中国の世界遺産を全部解説!52件の世界遺産、あなたはどれが好み?

中国の世界遺産は、2017年時点で文化遺産が36件、自然遺産が12件、複合遺産は4件で、合計52件あります。中国は、イタリアに次いで2番目に多くの世界遺産が多い国。しかも、もしかしたらまだ、見つかっていない遺構や遺跡がたくさん眠っているかもしれないという、底知れぬパワーを秘めた国でもあるのです。そんな中国の世界遺産を今回は贅沢にもイッキ見!北京周辺に見どころが集まっている史跡名刹を皮切りに北、東、南、西と渦巻状に巡る旅に出かけましょう!

北京市周辺の世界遺産

01)世界有数の巨大建築「万里の長城」(1987年登録)

01)世界有数の巨大建築「万里の長城」(1987年登録)

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もはや説明不要。
世界最大の建築物にして中国一有名な観光スポットと言っても過言はないでしょう。

現存する個所だけでも総延長約6000㎞とも言われ、見どころ多数。
秦の始皇帝によって作られたと言われることが多い万里の長城ですが、実はそれより前の時代から、北方騎馬民族の侵入を防ぐための壁や土塁はあちこちに作られており、それらをつなげて整備したことで、始皇帝の功績として伝えられるようになりました。
さらにその後も、中国大陸に巨大な王朝が誕生するたびに長城は修復・追加延長され続けたため、現在に残るような巨大建築物となっていったのです。

1500年以上もの年月をかけて築かれた万里の長城。
時代や場所によって、その表情は様々です。
中でも都市部からのアクセスの良さなどから観光の定番とされているのが、北京近郊にある「八達嶺長城(はったつれい)」。
明王朝時代に築かれたものと考えられています。
山の合間を縫うようにして延びる長城の姿はまるで地を這う龍のよう。
ロープ―ウェイなども完備されており、人気スポットなので混雑必至です。

02)権力の象徴!「明・清王朝の皇帝墓群」(2000年登録、2003年・2004年拡大)

02)権力の象徴!「明・清王朝の皇帝墓群」(2000年登録、2003年・2004年拡大)

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明・清王朝時代の皇帝のお墓は、中国各地に点在しており、どれも荘厳で重厚、当時の建築技術を知ることができる貴重な遺構と見られています。
その歴史的価値が認められ、2000年にまず湖北省の明顕陵と河北省の清東陵・清西陵の3カ所が世界遺産となり、2003年には北京郊外にある明の十三陵と江蘇省の明孝陵ならびに周辺の墓群が拡大・追加登録。
2004年にはさらに遼寧省の清永陵、清福陵、清昭陵を追加。
中でも明の十三陵は、北京中心部から北西に50㎞ほどの場所にあるため、観光スポットとしても大変人気です。

十三陵は明の第三代永楽帝など13人の明代皇帝の陵墓群で、天寿山の麓に広がる広大な敷地の中に巨大な棺を始め多くの遺構が残されています。
あまりに広すぎて、墓と言うより宮殿のよう。
どの陵墓も豪華で、明の皇帝の権力の大きさをうかがい知ることができます。

03)どこまでも美しい庭園「頤和園」(1998年登録)

03)どこまでも美しい庭園「頤和園」(1998年登録)

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頤和園(いわえん)は、北京の西北およそ10kmの位置にある、中国屈指の名園と呼び声高い広大な庭園公園です。
その敷地面積はなんと約290万平方メートル。
東京ドーム60個以上もの広さを誇ります。

1750年、清朝第六代皇帝の乾隆帝が母の還暦を祝うために設えた庭園で、人工の湖「昆明湖」を中心に大小さまざまな宮殿が立ち、湖を掘った土で作られた万寿山には頤和園のシンボル仏香閣(ぶっこうかく)がそびえ立っています。
20mの基壇の上に立つ高さ36m、八角三層の美しい塔は一見の価値ありです。

