本当にあった!トロイ戦争の勝者エジプトミケーネで起こったミケーネ文明の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はギリシャ「ミケーネ文明の歴史」をご紹介します。

ブラピもビックリ!エジプトミケーネってこんな都市

ブラピもビックリ!エジプトミケーネってこんな都市

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ミケーネはギリシャペロモネソス半島東部に位置し、ギリシャの首都アテネから約131kmにある古代都市です。
トロイ戦争を題材にブラット・ピットが主演した映画「トロイ」を思い起こす歴史ロマンが広がっています。
19世紀にドイツの貿易商で考古学者のシュリーマンが伝説と思われていたこの「トロイ戦争」を、絶対に史実だと信じて発掘し見事に遺跡を見付けたという一大スペクタルを巻き起こした都市としても有名です。

彼が最初に円形墳墓から発見した、有名な黄金マスクもこの遺跡で出土しています。
ここで見つかった黄金細工などのお宝は、アテネの国立考古学博物館に展示されています。
1999年にミケーネ文明の中心都市として、「ミケーネとティリンスの古代遺跡群」という名前で世界遺産に登録されています。
今回は、伝説ではなく本当だったトロイの町で起こった文明「ミケーネ文明」の歴史に触れてみたいと思います。

近くにはナフプリオンというリゾートで大人気の都市もあり、ここにはヴェネツィア人が建設したパラミディ要塞がありここから眺めるエーゲ海は最高です。
ミケーネ観光と合わせて訪れてみてはいかがでしょう。

エーゲ文明後期に起こったミケーネ文明とは

エーゲ文明後期に起こったミケーネ文明とは

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ギリシャ文明があることは皆さんご存知だと思います。
このギリシャ文明は、エーゲ文明より起こった文明です。
このエーゲ文明は、エーゲ海のクレタ島に宮殿が築かれたことで、紀元前3000年ごろにミノア文明が開化したのがはじまりです。
このミノア文明を代表するクノッソス宮殿は、2度の地震とサントリーニ山の噴火で全壊しましたが、その後修復されました。
この宮殿の複雑な構造から強い権力を持った王が存在する民族だったことが推測されています。

ミノア文明を作った民族は未だに不明ですが、ミケーネ文明を作った民族とは別だといわれています。
ミケーネ文明を生み出した民族は中期青銅器時代の紀元前2000年ごろにギリシャへ侵入したアカイア人だといわれています。
彼らはギリシャ人の祖先といわれている民族です。
このアカイア人たちはミノア文明の影響をもとにミケーネ文明を創り出しました。

ミノアから文明の中心が移り発展してゆくミケーネ文明

ミノアから文明の中心が移り発展してゆくミケーネ文明

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このアカイア人は北方からギリシャ本土とエーゲ海に南下し、先行して文明を築いていたミノア文明を征服しながらミケーネ文明を形成しました。
サントリーニ島の海底火山の爆発により衰退したミノア文明に代わり、ミケーネに文明の中心が移りました。
この文明は紀元前1450年ごろに起こったといわれ、地中海貿易によって発展していきます。
環東地中海諸地域との交易を行うようになり、広範囲に影響を及ぼすほどの存在になりました。

ミノア文明との交易によりさまざまな技術を取り入れたようです。
しかし、クレタ島に侵攻し征服したのでは?との説もあります。

ミケーネ文明では物資を貯蔵し再分配がなされていました。
この再分配の方法は、紀元前2000年ごろからミノア文明でも行われています。
このころの王の宮殿には巨大倉庫も造られていました。
この倉庫は、両文明に共通して備わっています。
ミノア文明は開放的な文明だったのに対して、外敵から襲われる恐れがあったミケーネ文明は堅牢な城壁に囲まれ閉鎖的な造りとなっているのが特徴です。
時代背景により発展したミケーネ文明とミノア文明とは少しずつ変化していることが分かります。

