実は美女ではなかったクレオパトラ!?王として、女として生きた彼女の波乱の人生

クレオパトラという名前を聞いて、どんな女性を思い浮かべますか?やはり、絶世の美女であり男性を次々と虜にしていったイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。そんな彼女が実は美人ではなかったという説もあるんですよ。ではなぜ男性にモテたのでしょうか。そこには、エジプトを背負って立つ女王としての運命と、愛する男性に尽くした女性としての顔があったのです。今回は、クレオパトラの人生と彼女の歴史を彩った男性たちについて見ていきましょう。

クレオパトラと古代エジプト、プトレマイオス朝

クレオパトラと古代エジプト、プトレマイオス朝

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私たちが知っている女王クレオパトラは、実際にはクレオパトラ7世と言います。

彼女は古代エジプト・プトレマイオス朝の最後のファラオとなりました。
プトレマイオス朝は、アレクサンダー大王の部下・プトレマイオスが大王の没後に起こった後継者戦争で生き残り、エジプトを拠点として打ちたてた王朝になります。

ここでファラオについて簡単にご説明しましょう。

ファラオとは古代エジプトの王の称号で、神権によって国を治めていました。
つまり神と同等の存在だったのですね。

古代エジプトのファラオで有名な人物と言えば、やはりツタンカーメンだと思います。
彼のミイラがどんな格好をしていたか、なんとなくイメージがおありでしょうか。
肘を曲げて腕を交差し、手首を胸の上に置いたものです。
これがファラオのポーズであるため、ファラオのミイラはみんなこの姿勢で埋葬されているんですよ。

古代エジプトについてもご説明しておこうと思います。

諸説ありますが、前3000年頃から前30年まで続いたエジプト王朝を指します。

長い歴史の中でいくつかの時代に分かれており、世界遺産として有名なギザのピラミッドは、前2500年頃の古王国という時代に造られていました。
女性ファラオ・ハトシェプストやツタンカーメン、最強のファラオと言われるラムセス2世などは、前1570年頃から前1070頃の新王国時代の人物になります。

こうした錚々たるファラオたちの歴史の最後に登場したのが、クレオパトラなのです。
彼女のプトレマイオス朝は末期王朝とも呼ばれ、前306年から前30年まで続きました。

クレオパトラ誕生と親族の血みどろの争い

クレオパトラは、前69年にプトレマイオス12世とクレオパトラ5世の娘として生まれました。
クレオパトラには、ギリシャ語で「父の栄光」という意味があるんですよ。

さぞかし素晴らしい父王だったのかと思いきや、プトレマイオス12世は遊び好きであまり良いファラオではありませんでした。
そのため、反乱によっていったんローマに亡命するなど、王朝の弱体化を招いてしまったのです。

そのため、幼いクレオパトラの周りは、早くから不穏な情勢でした。
父をローマに追いやったのは彼女の実の姉でしたが、戻ってきた父は姉と骨肉の争いを繰り広げた末に姉を処刑してしまったのです。
この時、クレオパトラは14歳。
多感な時期に父と姉が殺し合いを繰り広げるとは、何とも悲劇的ですよね。

クレオパトラ、ファラオとなる

クレオパトラ、ファラオとなる

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前51年、クレオパトラが18歳の時に父が亡くなりました。
その遺言と古代エジプトの慣例により、彼女と弟のプトレマイオス13世が姉弟でありながら結婚し、共同統治することになったのです。

古代エジプトではきょうだいの間での結婚が珍しくありませんでした。
というのも、ファラオの長女の夫に王位継承権が行くようになっており、結果的に王の息子に王位を継がせたいためにきょうだいで結婚するようになったのです。