そんな名園も、清国の国力の低下、さらにはアヘン戦争の影響で荒廃。
19世紀後半に西太后の隠居後の居所として一層豪華に再建され、再び息を吹き返します。
中華人民共和国が成立した後は中国共産党の施設となった時期もありましたが、1953年以降、公園として一般に開放されるように。
時の権力者たちの力の強さを肌で感じ取ることができる名園は、今日も多くの観光客で賑わっています。

04)その広さ世界最大級「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」(1987年登録、2004年拡大)

04)その広さ世界最大級「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」(1987年登録、2004年拡大)

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中国の最も有名な観光地のひとつであろう「紫禁城」。
総面積およそ72万㎡、周囲を幅52mの堀と12mの高さの城壁で囲まれた、世界最大級の広さを誇る壮大な宮殿です。
元王朝が築いたものを明の永楽帝が改築し、1421年に北京へ遷都してから清王朝が終わるまでのおよそ500年間、皇帝の居城として使われていました。
有名な天安門は紫禁城の正門です。

現在は、故宮博物院という博物館として建物ごと一般開放され、数々の収蔵品と共に見学することができるようになっています。

世界遺産の登録としては、この北京の故宮に加えて、清王朝の離宮として使用されていた瀋陽故宮も2004年に追加登録されています。
面積はおよそ6万㎡で、北京の故宮に比べればそれほど広くはありません。
北京からだいぶ離れた場所にありますが、保存状態がよいことから、清国の歴史を知る貴重な資料として注目されています。

05)宇宙の声を聞く場所「天壇」(1998年登録)

05)宇宙の声を聞く場所「天壇」(1998年登録)

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北京市内から15kmほど離れた場所にある天壇(てんだん)公園。
「壇」とは皇帝が天帝(天・宇宙)と交信する施設のことだそうで、天壇は明、清王朝の皇帝が天に対して神を祀り豊作を祈る祭祀を行った神聖な場所であったと言われています。

敷地面積はおよそ270万㎡。
中には数多くの建築物が残されていますが、中でも最も目立つのが大理石の三層構造の円形の塔「圜丘壇(かんきゅうだん)」。
宇宙船を彷彿とさせるような独創的でユニークなデザインをしていて、観光客にも人気です。

湯治は神聖な場所とされていたため一般人は立ち入りできませんでしたが、現在は公園として一般に開放され、自由に見学可能。
祈りの場所として、城や宮殿とは異なる目的で建てられた建造物群はその昔そうであったように、今も神秘的な存在感を保ち続けています。

06)考古学好きならここ!「周口店の北京原人遺跡」(1987年登録)

06)考古学好きならここ!「周口店の北京原人遺跡」(1987年登録)

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北京周辺の遺跡というと中国王朝の宮殿や施設に目が行きがちですが、北京原人の存在を忘れてはなりません。

周口店(しゅうこうてん)は北京から南西に約50Kmほど離れたところにある村。
20世紀初頭、ここで約25万年前から50万年前のものと思われる原人の歯や骨が発見され、本格的な発掘調査が始まりました。

一方で周囲の山々は石材や石灰などの採掘場所としても知られており、20世紀半ばには多くの工場施設の建設の建設ラッシュが始まります。
この際、残念ながら多くの遺跡が失われてしまいました。

貴重な遺跡を守ろうという声が中国政府に届いたのは20世紀後半に差し掛かった頃。
工場群は別の場所に移転し、北京原人の遺跡は1987年に世界遺産に登録されました。

現在では、発掘の地は「周口店遺址公園」となっており、公園から徒歩10分ほどのところに遺跡の様子を展示した「周口店遺址博物館」があります。
紫禁城や天壇に比べると地味な印象ですが、登山気分で50万年前の遺跡を見てまわる観光客も多いそうです。

07)こんなものまで造っていた!「大運河」(2014年登録)

07)こんなものまで造っていた!「大運河」(2014年登録)

