ネパールの歴史:巡礼の聖地として古くから人々を魅了するネパールの成り立ちから王政廃止まで

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は東南アジア「ネパールの歴史」をご紹介します。

世界最高峰のエベレストを擁するネパールってこんな国

世界最高峰のエベレストを擁するネパールってこんな国

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インドへと続くタライ平野に囲まれたネパール連邦民主共和国は、国土が北海道の約1.8倍ととっても小さな国です。
美しい容姿が人々を魅了するヒマラヤ山脈や悠久の歴史と大自然に包まれた世界遺産を巡る旅も楽しめます。
2015年4月25日にかつてない大地震に襲われ、50万戸以上の家屋の崩壊と約9000人が亡くなったという甚大な被害をこうむりました。
現在は、ネパール復興庁が設立され復興が加速的に進んでいます。
日本からはJICAによる東日本大震災などの以前起こった災害支援を教訓に支援も行われています。

ヒマラヤのお膝元にある世界最高峰のエベレストへの拠点として、また、2000年の歴史を語るカトマンズの谷、大自然を望みながらのトレッキングや、エレファント・サファリ、聖地巡礼など観光スポットも数多く存在しています。
中世そのままの古都を巡るのも素敵なネパールの過ごし方です。
また、ネパール料理は独特で、インドや中国、チベットの影響を受け、これらの国のおいしいところをかき集めたようなグルメも魅力です。
今回は、神々の棲む国といわれる美しい山々に囲まれた豊かな地、ネパールの歴史に触れてみたいと思います。

巡礼の聖地ネパールの始まり

巡礼の聖地ネパールの始まり

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ヒマラヤ山脈って実は大昔は海底にありました。
カトマンズ盆地も湖の底にあったのです。
人類の始まりは、旧石器時代のカトマンズ盆地のドゥマカール遺跡が発見された木具などから紀元前2万4700年ごろからだと推定されています。
また、タライ平野からも旧石器時代の遺物が発見されているようです。
ネパールの語源は様々ありますが、「ネ」という名の牟尼(聖者)が、統治(パール)したことから名前が付いています。
紀元前6世紀にはカピラヴァストゥ共和国(現ネパール領)統治者の子として釈迦がルンビニで生まれています。
彼が北インドに教えを広めたことから、紀元前3世紀にはインドのアショーカ王が釈迦誕生の聖地として南ネパールへの巡礼を行い、仏塔を建立しています。
しかし、仏教は紀元前200年ごろまでその後はヒンドゥー教が主な宗教となりました。

ヒマラヤの雄姿が望める人気リゾート地

ヒマラヤの雄姿が望める人気リゾート地

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ネパールの主な歴史は、4~9世紀ごろの古代リッチャヴィ王朝、13~18世紀の中世のマッラ王朝、18世紀からの現代の3つに分けられます。
リッチャヴィ王朝は、カトマンズ盆地を統治した最古の王朝で、7~8世紀にかけて繁栄しました。
唐書には7層の楼が宝珠で飾られた銅葺きの宮殿の屋根には噴水のような仕掛けがあったと記されています。

その後8世紀にはマッラ王朝が起こりカトマンズ盆地を統一し15世紀まで支配しました。
カトマンズ郊外にあるブダニールカンタの水に横たわるヴィシュヌ神の石像はこの時代のものです。
このころはインドとチベット間の中継交易で大変栄え、領土をチベットとインドのガルワール地方まで勢力を広げました。
しかし、小王国に分かれ始め分裂してしまいます。
1200年ごろにイスラムの勢力がインドにまで及び始めると、インドから逃れてきた人々のヒンドゥー的な文化を受け入れチベットとも交易や仏教を核とする文化交流も流行りました。

小国が争うようになるネパール

小国が争うようになるネパール

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1484年マッラ王朝はカンティプール(現カトマンズ)、バドガオン(現バクタブル)、ラリトプール(現パタン)の3つに分かれ3王国時代が始まります。
人気観光地の旧王宮や寺院、古民家など歴史的建築物のほとんどがマッラ王朝後期のものです。
3王国だけでなく、地方にはどんどん王国や公国が造られ始めました。
16~18世紀の西ネパールは数十の勢力が国盗り合戦をし、争いが絶えない状態でした。

