EUって何?今さら人に聞けないのでコッソリ歴史を勉強してみました!

EU(European Union・欧州連合)とは?「ヨーロッパの国々が協力し合うために作った組織かな?」なんてフワッとした言葉で、何となく理解したつもりになっていましたが、改めて聞かれると口ごもってしまいそう。しかも、ごく最近できたものかと思いきや、その歴史は意外と古く、奥が深い。これを機会にEUについてきちんと知っておこうと思い、遡って歴史を紐解いてみることにしました。今さら人には聞けないかな…とお思いの方、一緒におさらいしていきましょう!

EUの歴史(1)~ヨーロッパ連合の幕開け

 

EUの概要と発足の目的

 

EUの概要と発足の目的

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EUとはEuropean Unionの略で、日本語ではヨーロッパ連合(または欧州連合)と表します。
一言で言い表すなら、ヨーロッパの国々が集まってできた組織・地域統合体、ということになるのですが、その目的とは、ヨーロッパが経済だけでなく社会・政治や政治など様々な分野でひとつにまとまること。

具体的には、国はそれぞれ独立して存在し続けますが、共通通貨(ユーロ)を設け、EU加盟国の間の移動時のパスポートチェックなどを簡略化するなどして、輸出入時の制限を取り払い、加盟国同士協力し合って良好な経済関係を築く、といった効果が期待されています。
アメリカやロシアなどの強大国と対等に渡り歩くためにもこうした協力体制が必要である、という見解から、1993年11月1日発足当時は6か国だったところ、数回に及ぶ拡大を経て、2016年時点での加盟国は以下の28か国となっています。

(ベルギー、オランダ、ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルク、ブルガリア、チェコ、デンマーク、クロアチア、アイルランド、ギリシャ、スペイン、エストニア、キプロス、ラトビア、リトアニア、ハンガリー、マルタ、オーストリア、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロベニア、スロバキア、フィンランド、スウェーデン、イギリス:順不同)。

しかし、2016年6月23日、イギリスで行われた国民投票でEU離脱の是非が問われ、離脱派が残留派を上回るという結果になったため、数年中にイギリスが離脱するものと見られており、今後の動向に注目が集まっています。

ヨーロッパとは何か

 

ヨーロッパとは何か

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では、そもそも「ヨーロッパ」とは何なのでしょう。

定義としては大州(地上の陸地をいくつかの領域に分けたもの)のひとつ。
現在、その中には50の国が存在しています。
ヨーロッパとは国名でも大陸名でも地名でもなく、多くの国が集まった領域の呼び名なのです。

今でこそ、このようにたくさんの国がひしめき合う様子は当たり前となっていますが、その歴史を紐解いてみると、ローマ帝国やフランク王国、オスマン帝国、ナポレオンによるフランス第一帝政など、ヨーロッパの大部分の領域を統一・支配していた大国も存在していました。
強大な力を持っていたそれらの国は強国ではありましたが、一方で短命でもありました。
それは決して、古い歴史のお話ばかりではありません。
ナチス・ドイツが広い範囲で軍政を敷いていたのは1933年から第二次世界大戦終結の1945年まで、70年ほど前のこと。
ヨーロッパでは2000年もの間、戦いが絶えることはありませんでした。

アジアや南アメリカ大陸にも、いくつかの国が国境を隔てて存在する領域はあります。
しかし、歴史を見ても、ヨーロッパほど激しく目まぐるしく国境が動いた地域は他に無いでしょう。
そして、このような状況が長年続いたことが、EU結成のきっかけとなったのです。

では、EUの歴史に入る前に、ヨーロッパの歴史を、主に戦いや争いごとに着目しながら振り返ってみましょう。

ヨーロッパの歴史は戦いの歴史

 

ヨーロッパの歴史は戦いの歴史

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ヨーロッパには先史時代より多くの人々の暮らしがあり、その多くは狩猟を生業とする民族だったと考えられています。
起伏の激しい山々に覆われたヨーロッパでは、より住みやすい場所を求めて人々は移動を繰り返したことでしょう。
また、早い時期に文明が花開いた都市では神話や伝説が数多く生まれ、神々を崇めるための軍隊が編成されることもありました。
肥沃で平らな土地で育む農業が中心の国より、争いごとが起きる可能性は高かったのかもしれません。
好んで戦いに出る王様がいる国もあったようですし、北からゲルマン民族が流れ込んできて滅ぼされた国もありました。