きょうだいとはいっても、決してすべてがうまくいったわけではありませんでした。
事実、クレオパトラはその後、弟と決別する道を歩むことになるのです。

弟(夫)とのすれ違いがやがて亀裂に

ファラオとなったクレオパトラとその弟(夫)とでは、徐々にやり方に食い違いが出てくるようになりました。

クレオパトラは、弱まるエジプトが生き残るために、当時どんどん強さを増していたローマと同盟するべきだと考えていました。
しかし弟は、まだ若かったこともあって側近の言いなりになり、次第に姉を疎ましく思うようになっていたのです。

そんな折の前49年のこと。

ローマでは時の二大権力者カエサルとポンペイウスが内乱を繰り広げていました。
この時、クレオパトラはポンペイウスに兵と食料を援助したのです。

これが弟プトレマイオス13世の不信と反発を招いてしまいました。
彼女がローマに擦り寄っていると見たのですね。
そしてプトレマイオス13世はクーデターを起こして彼女を追放してしまったのです。

クレオパトラは行き場を失ってしまいます。

ちょうどそのころ、カエサルの対抗馬となっていたポンペイウスがカエサルに敗れ、ローマの権力はほぼカエサルのものとなっていました。

そこで、彼女はエジプトと自身の運命をカエサルとローマに賭けることにしたのです。

カエサルとの運命の出会い

カエサルとの運命の出会い

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エジプトへ逃げたポンペイウスを討つためにやって来たカエサルですが、当のエジプトではクレオパトラとその弟が内戦中でした。
エジプトに貸しを作るチャンスと見たカエサルは両者に和解を提案します。

これに対して先に反応したのは、クレオパトラでした。

自分を寝具の袋(もしくは絨毯とも)にくるませて、贈り物だと言ってカエサルの元に届けさせたのです。
当時、エジプトでは絨毯にくるんでわいろを贈る習慣があったといいます。
つまり、クレオパトラ自身をカエサルに捧げるという意味があったのかもしれません。
なんともドキッとする話ですよね。

絨毯から転がり出たクレオパトラに、カエサルはたちまち魅了されてしまいました。
一説にはその美貌に参ってしまったとも言われていますが、彼女の知性や話術も大きな要素だったそうですよ。

以後、二人は愛人関係となります。
この時、クレオパトラ21歳、カエサル52歳でした。
究極の年の差カップルの誕生です。

カエサルの提案によって一応の和解をしたクレオパトラと弟プトレマイオス13世でしたが、すぐにそれも破綻します。
カエサルがクレオパトラに肩入れしていると反感を抱いたプトレマイオス13世と、それに妹アルシノエ4世も加わり、カエサルへ攻撃を仕掛けたのでした。
これがナイル川の戦いといいます。

結果はカエサル(ローマ側)の圧勝に終わり、プトレマイオス13世は逃亡後ナイル川に身を投げ、アルシノエ4世は捕虜となりローマへ送られて幽閉生活となったのでした。

残ったのはクレオパトラ。
彼女は情勢を見極め、見事ファラオへ返り咲いたのです。

カエサルとの蜜月、そして永遠の別れ

内戦の終了後、クレオパトラはもう一人の弟プトレマイオス14世と結婚し、再び共同統治を開始しました。
しかし実際は、彼女はカエサルの愛人であったため、エジプトの実質的な支配者はカエサルでした。

カエサルは数ヶ月間エジプトに滞在し、その間に2人はナイル川を旅してプライベートな時間を満喫しています。
そして前47年には2人の間にカエサリオンという男の子が生まれました(カエサルの子ではないという説もあり)。

前46年にはカエサルはローマに凱旋し、凱旋式を行って終身独裁官となります。
つまり、ほぼ皇帝のような地位に就いたわけです。
この時、クレオパトラはカエサリオンとローマを訪問、滞在していました。

ところが、強大な権限を手にしたカエサルに対して、危機感を持つ勢力もいました。
これまでローマは議員による共和政だったので、そのシステムが根本からくつがえされてしまうかもしれないという事態だったのですね。
そして、前44年、会議の場でカエサルは暗殺されてしまったのです。

