「レ・ミゼラブル」の時代背景。ジャンバルジャンはなぜパンを盗んだ?

公開日:2019/3/22 更新日:2020/3/7

混乱の中から英雄視されたナポレオンの台頭

 

混乱の中から英雄視されたナポレオンの台頭

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さらに追い打ちをかけたのが、西アフリカの影響です。

フランスの植民地ハノイで反乱が起こりました。

当時、ヨーロッパ世界で大変需要が高く、高利益で取引ができた砂糖の40パーセントの生産を担っていたのがハノイ。

そのハノイが独立に向けて白人や自由黒人と黒人奴隷たちの三すくみを中心にそれぞれの利益と立場の改善を求めて本国と同じく反乱を起こしたのです。

これは後に唯一アフリカの国で成功した独立戦争となるのですが、1791年から1804年までこの戦争は続き、結果として革命政府が発行していた紙幣と砂糖の暴落によってフランス本国の経済に大きな打撃を与えました。

総裁政府の恐怖政治はパリの中を暗く陰鬱な空気にし、対立する者や反発する者を弾圧するためにしばしば軍隊で鎮圧するようになります。

そして対仏同盟による諸外国との戦争や地方の反対勢力の弾圧でも軍隊が活躍する場面が増えていきました。

その中で、徐々に活躍し人々から注目される人物が出てきます。

かの有名なナポレオン・ボナパルトです。

ナポレオンとジャン・バルジャン

 

ナポレオンはイタリアのトスカーナ地方の血統貴族を祖先に持つ、コルシカ島の地方貴族でした。

陸軍士官学校へいき、当時花形だった騎兵科ではなく砲兵科へ進み優秀な成績で最短のスピードで卒業したといわれています。

砲兵科で学んだことが後々に大きく影響し、今までの騎兵中心の戦法に対して得意の砲撃を活用する戦法で戦ったことが勝利につながったと考えられます。

その戦法が功を奏して、ナポレオンを有名にしたのがトゥーロン攻囲戦でした。

トゥーロンはマルセイユの南東に位置する地中海に面した港町で、古くから軍港の要所とされていたとこです。

このトゥーロンが王党派とそれを支持するイギリス軍とスペイン軍に占領されたため、その奪還を目的とした戦いが1793年に起こります。

この戦いを勝利に導いたのが砲兵将校として参戦し、港を砲撃する陣地を見つけたナポレオンでした。
彼はこの戦いで一気に国際的にも注目を集めたのです。

そして1796年、ジャン・バルジャンがパンを盗んだ年にナポレオンはイタリアへ遠征に出かけ、本格的に表舞台へ出てきました。

その後にナポレオンは総裁政府を倒し、皇帝となります。

そして、ジャン・バルジャンが仮釈放された1815年はナポレオンにとっては一度失脚して返り咲いた百日天下の後再度失脚した年となりました。

このトゥーロンですが、ここには刑務所があり、ジャン・バルジャンはオープニングで動かなくなった戦艦を軍港まで引き入れる労働をしています。

ナポレオンが名を挙げた港町で、彼がイタリアへ遠征する年に投獄され、彼が失脚する年に仮釈放になるジャン・バルジャン。

この設定はおそらく原作者であるユーゴーが19世紀の人なら誰でも知っているナポレオンにちなんだ背景にしたのだと考えられます。

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