アフリカの歴史に光を!『人類生誕の地』母なる大陸一周の旅へ







西アフリカ~北アフリカの歴史

コンゴ川とコンゴ王国

コンゴ川とコンゴ王国

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次に、大西洋側を北上し、大陸西側の様子を見ていきましょう。

東・南アフリカはブッシュサバンナと呼ばれる草原が広がっており、高原や山脈地帯も多く見られます。
一方、西側はというと、中央部分はコンゴ盆地を中心に熱帯雨林があり、その周囲にコンゴ川(ザイール川)。
アフリカ中部を源流とし、盆地の中を蛇行しつつ大西洋に注ぐ大河です。
この広大な密林地帯では、14世紀から19世紀にかけてコンゴ王国という王国が繁栄を極めていました。

コンゴ川河口付近には、紀元前5世紀頃には既に”コンゴ人”と呼ばれる民族による集落が多数存在しており、今後王国はそれらの人々がまとまってできた国と考えられています。
コンゴ王国も他の地域の文明跡同様、文字を持たない(あるいはまだ発見されていない)国家であったため未だ謎が多いのですが、かなり繁栄していたようです。

15世紀後半にポルトガル人がコンゴ川を発見し、両国に外交関係が。
コンゴ王国にキリスト教が伝わります。
16世紀に入ると、ヨーロッパで学んだ経験を持ち自らポルトガル語を話すアフォンソ1世が即位。
欧米文化を取り入れた政策を展開します。
しかし、ポルトガル人が期待したほど、キリスト教は広まらなかったようです。

並行して始まったのが奴隷貿易であったと考えられています。
欧米化を図る一方でコンゴ王国は徐々に蝕まれていきます。
国力を失いつつも存続し続けていましたが、19世紀末頃にベルギーとポルトガルの植民地となり、王国は消滅しました。

コンゴ王国だった土地は現在、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国などいくつかのいくつかの国が独立し、それぞれ自治を行っています。

ニジェール川と周辺地域

ニジェール川と周辺地域

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アフリカ大陸西側にはコンゴ川の他にもうひとつ、ニジェール川という大河が流れています。
ギニアの山岳地帯からマリ共和国、ニジェール、ナイジェリアなどの国々を流れ、大西洋側ギニア湾に注ぐ川で、乾燥した西アフリカに水をもたらす貴重な水源。
河川沿いには太古より多くの人々の暮らしがありました。

このあたりには主に、北部に広がるサハラ砂漠から逃れてきた人々が定住し、集落を形成していったものと考えられています。
紀元前2000年ごろには農耕が行われるようになり、世界の農耕文化の起源のひとつとも。
また、紀元前5世紀頃には製鉄が始まり、この技術は後に民族の移動と共にアフリカ各地に広がっていきました。

川は人々に肥沃な土地を提供するだけでなく、アフリカの他の地域の交易手段をもたらし、川沿いには都市が形成されていきます。
それらの都市はやがて王国へと成長していき、ニジェール川流域では数多くの国家が興亡を繰り返していきました。

8世紀頃に誕生したガーナ王国は文字を持たない国であったため資料に乏しいのですが、黄金や塩の交易で栄えたといいます。
イスラム教の伝来の影響を受け11世紀に衰退。
小国乱立の時代を経て、13世紀に入ると上流のマリ王国が勢力を伸ばし始めます。
マリ王国もアフリカ北部との交易で大きく繁栄し、14世紀中頃には最盛期を迎えますが、その後は王の統率力不足などから周辺の国々が付き従わなくなり、次第に衰退。
17世紀中頃には滅亡しています。

マリ王国の弱体と入れ替わるようにして力を持ったのが、川の中流域に位置するソンガイ帝国。
マリ王国の都ガオを拠点とし、栄華を極めましたが16世紀末に北アフリカ勢力に侵攻され滅亡します。

この3国は、二ジュール川流域の王国としてよく名があがりますが、周辺には他にもたくさんの国が存在していました。
ソンガイ帝国が滅びてからは、小国を束ねる巨大帝国が出現することはなかったようです。
19世紀から20世紀にかけて、西アフリカ一帯はイギリスやドイツなどの支配下に置かれ、植民地化が進みます。