後ろ盾を失ったクレオパトラは、息子を連れてエジプトに帰国しました。
この時、弟プトレマイオス14世が亡くなり(クレオパトラによる毒殺という説もあり)、彼女は息子を共同統治者に据え、再び女王として君臨することとなったのです。

次の男・アントニウスとの出会い

次の男・アントニウスとの出会い

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カエサルの死後、後継者のオクタヴィアヌスやカエサルの部下の武将アントニウス、カエサル副官のレピドゥスらによってローマの政治は運営されていました。

しかしこの時、クレオパトラは何と、彼らに対立する勢力を支援しています。
つまり、カエサルを暗殺した勢力を、です。
こういうところは女性としてよりも一国の王として国の利害を考えていたのかもしれません。

しかし、結果としてクレオパトラが支援した勢力はオクタヴィアヌスとアントニウスに敗北し、彼女はアントニウスの元に出頭することとなりました。

その場で、彼女はまたも相手を魅了したのです。

美の女神アフロディーテのように着飾り、衣服と身体に香を焚きしめた彼女は、アントニウスを宴に招待し、あっという間に彼を虜にしてしまいました。

しかし、ただ男性を魅了するだけでは終わりません。
彼女は王としての冷酷さを発揮し、アントニウスに頼んで、ローマによって幽閉されていた妹アルシノエ4世を殺させたのです。
アルシノエ4世は、アントニウスの領土内で幽閉生活を送っていたので、殺すのは簡単でした。

アントニウスとの生活を始めたクレオパトラは、やがて男女の双子と男子、3人の子供をもうけました。
実はアントニウスは既婚者で、しかもその相手はオクタヴィアヌスの姉だったのですが、やがて離婚しています。
そしてアントニウスはクレオパトラの援助を受けて東方(ペルシア)方面へ遠征を行い、成功をおさめました。

彼はクレオパトラにのめり込んでおり、もう彼女なしでの生活は考えられなくなっていたのです。

クレオパトラの見込み違い:アントニウスの没落

東方遠征の成功による凱旋式を、アントニウスはエジプトで行いました。
本来なら凱旋式はローマで行うものですから、ローマ市民はアントニウスに失望し、同時に彼を骨抜きにしたクレオパトラに反感を抱いたのです。
そのため、彼らの心はオクタヴィアヌス寄りになっていきました。

加えて、アントニウスはオクタヴィアヌスの姉でもある自分の妻を離縁し、自分の領土はクレオパトラたちへ無断で分け与えてしまったのです。

これは、権力を狙うオクタヴィアヌスにとって絶好のチャンスとなりました。
そして彼はアントニウスとクレオパトラに宣戦布告し、両勢力がぶつかったのです。

これがアクティウムの海戦ですが、結果はアントニウス・クレオパトラ連合軍の敗北でした。
戦場でまずクレオパトラが離脱し、アントニウスがそれを見てすぐに後を追ったため、指揮官を失った軍はどうしようもなくなってしまったのでした。

エジプト付近へ逃亡した2人は、体勢を立て直して再び決戦を挑むも失敗します。
そのため、クレオパトラはオクタヴィアヌスを懐柔しようとしますが、これも失敗してしまいました。

そして、アントニウスはクレオパトラ死去の誤報を聞き、絶望して自殺を図ります。
それを知ったクレオパトラの元に連れてこられた時はすでに瀕死の状態で、やがて彼は息を引き取りました。
クレオパトラは今度こそ、正念場を迎えたのです。

