は口々にそう呟きます。佐賀県のやや西方面に位置する武雄温泉のシンボル「楼門」。山間にあるのどかな温泉地に燦然と輝く門に出くわすと、まるでおとぎの国に迷い込んだかのような錯覚に陥ること請け合いです。九州でも指折りの名湯、武雄温泉。歴史も古く、多くの著名人に愛された湯としても有名です。どんな温泉地なのか、おススメスポット情報も交えながらご案内いたします。

武雄温泉とは

レトロで風情ある温泉地

レトロで風情ある温泉地

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佐賀県の中央部に位置する蓬莱山は標高330mほどの高さ。
中国大陸を始めて支配した秦の始皇帝から不老不死の薬を探すよう言われて日本へやってきた徐福(じょふく)が、薬を求めて歩き回った山として知られています。
高い山ではありませんが、鬱蒼とした木々の間かららゴツゴツとした岩がむき出しになった野趣あふれる風貌は、なかなかの見ごたえ。
そしてこの山の南東側に湧き出ているのが武雄温泉です。

車なら長崎自動車道武雄北方ICで降りて約5分、鉄道なら長崎本線佐世保線JR武雄温泉駅で降りて、のんびりとした街中を歩いて15分。
ほどなく、武雄温泉のシンボルとなっている朱の楼門が見えてきます。
佐賀空港からタクシーを利用しても1時間はかかりません。
アクセスの良さも、武雄温泉の魅力のひとつです。

九州の温泉地というと、大分県の別府や湯布院、最近では日田や黒川温泉などが有名ですが、武雄温泉も古くから多くの著名人が利用するなど歴史ある温泉地として知られています。
温泉地の中心となる公衆浴場は明治初期に建てられた風情ある建物。
周辺には旅館が10数軒建ち並び現代的な造りのものも多いですが、観光客のお目当ては何といっても、レトロでどこか郷愁を誘う街並みと浴場。
天井が高く、ゆったりとくつろげる公衆浴場はファンが多いのだそうです。

武雄温泉は「美人の湯」

武雄温泉は「美人の湯」

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泉質はアルカリ性単純温泉で、透明で無臭、柔らかな独特の湯ざわりが人気です。
保温性にすぐれ、肌を柔らかく包んですっとなじむところが”美肌効果満点”と言われていて、年々、女性人気が高まっています。
お湯の効能は「神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消火器病、疲労回復、健康増進」などなど。
ゆっくり浸かればじっくり温まる、心にも体にも優しいお湯を堪能することができます。
お湯はの温度は全体的に熱めです。

旅館もたくさんありますが、400円(平成28年時)で利用できる共同浴場や、貸切風呂が可能な大衆浴場も充実。
共同浴場は朝6時半から夜0時まで、長い時間利用できるところも嬉しい限りです。
周辺の旅館でも、宿泊だけでなく立ち寄り湯をやっているところも。
様々なスタイルで、誰でも気軽に日帰りでお湯を楽しむことができるのです。

実際、バスツアーの立ち寄りスポットになっていたり、登山やトレッキングスタイルの観光客も多く見かけます。
また、佐賀県内にある嬉野温泉も”美人の湯”として有名なので、二つの温泉地をハシゴするのも一興かもしれません。

共同浴場は木の風合いを活かした味のある佇まい。
どこか懐かしい感じの古い建物は郷愁を誘い、ついつい長湯をしてしまう、という人も。
JR武雄温泉駅から徒歩15分というアクセスの良さも、女性人気の理由のひとつと言えるでしょう。

武雄温泉は温泉テーマパーク

武雄温泉は温泉テーマパーク

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武雄温泉の中心にあるのが、まるで竜宮城のような、二度見必至の赤い門。
楼門(ろうもん)という名のこの建物目当てで武雄を訪れる人も少なくありません。
この門をくぐると、朱色の美しい建物が迎えてくれます。
武雄温泉新館と呼ばれるその建物は、楼門と並んで武雄温泉のシンボルとなっており、この建物の外観を見るだけでも、武雄を訪れる価値があると言っていいでしょう。

