黙殺しなければ原爆は落とされなかった?優しさと脅迫の「ポツダム宣言」の内容とは?

「ポツダム宣言」というと、敗戦や原爆など、暗いイメージを持っている人が多いのではないでしょうか?ここではポツダム宣言がどういうものでその前後の歴史的経緯と、米英中ソの連合国の間でどのように協議され内容が決められたか、またポツダム宣言に対する日本政府の対応でどのように戦争の対応が変わったか?さらに、ポツダム宣言の具体的な内容に触れて、どういうことが書かれているかを見ていきたいと思います。まずはポツダム宣言の前後の歴史的経緯から見ていきましょう。

ポツダム宣言はどういう経緯で受諾され、どのように協議された?

ポツダム宣言から戦後が始まった?

ポツダム宣言から戦後が始まった?

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1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し連合国軍に降伏。
翌日から停戦への処理が始まり、28日に占領軍の本土進駐が開始、30日にはマッカーサー元帥が連合国軍最高司令官として来日します。
そして9月2日、アメリカの戦艦ミズーリ号で降伏文書の調印が行われ、日本は連合国軍の管理下に。

日本の戦後はポツダム宣言を受け入れることから始まったのです。
軍国主義の除去・民主主義の確立、平和産業の維持・戦争責任の追及・公正な賠償など連合国軍が敗戦国の日本を管理するための指針となり、その後、連合国軍の対日機関である極東委員会によって採択された「降伏後の対日基本政策」のベースに。

またポツダム宣言の線に沿って憲法改正も。
マッカーサーは当時の幣原(しではら)喜重郎首相にポツダム宣言にのっとり人権確保のための5大改革を要求。
それは婦人の解放・労働組合の助長・学校教育の自由主義化・民衆生活を恐怖に陥れた制度の廃止・日本経済の民主主義化というもの。

戦後70年が経過し、多くの人々はそこに何が書かれていたか知りません。
しかし当時の新聞や書物にはポツダム宣言の全文が掲載され、内容を解説する記事も多く掲載。
当時の日本にとってポツダム宣言受諾とその内容が、いかに重要なことだったかあらわれています。

ポツダム会談はソ連と、ポツダム宣言は中国と行われているのはなぜ?

ポツダム会談はソ連と、ポツダム宣言は中国と行われているのはなぜ?

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次は「ポツダム宣言とは何か?」ということについて見ていきたいと思います。

ポツダム宣言とは終戦20日前の1945年7月26日に、連合国軍のアメリカ・イギリス・中国(このときは今の中華人民共和国ではなく、中華民国)が日本に対して行った降伏勧告。
ドイツ降伏後にドイツのポツダムにアメリカ・イギリス・ソ連の3国首脳が集まり、「ポツダム会談」が開催。

会談の主題はドイツの戦後処理ですが、その会期中に「ポツダム宣言」は公表。
「ポツダム会談」はドイツの降伏が主題で、「ポツダム宣言」は日本への降伏勧告であるため、全くの別物なのです。

「ポツダム会談」に参加したソ連は、当時はまだ日本と日ソ中立条約を結んでいました。
約2週間後にそれを破棄して対日宣戦布告しますが、このときは日本とは戦争をしていません。
そのためソ連は「ポツダム宣言」公表後には名を連ねてはいませんが、後日、宣戦布告後に参加することに。

中国は第二次世界大戦が始まる前からの日本の戦争の相手国。
中国の代表はこのときポツダムにはいませんでしたが、「ポツダム宣言」には「領土に関する規定は『カイロ宣言』を履行するように」とあり、中国の主張は「カイロ宣言」に盛り込まれているので、アメリカ大統領トルーマンからの電話連絡で文面を確認し、宣言に同意しました。

余談になりますが、この時代、国の首領同士の対話は電話で行われているのですね。
いや、もしかしたら今でもそうなのかもしれませんが。

中国の主張が盛り込まれたカイロ宣言とは?

中国の主張が盛り込まれたカイロ宣言とは?

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「カイロ宣言」は「ポツダム宣言」の前身となった、連合国の3ヶ国による対日戦線についての宣言。

1943年11月22日から26日にかけて、エジプトのカイロで、アメリカ大統領ローズベルト、イギリス首相チャーチル、中華民国総裁・蒋介石が対日戦線について話し合う「カイロ会談」が行われ、そこで合意された内容が「カイロ宣言」として発表されました。

「カイロ宣言」は日本の領土について連合国が初めて具体的な方針を示したもの。
それがポツダム宣言に引き継がれ、主な内容は、第一次世界大戦の開始以降、太平洋上に得た諸島を手放すこと、中国から得た満州、台湾などの領土を返還すること、朝鮮を独立させることなど。

ちなみにこの翌々日に場所をイランのテヘランに移し、中国の蒋介石が外れてソ連首相スターリンが加わり、ヨーロッパ戦線を話し合うテヘラン会談が開催。
このときスターリンはすでにドイツ降伏後の対日参戦を約束していたとされています。

ポツダム宣言は日本に対してのもので、日本は中国から領土を奪っていたので、中国の利益はその領土を取り戻すことにあり、カイロ宣言に中国の主張が入っているということになるのですね。

ポツダム宣言を拒否し原爆投下、そしてその後は?

