秀吉に「武士の鑑」と称賛された清水宗治の切腹!毛利家が惜しんだその忠義の人生

織田信長の命によって豊臣秀吉が行った中国攻めでは、凄惨な兵糧攻め(干殺し)や水攻めが行われました。清水宗治(しみずむねはる)は、その水攻めに遭った人物。結果的に彼は切腹することになりましたが、その作法は後世にまで伝わる切腹の手本となったと言われています。いったい、どんな最期だったのでしょうか。

毛利本家、小早川家からも最後まで助命を願われた逸材・清水宗治の物語をご紹介したいと思います。







備中高松城主となるまで

備中高松城主となるまで

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天文6(1537)年、備中(びっちゅう/岡山県西部)に生まれた清水宗治ですが、清水家自体はそれほど高い家柄ではありませんでした。
というのも、彼自身は当時備中で主力だった三村家の家臣・石川久孝の娘婿にすぎなかったからです。
戦国武将の家臣の家臣、みたいなものだったんですね。

三村家というのは、宇喜多直家と敵対しスナイパーによって暗殺された三村家親(みむらいえちか)を輩出した家です。
この事件によって三村家は宇喜多直家と戦になり、宇喜多直家が毛利家と結んだことで、「三村VS宇喜多+毛利」の構図となりました。

となれば三村家臣の娘婿として、宗治は三村家側に立つはずですが、そうはならなかったんですね。

舅・久孝とその養子が亡くなり、石川家の跡継ぎがいなくなると、宗治は自分こそ跡を継いでもいいだろうと名乗りをあげたんです。
そして、石川家所有の備中高松城もろとも手に入れ、毛利家に臣従したというわけなんですよ。

ちなみに、備中高松城と高松城は違います。

備中高松城は、岡山県岡山市にあった城。
高松城が、香川県にあった城なんですよ。
ややこしいのでご注意ください。

毛利家では「忠義の武士」!信頼は絶大

毛利家では「忠義の武士」!信頼は絶大

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毛利輝元(もうりてるもと)に従った宗治は、毛利家随一の智将であり、毛利を支える「両川(りょうせん)」のひとり・小早川隆景(こばやかわたかかげ)配下となりました。
常に冷静な判断をし、義の人としても有名だった隆景の下に入れたことは、宗治としてもラッキーだったと思いますよ。

そして、隆景の下で宗治は実に忠実に働きました。
毛利の中国平定に大きな貢献をすることとなり、隆景だけではなく、輝元からも絶大な信頼を寄せられるようになったんです。

備中松山城主となった経緯に関しては少しビミョーな部分もありますが、自分の力を発揮させてくれる主を見つけたことで、宗治は忠義の武将となったのかもしれません。

隆景への忠誠は特に篤かったようで、隆景から刀を授かった際には、「最後まで毛利のため力の限り戦い、死ぬ時はこの刀で切腹しましょう」と誓っています。

毛利家に忍び寄る信長の手

毛利家に忍び寄る信長の手

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しかしこの頃、毛利家は織田信長との戦いという局面を迎えていました。

というのも、輝元が、信長と仲違いした室町幕府将軍・足利義昭(あしかがよしあき)を保護しており、信長包囲網の一角を形成していたんです。
しかも、信長の難敵・石山本願寺とも結んでおり、毛利家は信長にとってもうホントに邪魔な存在となってしまっていました。

ですから、当然、信長は毛利家を敵視し、討伐軍を派遣してきたんです。

石山本願寺をどうにか片付けると、信長は、配下の武将・羽柴秀吉(当時はまだ羽柴、後に豊臣)に命じ、中国征伐(というか毛利征伐)を行わせたのでした。

天下人になると目されていた信長の軍ですから、毛利家にとっては脅威。
もしかすると滅ぼされるかもしれないという覚悟もあったかもしれませんね。

また、秀吉が実に巧妙に、しかし着実に西進してきたわけですから、毛利は追いつめられていったんです。

秀吉の恐ろしい奇策

秀吉の恐ろしい奇策

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ところで、秀吉は備中高松城に迫るに先立ち、恐ろしい攻め方で相手を倒してきていました。

三木合戦(みきかっせん)では「三木の干殺し(ひごろし/ほしごろし)」を行って毛利方の別所長治(べっしょながはる)を下し、次の鳥取城の戦いではさらに凄絶な「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」と行って、毛利一門の城主・吉川経家(きっかわつねいえ)を自刃に追い込んでいたんです。
この戦では、飢えた人々が死んだ人の肉を食らうという壮絶な地獄絵図を生み出しており、秀吉が進軍してくるとなれば、みな戦慄したことでしょう。