楼門の中はかなり広い敷地で、この中に蓬莱湯、元湯、鷲乃湯と公衆浴場(大衆浴場)が3つ。
いずれも木とタイルの風合いを活かしたレトロな内装で、朝早くから遅い時間まで利用できるため(蓬莱湯は6:30~21:30、他の2つは6:30~24:00)、日帰り湯を楽しむ観光客で賑わっています。
また、時間で貸切にできる貸切湯も用意されていて、家族やグループでのんびり利用することができます。
さらに、レトロな佇まいが郷愁を誘う楼門亭(ろうもんてい)という旅館もあるので、日帰り湯だけでなく宿泊することも可能。
お湯場も旅館も古い建物ですが、中を見ていると、現代的なスーパー銭湯よりさらにワクワクした気持ちになります。
ジブリアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルは武雄温泉ではありませんが、敷地を見渡して、湯殿の場面を思い出す人も多いのではないでしょうか。

実は、武雄温泉の開発に尽力した地元の実業家、宮原忠直(みやはらただなお)が掲げたテーマが「武雄温泉を龍宮城にしてみせる」だったのだそうです。
別府や湯布院のような華やかさはありませんが、楼門や新館の建物を見上げているだけでなぜか心躍らされる武雄温泉。
その理由の一端を見たような気がします。

武雄市とはどんなところ?

武雄市とはどんなところ?

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武雄温泉のある武雄市は、佐賀県の西部に位置し、佐賀市と長崎県佐世保市の間にあります。
市の成立は2006年。
周辺の村や町が合併して今の形となりました。

市内に高い山はありませんが平地も少なく、標高300m~400mほどの山地がほとんど。
人口は約49,000人(平成29年6月)。
市の産業の中心はやはり観光で、7割以上の人が観光や商業施設で働いています。
その中心にあるのはやはり、武雄温泉です。

もともと人気の温泉地ではありましたが、1987年に九州自動車道の武雄北方ICができるなど、交通の便がよくなったことから観光客が増えました。
しかし、21世紀に入ってからは若干、減少傾向にあるようです。

2007年には、お笑いタレントの島田洋七の小説が原作のテレビドラマ『佐賀のがばいばあちゃん』のロケ地に。
市をあげてロケをバックアップし、市内のあちこちで撮影が行われました。

武雄温泉が中心の武雄市でしたが、最近では市立図書館がメディアで取り上げられる機会が増えています。
広く吹き抜けた開放的な館内に入るとコーヒーの香りと軽い音楽が流れ、公立の図書館とは思えない雰囲気。
レンタルビデオなどで有名なTUTAYAが企画・運営に関わっているということで大きな話題となりました。
地元のバスツアーに組み込まれることもあり、武雄温泉と並ぶ観光名所となっています。

そんな武雄市にある武雄温泉、実はとても古い歴史があるんです。
どんな歴史があるのか、さかのぼって追いかけてみましょう。

武雄温泉の歴史

開湯は1300年以上前?

開湯は1300年以上前?

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武雄温泉が現在のように観光地として賑わうようになったのは明治末期。
武雄出身の実業家、宮原忠直によって開発されたことは前述のとおりです。
しかし武雄温泉の歴史はそれだけではありません。
武雄温泉の歴史はかなり古い。
どれくらい古いかと言いますと、まず神功皇后(じんぐうこうごう・201~269)の伝説の中に登場します。

神功皇后は『日本書紀』や『古事記』に登場し数多くの伝説を有する勇敢な女帝。
朝鮮半島へ出兵した帰りに武雄のあたりに立ち寄った際、「西に温泉が沸いているところがあって、その湯に浸かると疲れた兵の回復が早い」というようなお告げがあったのだとか。
それで皇后が太刀の柄(つか)で岩を一突きしたら熱いお湯が湧き出てきたのだそうです。
そんな伝承もあり、明治より前まで武雄温泉は「柄崎(塚崎)温泉」とも呼ばれていました。

温泉の歴史としては、713年に編纂された『肥前国風土記』に「郡の西に温泉の出づる厳(いわや)あり。
岸 峻しくて人跡まれにいたる」という、武雄温泉に関する記述が残されています。
この書物には、武雄温泉に程近い嬉野温泉の記述もあり、この頃には既に、温泉が出る土地として認識されていたようです。

ただ、武雄に関しては、”峻しい(けわしい)”と形容しているところから、当時はまだ、あまり人が訪れるような場所ではなかったのでしょう。
おそらく地元の人が利用するくらいだったのではないかと思われます。
そんな武雄温泉の名は、ある天下人によって知れ渡ることとなりました。
豊臣秀吉です。

豊臣秀吉と『温泉定書』

豊臣秀吉と『温泉定書』

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小田原の北条氏を倒して天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、中国・明王朝の征服に乗り出します。
そして1592年(天正20年)、16万の大軍を朝鮮半島に送り込むのです(文禄・慶長の役)。

