南アフリカにあったズールー王国の歴史…19世紀に南アフリカ東海岸部で栄えた王国

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は南アフリカ「ズールー王国の歴史」をご紹介します。

ズールー王国の概要

ズールー王国の概要

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ズールーとは「楽園の民」を意味しています。
現在は南アフリカ共和国からジンバブエ南部にかけて約1000万人が暮らす、南アフリカ共和国最大で強力な力を持つ部族です。
彼らは飼育している牛を連れて南下し、10~14世紀ごろ南アフリカに入ってきたといわれています。
独自の文化を持ちそれを守りながら暮らす民族です。
彼らが住むズールーランドは野生の動物が生息し、自然景観も美しい最もアフリカらしい観光地として人気のスポットです。

ズールー族は開拓者として入植してきたボーア人との戦いを繰り広げズールー王国を造りだした勇猛果敢な民族です。
彼らが誇りを持って踊るズールー族の踊りを見たり、歴代王が生まれ育ったエショウエを訪れたり、自然やそこに生息する動物たちを見学する旅を楽しむのに、もってこいのスポットです。
今回は、ズールー王国の歴史について触れてみたいと思います。

ズールー王国を造ったシャカ・ズールーとは?

ズールー王国を造ったシャカ・ズールーとは?

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ズールー族は南アフリカのバントゥー語を話す一部族でしかないクラールと呼ばれる柵で丸く囲った村に、草葺きの家を建てて暮らしていた民族でした。
しかし、1816年に首長のセンザンガコナが亡くなった翌年にズールー族の偉大な王シャカがズールー王に即位します。
日本人がシャカと聞くと仏教の「お釈迦さま」を想像するかと思いますが全くの別人です。
ズールー王国のシャカ王の一生は1980年にテレビドラマ化され、彼は一躍黒人のヒーローになり世界中を震撼させました。

シャカが誕生したことで単なる一部族でしかなかったズールー族が、一国を築き上げるなんてこのころは誰も想像できませんでした。
王となったシャカの子供時代は決して恵まれた王子ではありませんでした。
1787年にズールー王の三男として誕生した彼はいわゆる愛人の子として生まれています。
母ナンディが正妻ではなかったことと、彼女の気性が荒かったことでシャカと共に故郷を追われ、ムセトワ族の王ディンギスワヨに保護され彼に養われました。

ズールー王国の始まり

ズールー王国の始まり

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1816年に父センザンガコナが死亡しました。
シャカは養父であるディンギスワヨの援助を受けてズールー族の王位に就きました。
このシャカは軍事組織を作り武器を改革し、戦法を巧みに取り入れ軍隊の強化に尽力しました。
シャカはスパルタ式の厳しい訓練を取り入れ諸国に負けないだけの軍力を持ったのです。
しかし伝統を守り年功序列を基礎とした軍隊を作り上げています。
彼の一番の功績は、槍と盾を小型化し機能力の高い武器を作ったことです。
今では何の変哲もない短い槍や小さな盾ですが、かつてこれは実に画期的な大発明でした。
また、革新的な戦略を次々と考え出した頭の良い王としても知られています。

強い軍隊を造った彼は次々と周辺の部族を打ち負かし領地拡大に努めました。
一番初めに自分が育ったムセトワ族を次にヌドワンドウェ族を破りナタール一帯を征服します。
彼は才能がある指導者でしたが、残酷なまでに冷酷な人間だったようです。
1824年には、ポート・ナタール(現在のダーバン)のイギリス人入植者と友好関係を結んだことで交易が始まり鉄砲を入手しました。
これにより原始的だった軍備から圧倒的な軍事力を手に入れたのです。
これによりズールー王国はますます拡大。
その領域はインド洋沿岸一帯を支配するほどの一大王国と成長させました。