ポツダム宣言に対する日本の対応は?

ポツダム宣言に対する日本の対応は?

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「ポツダム宣言」では、連合国は日本に対する最終攻撃の準備ができたことを宣言し、攻撃を実施する前に、日本に戦争を終わらせるチャンスを与える、と条件提示をし、「条件を飲まない場合は壊滅的な打撃を与える」と書かれています。

「日本は無条件降伏をした」と書かれていますが、「ポツダム宣言」には降伏のための「条件」を提示。
示された主な条件とは、日本軍隊の無条件降伏・武装解除と復員・領土の占領・領土の縮小・民主主義の確立・平和産業の確保・戦争犯罪人の処罰などでした。

しかし、日本政府は「ポツダム宣言」をすぐには受け入れませんでした。
日本政府は実は戦争終結の方法をかなり前から模索し、ソ連の仲介に期待し、ソ連駐在の大使は、ポツダム宣言の前後に何度も戦争終結仲介依頼の返事を問い合わせていました。

1945年7月26日に「ポツダム宣言」が発表されると、政府はすぐに対応を検討しますがコメントを出さず、宣言の内容のみを発表。
連合国側から先に出されてしまった条件を検討し交渉する時間も手立てもなく、当分コメントを出さない方針だったのです。

勝っている方が先に降伏を勧告すると、明らかに勝った方の主張が多分に通ることになってしまい、さらにはそれが自分たちが考えていた和平の内容とは大分違っていたのではないでしょうか?おそらく日本政府はこれほど領土を削られる要求をされるとは思っていなかったのでしょう。

ポツダム宣言を拒否したことで、どれほどの攻撃があった?

ポツダム宣言を拒否したことで、どれほどの攻撃があった?

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ところが当時の鈴木貫太郎首相は7月28日午後4時から会見を行い、「政府としてはなんら重大な価値のあるものではなく、ただ黙殺するのみ。
われわれは断固戦争完遂に邁進するのみ」と発言。
この「黙殺」という発言が「完全に無視」「拒否」と翻訳され、世界に報道されました。

「負けがほぼ決まっているのに、まだやるのか」と海外の人も呆れたのではないでしょうか?「ここで降伏を受け入れていれば、広島と長崎に原爆は落ちなかったのに」と私も考えてしまいます。

日本が正式な回答をせず留保している間に「日本は拒否」という報道がされたこともあり、予告通り連合国は日本に対して甚大な攻撃を行い、8月6日には広島に、続いて8月9日には長崎に原爆が投下。

長崎への原爆投下の直前の8日深夜(日本時間)、ソ連が日ソ中立条約を破棄し、ポツダム宣言はソ連を加えた4ヶ国の対日共同宣言に。
仲介を期待していたソ連の参戦で、政府の和平交渉の望みはほぼなくなりました。
なるほど、こうして絶望的な状況に追い込まれていったのですね。
原爆まで落とされるとは想定していなかったのでしょうか。

ようやくポツダム宣言を受諾

ようやくポツダム宣言を受諾

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ソ連の参戦、続く長崎への原爆投下により、政府の中では「ポツダム宣言を受諾するしかない!」という意見が優勢となり、受諾の方針が決まりました。

東郷茂徳(しげのり)外務大臣は8月10日午前、スイスとスウェーデンの大使に緊急打電。
天皇の平和への願いにより即時戦争終結が決まったこと、そして「ポツダム宣言の中に天皇の国家統治の大権を変更する要求を含まない(国家統治権を天皇から変更するという項目が入っていない)ことを確認した上で宣言を受諾する」という内容を、スイス、スウェーデン両政府を通じて4ヶ国に伝達するよう要請しました。

11日には連合国から回答があり、14日に天皇がポツダム宣言の諸条項を受け入れるという詔書を発布し、受諾を連合国に通達。
11日の回答の中に書かれていた天皇に関する記述(天皇および日本に国政府の国家統治の権限は…中略…連合国軍司令官に従属するものとする)はほぼそのまま降伏文書に取り入れられました。

今の時代の人間にはわからない所なのですが、天皇主権というものにこだわらないといけない理由があったのでしょうか?(天皇陛下を敬う気持ちがないわけではありません)「天皇の言ったこととして政策を出せば、国民は受け入れやすい」という考えでしょうか?

ポツダム宣言全文の内容は?

