恋も愛も捨てた処女王・エリザベス1世の波乱の生涯

現在のイギリス女王はエリザベス2世。国民に敬愛される素晴らしい女王ですよね。しかし、イギリスの歴史に燦然と輝く偉大なる女王と言えば、エリザベス1世を忘れてはいけません。生涯独身を貫き、その身を国に捧げた処女王として有名です。しかし、彼女の歩んだ道は最初から平坦なものではありませんでした。父が母を処刑するというおぞましい記憶は、彼女の人生に影を落としたのです…。しかしそれでも彼女が偉大なる女王として立ち上がったその歴史を、今回はご紹介しますね。

父ヘンリ8世の「離婚したい!」わがまま

 

父ヘンリ8世の「離婚したい!」わがまま

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1533年、エリザベスはイングランド王ヘンリ8世とその妃アン・ブーリンの間に王の二女として生まれました。
日本はちょうどそのころ室町時代末期から戦国時代に突入というところです。
ちなみに織田信長が1534年生まれですよ。

さて、エリザベスの母アン・ブーリンはヘンリ8世の2番目の妃でした。
ヘンリ8世は後継ぎの男の子を強く望んでおり、男の子のなかった最初の妻を離縁しています。

キリスト教のカトリックでは、離婚は認められていません。
そのため、ヘンリ8世の離婚の申請もまた、ローマ教皇には認めてもらえませんでした。
それに強く反発したヘンリ8世は、カトリックから離脱し、独自にイングランド国教会を成立させたのです。
方向としてはプロテスタント(教皇頂点のカトリック教会の権威を否定、聖書に基づく信仰を掲げる)ですが、実は儀式などはカトリック方式でした。
とはいえ、つまりは離婚できるということにしたかったわけですね。

父が母を処刑!?王女ですらなくなる

ということで何とか最初の妻と離婚したヘンリ8世はアンと結婚し、アンはエリザベスを生みますが、やはり男子には恵まれませんでした。

ヘンリ8世にはこれが不満で、なんと今度はアンを離縁して新たな妃を迎えます。
これが次々と続くんですよ。
しかも、離婚したアンがどうなったかというと、後に姦通の罪を着せられて処刑されてしまうんです。
アンが政治に介入するような野心ある女性だったという理由もあるのですが、それにしても、元妃を処刑するなんて、ヘンリ8世、どうかしていますよね。

このときエリザベスはわずか2歳半。
母が罪人として離縁・処刑されたため、王女の称号を奪われ、庶子として扱われるようになってしまったのです。

聡明かつ早熟な少女

 

聡明かつ早熟な少女

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ヘンリ8世は、6人もの妻をとっかえひっかえしましたが、最後に妃となったキャサリン・パーという女性は、とてもできた人でした。
母をなくしたエリザベスや、その異母姉であるメアリを引き取り、しっかりと養育したのです。
しかも、2人の王位継承権復活をヘンリ8世に願い出たほどだったんですよ。

そんなキャサリンの元で、エリザベスは有能な家庭教師についてどんどん知識を吸収していきました。
ラテン語、イタリア語、フランス語、ギリシャ語にも通じていたそうですよ。

1547年、父ヘンリ8世が死ぬと異母弟のエドワード6世が後を継ぎます。
エリザベスは再婚したキャサリンについていきますが、ここで大問題が起きました。

キャサリンの再婚相手と親密な仲になってしまったんですね。
この時13歳か14歳。
早熟です…。
そのため、追い出されてしまいました。
その後、相手の男性はエリザベスとの結婚を望みましたが(野心込みです)、内紛により処刑されてしまいます。

このことが、エリザベスの恋愛や結婚観に少なからず影響を与えたと考えられているんですよ。

異母姉「血まみれメアリ」の時代

 

異母姉「血まみれメアリ」の時代

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異母弟エドワード6世は15歳で死去し、その後の女王ジェーン・グレイはわずか9日で廃位となります。
そして1553年、次の王となったのは、エリザベスの異母姉であるメアリでした。
これがメアリ1世です。

しかし、メアリ1世はカトリックだったため、父ヘンリ8世の方針を180度転換し、まず同じカトリックであるスペイン王フェリペ2世と結婚します。
これには、イングランドがスペインの影響を受けてカトリック化するのではないかという危機感が高まりました。