ゲルマン民族など北や東側からやってきた民族はヨーロッパの西側に侵攻し、いくつかのグループに分かれてそれぞれ国を建てます。
ゲルマン民族たちが何故移動してきたのかについては、未だ解明されていない部分が多く、謎に包まれていますが、とにかく強い力を持つ民族たちが次々と入ってきました。
そして、いくつかの民族がそれぞれ自分たちの土地を見つけて住み始めたため、中世のころにはヨーロッパにたくさんの国ができたのです。

ヨーロッパで争いごとが絶えなかったもうひとつの理由に宗教があります。
人々の信仰を集めて教会が力を持ち、それがもとで戦争が起きることもありました。

16世紀頃に入ると、今度は自分たちが外の国に繰り出して行って、アジアやアフリカなどを武力で押さえつけ、植民地支配を始めます。
隣接する国同士で、布教活動や資源の取り合いなどで、また争い合うことに。
時代は変わっても、争いの種が尽きることはありませんでした。

戦争に使われる武器が威力を増していく中で、「戦争に勝つ方法」よりも、「戦争を起こさない方法」について考える人々が、次第に増えていったのかもしれません。

EUの歴史(2)~ ヨーロッパをつなぐ共同体の発足

 

ヨーロッパをひとつに

 

ヨーロッパをひとつに

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多くの大国・文明国がひしめき合い、2000年以上の歴史の中で絶えることなく争いが続いたヨーロッパ。
大帝国が生まれ栄えた時代もありましたが、その先に待ち受けるのはまた戦争。
その中でも特に、1939年から1945年まで続いた第二次世界大戦はヨーロッパ全土を疲弊させ、深く暗い影を落としました。
戦争による国力の低下、経済的損失は計り知れません。
このようなことは二度と起きてはならない、人々はそう願ったのです。

しかし、平和への願いとは裏腹に、世界はアメリカとロシア(ソビエト連邦)という超大国が敵対し冷戦状態となるという、戦中とはまた異なる緊張状態に陥っていました。
2つの国は計り知れない力を持ち、一触即発の状態。
どうなるのか、誰にも予測できません。
ヨーロッパの国々でも緊張が高まっていました。

そんな中、アメリカやソ連と肩を並べるためにも、再び戦争状態に陥らないためにも、ヨーロッパが団結し一体となるべきだと唱えた識者が現れます。

ヨーロッパをアメリカ合衆国のようにひとつの国家にしよう、というもので、この考え方は19世紀から一部の政治家や歴史学者などによって様々な形で提唱され続けていました。
そして戦後まもない1946年、イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルが自身の演説の中でヨーロッパ合衆国の創設の必要性を訴え、大変な反響を呼びます。

ヨーロッパをひとつに。
ほんとうにそんなことが可能なのでしょうか。

ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の設立

 

ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の設立

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チャーチルの提言の後、1950年にフランスの政治家ロベール・シューマンが、石炭や鉄鋼に関する産業の共同体を設立すべきだという「シューマン宣言」を発しました。
これには、フランスとドイツ(西ドイツ)が大きく関係しています。

世界大戦前から、この2つの国の国境付近では、石炭や鉄鉱石などの資源をめぐってたびたび争いが起きていました。
石炭と鉄鋼。
この2つは戦争で兵器を造るために欠かせない産業であり、これが新たな戦争の火種になりかねないとの懸念が、シューマン宣言の根底にはあったのです。

そこで、石炭と鉄鋼産業を管理する国際組織を設立するべきでは、と、フランス側が提案し、これをドイツが受け入れる形となりました。
そして1951年、ECSC(European Coal and Steel Community:欧州石炭鉄鋼共同体)が誕生します。

加盟国はフランス、ドイツ(西ドイツ)、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、オランダの6カ国。
この段階では、イギリスは自国での産業政策で不利になると考え、参加を見合わせています。

ECSCはこうして結成され、一部の国ではありますが、国同士(主にフランスと西ドイツ)の軍事的な対立を避け、アメリカ依存からの脱却を図るべく、各国の経済基盤の確保を目指して始動。
結果的にこの組織は成功をおさめ、その後50年に渡り続いていきます。

EEC(欧州経済共同体)とEuratom(欧州原子力共同体)

 

EEC(欧州経済共同体)とEuratom(欧州原子力共同体)

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ECSCの成功は、次の共同体組織の誕生を促すこととなります。

年月を置かずして、1958年1月に誕生したのがEEC(European Economic Community:欧州経済共同体)。
石炭や鉄鋼だけでなく、経済全般で国境を取り払った共同市場を作り上げることを目的とした組織です。