トロイ戦争の概要

トロイ戦争の概要

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ミケーネにも統治時代が訪れます。
ギリシャ神話に登場する伝説の王アガメムノンの登場です。
トロイ戦争においてギリシャ軍の総大将としてかなり有名な人物です。
彼は、ローマ時代には「王の中の王」と呼ばれるほどのヒーローでしたが、傲慢で非情、独占意欲の強い人物でした。

トロイ戦争は、彼の弟の妻が小アジアに位置するトロイの王子に連れ去られたことからはじまります。
連れ去ったことに対する復仇のために、全ギリシャから志願者を募りトロイに戦争を仕掛けようとしたのです。
船出の準備が整い「いざ出陣!」となった時、逆風が吹いて出航できなくなりました。
そこで預言者に知恵を借りることにしました。
そのお告げは「娘イーピゲネイアを女神アルテミスに生贄として捧げよ」というものでした。
当時、彼にはクリュタイムネーストラーという妻と3人の子供がいました。
彼は苦渋の末、娘を殺しトロイ戦争へと向かったのです。

彼の非情性はこの行動でも分かりますが、アキレウスとの見合いをさせるといい娘イーピゲネイアを呼び出したことで、彼との関係も悪化しました。
トロイ戦争には勝利するも帰国後、娘イーピゲネイアの死により恨んでいた妻とその情夫アイギストスに殺害されたといわれています。
トロイの木馬で知られるトロイ戦争の影に、このような伝説が残っているとはなんとも悲しい結末ですね。







ミケーネ文明の繁栄期と終焉

ミケーネ文明の繁栄期と終焉

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ミケーネ王国の存在は発見された資料により実際にあったものと判明しています。
このミケーネ王国は専制君主制を導入しており、周辺の数十の民族(村)から税を納めさせ貢納王政を行っていました。
このことはミケーネ文明期の王が強大な権力を持っていたことを示している証拠だと思います。
貢納義務を監視する役人を置いていましたが、官僚体制は未熟なものだったようです。
このため、古代エジプトやメソポタミア文明のような、大文明となることはありませんでした。

紀元前1300年ごろのミケーネは、エジプトとも交易を行っており、新王国第18王朝アメンヘテプ三世(在位前1391-1353年)の遺物も出土しています。
また、ミノア文明の陶器から伝承されているミケーネの陶器が東地中海からアジアにかけて数多く発見されています。
特に中東で勢力が強かったウガリットとの結びつきは堅かったようです。

繁栄期にはギリシャ本土全域と地中海の島々に領土を広げていたミケーネですが、終焉を迎える時が来ました。
紀元前1200年ごろのギリシャには、ギリシャ人とヨーロッパの飢餓から逃れてきた人々が共存する土地を得るためにできた「海の民」と呼ばれる勢力がありました。
紀元前1150年ごろ突如海の民により、ミケーネやティリンスが破壊されてしまいます。
これによりミケーネ文明は完全に崩壊しました。

ミケーネ遺跡の見どころ

ミケーネ遺跡の見どころ

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ミケーネについては紀元前8世紀末頃の詩人ホメーロスによって「黄金に富む」と称されています。
このホメーロスは、西洋文学初期の作品『イーリアス』と『オデュッセイア』の著者といわれています。
円形古墳からは、黄金製の遺物や琥珀のネックレスなど豪華な副葬品が発見されました。
この辺一帯の有力者たちは黄金のマスクで顔を覆って埋葬されています。

一番の見どころといえる入口にある獅子の門。
かつて、宮殿を守るため石造りの堅固な城壁に囲まれていました。
門の上にはミケーネ王家の象徴とされるライオンのレリーフが施されています。
円形墳墓からは紀元前17世紀ごろの黄金のマスクが見つかり、アクロポリスの原型といわれる宮殿跡には水源があったことを示す地下貯水路も発見されています。

伝説と思われていた都市ミケーネを訪れて、紀元前に起こったミケーネ文明に触れてみませんか?

伝説の帝国ミケーネの都市遺跡が発見され、トロイの幻が史実となりました。
遺跡から発見された金や陶器などのお宝や建造物を見ると当時のミケーネ文明の繁栄ぶりを体感することができるはずです、ぜひ。
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