クレオパトラの最期

クレオパトラの最期

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残されたクレオパトラに、もう打つ手はありませんでした。

アントニウスの死から10日後、彼女は毒蛇に自らの身体を噛ませて自殺します。
享年39。

プトレマイオス朝の滅亡、そして、約3000年続いた古代エジプトの終焉でした。

彼女の最後の願いは、アントニウスと同じ墓に入ることでした。
その願いを、オクタヴィアヌスは聞き入れています。

ところで、彼女の子供たちはどうなったのでしょうか。

カエサルとの間にもうけたカエサリオンは、結局オクタヴィアヌスによって殺されます。
カエサルの後継の可能性があったため、これは仕方のないことかもしれません。

また、アントニウスとの3人の子供たちは、アントニウスが離縁した前妻に養育されました。
中でも、クレオパトラ・セレネと名付けられた女子は、北アフリカのヌミディア王国の王に嫁ぎ、幸せに暮らしたようです。

いまだ謎の多い女性・クレオパトラはどんな人物だったのか

いまだ謎の多い女性・クレオパトラはどんな人物だったのか

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クレオパトラについて伝わっていることは、数ヶ国語を自在に操り、美しい声をしていたということです。
カエサル曰く、その声は「まるで楽器のよう」だったそうですよ。
その知性と話術こそ、彼がひかれた要素だったのでしょうね。

また、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったなら、世界の歴史も変わっていただろう」という言葉をよく聞くかと思います。
これはフランスの哲学者パスカルの言葉ですが、これが、私たちがクレオパトラは絶世の美女だと考える根拠ですよね。

しかし、実はそうでもなかったという説もあるんです。

ローマの歴史家プルタルコスは、彼女を評して「決して比類なき美女ではない」としているんですよ。
実際、クレオパトラの横顔が刻印されたコインが残っていますが、正直なところ、「あれ?」という印象があります。

つまり、彼女は自分の雰囲気作りに長けた、いわばセルフプロデュースの達人だったのではないでしょうか。

また、映画などに登場する彼女は、黒髪でエキゾチックな美貌をしていますよね。
映画「クレオパトラ」でエリザベス・テイラーが演じた役こそが、私たちのクレオパトラのイメージだと思います。

しかし、彼女のルーツであるプトレマイオス朝は、驚いたことに、エジプト人の系統ではないんです。
始祖プトレマイオスはアレクサンダー大王に仕えたマケドニア人で、ギリシャ系の人種でした。
そのため、クレオパトラはもしかすると黒髪のストレートボブではなかったかもしれません。
むしろ巻き毛だった可能性もあるんですよ。
そのせいか、彼女の肖像は巻き毛と直毛の2種類が残されています。

次は、クレオパトラのメイクや美容法について見ていきまょう。

古代エジプトのアイメイク

クレオパトラのメイクのイメージってありませんか?アイシャドウやアイラインが黒や深い青でとても印象的な雰囲気といえばおわかりでしょうか。
ツタンカーメンのミイラを思い浮かべていただいても良いかと思います。

このアイシャドウは、マラカイト(孔雀石)やラピスラズリ(青金石)などの鉱石を砕いた粉でできていました。

実は、このアイメイクには化粧の意味合いよりも、魔除けや眼病予防のためという目的が大きかったんです。

古代エジプトでは、身体に穴が空いているところから悪魔が入り込んでくると考えられていました。
そのため、目のふちを濃い色にすることで魔除けとしたのです。

また、エジプトの強い太陽光や虫、感染症などから目を守るためでもあったんですよ。

クレオパトラも実践していたでしょうが、男性もこうしたメイクをしていたんです。

クレオパトラの爪は真紅だった?

クレオパトラの爪は真紅だった?