加盟国はフランス、ドイツ(西ドイツ)、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、オランダの6カ国。
初期メンバーはECSCと同じで、ここでもイギリスは参加を見合わせています。
後にデンマーク、ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペイン、そしてイギリスも参加を表明し、1970~80年代には12カ国への広がりを見せました。

根底にはやはりヨーロッパ合衆国構想があり、そのための共同市場を作ることが目的となっています。
具体的にどんな計画があったかというと、関税や輸入数量制限の撤廃や、労働力や資本の移動の自由、共同出資銀行の設立など。
それにより、最終的な目標はアメリカやソ連に対抗できる体制を整え経済を発展させることにありました。

ほぼ同時期、1958年に作られたEuratom(The European Atomic Energy Community:ユートラム:欧州原子力共同体)は、将来のエネルギー資源不足に対応するための組織で、こちらもフランス、ドイツ(西ドイツ)、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、オランダの6カ国が参加。
始めはイギリスは加わりませんでした。

このようにして、戦争や大きな経済摩擦に発展しそうな資源などを中心に、各国で協力し合い足並みを揃えていくための組織作りは着々と進んでいきます。
これらの組織が、現在のEUの礎となったことは言うまでもないでしょう。

EUの歴史(3)~ 共同体からEUへ

 

EC(欧州共同体)の誕生

 

EC(欧州共同体)の誕生

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初めは、フランスとドイツを中心とした取り組みではありましたが、ECSC、EEC、Euratomの3つの組織は成果を上げ、1967年、この3つの組織をまとめたEC(European Communities:欧州共同体)が誕生します。
加盟国はフランス、ドイツ(西ドイツ)、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、オランダの6カ国。
EECの概要と重なりますが、1973年にイギリス、アイルランド、デンマークが加盟し、80年代に入るとギリシャ、ポルトガル、スペインが加わって12カ国に広がりました。

3つの組織がひとつになったことで、管轄する分野もぐっと広がり、従来の関税や共同市場に関するものから、教育、文化、環境、衛生、難民や移民政策などに至るまで、様々な問題を共有し協力し合って解決していくという体制がより強化されていきます。
ECによってヨーロッパの主要国がひとつにまとまったことで、アメリカ一強状態は若干弱まることとなり、1970年代の世界経済は、ヨーロッパとアメリカ、そして高度経済成長期を迎えた日本によって牽引されていく形となっていきました。

順調に進んだかのように見えるヨーロッパの各共同体の活動ですが、問題がなかったわけではありません。

訪れた試練は、1970年代に沸き起こったオイルショック。
1973年、第4次中東戦争によってアラブ諸国の石油戦略が熱を帯び、石油価格が高騰し始めたのです。
日本も同様ですが、ヨーロッパ各国も軒並み燃料不足に悩まされ、急激な物価の上昇を引き起こすこととなります。
皮肉にもこのピンチが、それまで加盟を果たさなかったイギリスのEC参加を促すこととなりました。
とにかく、こうした経済危機を乗り切るためには、今まで以上の協力体制が必要であるとの認識が、さらに強まったのです。

ECからEUへ

 

ECからEUへ

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1970年代の経済危機は「ECの停滞の時代」とも呼ばれ、新たな段階への変革が求められるようになっていました。
ベルリンの壁の崩壊やソビエト連邦崩壊など、ECを取り巻く環境にも大きな変化が。
ドイツは東西統一を果たし、東側諸国への扉も開かれました。
ECも、新しい世界の情勢に対応していかなければなりません。

1986年には欧州旗(青地に12個の金色の星が円状に配置されたもの、ヨーロッパのシンボル)が各機関で使われるようになり、ヨーロッパ統一に向けて様々な会議・条約が結ばれていきます。
そして1993年11月1日、ECに加えて外交、内務の3つの柱を持ったEU(European Union:欧州連合)が発足しました。

この後、オーストリア、スウェーデン、フィンランドなどの国々が加盟していき、EUはどんどん拡大・発展していきます。

第二次世界大戦後、フランスとドイツの間の石炭や鉄鋼に関する摩擦を避けるために始まった共同体。
少しずつ手ごたえを感じながら、資源、経済、政治、環境、文化、教育など徐々に広がっていき、EUの誕生で次のステップを目指そうとしました。
国同士の関係をさらに強化し、パスポートをなくして自由に行き来できるようにすること。
そしてもうひとつの大きな変革が、ユーロ(統一通貨)の導入。
これは大変大きな試みでもありました。

統一通貨・ユーロの誕生

 