1〜3項の内容はドイツの時よりも強い軍事力で日本を壊滅させられるという脅迫

1〜3項の内容はドイツの時よりも強い軍事力で日本を壊滅させられるという脅迫

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次はポツダム宣言の内容について触れていきます。
全文を載せたい所ですが収まりきらないので、少し省略して書かせてもらおうかと。

最初に「ポツダム宣言 1945年7月26日 ポツダムにおいて」とされ、まず第1項では「われわれ、米国大統領、中華民国政府主席、および英国総理大臣は、国民を代表し協議の上、日本国に対し、今回の戦争を終わらせる機会を与えることで意見が一致した」とあります。

2項では、「米英中の巨大な陸・海・空軍は、自国の陸・空軍を数倍に増強し、日本に最終的打撃を与える態勢を整えた。

この軍事力は、日本国が抵抗をやめるまで戦争を遂行するという一切の連合国の決意によって支持・鼓舞されている」日本を壊滅に追い込む力を蓄え、さらにそれで脅迫するのに近いことが書かれていますね。

「3、ドイツの抵抗が無益で無意味な結果に終わったのは、日本国民に先例を極めて明白に示すもの。

現在日本国に対して集結しつつある力は、全ドイツ国人民の土地、産業、および生活を荒廃させたものに比べ、計り知れないほど強大なもの。

われわれの軍事力は、日本にとって避けられず、また同じく必然的に日本国全土の完全な破壊を意味するであろう」。

ドイツの悪を例に例え、降伏に追い込んだり時よりもたくさんの戦力で日本を潰せるということを示しているのですね。

軍国主義の排除と戦後の日本の領土の範囲が書かれた4〜8項

軍国主義の排除と戦後の日本の領土の範囲が書かれた4〜8項

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4項では「日本国を滅亡の淵に陥れた軍国主義者に日本国が引き続き統御されるか、または、理性の道を歩むか、を日本国が決めなければならない時がきた」

5項では、「われわれの条件はこの通りでこの条件から逸脱しない。
これに代わる条件はなく、われわれは遅延を認めることができない」要は「すぐに決めろ。
さもないと、とどめの攻撃をする」ということでしょうか」

「6、われわれは無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、および正義という新秩序が存在できないことを主張し、この理由で、日本国民をだまし、世界征服をしようとする過ちを犯させた者の権力と勢力は、永久に除かれなければならない」軍国主義とそれを行おうとしたものを日本、いや世界の国々から排除したいという考えですね。

7項では「以下の新秩序が建設され、かつ、日本国の戦争遂行能力が粉砕されたという確証があるまでは、連合国が指定する日本国領域の諸地点は、われわれの基本目的を達成するために占領される」

また8項では、カイロ宣言の条項は履行され、また日本国の主権は本州、北海道、九州および四国、ならびにわれわれの決定する諸小島に局限される」

日本は連合国軍の占領下におかれ、カイロ宣言に基づいて満州や台湾などの領土を返還し、支配は日本列島のみに限る、と言っているのですね。

9〜13項は日本国民のことを思ってくれている?

9〜13項は日本国民のことを思ってくれている?

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9項では「日本の軍隊は、武装解除された後、各自の家庭に復帰し、平和で生産的な生活を営む機会を与えられる」

「10、われわれは日本国を奴隷化したり滅亡させようとする意図はないが、われわれの捕虜を虐待した戦争犯罪人には厳重な処罰が加えられるべきだ。
日本国政府は日本国民の間に民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。

言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立されなければならない」

これは軍国主義の政府を敵視し、日本国民に優しい道に持っていくことを言ってくれているのですね。

11項では「日本の経済を維持し、公正な取り立てを可能にする産業を維持することを許し、しかし再軍備のための産業は許さない。
原料の入手は許され、日本国は世界貿易への参加を許される」と再軍備は許さないがいずれ貿易へ世界貿易へ参加させる意図があることを示しています。

12項では、「前記の諸目的が達成され、日本国民が自由な意思に従って平和的傾向を持ち、かつ責任ある政府が樹立されたとき、占領軍は日本から撤収する」とあります。
占領は日本が平和的に自立してからということ。
この辺りの項は日本国民に対する優しさ?が感じ取れますね。

13項では「日本政府がすぐに無条件降伏を宣言し、日本政府は誠意を持ち、適当で十分な保障を提供することを要求する。
さもなければ、日本国はすぐに、かつ完全に壊滅するのみだ」という内容。
再び脅迫ですね。

全13項の内容を並べてみましたが、いかがでしょうか?ポツダム宣言が日本の軍国主義を主義を批判し取り除こうとし、また日本国民の生活を思いやり、さらに「まだ抵抗するならとどめの一撃を与える」と脅迫する硬軟織り交ぜた宣言だということがわかりましたでしょうか?

ポツダム宣言を知ることで今の世界情勢を考えられる

ポツダム宣言は占領軍による降伏後の対日基本政策のベースで、日本の戦後の始まりと言えるもの。
日英ソと話し合われ、カイロ宣言を主張する中国と米英の3国で出されますが、日本政府は領土を思ったよりも減らされたことに混乱して、なんと黙殺。
これにより原爆が投下されるなど日本に重大な被害をもたらされた後についに降伏。
そこでポツダム宣言の日本国民の平和で豊かな生活を約束した優しさと、「受け入れなければとどめの攻撃をする」という脅迫の内容を受け入れ、終戦となりました。

今の日本と世界の関係を知る上で、ポツダム宣言に関わる世界情勢を知ることはよい知識になるのではないでしょうか?私も調べていて「ここから今に繋がっているんだ」という感覚になりました。

それでは、今回も読んでくれてありがとうございます。

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