暗殺されあっけなく死んでしまうシャカ王

暗殺されあっけなく死んでしまうシャカ王

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シャカは諸国を攻撃し勝つとその民族の長にそのままの地位を認める代わりに、王国への服従と家畜等の貢ぎ物を要求しました。
また、ズールー人を尊重すると同時にズールー王国の一員となれることに誇りを持つよう強制しました。
貢ぎ物を納めるなんて、今までの民族を捨てズールー王国の一員となる方が、敗北した民族たちにとって屈辱的なことだったのでは?と悲しい思いになります。

シャカの冷酷な性格や度重なる戦争で当時のズールー王国の内政は不安定でした。
独裁政治を行ったナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーのような人物だったんでしょうね。
1827年に母ナンディが他界しました。
翌年シャカ王は、異母兄弟のディンガーによって暗殺されこの世を去っています。
シャカ王はこの時41才でした。
彼は、死ぬ直前に、「私が死んだら誰も王国を支配できない。
白人はもうそこまで来ている。」と言い残したようです。







シャカ王の死後のズールー王国

シャカ王の死後のズールー王国

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シャカ王死後の王は、異母兄弟で暗殺者のディンガーでした。
彼は、独裁者のようなシャカ王と違うタイプの、暴君として有名で強引なやり方をとりながら更に領土の拡大を図りました。
ナタールのイギリス人との友好関係を結びました。

1830~1840年代は、ボーア人たちがイギリス領のケープ植民地からズールー王国に侵入してきました。
これは、グレート・トレックと呼ばれています。
この移動してきたボーア人の一行を1838年に虐殺しました。
実はこのボーア人はズールー王国より最新の武器を持っていたのです。
最初の頃は撃退できたのですが次第にボーア人が優勢となり、1838年にブラッド・リバーの戦い(血の河の戦い)で決定的な敗北を期しました。

1840年にディンガーン王は、弟のムパンデの手により退位させられています。
このムパンデ王は温厚な性格の持ち主で、ボーア人と和解し強調しながら平和的に暮らす政策をとりました。
これにより、シャカ王が王座に就きズールー王国を立ち上げてから初めてつかの間の平和な日々が訪れました。

ズールー戦争の勃発

ズールー戦争の勃発

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1873年に彼の甥のセツワヨが王位を継承しました。
1879年にズールー戦争が勃発します。
これはイギリスがズールー王国に数々のなんぐせをつけ挑発していました。
これを上手くかわしていたセツワヨ王ですが、最後は要求を拒否し返答しませんでした。
1879年1月11日にズールー戦争が勃発してしまいます。
いくつかの血生臭い戦闘と、南アフリカにおける植民地支配の新旧を分けるきっかけとなりました。

この戦争で、ズールー王国が負けるのは当たり前でした。
本国政府の意向とはかけ離れた戦いが行われたのです。
この時のイギリス兵は、チェルムスフォード卿が5000人、イギリス兵と約 8000人のアフリカ人予備兵も派遣されました。
その上武器も最新兵器を持っているのですから。
半面ズールー王国は槍と盾とわずかな銃があるだけで、主となる武器を持っていなかったのです。
この戦争は惨憺たる結果で、イギリスの死者は13人、負傷者14人に対し、ズールー軍の戦死者は351人でした。
王都があったウルンディは陥落しました。
この時セツワヨ王は捕まって捕虜にされています。

再び起こる不安定なズールー王国

再び起こる不安定なズールー王国

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イギリスの植民地となった後、ズールー王国は、13の小部族に分割統治されました。
1896年にはセツワヨの息子のディヌズールー王が蜂起し、ボーア人の援助もあり新共和国を建国しています。
翌年の1897年に恐れていたことが起こりました。
せっかく国を築いたのに共和国はトランスバールに、残りはナタールに併合されました。
これによりズールー王国は完全消滅してしまいました。

しかし、陰ではズールー王国を復活させたいという有志が集まり、地下組織を展開していました。
現在はインカタ自由党として、ズールー王国の承認を求めて積極的な政治活動を行っています。
しかし、数々の問題行動も起こしており、血の気の多い集団というレッテルを張られているようです。

次のページでは『強大な軍事王国「ズールー王国」を築いたズールー族が住むズールーランドに訪れてみませんか?』を掲載!
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