「レ・ミゼラブル」の時代背景。ジャンバルジャンはなぜパンを盗んだ?

公開日:2019/3/22 更新日:2020/3/7

2012年にアカデミーショーを席巻した映画「レ・ミゼラブル」をご覧になって、その人間ドラマに涙した方もたくさんおられるのではないでしょうか。この作品はブロードウェイですでに人気を博しているミュージカルがベースになったお話です。その場で歌われた歌声をそのまま使っていることから、とても臨場感があり、舞台のミュージカルをカメラを通して観ているような作品でした。その「レ・ミゼラブル」ですが、多くの方はフランス革命の時代と思っておられることが多いようです。確かにフランス革命の影響がまだくすぶるパリが舞台ですが、いわゆるフランス革命と呼ばれた時代の後のお話なのです。
今回は「レ・ミゼラブル」の最後に起こった暴動は一体何だったのかを中心にそこに至った時代背景についてご案内いたします。ご覧になったことのある方はもちろん、これからご覧になられる方にも知っておいていただくとより映画を楽しんでいただけるかと思います。

ジャン・バルジャンがパンを盗んだ理由

 

ジャン・バルジャンがパンを盗んだ理由

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物語は1815年のトゥーロンという港から始まります。

ここで主人公のジャン・バルジャンは囚人として使役労働を行っていました。

彼の罪は飢えて死にそうだった妹の子供のためにパンを盗んだことでした。
その罪のための禁固は5年、そして何度も脱獄を繰り返したためその分追加禁固刑となり、合計19年の囚人生活を送っていました。

彼がパンを盗んだのは1796年。

フランス革命の狼煙を上げた有名なバスティーユの襲撃から7年後のことです。

ここで簡単にバスティーユの襲撃のあった1789年から1796年の革命の流れを観てみましょう。

襲撃の後はフランスはルイ16世一家をヴェルサイユからパリへ連れてきて、立憲君主制を目指します。

当初憲法への同意を渋っていたルイ16世がパリ市民の不穏さから、憲法を同意。
イギリスのように王はいるが憲法によって統治される国となると思っていた矢先に、国王一家がパリから逃亡します。

「ヴェルサイユの薔薇」でも有名なヴァレンヌ逃亡事件です。

これによってパリ市民は王家に大きく失望。
以前からあった王政の廃止の声が高まり、ついに1792年に王政を廃止となります。

王がいなくなっても混乱は続く

 

その後、国民公会による共和政が樹立し1793年憲法を制定します。

それは初めて人民投票で成立させた憲法で、人権主権や労働扶助についてや奴隷制廃止などとても民主的な憲法でした。

しかし、実際には革命に対して反発をする対仏大同盟による諸外国との戦争に加えて、発行するアッシニア紙幣の暴落などがあり、国内が落ち着くまでは施行が延期されました。

国民にとっては、王がいなくなっても自分たちの権利は全く変わらず、未だに生活も苦しい。

そんな不満は政府にも影響し、人民からの指示を得るために人気取りの意見を出す者もいれば、既得権益を自分たちが得られるようにしたり、王党派たちはこの不安定な隙に政治主権を取り戻そうとしたり。

そんなさまざまな思惑で勢力が拮抗する中、国民公会は倒れ、総裁政府が立ち、国民の希望よりもブルジョワジーの権利を後押しするような1795年憲法を成立させます。

その政府を安定させるために、血を血で洗うような対立する者への弾圧がされ、恐怖政治が横行するようになります。

その恐怖政治の粛正は政敵だけでなく市民にもおよび、このころになると革命前から続く不況で国民は疲弊し、誰でもいいからこの状況から救ってほしいとまで言われるようになります。

このような混乱を極めている1796年、ジャン・バルジャンはパンを盗んだのです。

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