全国から多くの兵が玄界灘を臨む肥前名護屋城に集められ、出兵していくわけですが、その際、負傷した兵士の疲れを癒す場として指定されたのが武雄温泉でした。
有馬温泉に何度も足を運んだり、北条討伐の際には箱根に足を伸ばして湯治をするなど、秀吉の温泉好きは有名です。
神功皇后が朝鮮出兵の際に立ち寄ったという伝承を持つ武雄の地が、明王朝征服の足がかりとして朝鮮出兵を目論む秀吉軍の湯治場となったのも、何かのめぐり合わせかもしれません。

しかし、今までの戦と違い、船で繰り出さなければならない戦いに、秀吉軍は苦戦を強いられます。
思うようにならない戦況に、武雄で湯治をしていた兵たちの間にも苛立ちが募り、たびたびトラブルを起こすようになってしまうのです。

これに眉をひそめた秀吉はおふれを出して、湯治を行う兵たちを厳しく取り締まることにしました。
これが『温泉定書』です。
内容はというと、地元の人を困らせてはいけない、お湯に入るなら宿賃として5文払うこと、建物のまわりや敷地内の樹木を勝手に伐採してはならない、という三箇条。
こんなおふれが出るとは、兵たちは相当荒れていたのでしょう。
この『温泉定書』は現在でも武雄市が所蔵・保管しており、武雄市の重要文化財となっています。

このようにして豊臣秀吉のお墨付きを得た武雄温泉は、その後、多くの湯治客で賑わうようになっていくのです。

あの有名人も訪れた武雄温泉

江戸時代には、長崎へ続く街道の宿場町としても賑わいました。
そのため、多くの著名人が旅の疲れを癒すために武雄温泉に滞在しています。

江戸中期には佐賀藩主の氏族で武雄の領主の鍋島氏専用の総大理石の風呂「殿様湯」が作られました。
何せ殿様専用の風呂場なので、当時は中の様子などわからなかったようですが、かのドイツ人医師シーボルトが武雄を訪れた際、鍋島氏から特別に許されて殿様湯に入っており、その様子が『江戸参府紀行』に記されています。

鍋島氏専用の殿様湯は現在、貸切湯として利用することが可能。
殿様気分を楽しむことができると、大変人気なのだそうです。

また、武雄温泉は宮本武蔵ゆかりの地としても知られています。
楼門の近くにある湯元荘東洋館は400年の歴史を持つ老舗旅館で、もともとここは、脇本陣(本陣だけでは泊まりきれない場合などに利用する予備施設)が置かれていた平戸屋という宿。
宮本武蔵は巌流島の決闘の後、この宿を利用したと言われています。
また、島原の乱の後にもここで湯治をしていて、『五輪の書』の構想を練っていたのだそうです。
東洋館のロビーには、武蔵が使ったとされる井戸が今も大切に残されています。

古くから、疲れを癒す湯として知られていた武雄温泉は、この他にも、伊達政宗や吉田松陰、伊能忠敬といった偉人たちが立ち寄ったという記録が残っているのだそうです。

武雄温泉を発展させた実業家

武雄温泉を発展させた実業家

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武雄温泉発展の歴史を知るために欠かせない人物がもうひとり。
前述の宮原忠直です。
宮原は明治初期の頃の鍋島氏の家臣の家柄。
大変な秀才だったそうで、九州鉄道会社に入社し鉄道マンとして働いた後、武雄まで鉄道が開通したのを機に独立。
後に日本逓送(ていそう)株式会社を設立し、九州運送業界を牽引する大実業家となるのです。

一方で宮原家は、武雄温泉の組長を務めるなど、昔から武雄温泉と深い関わりを持っていたそうで、その縁で宮原も武雄温泉組(後の武雄温泉株式会社)の組長となります。
宮原は数年かけて専門家による地質調査を行い新泉脈を発見するなどして武雄温泉のさらなる発展に尽力。
県会議員を務めていた時期には、「武雄温泉を竜宮城にする」という構想を打ち出します。

このとき建物の設計を発注した先が、日本の近代建築の第一人者、辰野金吾の設計事務所でした。
辰野金吾は佐賀県の唐津出身で、日本銀行本店や東京駅の駅舎など数々の近代建築物を手がけた人物として知られています。
宮原の依頼を受けて設計されたのが、楼門と武雄温泉新館です。