そして、ついに秀吉は宗治の守る備中高松城にまでやってきたのでした。

いったいどんな手を使うのか…。

秀吉の側には、軍師・黒田官兵衛(くろだかんべえ)が控えていました。
彼こそが、秀吉に備中高松城攻めの奇策を授けることになるのです。







秀吉の降伏勧告を断る

秀吉の降伏勧告を断る

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天正10(1582)年4月、毛利方の支城を次々に落とした秀吉は、織田側に寝返った宇喜多直家との連合軍3万を率いて、備中高松城を包囲しました。

対する宗治は、わずか5千で籠城を選びます。

秀吉は、「降伏すれば備中一国をやろう」と宗治に投降を呼びかけますが、忠義の士・宗治はそれに応じることはありませんでした。
また、黒田官兵衛がわざわざ使者として赴き説得したのですが、それも丁重に断ったんだそうです。

さて、この構図、またも干殺しか?と思わせますよね。

しかし、官兵衛は秀吉に仰天の策を進言しました。

それが、水攻めだったんですよ。

備中高松城の水攻め

備中高松城の水攻め

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低湿地にある沼城だった備中高松城を攻めるには、正面からぶつかっても騎馬も歩兵も機動力を奪われます。
そこに着目した官兵衛は、ならば水浸しにしてしまえばいいと考えたんですね。

そんな官兵衛の策を容れた秀吉は、5月に入るとすぐに堤防工事に取り掛かりました。

全長3㎞、高さは7.2m、底辺の幅が24mもある巨大な堤を、なんと12日で完成させたんです。
秀吉のすごさは、こうした下準備の速さにもありました。

こうして、川の水を引き入れると、城はまるで湖に浮かんだ城のように孤立してしまうこととなったんです。

まさか、と、宗治も、援軍に駆けつけた毛利軍も思ったことでしょう。

これでは、外部との連絡も船に頼るしかありません。

しかし、周りには秀吉の大軍が控えています。

毛利からの援軍すら、なすすべなく、ただ遠くに陣を布くことしかできませんでした。

そして兵糧は日に日に減っていき、士気も下がっていったんです。

それにしても、干殺しの件といい今回の水攻めといい、どうして秀吉はこんな策を取ったのでしょうか。

それは、兵力を温存しようという考えがあったと思われます。

戦国時代はいつ何が起こるかわかりませんし、まだ毛利本隊とぶつかっていない秀吉としては、できるだけ白兵戦を避けたかったのでしょう。

すると、本当に「いつ何が起こるかわからない」が現実となったのでした。

天正10(1582)年6月2日、本能寺の変が起きたのです。

和睦を急ぐ秀吉、何も知らない毛利

和睦を急ぐ秀吉、何も知らない毛利

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膠着した水攻めで士気が下がる中、毛利方と秀吉は和睦の道を探っていました。

小早川隆景とすれば、宗治はぜひ救いたいという思いがあったことでしょう。

そして、毛利と秀吉の交渉が始まりました。

毛利方は、五国(備中/岡山県西部、備後/びんご・広島県東部、美作/みまさか・岡山県東北部、伯耆/ほうき・鳥取県中西部、出雲/いずも・島根県東部)を割譲する代わりに宗治をはじめとした城兵の命の保証を求めます。

しかし、秀吉側は五国の割譲と城主・宗治の切腹を要求してきたため、いったんは物別れに終わってしまいました。

何とか宗治の命を助けたい毛利側は、今度は宗治に降伏を勧めます。
自ら降伏すれば、秀吉も何とか収まってくれるのでは…という思いがあったのかもしれませんね。

ところが、宗治は降伏を承諾しませんでした。

自分の命ひとつで毛利家と城兵が助かるなら、喜んで死のうと言うんです。

彼の意思が固いことを知り、毛利家からの使者は帰っていきました。

実はこの頃、6月3日の夜から4日未明にかけて、秀吉は毛利方に先駆けて、本能寺で信長が討たれたことを知ったんです。

そのため、それを隠して和睦を急いだんですよ。

もちろんまだこの時、毛利方はこのことを知りませんでした。

もし知っていたなら…と思いますが、こればかりはもうどうにもなりません。

そして、宗治の切腹が決まったのでした。

Writer:

世界と日本がどのように成り立ってきたのか、歴史についてはいつになっても興味が尽きません。切っても切り離せない旅と歴史の関係を、わかりやすくご紹介していけたらと思っています。

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