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中国の世界遺産はどれもスケールが大きいものばかり。
広さ、建物の大きさ、そして、長さ。
長い歴史遺産といえばまず万里の長城が頭に浮かびますが、もうひとつ、歴史上重要な役割を果たした”長いもの”があります。
北京から杭州まで、総延長2500kmにも及ぶ「大運河」です。

部分的には紀元前から存在していましたが、隋王朝の時代に本格的な整備が始まり、完成したのは610年とされています。
この運河の建設が隋の財政を圧迫し、反乱・衰退につながっていったとも言われていますが、大河によって南北が分断されがちな中国大陸に於いて、その後も重要な役割を果たしていくことに。
運河として物資の運搬はもちろんのこと、洪水を防いだり、周辺地域に水を供給したりと、中国歴代王朝の発展に欠かせない存在となっていました。
世界遺産に登録されているのは護岸改修が行われていない1000kmあまりの区間ですが、その土地その土地で様々な表情を見せてくれる大運河は世界遺産でありながら現在も現役の水路として活躍し続けています。

華北・東北の世界遺産







08)広大な草原で何を思う「高句麗前期の都城と古墳」(2004年)

08)広大な草原で何を思う「高句麗前期の都城と古墳」(2004年)

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高句麗とは、紀元前後、中国から朝鮮半島一帯を支配していた大国。
現在の北京市街地から北東方向、北朝鮮との国境にまたがるように広がる土地に、およそ2000年前、高句麗がおさめる領地が広がっていました。
広大な大地に高句麗時代の墓が7000以上も点在しており、そのうち中国側で世界遺産登録されたものは高句麗”前期”のものと位置付けられています。
北朝鮮側の古墳群も”後期”のものとして、同時に世界遺産に登録されました。

中国側の遺産に含まれるのは、五女山城、丸都山城、国内城の3つの城跡と、王墓とされる古墳14基、身分の高い者の墓とみられる古墳26基。
古墳の内側には神話などをモチーフにしたと思われる壁画がたくさん描かれており、今もなお、美しい色彩を保っていて、当時の様子を知る貴重な資料となっています。

古墳の多くは四角く切り出した大きな石を積み上げたもの。
最も大きなものは形も見事で「東方のピラミッド」と例えられるほどです。

09)心休まる皇帝の別邸「承徳の避暑山荘と外八廟」(1994年)

09)心休まる皇帝の別邸「承徳の避暑山荘と外八廟」(1994年)

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北京から東北方向に200km以上離れた街、承徳。
涼やかな気候が清王朝の歴代皇帝に愛され、夏の避暑のための離宮として「避暑山荘」が作られました。
山荘といってもそこは中国王朝。
敷地面積はおよそ560万㎡、100以上の建物が建てられ、10km以上もの塀が張り巡らされているという巨大施設。
1703年頃から80年以上もの歳月をかけて完成しました。
外八廟とは山荘のまわりを取り巻くように並ぶ寺廟群の総称だそうです。

スケールは大きいですが、建物は赤色が少なく、落ち着いた色合いのものが多いのが特徴。
自然の山や湖を利用して作られた景観は野趣あふれ、のどかで静かな時間が流れます。
皇帝はここで、涼やかで心落ち着く夏を過ごしたのでしょう。

10)史上最強の帝国が築いた都「上都遺跡」(2012年登録)

北京から北に約300km、モンゴル帝国(元王朝)第5代フビライ・ハンによってモンゴル高原(現在の内モンゴル自治区)に設けた都。
元王朝の夏の都であったとも言われています。
1275年にマルコ・ポーロが訪問したことで西洋にもその存在が広く知られるようになりました。
西洋ではザナドゥ(Xanadu)とも呼ばれています。
上都は中国だけでなく世界の政治や軍事の中心であり、国際性に富んだ大都市でだったのです。

そんな大都市も、幾度かの戦乱を経て焼き払われ、建物らしきものは残っていません。
広大な草原にかつてどのような都が広がっていたのか、現在、鋭意調査が進められているとのこと。
”蒼き狼”フビライ・ハンが見た光景の出現に大いに期待がかかっています。

