漫画「キングダム」の史実を追う!秦の始皇帝陵の歴史をやさしく解説

中国全土を統一し、史上初めての皇帝となった秦の始皇帝。人気漫画「キングダム」でも物語の舞台となり、これまで人気を集めてきた三国志ばかりではなく「秦」にも注目が集まっています。

wondertripでは旅のスポットとしての「秦」にも注目。彼が多くの人民を投入して建設した始皇帝陵とは、いったいどんなものだったのでしょうか。副葬坑の兵馬俑坑と共に、秦と始皇帝の歩んだ歴史、彼が自身の墓に込めた思いや数奇な生い立ちについてご紹介しましょう。

始皇帝とは?

始皇帝とは?

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まず、始皇帝とはいったいどんな人物だったのでしょうか。

古代中国で7つの国々が覇権を争った戦国時代、当時秦王だった始皇帝は戦いの末に全土を統一しました。
これが紀元前221年のことです。
皇帝に即位した彼は、一番始めの皇帝であることから、「始皇帝」と名乗りました。

始皇帝は多くの施策を打ち出しました。
封建制から郡県制へ移行し、度量衡を統一して中国全土を共通の物差しで支配できるように整備したのです。
漢字の書体を統一したことも、大きな事業でした。

また、異民族からの防衛のために万里の長城を建設しました。
後に始皇帝陵と呼ばれる自身の墳墓の建設にも早くから着手しています。

その一方で焚書坑儒を行い、自分に反対する儒家を生き埋めにしたり、その本を燃やしたりなどの言論統制を行いました。

画期的な施策を打ち出した反面、反対する者には弾圧を加えたのです。
そんなやり方に反感を抱く者による暗殺未遂も後を絶ちませんでした。

始皇帝は巡遊中に病を発して亡くなると、問題が起こりました。

側近の宦官・趙高により本来の後継者である長子の扶蘇は自殺に追い込まれてしまい、末子の胡亥が後を継ぎます。
趙高は胡亥を操り、政治は混乱しました。

やがて皇帝への不満が各地で高まり、反乱が起きます。
その中から出てくるのが、あの項羽や劉邦だったのです。

始皇帝陵の建設

始皇帝陵の建設

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まず、始皇帝とはいったいどんな人物だったのでしょうか。

古代中国で7つの国々が覇権を争った戦国時代、当時秦王だった始皇帝は戦いの末に全土を統一しました。
これが紀元前221年のことです。
そして皇帝に即位し、一番始めの皇帝であることから、「始皇帝」と名乗ったというわけです。

始皇帝は多くの施策を打ち出しました。
封建制から郡県制へ移行し、度量衡を統一して中国全土を共通の物差しで支配できるように整備したのです。
漢字の書体を統一したことも、大きな事業でした。

また、異民族からの防衛のために万里の長城を建設しました。
後に始皇帝陵と呼ばれる自身の墳墓の建設にも、早くから着手しています。

その一方では焚書坑儒を行い、自分に反対する儒家を生き埋めにしたり、その本を燃やしたりなどの言論統制を行いました。

画期的な施策を打ち出した反面、反対する者には弾圧を加えたのです。
そんなやり方に反感を抱く者による暗殺未遂も後を絶ちませんでした。

そんな始皇帝は巡遊中に病を発して亡くなります。

問題はその後でした。
側近の宦官・趙高により本来の後継者である長子の扶蘇は自殺に追い込まれ、後を継いだのは末子の胡亥でした。
趙高は胡亥を操り、政治は混乱を極めました。

やがて皇帝への不満は各地で高まり、反乱が起こります。
その中から出てくるのが、あの項羽や劉邦だったのです。

 

始皇帝は秦王となりすぐに自身の陵墓の建設を始めました。
生前から墓を造ることは、珍しいことではなかったのです。

皇帝に即位してからは、始皇帝は70万人とも言われる労働力を投入し、いまだかつてない規模の墓の建設に情熱を燃やしました。
ただ、皇帝の熱意とは裏腹に、民衆は疲弊し、国力までもが低下する原因となってしまったことは否めません。

始皇帝陵は驪山の北側の麓に造られました。
完成時、墳丘の高さは76mあったと言われていますが、今はそこまでのものではありません。

二重の壁に囲まれた墳丘の土台は四角形をしており、頂上まで石の階段が連なっています。
この墳丘の下に始皇帝の墓室があると言われていますが、まだそこには発掘の手は及んでいません。

しかし、「史記」によればここには地下宮殿があると記されています。
そして侵入者を射殺する弓が設置されており、水銀の川が流れ、天井には星のごとくきらめく宝石が散りばめられているというのです。

荒唐無稽な話と思われてきましたが、近年の調査により、墳丘の地下には宮殿が存在することが判明しました。
しかも、ここの水銀濃度は自然界よりも高く、水銀の川があったこともあながち嘘ではないかもしれないということなのです。