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メイクをしていた古代エジプト人ですが、同時に、ヘンナという植物の花の汁を使って爪を赤く染める習慣もありました。
いわばマニキュアですね。

赤は太陽や血を表し、神聖なものとみなされていました。
そして、濃い色は身分の高い者にしか許されていなかったのです。
きっと、クレオパトラの爪は真紅に彩られていたのでしょうね。

このマニキュアにももうひとつの意味合いがありました。

古代エジプトでは死後の復活が固く信じられていたために、ミイラが作られていました。

そして、現代になって発掘されたミイラの爪や人骨が赤く染められていたことが分かったのです。
これに用いられた朱色には水銀が使われており、これには防腐剤の効果もありました。

古代エジプトの人々は、死後の復活の願いを込めて、死者の爪を赤く染めていたのですね。
クレオパトラも埋葬されるときには赤い爪だったのでしょうか。

美容マニア・クレオパトラ

メイクやマニキュアなどで自らを美しく見せながら、同時にクレオパトラは自分自身を磨くことも怠らなかったようです。

彼女が用いた美容法は現在に通じるものがあります。
女子力を高めるバラの香油や、美肌に良いハチミツ、牛乳などを入れたお風呂に浸かっていたそうですよ。

また、古代エジプトの墓から金の糸が見つかったことから、クレオパトラが金の糸を使って何らかの美容法を行っていたかもしれない、なんて言われてもいるんです。

金を使っていたとすれば、さすがエジプトのファラオですね。
美の追求はとどまるところを知らなかったのかもしれません。

クレオパトラと男たち

クレオパトラは自分の容姿と知性を生かし、たくさんの男性の心をものにしてきました。
カエサルとアントニウスはその最たる人物ですが、他にも、ポンペイウスの息子である小ポンペイウスの愛人になっていたという説もあるんですよ。
一方、夫となった弟とはうまくいかなかったようなので、エジプト人よりもローマ人にとってとても魅力的な女性だったのかもしれませんね。

ここでは、彼女を語る上で欠かせない2人の男性、カエサルとアントニウスについてご紹介します。

運命の男・カエサル

運命の男・カエサル

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カエサルはローマ共和政末期に登場した軍人・政治家です。

生家は名門でしたが貧しく、当時貴族と平民で対立する勢力があった中で、彼は平民と婚姻関係を結び、平民派の顔となりました。

その後、政争によって一度ローマから追放されましたが復帰を果たし、弁舌と軍事力で出世街道を駆け上がっていきます。

そしてポンペイウス、クラッススらとローマ統治の中心となり、現在のフランス・ベルギー・スイス付近であるガリア地方への遠征では、異民族の平定で成功をおさめました。
この時の様子を「ガリア戦記」として著し、文筆家としての才能があるところも見せています。

ガリア遠征によって多くの兵たちからの信頼を得たカエサルは、さらなる権力者への道を歩んでいきます。
内戦でポンペイウスに勝利した彼は、そのままエジプトへ上陸し、そこでクレオパトラと出会うわけです。
クレオパトラとの関係によりエジプトの実質支配者となった彼は、後の帝政ローマの基礎となる終身独裁官に就任します。

彼の権勢はとどまるところを知らないといった感じでしたが、彼に対して懸念を抱く者たちももちろんいました。
その中には、彼が目をかけて可愛がっていた人物もいたのです。
そして、彼を暗殺した一団の中にその人物が含まれていたのでした。

死の間際、カエサルは彼に向かって「ブルートゥス、お前もか」と叫びます。
皇帝まであと一歩まで上り詰めた男は、身体中を滅多刺しにされ、56歳で命を終えたのでした。

とにかくモテたカエサル

カエサルが有能な人物だったことは言うまでもありませんが、同時に彼は非常に女性好きでもありました。
そして女性からも好かれたそうです。

とはいっても、彼の容姿は禿げている上にエラも張っており、決して美男とは言えませんでした。
しかしモテまくったということで、元老院議員の3分の1が彼に妻を寝取られた、なんて逸話もあるくらいなんですよ。

そんなカエサルですが、女性を引きつける何かがあったことは間違いありません。
そうした魅力は、クレオパトラが持っていたものと同質のものだったかもしれませんね。

第二の男・アントニウス

第二の男・アントニウス

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カエサルの次にクレオパトラが頼ったのがアントニウスでした。
彼はカエサルの部下としてガリア戦争やローマ内戦で活躍し、出世していきます。