11)果てしなき仏教芸術の世界「雲崗石窟」(2001年登録)

11)果てしなき仏教芸術の世界「雲崗石窟」(2001年登録)

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龍門石窟、莫高窟と並び、「中国三大石窟」と称される石窟。
中国山西省北部の大同市から西へおよそ16km、武周山南麓に突如として現れる、北魏時代(386年~534年)のものと思われる石窟寺院群が雲崗石窟(うんこうせっくつ)です。

東西1㎞にもわたって、現存するものだけでも大小合わせて250以上も岩穴が掘られていて、仏像の数は5万体を超えるとか。
中でも有名なのが露天大仏(釈迦三尊座像)。
高さ14m、力強い目と柔らかな顔の線、口元には笑みを蓄えた慈悲深い表情が印象的です。

他にもたくさんの石像・彫刻を見ることができ、岩穴ごとに年代が異なるのか、仏像の大きさ、形状、表情も様々。
見比べて歩くのもまた一興です。

12)遣唐使たちも目指した霊峰「五台山」(2009年登録)

12)遣唐使たちも目指した霊峰「五台山」(2009年登録)

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山西省東北部の五台県にある、仏教の聖地として古くから信仰を集めている霊山。
葉頭峰(海抜3,058m)を筆頭に、頂上が平坦な五つの峰から成り、北魏時代(386年~534年)から山中にたくさんの寺院が建てられ、最盛期には300以上もの寺があったと言われています。

都から遠く離れた険しい山にも関わらず、歴代王朝の皇帝も数多く訪れているという特別な山。
中国仏教だけでなくチベット仏教の聖地としても知られています。
そのためか、山の斜面を活かして建てられた建物はどれも個性的で多種多様。
平安時代や鎌倉時代には日本からも多くの僧が山の寺院を訪れ、研鑽を積んだのだそうです。

13)2700年前にタイムスリップ!「平遥古城」(1997年登録)

13)2700年前にタイムスリップ!「平遥古城」(1997年登録)

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平遥(へいよう)は山西省晋中市にある古い城塞都市。
紀元前、春秋・戦国時代に築かれ、2700年余りの歴史を持つ貴重な遺構です。
何度か改修は行われているものの、城壁だけでなく街中の様子まで明確にわかるほど保存状態がよく、古い時代の城と町の在りようを知ることができることから歴史的な価値が高いと評価され、世界遺産へ登録の運びとなりました。

内部には古城壁や様々な木造建築、寺院などが残り、さらに四合院(しごういん)という中国伝統的な建築方式の民家が300棟以上も。
これらの民家には現在も人が住んでいて、路地を歩いていると、まるで古い時代にタイムスリップしたかのような感覚に陥ります。

14)中国を代表する古代遺跡「殷墟」(2006年登録)

14)中国を代表する古代遺跡「殷墟」(2006年登録)

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中国最古の王朝と言われ、紀元前17世紀~前11世紀頃まで栄えたと考えられている殷(商)王朝の都の遺跡。
河南省安陽市を流れる川のほとりの24平方㎞ほどの広さの土地に、青銅器や玉、甲骨文字を記した亀甲など貴重な品々が数多く出土。
殷王朝は長年「謎の王朝」と呼ばれ、神話の中の国と考えられていましたが、19世紀末に偶然が重なってその存在が明らかとなり、本格的な調査が行われるようになりました。

殷墟が栄えていたのは今からおよそ3300年前。
日本はまだ縄文時代で、文字などまだありません。
そんな古い時代にこの地には大きな町が作られ、道が整備され、宮殿が建てられ、なんと車輪を用いた車まであったと考えられています。
高度な技術を持っていたと思われる殷王朝。
その実態を知るための貴重な遺産として、今もなお、発掘調査が進められています。

次のページでは『15)無数の石仏群は何を思うのか「龍門石窟」(2000年登録)』を掲載!
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