宮原はこの他にも、様々な娯楽施設の建設を計画していたようで、その設計図が残されています。
楼門も3つ建てる予定だったようですが、建設の段階で様々な変更があり、現在のような形になったと思われます。
しかし、もしこの構想が実現していたら?武雄温泉はとんでもない規模の温泉テーマパークになっていたことでしょう。

武雄温泉のおすすめスポット

まるで竜宮城!武雄温泉のシンボル「楼門」

まるで竜宮城!武雄温泉のシンボル「楼門」

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武雄温泉の中心となるのが楼門。
その不思議なデザインは、訪れた人たちの心を捉えて離しません。
前の章でも何度も触れましたが、ここで改めて、詳しくご紹介してまいりましょう。

武雄温泉の入り口にそびえ立つ朱塗りの楼門は、2005年(平成17年)に国の重要文化財に指定され、2013年(平成25年)に補修工事が行われたこともあって、朱はより赤く、漆喰部分はより白く、よりいっそう鮮やかになりました。
竜宮城を彷彿とさせるその形、天平式楼門と呼ばれ、釘を1本も使用せず木を大事にした建築物なのです。

完成は1915年(大正4年)。
設計したのは前述のとおり辰野葛西建築事務所で、あの東京駅の駅舎とほぼ同時期のもの。
同じ佐賀県出身の辰野金吾はこの依頼を快く引き受けたと言われています。

デザインの奇抜さ・美しさもさることながら、特筆すべきはその大きさ。
高さ12.5m、横幅6.8m、奥行き4.9m、間近に立ってみると、写真で見るよりかなり大きく感じます。

楼門の二階部分は部屋になっているそうですが、2013年の修復工事の際、ここで大きな発見がありました。
東京駅丸の内駅舎の謎を解く鍵が見つかったのです。

丸の内駅舎には南北2つのドームがあり、内側から見上げると天井が八角形になっています。
柱や壁に美しい装飾の数々が施されているのですが、その中に十二支のレリーフが。
でも、十二支揃っておらず、丑・寅・辰・巳・未・申・戌・亥の8つだけ。
卯・酉・午・子がないのはなぜ。
なぜこんな中途半端なことを?長いこと謎だったのだそうです。

そしてその4つは何と、遠く離れた武雄の地に潜んでいました。
楼門の2階の天井に、この4つの干支が刻まれていたのです。
ほぼ同時期に設計された、まったく異なるタイプの2つの建築物を2つ合わせると干支が揃うとは!設計者の真意はわかりませんが、辰野金吾の遊び心だったのでは?との見方もあるそうです。

武雄温泉新館を見学しよう

楼門をくぐると、公衆浴場や貸切風呂、売店などの施設が円を描くように配置されていますが、真っ先に目に飛び込んでくるのが正面にあるレトロな木造建築。
楼門と同じく国の重要文化財に指定されている武雄温泉新館です。
こちらも同じく辰野金吾の設計事務所によるもので、瓦屋根に朱の柱と白い漆喰が印象的な和風建築となっています。

建てられたのは1914年(大正3年)。
横幅(桁行正面)14間(およそ25.5m)、奥行(梁間)3間(およそ5.5m)の二階建て。
正面は豪華な玄関車寄せとなっていて、一階は左右に男女大浴場。
二階には和室が5室あったそうです。

桜やつつじなど花の季節になると、あたりの景色もより一層華やかに。
見上げていると、本当に竜宮城に迷い込んだような気分になります。
こちらも楼門と同様、写真で見るよりずっと大きく感じられ、迫力満点です。

木造建築がゆえに老朽化が進み、平成12年から2年ほどかけて修復が施されました。
現在は、温泉施設としては利用されていませんが、中を見学することができます。
当時大変貴重だった、マジョリカタイルや陶板デザインタイルといった珍しい資材を使った内装は、建築ファンならずとも一見の価値ありです。

美味しいもの満載の楼門朝市

人が集まる湯治場には、湯治客相手の出店がよく似合います。
もしかしたら武雄温泉にも、豊臣秀吉軍の兵に酒や食べ物を売ったり、長崎街道を行き来する人々にお菓子をふるまったりする店が並んでいたかのかもしれません。
そんな光景を思い描きながら歩くと、一層楽しさが増すはずです。

