ジンバブエの歴史:アフリカの穀物倉庫と呼ばれた豊かな国から極度なインフレまで

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は南アフリカ「ジンバブエの歴史」をご紹介します。

ヨーロッパ人に人気の観光地ジンバブエってどんな国?

ヨーロッパ人に人気の観光地ジンバブエってどんな国?

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ジンバブエ共和国はアフリカ大陸の南部に位置する、ショナ語で「石の家」という意味の名前を持つ共和制国家です。
雄大な自然に恵まれ、躍動感あふれる野生の動物たちや、凄まじい轟音と共に流れ落ちる世界三大瀑布のひとつであるビクトリアの滝など魅力的な観光資源がたくさんある国です。
世界文化遺産のグレート・ジンバブエ遺跡も見逃せません!他のアフリカ諸国の遺跡は木や土で作られていますが、グレート・ジンバブエは巨大で精緻に造られた石造りの都市遺跡を見ることが出来ます。

かつては「アフリカの穀物倉庫」と呼ばれるほどの豊かな国でしたが、強引な土地改革による農業システムの崩壊など悪条件が重なった結果、前代未聞のハイパーインフレーションによる極度の混乱に陥った過去も持っている国です。
最悪の独裁者といわれるムカベ大統領を筆頭にハイパーインフレと立ち向かっていますが、今後どうなっていくかは目を離せない状態です。
因みにムカベ大統領は、90歳を超え、現在世界最高齢の国家元首とされています。
今回は、独自の文化を持ち繁栄した魅力に満ちた国ジンバブエの歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

ジンバブエの起源

ジンバブエの起源

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ジンバブエ周辺には、紀元前2500年以上前から人が住んでいました。
集落が形成されはじめ575年ごろになると南部では12000~15000人が集まった「マプングブエ国」という小国ができています。
この王国は金の中継貿易で当時はかなりの繁栄を見せていました。
12世紀ごろにシャシ川とリンポポ川周辺が干ばつに見舞われ、交易ルートが変わってしまい急速に衰退しました。
詳しいことは分かっていませんが、丘の上の墓からは金箔のサイなど工芸品が発掘されています。
このマプングブエの丘という名前で世界遺産に登録されました。

北部では650年ごろから石で造られた家ができ始めました。
これが、世界遺産に認定されているグレート・ジンバブエです。
マプングウエ国の衰退による新しい交易ルート上にあったため、ものすごい勢いで発展を遂げています。
このころの人口は35000人にも及んだようです。
このグレート・ジンバブエは、街の周囲に城壁を築き、首長の宮殿を築いています。
同時代のヨーロッパ主要都市と比べてひけを取らないほどの規模を誇っています。
こんなに栄えたグレート・ジンバブエでしたが、金の産出が減ると共に次第に材木や食料も取れなくなり、15世紀には放棄され忘れ去られた存在になりました。

ヨーロッパを追い出すほどの勢力を持ったジンバブエ

ヨーロッパを追い出すほどの勢力を持ったジンバブエ

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グレート・ジンバブエの1450年からは、トルワ王国がジンバブエ高原のカミを拠点都市として発展し1683年まで繁栄しました。
彼らはグレート・ジンバブエと同様石造建築技術と窯業スタイルを発展させていきます。
石組みのデザインはグレート・ジンバブエ遺跡には見られないものも存在しています。
ここも世界遺産にカミ遺跡として登録されています。
トルワ王国と共にザンベジ川中流域にはモノモタパ王国という国も存在していたようです。
このころは混乱期でいろんな小国が覇権争いを繰り広げていました。

モノモタパ王国に続いて「ロズウィ王国」が、19世紀中ごろまで栄えました。
16世紀に入り、初めてジンバブエに入植したのはポルトガルでした。
しかし、ジンバブエは覇権争いをしている間に、強力な軍事力を備えていたようで、ポルトガルを撃退し追い出しています。
他の国とは違い侵略を受けずに19世紀まで自力で領地を守っています。