高原や渓谷、熱帯雨林が北方からの侵攻を阻んだ東アフリカに比べて、西アフリカは大陸北部、ひいてはヨーロッパ列強国の侵攻が容易であったのかもしれません。
西アフリカの国々が再び歴史を振り返る日は第二次世界大戦の後、1960年以降ということになります。







地中海交通の要衝~チュニジア~

地中海交通の要衝~チュニジア~

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アフリカ大陸一周の旅も間もなく終焉。
アフリカ北部へやってまいりました。

この地で古い歴史を刻む国といえばエジプトをおいて他にありませんが、今回はあえて、エジプト以外の国々に着目してみましょう。

この地域にはリビアやアルジェリアなどサハラ砂漠と共に歩んだ国や、チュニジア、モロッコのように地中海に面した国が存在しています。
アフリカ歴史巡りの旅、トリを飾るのはチュニジアです。

先史時代、北アフリカにはベルベル人と呼ばれる民族が広く分布していました。
現在のチュニジア共和国の内陸部で石器文化を築き、ほうぼうへ散っていったものと考えられています。
そこへ紀元前10~9世紀頃に、地中海交易で力をつけていたフェニキア人がチュニジア沿岸部に住み付き、紀元前814年、交易の拠点としてカルタゴ市が誕生。
カルタゴは商業目的で地中海やアフリカ沿岸に次々都市を築いていきます。
『アフリカ』とはもともと、サハラ砂漠より北、チュニジアのあたりを指した地名だったのだそうです。

カルタゴがローマに滅ぼされると、チュニジアのあたりもローマの中に組み込まれていきます。
都市はローマ風に作り変えられていったため、カルタゴ時代の名残はわずかしか残されていません。

しかし7世紀頃になるとローマは衰退、イスラム勢力が侵攻してきてアラブ人のチュニジア支配の時代へ。
その立地から、その後もトルコやヨーロッパ各国など、地中海の覇権争いの舞台となっていきます。
16世紀にはオスマン帝国に属していましたが、19世紀後半にはフランスやイタリアがチュニジアへ侵攻。
1878年のベルリン会議を経てチュニジアはフランス保護領となります。
独立を果たすのは第二次世界大戦後の1956年、様々な苦難を乗り越えてのことでした。

地中海に面し、多くの民族の文化が交差してきたチュニジア。
交通の要衝として列強国に狙われ続け、翻弄されながらも独特の文化を育んでいったのです。

チュニジア北部には、ドゥッガというローマ時代の巨大な遺跡があります。
元はベルベル人の村であったそうですが、紀元前2世紀頃にローマ人が占拠し、巨大な町を築き上げました。
ローマ色を強く出している上に非常に状態がよく、歴史的な価値が高いとして、1997年に世界遺産に登録されています。

植民地時代だけじゃない!奥深いアフリカの歴史

広いアフリカ大陸を、先史時代の化石が出土した場所を中心に、駆け足飛び足でひとまわりしてまいりました。
数億年かけて形成された広大な大地で人類の歴史が始まり、ある地域では列強勢力に翻弄され、ある地域では人知れず文明が花開き、ある地域では独自の歴史をはぐくみ続けていたアフリカの国々。
全ての国が同じような植民地時代を送ったのではない、ということがよく理解できた旅となりました。
歴史研究がさらに進んで、人類の発祥や起源についての詳細が解明されたら、そのときはまた再び、新しく見つかった歴史のかけらを拾いながら、アフリカ大陸一周の旅に出たいと思います。
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Writer:

歴史と歴史小説と遺跡を愛してやまない東京都在住の主婦。子供のころからの大の時代劇ファン。国内外問わず歴史小説を読むようになり、NHK人形劇「三国志」を見て中国史にはまって大学では東洋史学を専攻。愛猫とじゃれながら歴史小説を読み漁る毎日を送っている。趣味は古地図を眺めることとカメラ片手の街散策。

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