武雄温泉に宿泊するなら是非楽しんで欲しいのが楼門朝市。
毎週日曜日、朝7時半から10時半頃まで、楼門を正面に様々なのぼりが立ち、たくさんの露店が軒を連ねます。
並ぶ品は多種多様。
武雄周辺の様々な名産品や採れたて野菜、名物の温泉たまごや雑貨など、とにかくいろいろなものがところ狭しと賑やかに並びます。
地元の人たちと会話しながらそぞろ歩くのが朝市の醍醐味。
また、抽選会やスイカ割り、流しそうめんなどイベントをやる日もあるので、見てまわるだけでなく参加して楽しむのも一興です。

数ある品の中で特におすすめなのがスイーツ。
佐賀は長崎街道(シュガーロード)の影響で、昔から砂糖を使ったお菓子がたくさん作られてきました。
もちろん武雄も例外ではありません。
朝市にも様々なスイーツが並びます。
昔から作られてきたものから今風のものまでいろいろあるので、お気に入りを見つけていただきたいです。

2017年で10周年を迎える武雄温泉の朝市。
古い歴史のある武雄温泉で新しく始まった、素朴で温かいおもてなし。
これからもどんどん盛り上がってほしいです。

廣福寺で仏像拝観

武雄温泉の東側の小高い場所に建てられた静かなお寺。
特に秋の紅葉は美しく、散策を楽しむ観光客の姿も多く見られます。
創建はおよそ800年前の鎌倉時代。
豊臣秀吉軍が湯治にやってくるよりずっと前から武雄温泉を見守っている、そんな歴史ある名刹です。

おすすめは紅葉の時期ですが、境内を彩る豊かな緑と静寂はどの季節でも堪能できます。

また、このお寺の釈迦堂には、国指定重要文化財の「木造四天王立像」が祀られていて、仏像ファンた足しげく通う場所でもあるのです。
やはり鎌倉時代に作られたもので、鎌倉初期に活躍した仏師運慶の作か、あるいは運慶の流れを汲む仏師の手によるものだとも言われています。

四天王とは仏教における守護神。
帝釈天がいる須弥山の四方を守っている神様で、名前を持国天(じこくてん)、増長天(ぞうちょうてん)、広目天(こうもくてん)、多聞天(たもんてん)と言います。
多聞天は単体で祀られることも多く、その場合は毘沙門天と呼ばれるそうです。

ご利益としては、戦勝祈願や国家鎮護といったことが挙げられます。
どういういきさつでこの四天王が祀られることになったのか、詳細は不明ですが、神功皇后の伝承や豊臣秀吉朝鮮出兵にゆかりの武雄温泉に四天王像が奉納されているとは、実に感慨深いです。

境内には他にも、銅鐘や犬切観音、七体地蔵など、文化財がたくさん。
心が休まります。
拝観料は大人300円、子供150円、朝9時から、16時まで入場可能です。

少し足をのばして~周辺のおすすめスポット

武雄の三本の大楠

武雄の三本の大楠

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武雄市の木でもある楠。
市内には、”武雄の三大楠”(川古、塚崎、武雄)と呼ばれる樹齢1000年を超える大樹があり、古くから大切に扱われてきました。
巨木名木が数多く点在するのも佐賀県の魅力のひとつです。

神話の時代からこの地にあって、武雄の地の移り変わりを見つめ続けてきた大楠。
3カ所まわって大楠の見比べを楽しむ人も多いようです。

まず、最も大きいのが川古の大楠。
推定樹齢3,000年、樹の高さはおよそ25m、幹の周囲が21mという、全国でも指折りの巨木でもあります。
大正13年には国の天然記念物の指定を受けました。
古木とは思えないほど見事な枝ぶりで、葉が生い茂っています。
奈良時代に行基(東大寺大仏建立に尽力した名僧)がこの地を訪れ、幹に2.4mもの観音像を彫ったとの伝承も。
武雄温泉駅からは少し離れていますが、わざわざこの巨木を見に足をのばす観光客も少なくないのだそうです。

塚崎の大楠は推定樹齢は2,000年で、樹の高さはおよそ18m、幹の周囲は13.9m。
昭和38年の落雷で幹が9mほどそぎ落とされてしまいましたが、根回りはおよそ35mにもなり、まるで一軒家のよう。
どっしりと風格があります。
比較的市街地に近い場所にあるところも、人気の理由となっているようです。

武雄の大楠は推定樹齢およそ3,000年、樹高27m、幹周20m。
武雄神社の御神木として大切にされてきました。
竹林に囲まれた一角に突如として現れるその姿は雄大で荘厳、見る人に力を与えてくれます。