統一通貨・ユーロの誕生

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ユーロは2016年時点で実に25の国で使用されています。
そのうちEU加盟国は19カ国(EU加盟国は28カ国)です。
ヨーロッパの国全てがユーロを使用しているわけではないし、EU加盟国の中にもユーロを使用していない国もあります。

ユーロを使わない理由は国それぞれですが、おそらくは「ユーロを利用すると自国の経済にとってマイナスである」という事情があるのでしょう。
例えば独自の経済政策が成功している国や、景気がよくて特に対策を嵩じる必要がない国などは、無理をしてユーロに合わせる必要はないのです。
ちなみに、イギリスの通貨は現在もポンドで、ユーロは導入していません。

逆に、隣接する国との行き来の際、通貨の両替の手間や手数料がなくなることで、より行き来しやすくなり助かる、経済が活性化する、と考える国にとっては、ユーロはありがたい通貨ということになります。
実際、これまで世界の中心的存在であったドルに傾いていたお金がユーロにも流れるようになり、ヨーロッパだけでなく世界の経済にも大きな影響を与えることとなりました。
世界から注目されることでユーロの存在価値も上がり、ヨーロッパの経済も向上していきます。

しかし、よいことばかりではありません。

ユーロを導入している国は、通貨は共通でも国ごとに経済状況が異なります。
独自の金融政策を行うことができないため、景気が安定しているときはよいですが、いったんインフレや不況に陥ると、速やかに適切な対策を取ることができず、苦しい状況に追いやられる可能性が高いのです。
そのような状況になったら、欧州中央銀行(ユーロ導入国の金融政策を行う銀行)に対応を委ねるより他にありません。
どこかの国が破綻したら、ユーロの価値も下がってしまい、他の国も影響を受ける可能性があります。

ヨーロッパのような巨大な経済圏での統一通貨はリスクが高い、と見る学者もいるようです。

EUの現在、そして未来へ

 

EUの現在、そして未来へ

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こうして、様々な課題を抱えながらも船出したEUは、その後も拡大を続け、28もの加盟国を乗せて現在も大海原を出航中です。

中には、経済的に厳しい国もあるため、決して順風満帆とは言えない船旅。
特に深刻なのは、各国の失業者数や失業率の高さでしょう。
さらに、スペインやギリシャといった国の経済が破綻寸前。
ギリシャへの経済的支援は何度か行われ、度々ニュースにもなってきましたが、しかしさすがに、スペインの経済を救済するだけの資金は、EUにはないだろうと見られています。
スペイン経済が崩壊したらユーロは消滅するかもしれない、との見方を示す経済学者も少なくありません。

とにかく、EUの加盟国の間の経済格差は相当なもので、ドイツやイギリスなど経済的に自立できている国の負担は膨らむ一方だったのです。

そんな折に行われたイギリスでの国民投票。
EU離脱か残留か、果たしてイギリス国民の真意とは。
世界中が注目する中、結果は離脱支持51・89%、残留支持48・11%。
僅差ではありましたが、これでイギリスのEU離脱は決定的となりました。
イギリス国民は経済的負担や移民の受け入れなどに強い不信感を抱いており、そのことが離脱支持票に繋がったものと思われます。
また、事前に「残留派圧勝」と予測する声もあったため、残留派はのんびり構え過ぎてしまったのかもしれません。
投票当日、天気が悪かったので投票に行く人が少なかったのかもしれないとの見方もあるようです。

EUとはどういうものか、なぜか理解しにくい、それは、「歴史の1ページではなく、現在進行形の出来事だから」かもしれません。
もしイギリスが離脱したら、スペインやギリシャが破綻したらどうなるか、正確なところは誰も予測できませんし、明日、突然、もっと予想外の大きな出来事が起きるかもしれない。
遠く離れてはいますが、日本にとっても決して対岸の火事というわけにはいきません。
なかなかわかりづらいものではありますが、EUの歴史を踏まえたうえで、今後の動向に注目していきたいと思います。

2012年にはノーベル平和賞も

 

2012年、EUはノーベル平和賞を受賞しました。
前身となる組織から数えて60年以上、ヨーロッパの平和と和解、民主主義や人権の推進に貢献してきたことが受賞理由となっています。
崩壊の危機が囁かれる中でのノーベル平和賞に、追い風になるか?と期待が高まりましたが、経済格差はなかなか埋まらず、イギリスのEU離脱が決定的となってしまいました。
ノーベル平和賞の受賞の資格はない!などと辛口の意見も多いようですが、戦後、ECやEUが果たした役割は大きかったと思います。
何とか、少しでも良い方向に向いてくれたら、と願わずにはいられません。
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