これほどまでにスケールの大きな陵墓を発掘するには、予算も時間も人も技術も必要です。
そのため、なかなか着手できないのが実情のようですね。

始皇帝陵を守る兵馬俑

始皇帝陵を守る兵馬俑

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始皇帝陵から約1.5㎞離れた場所で、1974年に地元住民が発見したのが兵馬俑坑でした。
今までに3つ発見されています。
「俑」とは「ひとがた」という意味です。

歴史書などには記されていたものの、それまでは存在すら疑問視されていたため、この発見は世界に衝撃を与えました。

始皇帝陵を取り巻くように配置された兵馬俑は、その数は約8000体にも及びます。
驚くことにそれらにはひとつとして同じものはなく、服装や髪形、表情に至るまでがすべて異なるつくりをしているのです。
また。
俑は彩色されていたことが判明しました。
これだけの量とクオリティのものにすべて色を付けていたのだとしたら、当時の技術の高さは相当のものだったと推測できますね。

武人の俑は高さが180㎝もあり、それらが居並ぶ様子は迫力があります。
また文官や芸人、馬車など様々な種類があり、始皇帝が死後の世界も軍隊と官僚を支配し、統治を続けようとしたことがわかります。

そして、すべての俑は東を向いています。
秦は中国で西方に位置し、敵となる勢力は主に東にいたため、始皇帝を守り敵に向かうという意味で東向きとなっているのだそうです。

不老不死を望んだ始皇帝

不老不死を望んだ始皇帝

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始皇帝は巨大な陵墓を造り、まるで生きているかのような兵馬俑で自分の死後の世界を守らせました。

王が死ぬ前に自分の墓を造るのは不思議ではなかったと書きましたが、それでも始皇帝は死を恐れていたと考えられます。
権力も富も望むままに手に入れられる彼にとって、どうにもならないのが自分の命だったのです。

そして、皇帝は神仙思想へ傾倒していきました。

神仙思想とは、中国の道教の考えのことで、仙人は不老不死であり様々な仙術を使うことができるというものです。
その中でも皇帝を魅了したのが、仙人は煉丹術によって不老不死の薬を作ることができるということでした。

不老不死に憧れる始皇帝は、方士と呼ばれる仙人の修行をする人たちの言葉に入れ込むようになってしまいました。
中でも、徐福という方士に多額の出資をし、仙人が住むとされる蓬莱山を探させたりしたのです。
しかし結局仙人も蓬莱山も見つからず、徐福はそのまま戻ってこなかったと言われています。

蓬莱山を見つけられなかった始皇帝は、側近に命じて不老不死の薬を研究させたそうです。
作られた薬には水銀が含まれており、これを飲み続けた皇帝はやがて水銀中毒で死んでしまったとも言われています。







「始皇帝」を造り上げた歴史背景

「始皇帝」を造り上げた歴史背景

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絶大な権力を得た始皇帝ですが、「史記」によるとその性格は「恩愛の情に欠け、虎狼のように残忍な心の持ち主」と伝えられています。

なぜこのような人間になったのでしょうか?

それは、彼の生い立ちが大きな影響を与えていると考えられます。

始皇帝の父・子楚は妾腹であり、王となる可能性はほぼありませんでした。
しかし呂不韋という商人が彼に目を付け、評判を高める工作をし、世継ぎとすることに成功します。

その頃、子楚は呂不韋の妾・趙姫を気に入りもらい受けました。
やがて男児が誕生しますが、実は嫁いできたときすでに趙姫は妊娠していたとも言われているのです(現在は否定的な学説が多い)。

この男児が政、後の始皇帝でした。

父が即位後まもなく亡くなり、政は13歳で王位を継ぎます。
呂不韋は丞相として権勢を奮いました。

しかし呂不韋は趙姫と関係を続けていたのです。
さすがにまずいと、彼は趙姫に男を与えました。
趙姫は愛人との間に子をもうけ、なんと政を廃して愛人との子を王位にしようとしたといいます。

その時の政の行動は素早いものでした。
実母と愛人、その子を誅殺し、呂不韋を流刑とします。
流刑にするということは自死を要求しているのと同じでした。
呂不韋はそれを悟り、服毒自殺を遂げます。

そして政は、中国の統一に向かって突き進んでいきます。
おそらく、このときの経験は彼に「たとえ肉親であっても信用できない」という思いを抱かせたと思います。
信じられるのは自分だけ、だからこそ強大な力を手に入れなければという思いを強くし、それがあの始皇帝陵の建設という形で発露したのではないでしょうか。

いかがでしたか。

中国を統一した初の皇帝・始皇帝の陵墓のすごさをおわかりいただけたでしょうか。
途方もない権力を手にしたからこその考えが、そこにはあったのですね。

始皇帝陵と兵馬俑坑へは、成田から西安まで飛行機で移動し、西安中心部からは車で1時間ほどのアクセスです。

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