大楠はパワースポットとしても観光客に人気。
温泉で温まって楠から力をもらえば運気上昇間違いなしです。

御船山楽園で景色を堪能

武雄の大楠の南方に、御船(みふね)山という標高210mの山があります。
とがって突き出たような、山水画に出てくる山のような独特の形をしたこの山の西側に広がっているのが、15万坪もの敷地面積を有する御船山楽園です。

もともとは武雄の第28代領主・鍋島茂義の別邸として、1842年からおよそ3年かけて造られた「萩の尾園」という広大な庭園。
茂義は鎖国時代の日本の中でも積極的に海外の学問や技術を取り入れたことで知られた名君。
佐賀藩の財政改革の傍ら大砲や蒸気船の導入を試みるなど、幕末の佐賀藩の軍事力・技術力の礎を築いたとも言われています。
きっと庭園造りにも多くのこだわりを見せたのでしょう。
御船山はかの神功皇后が朝鮮半島より戻った際に”御船をつながれた”と伝わる山で、まさに武雄のシンボル。
この山を借りて美しい庭園を造るべく、茂義は狩野派の絵師を京都より招いて庭園の完成予想図を書かせたのだそうです。

現在の御船山楽園は明治以降に整備されたもので、新たに様々な植栽が施され、四季折々、訪れる人の目を楽しまています。

圧巻は5万株・20万本とも言われる色とりどりのツツジが織りなすツツジ谷。
御船山をバックに丸くかわいらしく刈られたツツジが幾重にも連なって見ごたえ満点。
春先には多くの観光客がカメラ片手に笑顔を花咲かせます。

20m四方に広がって美しい花を揺らす大きな藤棚も見どころのひとつ。
また、5千本の桜が植えられていてお花見シーズンも賑わいます。
もちろん秋は園全体が紅葉し、紅葉狩りに訪れる人も。

御船山でロッククライミングをする人たちも多いそうです。
もしかしたら岸壁をよじ登っている人の姿を見ることができるかも?茂義公が見たらさぞ驚くことでしょう。
いや、茂義公なら「自分もやりたい」と言い出すかもしれませんね。

武雄で窯元めぐり

佐賀というと、有田や唐津など、陶器が有名な町が数多くあります。
古来より良い土がよく採れ、大陸よりいち早く陶磁器の技術が入って来たため、やきものの技術が発展したのです。
もちろん武雄市にもたくさんの窯元があり、やきものはさかん。
文録・慶長の役の際に同行した陶工たちによって始められ、400年の歴史があると言われています。
その技法は多種多様。
鉄絵・緑釉・鉄釉・刷毛目・叩きなど様々な技法が用いられ、大皿や瓶、壺、茶碗などが作られていました。

現在では市内各所に、個性的な窯元がおよそ90カ所。
野趣あふれる重厚なやきものから滑らかな手触りの繊細なものまで、窯元をめぐってお気に入りを見つけるのも武雄観光のおすすめポイントです。

いろいろ見てまわりたいけどどうしたらいい?という場合は、武雄温泉駅の構内に焼き物コーナーがありますので、足を運んでみてください。
いろいろな窯元の作品を見比べることができますし、購入も可能。
また、武雄温泉通りにある「緑青(ろくしょう)」という陶磁器もおすすめ。
えりすぐりの作品に触れることができます。

自分でも作ってみたい!という人は、陶芸体験ができる工房を訪れてみてください。
車で25分ほど、川古の大楠より少し手前の山深い場所に「竹古場キルンの森公園 飛龍窯」というところがあって、ここで絵付けや手びねりなど陶芸体験をすることができます。
広大な敷地の中に大きな登り窯があり、一度に12万個の湯飲みを焼くことができるんだとか。
やきものがお好きなら楽しめること間違いなしのスポットです。
また、やきもの体験は武雄温泉新館横にある工房でも楽しむことができます。

武雄観光の思い出にもお土産にもなる窯元めぐりや陶芸体験。
ご家族連れやグループにもおすすめです。

がばいよか武雄

”がばい”とは佐賀の方言で”とても”とか”非常に”という意味の言葉。
佐賀の言葉は冒頓として味わいがあります。
地元の人と話していると何と言っているかわからないこともしばしば。
でも皆さん気さくで温かい。
そんなところも武雄の魅力かな、と思います。
まず、古くからよい泉質の温泉があって、それを求めて多くの人が集まって、その人たちを迎える町の人たちがいて…肩の凝らない、素朴でやさしい温泉地。
そんな武雄温泉へぜひお越しください!
photo by PIXTA