さらに彼女はプロテスタントを弾圧し、300人ものプロテスタントを処刑しました。
そしてついた異称が「血まみれメアリ」。
ちなみに、「ブラッディ・マリー」というカクテルがありますが、これはメアリが由来とも言われています。

当然、そんなメアリ1世に反発する勢力もいたため、反乱が起きました。
すると、エリザベスにはその首謀者であるという疑いがかけられてしまったんです。
そして彼女はロンドン塔に幽閉されてしまいました。
ロンドン塔と言えば現在は世界遺産ですが、高い身分の罪人を幽閉・処刑する監獄であることでも有名でした。

しかし、疑いは晴れ、エリザベスは解放されます。
するとメアリ1世は病に倒れ、後継ぎを残すことなく1558年に亡くなってしまいました。

ついに、エリザベスに王位が回ってきたのです。

エリザベス1世の誕生

 

エリザベス1世の誕生

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エリザベスは即位し、エリザベス1世となりました。
この時25歳、若く美しい女王は国民から熱狂的な歓迎を受けました。

彼女はメアリ1世の方針を元に戻し、イングランド国教会を中心とするやり方に変えていきます。
同時に外交にも積極的に乗り出し、海外へと進出していきました。
フランスの宗教戦争に参戦したほか、当時最強の誉れ高かったスペインの無敵艦隊と対決し、みごと勝利を収めてイングランドの存在を見せつけたんです。
海洋帝国として世界を席巻する第一歩でした。

また、アメリカ大陸やインドなど、大航海時代によって発見された土地への進出も同時に行いました。
インドには東インド会社を設立し、貿易の拠点とします。
これは学校の授業で聞いたことがあると思います。

ザ・ヴァージン・クイーンとして

 

ザ・ヴァージン・クイーンとして

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エリザベス1世は、生涯通して結婚することはなく、「処女王(ザ・ヴァージン・クイーン)」という通称で呼ばれました。
女王は、自分は臣民と結婚したという趣旨の演説をしていたほどです。
そうした姿勢が、民衆からの人気を得た一因でもありました。
未婚を貫くことで自身を神格化することもできたわけです。
実際、老齢になってからも、彼女の肖像画は若く美しいまま描かれていたんですよ。

しかし、即位当初から女王の伴侶選びは重要事項でした。
周囲も結婚を勧めていましたし、多くの求婚者や愛人もいたのですが、結局、彼女は夫を持たなかったんです。
それはなぜなのでしょうか。

様々な理由が挙げられていますが、ひとつは、少女時代に育ての親キャサリン・パーの伴侶とスキャンダルを起こしたこと、もうひとつは、自分が不妊であることを知っていたということもあるんだそうです。
また、母アン・ブーリンが父ヘンリ8世によって処刑されたトラウマもありますし、スキャンダルの相手が後に処刑されたことも影を落としていたようですよ。

それだけではなく、女王は未婚であることを外交の武器としたんです。
未婚であれば、外国相手に結婚をちらつかせて交渉することもできました。
また、結婚することで夫の国から政治的干渉が起きる危険があることも承知していたのです。
メアリ1世の例を良く分かっていたんですね。

とはいえ、女王もひとりの女性。
ロマンチックな恋物語のひとつやふたつは、もちろん存在していました。

最初のロマンスの相手は幼馴染

 

最初のロマンスの相手は幼馴染

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女王の生涯に、何人かの愛人がいたことは事実です。

代表的な三人のうち、一人目の恋人は、幼馴染でもあったロバート・ダドリー。
即位して間もない女王を支えた男性でしたが、妻がいました。
しかしその妻が病気になり、「次こそは彼は女王と結婚するだろう」という噂が立ち、その直後に妻が階段から転落死してしまったのです。
女王と結婚するために妻を殺したのではないかという憶測まで生まれ、周囲からは2人の結婚に反対する声が強まり、女王はダドリーとの結婚を断念したとされています。

後に彼が再婚すると、女王はひどく不機嫌になったそうですから、彼への思いは残っていたのでしょうね。

探検家との激しい恋

 

探検家との激しい恋

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女王の恋人として有名な人物のひとり、探検家ウォルター・ローリーは、アメリカ大陸での最初のイングランド植民地(ヴァージニア)を築いた人物です。