カエサルの死後は、カエサルの養子で後継者となったオクタヴィアヌスらとローマの政治を取り仕切るようになります。
この頃、彼らの対抗勢力を支援したクレオパトラを出頭させますが、そこで恋に落ちてしまいました。
しかし単なる政治的な結びつきだけだったわけではないようで、彼らは3人の子供をもうけています。

一方、アントニウスには、オクタヴィアヌスへの対抗心がメラメラと燃え盛っていました。
そこで彼は積極的に外国へ遠征を行い、一定の成功をおさめます。
しかしその際の凱旋式を、ローマではなくクレオパトラのいるエジプトのアレクサンドリアで行ったことで、ローマの民心は彼から離れてしまいました。
そしてオクタヴィアヌスとの決戦に敗れ、自死することとなったのでした。

アントニウス自身も優秀な武将ではありましたが、人の上に立つ人物としては、やはりカエサルには及ばなかったようです。
同時代の弁舌家で批評家でもあるキケロが彼を評して、「頑丈なだけが取り柄で無教養、酔って娼婦と騒ぐしか能のない、剣闘士並みの男」と言っているほどなんですよ。
とは言っても、クレオパトラにすれば最後に愛した男だったわけです。

クレオパトラを死へ追いやったオクタヴィアヌス


ここで、クレオパトラとは男女の関係にあったわけではありませんが、彼女の運命を決定づけた最後の人物・オクタヴィアヌスについてもご紹介しましょう。

オクタヴィアヌスはカエサルの姪の息子でしたが、カエサルの養子となり、わずか18歳で後継者に指名されました。

あのカエサルの後継者ならば、さぞかしすごい人物だったのだろうと思いきや、実際のオクタヴィアヌスは病弱で戦争もそれほど得意ではなかったようです。
しかし彼が優れていたのは政治的感覚で、それをフルに活用してローマ共和政内部で存在感を増していきました。

そして、クレオパトラに熱を上げてエジプト寄りになったアントニウスを弾劾し、両者に宣戦布告をしたのです。
アントニウスはオクタヴィアヌスの姉を妻としていたにもかかわらず、一方的に離婚していました。
そのことも彼の怒りに火をつけたのかもしれません。

結果、オクタヴィアヌスはアントニウスとクレオパトラを破り、ローマは完全にエジプトを手に入れることとなりました。
彼らを許さなかったオクタヴィアヌスですが、彼らの子供に対してはかなり寛大で、姉に預けて養育させています。
その後、その血筋から後のローマ皇帝が生まれていくこととなるのですから、運命とはどうなるかわからないものですね。

やがてオクタヴィアヌスは「アウグストゥス(尊厳者)」という称号を贈られ、初代ローマ皇帝アウグストゥスとなりました。
ここから、長いローマの栄光の時代が始まるのです。
カエサルができなかったことを、オクタヴィアヌスはやり遂げたのでした。

自分の国を守ろうとした女王

クレオパトラはその華やかな男性遍歴から、男好きというイメージでくくられがちだと思います。
しかし、彼女は大きな目的としてエジプトを守るためにカエサルやアントニウスに賭けたのであり、愛情を先に求めたわけではなかったと思います。
そうでなければ、カエサルを暗殺した勢力を支援したりはしなかったのではないでしょうか。
彼女は衰えゆくプトレマイオス朝の女王として、どうにか国を生き延びさせたかったのだと思います。
そのためには、自分の長所=知性や美貌を最大限に活用することが最短の道だと考えたのかもしれません。
カエサルが暗殺されていなかったら、彼女はどんな人生を歩んだのかと考えたくなりませんか?
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xiao

Writer:

世界と日本がどのように成り立ってきたのか、歴史についてはいつになっても興味が尽きません。切っても切り離せない旅と歴史の関係を、わかりやすくご紹介していけたらと思っています。

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