ラオス観光の前に知っておきたい!魅力を秘めた国ラオスの歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は東南アジア「ラオスの歴史」をご紹介します。

ラオスってこんな国

ラオスってこんな国

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ニューヨークタイムズで「世界で一番行きたい国」No.1に輝いたラオスは、東南アジア最後の秘境といわれるさまざまな魅力を持った国です。
年間300万人を超える観光客が訪れる観光で人気の国です。
東南アジアインドシナ半島に位置する共和制国家で、国土面積は日本の本州と同じくらいの小さな国です。
こんな小さな国なのに魅力をいっぱい秘めています。
観光では市場巡りや温泉、エレファントライド、世界遺産巡り、etc…!「母なる川」と呼ばれるメコン川に沈んで行く夕日を眺めるのもとても素敵な地です。

かつてフランスの植民地だった面影を残す「ルアンパバーンの町」は1995年に世界文化遺産に登録され世界で高い評価を受けています。
三国時代にアジアを震撼させたチャンパー王都の遺跡も2001年に登録されています。
一方、大国に翻弄され戦火にさらされた悲しい歴史も持っている国で、青年海外協力隊が活動を行い2015年で50周年を迎えた国でもあります。
今回は、かつてフランス領だった面影を残すラオスの歴史について触れてみたいと思います。

ラオスの始まり

大昔ラオスには多くの民族が住んでおり、その中でも多くの民族が文字を持たなかったため現在も謎に包まれたまま。
隣の国中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーなどからの諸国王と戦い、多くの民族が移動を繰り返している地でした。
ラオス最初の先住民はカー族といわれ5世紀には既に存在していました。
彼らはカンボジア(クメール人)の下で現在のラオスの地に暮らしています。

その後タイ系の民族が南下を始め、カー族は姿を消しました。
8~10世紀ごろにはスワー候国が起こったようです。

ラーンサーン王国と分裂

ラーンサーン王国と分裂

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11世紀ごろから東南アジアの大陸部に移動してきました。
ラーオ族というタイ系民族の一派がメコン川の流域に定住しました。
ラーオ族はそれぞれが定住した地で「ムアン」と呼ばれる政治的な集団を作るようになっていたようです。
1353年にこのラーオ族の「ムアン」がまとまり、ラーンサーン王国が出来て統一国家を形成しました。
最初の王国の王となったのがファーグム王です。
彼はムアンサワー(現在のルアンパバーン)を首都に定め、ラオスを始め東北タイにも版図を広げました。
上座部仏教を王国当時の原理として導入したのもこの王でした。

サンラン王国が最も繁栄したのは16世紀のサームセンタイ王の時代で、1560年に首都をビエンチャに遷都しました。
その陰には、タウングー朝ビルマ人が勢力を伸ばしそれを回避するためという理由があったようです。
首都が移されたことにより、この王国の守護寺院としてタート・ルアンが増設されました。

ラーンサーン王国の滅亡

ラーンサーン王国の滅亡

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17世紀にはスリニャウォンサー王の時代に王国は仏教・芸術においても栄えており、この繁栄ぶりは当時この地を訪れたオランダ東インド会社のファン・ウストホッフにより記録されています。
王が亡くなると、350年間も続いたラーンサーン王国が内部分裂を起こしました。
1707年にビエンチャン王国とルアンパバーン王国に、1713年にはビエンチャン王国からチャンパーサック王国が別れ3つの王国となりました。
分裂直後は、当時東南アジアでタイやカンボジアが巨大勢力として成長していました。

1770年代末に3王国は全てシャムの属国か朝貢国として支配下に置かれました。
1804年にはビエンチャン王国のアヌ王が、1827年にシャムに対し反乱を起こしますが敗北。
王はベトナムに敗走し、翌年にもう一度反抗しますが、シャム軍の手に落ち、バンコクで死亡しました。
その後ビエンチャン王国はシャムによって滅亡し、徹底的に破壊されました。

19世紀になってラーンサーン王国からの分裂したチャンパーサック王国はシャムの属国に、ルアンパバーン王国はシャムとベトナムのふたつの国に朝貢することで何とか存続することが出来ていました。
このころフランスがインドシナの植民地化を開始しました。







フランスの植民地となるラオス

19世紀半ばを過ぎたころにフランスは、カンボジアとベトナムを植民地としました。
フランスはルアンパバーン王国がメコン川以東にあることからこの地を要求し、話し合いでは決着がつかず仏泰戦争が起こりました。
もちろんこの時に勝利したのはフランスです。
1893年10月3日に締結されたフランス-シャム条約により現在のラオスとほぼ同じ領土がフランスの植民地となりました。

フランスはルアンパバーンを王国として保護し存続させたが、統治上の権限は全くなかったのです。
他の地域はビエンチャンを首都とし直轄領として統治しました。
ラオスは人口が少なく資源もないと見たフランスは、放任状態でインフラ整備などは全く進みませんでした。
そんな状況の中にありながらも、ラオスの人々には多大な税を課したのです。
不満を募らせたラオス人の中でも小民族の反発はひどく1930年まで続きました。

フランス統治から外れたラオス

フランス統治から外れたラオス

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第二次世界大戦でフランスがドイツに負けると、日本軍がフランスにインドシナへの駐屯を認めさせました。
タイはカンボジアとラオスの一部を取り返すことが出来ました。
ここからもフランスはラオスの統治方法を見直し統治を続ける政策を取りましたが、1945年3月に日本軍がクーデターを起こしインドシナを単独支配としました。

1945年に日本軍の力を借り、ラオスは名目上の独立を果たし、ラオス臨時人民政府が初めて設立されました。
フランスのインドシナ統一は一端中断します。
この後1946年にはフランスがラオスの再植民地化を開始し、ラオス臨時人民政府はバンコクへ逃亡。
1949年にフランスの懐柔政策により解散しました。
1950年に人民政府だった一部のものが、ネオ・ラーオ・イサラを結成し抵抗を続けました。
内戦など過酷な日々を続けやっと1953年10月22日にフランス-ラオス条約により完全独立しています。

独立するも内戦がおさまらないラオス

独立するも内戦がおさまらないラオス

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独立後もネオ・ラーオ・イサラの抵抗は続きました。
1954年のジュネーブ条約では、ラオス王国が国際的に承認されました。
この時、ネオ・ラーオ・イサラが北部に結集することも認められたため、実質的にラオスにはふたつの地域、ふたつの政府が存在することになったのです。

ラオス王国はアメリカ、ネオ・ラーオ・イサラはベトナムやソ連がそれぞれ援助を受けることになりました。
平和な時期もたった10ヶ月で崩壊し、大陸同士の争いに発展へと向かいます。
1964年にはアメリカ軍の解放区への爆撃も行われ更に内戦は激しくなりました。
1969年にはネオ・ラーオ・ハク・サート(前:ネオ・ラーオ・イサラ)側が優位に立つようになり、1973年ラオス和平協定が締結されました。

次のページでは『ラオス人民民主共和国の樹立とその後』を掲載!
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