女王は彼を寵愛し傍に置きましたが、なんと彼は密かに女王の侍女と結婚し、子供までもうけてしまいました。
これには女王は激怒し、彼をロンドン塔に投獄してしまいます。
しかしやはり彼がお気に入りであったことは変わらず、やがて解放すると再び重用しました。

女王の死から15年後のこと、彼はスペインの入植地で略奪行為を働いたために、スペインとの間に火種を作ってしまいました。
これが元で捕らえられ、ロンドン塔で処刑されます。
1618年のことでした。

わがままだけど可愛い?年下の男

 

わがままだけど可愛い?年下の男

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晩年の女王の愛人は、33歳も年下のロバート・デヴァルーという貴族の男性でした。

彼は先に述べた2人とは違い、あまり有能な人物ではありませんでした。
しかし女王にとっては彼のわがままな言動すら可愛く思えたようで、彼が何度失敗しても罪に問うことはなく、チャンスを与え続けたんです。
しかも彼は、女王の侍医に冤罪を着せて処刑させてしまったりもしました。
聡明な女王が、加齢と共に判断力が低下したことを示す例だと言われています。

失敗続きのデヴァルーは、さすがにやがて失脚します。
すると彼は女王の恩を忘れてクーデタを起こし、捕えられてロンドン塔に放り込まれ、処刑されました。

もう一人のメアリ:メアリ・ステュアート

 

もう一人のメアリ:メアリ・ステュアート

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エリザベス1世の生涯には2人のメアリが登場します。
異母姉メアリ1世と、もう一人のメアリ、スコットランド女王メアリ・ステュアートです。

メアリ・ステュアートはエリザベス1世の父ヘンリ8世の妹の孫に当たる人物で、庶子扱いとなっていたエリザベス1世よりも正統にイングランドの王位を継ぐ権利があると主張していました。

彼女自身はフランス王妃となるも夫と死別しスコットランドへ帰国、そして再婚しましたが、その夫は殺害されてしまいます。
実はこの殺害に彼女が関わっていたとみなされており、その後愛人と結婚したため、周囲からの猛反対を受けついには反乱が起きるまでになってしまったんです。
そしてメアリは敗れ、王を廃されてしまったのでした。

次にメアリがどうしたのかというと、なんとエリザベス1世の治めるイングランドへ亡命したんです。
しかも、それなりの生活を送らせてもらったにもかかわらず、エリザベス廃位を度々企てたというのですから、なんとも…。

エリザベス1世は、当初、メアリを死刑にすべしという周囲の意見に賛成しませんでした。
しかし1587年、メアリが反逆の意思ありとの証拠が出たために、ついに死刑判決を下したのです。
19年間メアリを監視し続けた末の結論でした。

栄光の影に隠れた晩年の苦難

 

栄光の影に隠れた晩年の苦難

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多くの栄光を手にし、愛人に支えられ支えた人生でしたが、女王の晩年は苦労続きでした。
スペインとの戦いに勝利はしたものの、他国との戦いが長期化して財政を圧迫し、税を重くせざるを得なくなりました。
また、凶作によって民衆の生活は苦しくなり、さらに不満が増していったのです。
加えて、最後の愛人デヴァルーへの度を超した寵愛と彼の専横もまた、女王の晩年の汚点とも言うべき事態でした。

やがて、親しい友人が立て続けに亡くなると、女王は鬱状態となり、やがて健康状態も悪化させていきます。
そして、1603年、69歳で亡くなりました。
次に即位したのは、スコットランド王ジェームズ6世。
あの、もう一人のメアリ「メアリ・ステュアート」の息子です。
彼はイングランド王ジェームズ1世となり、自分の母の死刑執行に署名した人物の後を継ぐこととなったのでした。

神格化された女王もひとりの女性だった

 
父が母を処刑するという悲劇を経験し、一度はロンドン塔に幽閉された身だったエリザベス1世。
幼少期のそうした出来事により、終生未婚を宣言した彼女は、強い女王として力強く人生を歩みました。
しかし、やはりひとりの女性であり、愛を必要ともしていたのでした。
神聖な処女王としての役割を完璧に演じながら、人としての自分の存在に悩んでいたのではないでしょうか。
そんな女王の苦悩を、今回の記事で少しでも感じていただけたらと思います。

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