この中からプリティヴィ、ナラヤン、シャハ家が統べるゴルカ王朝が頭角を現します。
このゴルカ王朝のシャハ王は各地の国々を倒し、カトマンズ盆地3王国を倒し1769年にはネパールを統一しています。
首都をカトマンズに移し更に繁栄しました。
ゴルカ王朝の勢力はこれだけにはとどまらず、西は現インドのウッタル・プラデーシュ州北部のクマオン、ガルワール地方、東はシッキムにまで勢力を拡大しました。







統一後、イギリスの保護国となるネパール

統一後、イギリスの保護国となるネパール

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18世紀の後半にチベットに侵入しましたが、清朝の反撃に会い1912年まで清朝への朝貢を行うことになりました。
南と西(インド)への拡大はイギリス東インド会社を刺激する要因になります。
インドの植民地化を進めていた、イギリスと1814年にグルカ戦争が起こったのです。
グルカ戦争となっていますが、ゴルカが正しいようです。
初めごろは地の利を生かした作戦でゴルカ王朝の勢力が上回り勝利しました。
しかし、イギリス軍の力が勝るようになり、1816年サガウリ講和条約において年額20万ルピーでイギリス東インド会社に譲渡されてしまいます。

ここからイギリスの駐在官を受け入れざるを得なくなり、イギリスの保護国になりました。
しかし、保護国止まりで併合は逃れることができたため、独立は回避されています。
1846年にシャハ王家の子孫のジャンガ・バハドゥル・ラナが、実質的な権力を握ります。
ラナ王家は専制政治を断行し、専制時代の基礎を作りました。
ヒンドゥー教による国の統一を図り、国内の少数民族をカースト制度において支配するようになっていきます。

王政から民主化へと進むネパール

王政から民主化へと進むネパール

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専制政治に反発したのが当時最大政党であるコングレス党でした。
政府に対し民主化運動が起こり武装闘争を開始した結果、1950年にラナ体制を崩壊させています。
1959年のネパール発の議会選挙ではコングレス党が国民に支持され圧勝。
政治改革に乗り出しましたが、翌年マヘンドラ国王が軍事クーデターを起こし議会を解散。
内閣は罷免されてしまいます。
これにより全権を手にしたマヘンドラ国王は、国王親政によるパンチャーヤット体制を敷きました。

1972年にはビレンドラ国王政権が即位しましたが、身内びいきや国外からの援助が王族へ流れるなど政治腐敗が続きました。
長年の貧窮に耐えてきたネパールの人々は怒り、1979年に全国規模の反政府運動が勃発します。
翌年パンチャーヤット体制の是非を問う国民投票が行われ、現体制賛成が54.8%、政党制支持が45.2%でかろうじて現体制が続くこととなりました。
しかし、パンチャーヤット体制は見直され、現存の内閣の下で新憲法が発布されます。

王政に反発するマオウイストが結成

王政に反発するマオウイストが結成

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1989年には、ネパール会議派と共産党が手を組み、パンチャーヤット体制に対決することで合意しました。
このころはベルリンの壁の崩壊やルーマニア革命など東欧の民主化が始まっていました。
ソ連も崩壊し、ネパールでも一気に反政府運動が発展していきます。
1990年、ビレンドラ国王は、これまでの体制を一新し、議会制民主主義の実現を約束するとともに新憲法が発布されました。
ネパールが他民族国家であることも公に認められています。

1955年にはマオウイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)が結成され武力闘争が始まり内戦状態に陥りました。
マオウイストができた理由のひとつは王政・封建制が長く続いたことで農村部の貧困がますます深刻になったためです。
2001年には王家の内紛から宮廷内で王族殺害事件が起こりました。
ギャネンドラが新国王となり勢力が衰え、マオウイストが優勢となりました。

次のページでは『とうとう廃止となる王政』を掲載!
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