とうとうイギリス人の植民地へ下るジンバブエ

とうとうイギリス人の植民地へ下るジンバブエ

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19世紀になると南方からンデベレ族が侵入しロズウィ王国を滅ぼしました。
彼らの王ローベングラは、イギリスの植民者セシル・ローズから金銭とライフルと交換で一部の鉱山採掘権を与える協定を結びました。
しかしローズは協定を守らず1889年にイギリス南アフリカ会社を設立します。
ンデベレ族はショナ族と立ち上がり反乱を起こしますが撃沈。
このローズの名にちなんでローデシアと命名しました。

1922年にこのイギリス南アフリカ社が経営不振に陥り、ローデシアを手放すことになりました。
イギリスはこの時に存在していた南アフリカ連邦と統合しようとしましたが、白人による反対にあい1923年にイギリスの自治植民地の南ローデシアと北ローデシア(現在のザンビア)、ニアサランド連邦(現マラウイ)が合併しました。

第二次世界大戦(1939~1945年)後は脱植民地の意識が更に高まりました。
ローデシアでも黒人独立運動が激化します。
イギリスも他国の目にさらされることを恐れ植民地を解放しようとしますが、ローデシアに住む白人たちの猛反対にあいました。
1952年に白人政権はローデシア・ニヤサランド連邦を造りました。
それから10年後のアフリカ人の民族独立運動によって解体することになります。







独立へと動き始めるジンバブエ

独立へと動き始めるジンバブエ

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1960年代に入ると南アフリカの他国が次々に独立を始めました。
1963年には少人数白人支配体制の独立を目指します。
1965年11月には南ローデシアはイギリスやアフリカ人の反対を押し切り、白人強硬派のローデシア戦線の党首イアン・スミスが一方的にローデシア共和国として独立を宣言しました。
しかし、イギリスから経済制裁を受けることになり、ローデシア問題が起こります。

ローデシア問題とは、厳しい人種差別制度により、アフリカ人を政治、経済、社会的に差別し、どのようなことにも白人支配体制による独立を目指し続けました。
その為黒人多数支配を旨とする独立を条件として掲げていた母国イギリスとの交渉は物別れとなったというものです。
白人政府のアフリカ人差別は一向に緩和せず、激しい弾圧が続きました。
こうなってくるとアフリカ人も反発する一方で、対立は深まる一方でした。

アメリカ人国家ジンバブエの達成

アメリカ人国家ジンバブエの達成

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1970年には、アフリカ人の武力解放闘争の激化するようになり、1975年には制憲法会議が開かれましたが決裂。
アフリカ人たちも分裂してしまい紛糾しました。
アメリカ国務長官キッシンジャーの和平工作、アメリカ・イギリスの共同和平提案が行われます。
1979年には、全当事者参加のロンドン会議(政権会議)が開かれ、和平合意がなされました。
その時にランカスター協定に従って調印されました。

1980年の総選挙で先住アフリカ人側が大勝しました。
1980年4月18日!これがやっとアフリカ人国家のジンバブエとして独立を果たした瞬間です。
独立に際しては、現首相でもあるロバート・ムガベが大統領に就任しました。
これで、長年続いた内戦状態は収束となりました。

世界中から非難を浴びたジンバブエ

世界中から非難を浴びたジンバブエ

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2000年の議会選挙で野党の民主改革運動が開く2大政党制となりました。
2000年の8月には、白人所有大農場を強制収容し、黒人に再分配することを目的とした「ファスト・トラック」が開始されました。
これは裏目に出てしまいます。
白人農場主たちは追い出されるような形で、今まで持っていた自分の土地から離れなくてはなりませんでした。
これにより白人が持っていた農業技術が失われ、食糧危機や戦後最悪といわれるインフレが起こってしまいました。

この中2002年に行われた選挙ではムカベ大統領が再選しましたが不公正な選挙だったと指摘され、イギリス連邦議会への出席停止を言い渡されました。
ジンバブエはこの時イギリス連邦から脱退することができました。
でも、世界はこれを非難しました。
イギリスからの脱退で欧米諸国と溝ができ、援助停止やこれらの流行、世界各国から信用を無くしたことにより、ジンバブエの経済は極度の悪化の一途をたどり続けています。
日本は1981年にムガベ首相が訪日し、経済復興のための有償、無償、技術協力支援を約束し実施しています。

次のページでは『インフレ率600%と経済の地獄から這い上がったジンバブエを旅してみませんか?』を掲載!
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